ニシヘヒガシヘ

手を振ることもなく
『傍にいてあげるよ』
なんて約束をして以来、江流はようやくすっかり心を許したのか、修行が終わって私が部屋に戻ると既に私の布団の中で丸くなっている、なんてことが日常化していた。たまに霊符の鍛練がなくて早々と眠っていると、いつのまにか布団に入ってる始末。


横になって片肘をついて、すやすやと眠る江流の寝顔を見つめれば、どうしても思い出されるのは、あっちの世界に置いてきてしまったみくる。

この子が母性を求めるように、私は離れた弟の影を江流に重ねているんだろう。

江流に構っていると、私は幼いみくるを突き放していた罪悪感を忘れられて、逆に江流を一人にさせていると感じると、みくるに対する罪悪感、それと全く同じものが湧いてくる。



私はこの先、全然無関係な子供であっても、その子が泣いていたら通り過ぎることはできないんだろうな……。



―――そんな考察を弾きながら、いつものようにお堂を掃除しているた。すると、おや、と思った。



(光明様のお姿が見えない…)


いつもだったら廊下を何べんも行きかい、時たま声をかけてくれる心優しき私の恩人。

その彼の姿が見えないというのは、いささか不安が募る。


廊下に出て周囲を見回していると、大量の半紙を抱えた二人の僧侶がこちらへ歩んできていた。

ちょうどいいや。



……と、こんな風に軽く話しかけてしまったのが運の尽きだった。


「すいません」

「はぁ」


僧侶はあからさまに余りこいつと関わりたくない、という顔をした。

まあ、得体のしれない病にかかった布をかぶった男ですからね、そう思うのも無理はない。


「光明様のお姿が見えないようですが」


私が話しかけたのとは別の僧侶が口を開く。

「光明様は本日、村に説法にお出かけになりました」

「あ、そうですか」


と返答したところで風が舞い込んできた。庭から廊下へ、上から下へ。ぶわぁっと。僧侶たちの手にしていた半紙はたちまちバラけて、ぱさぱさと宙を舞った。


「うわ!」

僧侶たちは声をあげ、すぐさま散らばった薄い紙を拾い始める。

私は反射的に腰をかがめた。


「手伝いますよ」

「いえ、結構で…」


僧侶の言葉がつまり、まじまじと見られている気配がした。

…何?

不信に思い顔をあげれば二人の僧侶と目が合う。



「おま…え…」

「へ?」

「……女だったのか!」


バッと頭に手をやった。そこから全身にかけられていたはずの布の感触はまるでせず、私が手の先に求めたものは肩からずれて廊下で波打っていた。



…ば、バレたああああ!!!!


「いっ、いや、わた…おれはぁ…」

「ははっ、今更そんな誤魔化しがきくとでも思うのか!」

僧侶Aは残忍に、かつ厭らしく笑い声をあげた。


「何かおかしいと思ったんだよ、いきなり療養人だなんて。だがお前が女とあらば話は別だなぁ、なんだ、お前は?光明様の売女か?」


…っンなわけあるかぁぁぁ!!


「光明様がンな下衆なわけあるかァァ!あんたらと一緒にすんじゃねェェ!」

「じゃあ一体なんだってんだ?」


ぐっ、言えるわけない…異世界から飛ばされたなんて…。


返答に詰まっていると、この騒ぎをききつけたのか、ほかの僧侶たちがわらわらと集まってきた。僧侶C僧侶D僧侶E僧侶F以下略…


「おいどうした!?」

「ちょうどいいところにきたな、こいつ女だぜ」


「さっそくバラしてんじゃねェェー僧侶Bぃぃーっ!!」

「何いってるんだこの女」

「ははっ、この際何でもいい、おい、やっちまえ!!」


ちょっ……


女だってバレた瞬間から、まさかこんな展開になるのでは?と予想していたが…いくらなんでも展開早過ぎだろー!!

ものの数秒たたないうちに、私は廊下で僧侶たちに取り囲まれ、かろうじて肩からかかっていた布は引きはがされた。


「おい、変わった着物だな」

「構やしねえだろ、どうせ脱がすんだ」

「光明様のいないときで助かったな」

「さすが神は俺たちの味方ってか?」


僧侶たちの笑い声が何重にも重なる。



…これは…まずいんじゃないか…。


「ちょっと、あんたら仏門に入ってて女を襲うなんて恥ずかしくないの!?」

「ゴチャゴチャうるせえ!!」


がんっと顔面を殴られた。

その拍子に私の上体はぐらつき、それを合図とするかのように次々に僧侶たちの手が伸びてくる。私は押し倒され、ブレザーをはがされようとしていた。


なっ、なんでこんなめに……。

突然の出来事に頭が真っ白だ…やだ、誰か助け……




「姫子からどけ!」


ぐらつく頭を起こせば、そこにいたのは、


「江流!」

僧侶の一人が叫んだ。


「子供の見るもんじゃない、あっちへ行きなさい」

「ふざけるな。姫子からどかねえと、」


江流が拳を握る。僧侶たちは怯えたようにびくっと体を動かした。


が、江流に怯えた僧侶たちばかりではなかったようで……


「ちょうどいい、前からガキのくせに目障りだったんだよ。今日はうるせー野郎もいねえし、決着つけてやろうじゃねーか」

「うるせー野郎だぁ?てめえ、それ誰のこと言ってやがる!」


おわぁぁー江流と僧侶Cか僧侶Dか僧侶Eか、ええいもうこの際僧侶Xでいいわ!!
江流と僧侶Xがぁぁー真正面から殴り合いに…きっ、危険すぎだろーっ!


「だめっ、江流、危ないっ!!」


と叫んだところで、



「なぁに楽しそうなコトやってんだよ」


「しゅっ、朱泱!!」


私は思わず現れた救世主の名を叫んだ。


た、助かった…。


僧侶Xと江流は殴りかかろうとしていた拳を空中でピタっと止め、朱泱に視線をやった。

朱泱はぺたぺたと廊下をすすみ、二人の間で立ち止まる。


「こんなとこで、くだんねえアホみてえな喧嘩すんじゃねえよ」

「くだらなくねえよ、姫子が…」

言いかけて江流は口をつぐんだ。

そこで朱泱は初めて僧侶たちに押し倒された状態の私を認識したかのように、ちらっとこちらへ視線を投げた。


「どんだけ女に飢えてるかはわからんでもねえが、師範代の俺が見てる前でそいつに何かしてみろ。―――俺が言いてえことは、わかるな?」


ぎらっと朱泱の瞳が攻撃的に光った。

私を囲んでいた僧侶たちは、何やら悲鳴じみたものを小さくあげ、蜘蛛の子を散らしたように方々へ走って逃げて行った。江流に殴りかかろうとしていた僧侶Xは、朱泱が私を囲んでいる方の僧侶たちに気をとられているうちに、逃亡を果たしていた。


すっかり静かになった廊下…。どこからか雀の鳴き声がするほど……。


「あっ、ありがとう…」


ようやく声を発すれば、僧侶たちの逃げて行った方向を睨んでいた朱泱と江流がこちらを向いた。



「お前どんだけ鈍臭えんだ」

と江流は呆れ顔で言う。

くっ…何も言い返せん…。


腰を下ろしたままの私に朱泱が手を伸ばした。


「まっ、お前さんが女だとは薄々感づいてはいたけどよ、こんな大っぴらにバレちまって、どうしたもんかね」


私は朱泱の手を取り立ち上がりながら、


「ま、どうにかなるっしょ」


と微笑んで見せた。


朱泱もいたずらに笑い返す。


私と朱泱は微笑みあう形になったが…今思えば、もうこの時すでに、朱泱は私が次に取る行動を読んでいたんだろう。



「ともかく、あいつらいつまた姫子を襲うとも限らねえ。仕方ねえから一緒に寝てやるよ」


と生意気な口をきく江流に、


「あんたそれ、いつものことでしょ」


と額を弾いてやった。


江流は頬を赤く染め何か言いたげだったが、朱泱の豪快な笑い声でかき消された。






――――夜。

私の部屋で、江流と朱泱が共に布団を並べてくれた。

私が一番部屋の奥で、朱泱が廊下側、その間に江流が寝ている。

ぐーがーと盛大な朱泱のいびきが部屋に響く。

元より眠る気などなかった私には関係のない騒音だが…

相変わらず、女の子みたいに大きな寝息ひとつかかず、すやすやと眠る江流…

よく寝れるな……。

いや、それよりも。



(ごめんね)


私は心の中で謝り、そっと布団を這い出た。

女だってバレてしまったからには、もうここには居られない。

これ以上、光明様に迷惑をかけるわけにもいかないし。


私は寝間着にと渡された薄い着物を脱ぎ、制服に着替えた。

この制服で、身一つでここへ来たのだ。出ていくときも、何も持っていくものはない。


部屋の隅と通り、廊下へと続く襖を開けた。


「やはり出てくんだな」


びくりと襖に手をかけた手が止まる。

「朱泱……」


すっかり熟睡していたと思っていた朱泱は上半身を起こし、こちらをじっと見つめていた。


「ここを出て、どうするつもりだ」

「別にどうも」

「ここに残るつもりは?」


私は無言で首を振った。


ここを出て、どうなるというアテなんて、あるわけない。

でも、ここにいるわけにはいかなくなったからには、どうしようもないわけで。

私の決意は妙に硬かった。


朱泱はそれを表情から察したのか、


「そうか」

と呟いた。

出て行こうとすれば、


「持って行け」


ひょいっと何かを投げられた。ぱしんと受け取ると小さな風呂敷包み。受け止めた瞬間にチャプンと音がした。


「とりあえず一週間はそれで何とかなるだろう」

風呂敷の結び目から中身がちらりと見える。
竹の水筒に、竹の皮に包まれた何か(たぶん保存食)、筆と半紙の束(たぶん霊符用)……。

朱泱……。


「ありがとう…」


何も言わないつもりだったのに…。

何か言葉を紡げば、きっと色んな想いが溢れてしまう。

そして思った通り、口から言葉が零れでる。


「あのね朱泱…光明様にお世話になりました…勝手にいなくなってごめんなさいって…」

「ああ、伝えておく」

「ありがとう。朱泱も…いろいろ教えてくれてありがとう」

「俺のしたことなんか。それより、こいつには?」


朱泱は江流を顎でしゃくった。

途端に罪悪感がこみ上げる。

でもここで何を言伝しても、言い訳にしかならない…。


私は再び黙って首を振った。

朱泱の眼差しが返ってきたが私は、

「じゃあ、私行くね」

「……ああ、達者でな」


時代小説以外で初めて聞いたよ、そんなセリフ。

くすりと込み上げる笑い。なのに泣きそうで泣きそうで。


「朱泱も元気で」


なんて彼の顔も見れずに別れを告げた。









長い長い石段を下る。暗闇と静寂だけが私を包む。見上げれば、私がいたお寺が遥か遠くに見える。



さようなら。

光明様。

朱泱。


そして、江流、ごめんね。


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