最低教師



わたしはテンションがだだ下がりになりながら職員室の扉を開いた。
「失礼します」
「おお、桜子さん、何か用かね」
入り口付近にダークグレイのスーツを着た山田先生がいた。山田先生はお兄ちゃんのクラスの担任だ。家庭訪問で山田先生がうちにきて顔を合わせたことがある。
学校でめっぽう影の薄いわたしだけど、山田先生はわたしの顔も名前も覚えてくれた。お兄ちゃんの妹だからだろうけど、先生の当たり前の優しさが嬉しい。
「土井先生はいらっしゃいますか」
「土井先生なら国語準備室だろう。ここにはいらっしゃらないが、鞄はあるから」
それから二言三言話をして、わたしは職員室を出た。
(国語準備室とか、だる・・・・・・)
国語準備室は校舎の端っこなのだ。心に大きなダメージを負っている今の状態で体も酷使するなんて・・・・・・
(あー、なんだか全てがどうでもいい気分・・・)
好きでもない人、それも初対面の人にファーストキスを奪われるということが、これほどダメージを与えるとは思わなかった・・・。
思い出したくも無いのに、唇に生々しい感触がまだ残っていて、どうしても伊作先輩と唇が重なった瞬間が脳内リピートされる。
それに、
『きみは仙蔵が好きなのに、僕と付き合うとか笑えるよ』
って、つまり、わたしが好きな人の前で好きでもない人と付き合うっていう重すぎる苦渋を受けるのを見て楽しむってことだよね。
(どんだけ根性ひねくれてんのよ!)
ショックの代わりに今度は怒りが沸いて来た。あんなやつに全校生徒の怪我を任せるなんて先生たちは伊作先輩の腹黒さに気づいてないの?
あーさっき山田先生に何か言えば良かった!
しかし幸いにも、わたしがこれから向かおうとしているのは担任のいる場所。たとえ担任の先生にすら顔を覚えられていなくても、ここまでされると伊作先輩の悪評を流したくなるものだ。
どうにかわたしが言ったってバレないように、さりげなーく、流せないかな・・・。
(さっき保健室行ったらエロ本だらけだったんですよ〜)
とか土井先生にワーク渡しながら言ってみるとか?
いや、大人しすぎるほど大人しい影の薄い生徒であるわたしが、いきなり“エロ本”なんて単語出すとか、ないわ・・・・・・。
うーん、何かいい手は・・・・・・
「ちょっとぉ、この手どけてよぉ」
・・・・・・・・・ん?
女子生徒の甘ったるい声。国語準備室はもう目の前で、ドアノブにかけようとした手が止まった。
「やぁ〜ん」
語尾にハートマークが幾つもついている。準備室の中から聞こえてくるみたい・・・・・・。
「いいじゃないか。誰もこないさ」
・・・・・・土井先生の声・・・・・・。
(これ入ったらヤバいんじゃ・・・・・・)
触らぬ神にたたりなし。ワークは明日だそう・・・。
しかし、どうやらここ数時間のうちに一気にわたしの運は下がったらしい。
ドアノブから手を引っ込めようとした矢先、ドアノブに肘をしたたかに打ちつけた。
アルミ製のドアノブはご丁寧にガショッ!なんて音を響かせた。
(げえっ!)
「誰かいるのか!」
やばいやばいやばい!
逃げようとするものの、わたしの足が動く前に目の前のドアが開いた。
「・・・・・・そこで何をしている」
しかめっ面の土井先生。
「いっ、いやあ、あの、わわわワークを、ははっ」
わたしは国語のワークブックを震える手で差し出した。
絶対に土井先生の後ろを見てはいけない。そこには、甘ったるい声の持ちがいるはずだから・・・。
だのに。こっちが必死に奥を見ないようにしてるっつーのに、
「あー、あんた立花じゃん!」
奥から名前を呼ばれた。反射的に見れば、そこにはソファーにあられもない姿でこちらを指差す女子生徒が。
制服のブラウスのボタンが五つくらい開いてピンクのブラジャーを覗かせているのは、同じクラスの神戸ミチルだった。
彼女に初めて名前を呼ばれ、わたしは愛想笑いを浮かべると、
「はっ、ははっ」
・・・・・・乾いた笑いしか出てこない・・・。
「ミチル、お前この生徒知ってるのか」
「知ってるもなにも同じクラスじゃない。やだぁ、先生ったらぁ」
ケタケタと、お気の毒、とでも言いたげにわたしを見て笑う神戸ミチル。
彼女はクラスでも目立つ派手な美人で、いやでも顔と名前を覚えてしまっていた。向こうは、やっぱりわたしが立花仙蔵の妹だから知っていたんだろう。
そして確信していた通り、担任の土井先生はわたしの名前すら知らなかった。
先生はワークブックの後ろに書かれた氏名を確認すると、
「立花桜子か」
「先生、その子、三年生の立花仙蔵先輩の妹だよ」
「ふーん」
興味なさげにワークブックに目を落としている先生。
その無表情が怖い!ああ、帰りたい!!!
「じ、じゃあ、わたしはこれで」
「桜子、」
今度は先生に初めて名前を呼ばれ、言い知れぬ不安感に襲われながらも、ぎぎぎと先生と目を合わせる。
先生はにっこり笑うと、
「誰かにバラしたら、大学行けなくするからな」
そして国語準備室の扉は閉められた。




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