ニシヘヒガシヘ
浅い眠り
『傍にいてあげる』
あの女がそう嘘をついたのは、もう十年以上も昔になるのか。
嘘じゃない。そう言ったくせに、女はそれから間もなく姿をくらました。
「あの嘘つき女め」
その呟きは風に舞って煙と共に砂漠の向こうへ消えて行った。
――――夢を見たのだ。遠い日の記憶だ。俺がまだ、江流と呼ばれていた頃の。
あの日々の記憶を夢として追体験した朝は妙に気だるく、煙草に何本火を着けても足りない。
(…クソが)
街の外へ続く石段から煙を吐く。見下ろせば、どこまでも砂漠の荒野が広がっている。
街の中で堂々と吸ってると煩い連中が湧いてくるからな。ったく、俺が煙吐こうが吐くまいが、関係ねーだろうに。これだから坊主って人種は嫌いだ。
―――あの人を除いては。
光明三蔵。俺の師。俺が尊敬するただ一人の人間。
……いや、尊敬とは異なるとも、もうひとり。
(姫子……)
忘れたくとも忘れられない。今朝だって夢に出てきたのだ。彼女の優しい腕の中での思い出が。暖かい、両手に溢れる安息で幼い俺を包んでくれた、彼女……。
(約束破りやがって……)
傍にいてくれると、言ったはずだろう。なのに突然いなくなりやがって。忘れてしまえたらどんなにかラクか。
信じるのは己だけ。たとえ心や体が悲鳴をあげても、それが何だと云う。ただ前に行くしかねぇんだから。
だが立ち上がれなくなるほどの痛みと苦しみに襲われると、どうしてもあの女を思い出してしまう。彼女の温もりが、どれほど俺を癒していたか、この心と体に刻み込まれているのだから。
(忘れられねえんだよ……)
苛立ちに任せ煙草をふかしていると、視界に妙なものが映った。
砂漠の荒野から人影が、ゆらゆらと立つ。
それは徐々にこちらに近づいてくる。何か、棒切れのようなものを杖にして、弱弱しくヨロヨロと。
(何だあれは)
蜃気楼…にしちゃ鮮明だな。そして、その影はもう姿かたちを判別できるまでの位置まで来た。高い石段の下、この長安と砂漠の境目で立ち止まった、その人影は……
(まさか……)
―――姫子!?
十年前と同じ、あの奇妙な服で、何も変わらない夢にまで見た彼女の姿がそこにあった。
いや、服は大分砂で汚れているし、頬も泥や血がついていて、かなりボロボロになっていた。
だが問題はそこじゃねえ…。
十年たってるんだ、なぜそれが、まるで時が止まったかのように、あのときのままなんだ?
一切、歳を喰っていない……。
他人のそら似ってヤツか?
……そうに違いない。なんせ俺の記憶だって十年以上たってるんだ、少しでも似た女を見りゃ、面影を重ねてしまってもおかしくない。ヤキが回ったもんだ。
自嘲していると、ボロボロの女は、こちらを石段の下から見上げ、声をかけてきた。
「あなた、神様?」
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