交錯反応



文化祭が終わってから初めての登校。いつものように伊作先輩とお兄ちゃんの三人で学校の門をくぐった。一歩踏み込んだ瞬間、生徒たちのひそひそ話が聞こえてくる。
「あれって文化祭で歌ってた人?」
「伊作の彼女って本当だったんだな」
「あんな歌うまい人いるんだねー」
や、やめてくれぇぇっ!!
そんな会話、長谷川先輩たちが聞いてたらと思うとぞっとする。
びくびく怯えていると、
「桜子あまり気にするなよ。お前が目立ちたくない性格なのはわかる。でも人の噂など長く続くものじゃない」
お兄ちゃん・・・。まあ、名前も知らない人たちにとやかく自分のことを言われる肩身の狭さってのもあるんだけど、それ以上に長谷川先輩たちが怖いのよ・・・。
でも、そんなこと、絶対言いたくない。お兄ちゃんの前では、大人しくて目立たない存在でも、いじめられるような女の子ではありたくない。
「うん、ありがと」
わたしは力なく笑った。
「元気出して。桜子ちゃんに何かあれば僕が守ってあげるから」
にこっと笑う伊作先輩。
「ほほう、それは心強いな」
なんてお兄ちゃんは冗談交じりに伊作先輩の言葉を受け取った。
―――桜子ちゃんに何かあれば僕が守ってあげるから―――
わたしはその台詞を素直に喜ぶことも冗談と受け取ることもできない。
何だかなあ・・・。




今日は土井先生も無理な朗読を強いることもしなかった。その点だけでいえば、まあ、平和。クラスメイトたちのこそこそ話も、まあ、いい。お兄ちゃんの言うとおり三日もすれば無くなるだろうし、人がわたしを何て言おうが別にどうでもいい。ただ、伊作先輩との複雑な関係と、長谷川先輩たちにまた呼び出されるんじゃないかっていう不安とで、頭がパンクしそう。
(何だってわたしばっかこんなめに・・・・・・)
今日はゲーセンに帽子を探しに行きたいのに長谷川先輩たちに時間を取られてはたまったもんじゃない。誰かが持っていってないといいんだけど。運よく交番に届けられてないかなあ。
鞄を手にし廊下へ一歩出たときだった。
「立花さん、いいかしら」
うわあ、来やがったよ・・・・・・。
いつもの3割増しの笑顔で、長谷川先輩とショートボブ先輩と巨乳先輩がいた。この人ら、ムカついてればムカついてるほど笑顔になるらしい。女って怖い。




「もうっ、なんなのよ!」
いつもの校舎裏。わたしは壁に押し付けられ、巨乳先輩のスクリューパンチが頬に食い込んだ。
なんなのよ、ってこっちの台詞なんだけどね。腹とか背中とかしか狙わないのに、いきなり一番目立つ顔に殴りかかってくるなんて、巨乳先輩、文化祭でわたしを貶められなかったのが余程腹立だしかったと見える。
「生意気なのよ、調子乗ってんじゃないっつーの!」
今度は頭を殴られた。うー、痛い。頭がクラクラする。
「あんたさ、伊作のなんなわけ?」
ショートボブ先輩にがしっと頬をつねられる。
「さあ、なんなんでしょう」
彼女じゃないって、どうにかこの人に知ってもらいたかったんだけど、わたしの言葉は逆効果だったようだ。
「ざけんな!」
口元を殴られた。で、口ん中が切れた。アルミホイルを口いっぱいに頬張ったみたいに鉄の味がする。この味、嫌いなんだよなあ。
「ねえ、あんたもこんな痛い思い、もうしたくないでしょ?簡単じゃない、お兄さんに一言わたしのこと言ってくれれば、それで良いのよ?」
長谷川先輩が、人差し指を頬に当てながらゆったりと歩み寄ってくる。
もし、わたしが長谷川先輩って凄くいい人なの、って言ったらお兄ちゃんはどんな反応をするだろう。たしかに、他の女の子よりは長谷川先輩に興味を持つかもしれない。もし長谷川先輩がボロを出さずにうまくわたしを利用し続ければ、お兄ちゃんも長谷川先輩を恋愛対象として見るようになるかもしれない。でも、それはわたしにとってこの世に何万とある苦渋のなかで何よりも、わたしを苦しめる。お兄ちゃんに今まで彼女がいたことは、ない・・・と思う。少なくとも、わたしの前で存在をほのめかすようなことは一度もなかった。その事実だけが、わたしの不毛な恋を支えてきたと言ってもいい。それを自分の保身で自ら崩すようなことは絶対にできない。
「何度も言ってますけど、イヤです」
一瞬の沈黙。そして、
「あんたムカつく」
長谷川先輩の手が振り上げられた。
さっき巨乳先輩にやられたのは頬だった。でも今の長谷川先輩の手の挙げ具合からると、
(顔面・・・・・・)
やられる・・・。
反射的に目をつぶったときだった。
「おい、」
はっと目を開けると、木の陰から伊作先輩現れた。よくよく見てみれば、木の後ろには保健室に続くあの裏口があった。
「い、伊作!?」
長谷川先輩の手は空中で停止し、ショートボブ先輩がうろたえたように叫んだ。
わたしは伊作先輩の登場に心の中で溜め息をついた。
(伊作先輩・・・・・・)
わたしを助けて、どうするつもり?
「君たち、僕の彼女に何してるの?」
伊作先輩は口元に笑みをたたえながら歩み寄ってくる。しかし、その目は笑っていなかった。伊作先輩が近づくのに比例し、ショートボブ先輩は、ずりっと後ずさる。
けれど、自分の狙ってる男じゃないからか長谷川先輩と巨乳先輩は落ち着いたもので、
「伊作さあ、この子のどこがいいの?」
と巨乳先輩。
伊作先輩は笑顔を崩さずに、
「君たちみたいに性格悪くないところ」
ショートボブ先輩は俯いた。
長谷川先輩は、ふんっと鼻で笑うと、
「よくわかってるじゃない」
目の前で火花が散った。長谷川先輩の拳がわたしの鼻面を直撃した。激痛が走る。思わず鼻を押さえよろめくと、後ろから蹴りを入れられた。たまらず地面に倒れこむ。
「消えろっつーの」
巨乳先輩の声だった。
くっそー痛ぇ・・・。地面には血がたれていた。顔に手をあてると、鼻と口から血が出ていた。うわあ、とうとう出血しちゃったよ・・・。
「なあっ!?」
伊作先輩の焦った声。霞んだ視界には伊作先輩がこちらへ走り寄ってこようとしているのが見える。伊作先輩が冷静さを失っているなんて、初めて見たなあ、とぼんやり考えていると、再び長谷川先輩の拳が見えた。
「お前ら、やめ、」
その伊作先輩の声を遮って怒声が響き渡った。
「貴様らぁっ!私の妹に何をしているんだ!!」
・・・・・・お兄ちゃんだった。








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立花仙蔵が下校しようと廊下を歩いていると、窓から不可思議な光景が見えた。
(なぜ桜子とあいつらが・・・?)
自分の妹とクラスの女子数人が一階の渡り廊下を歩いていた。その先は校舎裏である。仙蔵はそこにある顔を確認し、
(あいつ、文化祭のバンドメンバーの女じゃなかったか)
数ヶ月前の文化祭について決めあうHRで、食満留三郎らと一緒にバンドをやる、と言っていた女の顔がそこにあった。文化祭で桜子が自分のクラスのバンドに出てしまったことを、あれ以来ずっと考えていたのだ。食満に言っても黙秘を通され、桜子に問うても要領をえない。その疑問の糸口をようやく見つけた。
(しかし、なぜあの女がそんなことを・・・)
クラスメイトが自分の妹にこんな嫌がらせをする意図が見えない。
なおも考え込みながら、桜子と三人の女子が渡り廊下を歩く様子を伺っていると、
「真面目なお前でも、彼女のことは気になるか」
いつの間にか桜子の担任である土井半助が隣に立ち、仙蔵と同じように窓から下の渡り廊下に視線を注いでいた。
今の三年生は一学年のとき、土井に国語を教えられていた。土井は仙蔵が常に試験で満点に近い点数を取っていたことが記憶にあり、真面目な、と言ったのだろう。
しかし、仙蔵は土井の別な言葉に妙に引っかかる。
「彼女?」
「お前、長谷川と付き合っているんだろう?」
(長谷川・・・・・・)
よくよく見れば、以前自分が振った女も、その中にいた。仙蔵にとってはその他大勢でしかなかったので、すっかり忘れてしまっていたのだ。だが、これでようやく糸が一本に繋がった。
そして言い知れぬ怒りが沸いてくる。
仙蔵は何も言わず土井に背を向けた。
「おい、」
土井が声をかけるが、仙蔵には聞こえていないのか、そのまま下り階段のほうへ去っていった。
土井はポリポリ頭を掻くと、
「ま、いっか」
彼もまた、その場を去った。今日は行かなければならない場所がある。生徒たちの色恋沙汰に付き合う暇はない。その色恋沙汰に自ら飛び込んで行っていることなど、すっかり棚に上げている土井だった。




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「貴様らぁっ!私の妹に何をしているんだ!!」
激痛に耐えながら頭を起こすと、きっと眉を吊り上げ、鬼のような形相をしたお兄ちゃんが、わなわなと両手を震わせ立っていた。綺麗な白い肌は闇色の影を作り、切れ込んだ瞳がぎゅうと限界まで釣りあがっている。自分の兄ながら、めちゃめちゃ怖い・・・。
「おに・・・」
お兄ちゃん、と呼ぼうとするが、口の中が切れてうまく声が出せない。
お兄ちゃんは、口からも鼻からも血をドバドバだし土だらけになったわたしを見て、ぷつんと何かが切れたように瞳を暗くさせた。
(やばい・・・・・・)
「お兄ちゃん!」
力を振り絞り声を出したが、
「うらああああ!」
思い切り足を振り上げ、お兄ちゃんは長谷川先輩に襲い掛かった。
「きゃあああっ!!」
だんっと力いっぱい蹴り上げられ、長谷川先輩は地面に手をついた。背中にはくっきり靴底が跡になっていた。
「仙蔵っ、やめるんだ!」
伊作先輩がお兄ちゃんの体を後ろから抱え押さえつける。
しかし、お兄ちゃんの罵声は止まず・・・
「許さんぞ貴様らぁっ!一人残らず地獄に叩き落としてやる!!」
ひぃーっ!!
元が整った顔立ちなだけに、お兄ちゃんは憤怒の表情をまとうと筆舌しがたい恐怖を与える。
妹のわたしでさえ恐怖を覚えずにいられないのだから、
「きゃあっ!」
「やめてえ、お願い許してえっ!」
巨乳先輩とショートボブ先輩は見事に泣き叫んでいた。
「泣けば許すとでも思っているのか馬鹿者めが!いつからだ!いつから桜子にこんなことを!!」
「ききき、今日からよお兄ちゃん、もう今さっき呼び出されちゃって」
これがここ数ヶ月続いていたなんてバレたら、お兄ちゃんの怒りは留まることを知らないだろう。しかし、わたしのウソはあっさり見破られた。
「桜子!なんでこいつらを庇うんだ!おい、お前!」
お兄ちゃんは伊作先輩に取り押さえられながら巨乳先輩を指差した。
「ひっ」
巨乳先輩はお兄ちゃんが伊作先輩に抑えられ手を出せないとわかっているはずなのに、お兄ちゃんの殺気から指を差されただけで怯えの表情を浮かべた。
「文化祭で桜子をステージに上げたのはお前の仕業だな!」
「うっ・・・うえっ・・・」
巨乳先輩の目から大粒の涙がこぼれる。
黙って泣き続ける彼女に、お兄ちゃんは舌打ちすると、
「ということは、文化祭の前からだろう、お前らが桜子にこんなくだらんことをし始めたのは。それにお前!」
今度は長谷川先輩をきっと睨む。
長谷川先輩は静かに涙を流しながらお兄ちゃんを見た。艶やかな白い肌を伝う透明な涙。誰だって、こんなのを見たら、彼女を罵ることなんて出来やしないだろう。――少なくとも、うちの兄以外は。
「全ての元凶はお前か!私に相手にされなかったからといって妹に手を出すとは何て卑劣な女だ!!今後一切私と桜子に近づくんじゃない、わかったか!!」
キツイ・・・・・・。なんて酷い・・・いくらなんでも、酷い、この台詞は、お兄様・・・。
「仙蔵、」
「お兄ちゃん、」
それはいくらなんでも言いすぎなんじゃ、と言いかけた私と伊作先輩だが、
「やっと、見てくれた」
長谷川先輩が悲しそうに微笑んだ。いつもの腹の中に毒蛇でも飼っているんじゃないかっていう恐ろしげな笑みではない、心の底からの微笑み。でも、とてもとても悲しげで、切なげな・・・・・・。
長谷川先輩にとっては妹をリンチしなければならないほどお兄ちゃんが好きだったのだ。でも、お兄ちゃんにとって彼女は名前すら記憶に残らないその他大勢に過ぎない・・・・・・。それが今回のことで初めて彼女は兄の感情を伴うコミュニケーションが取れたのだ。
お兄ちゃんは長谷川先輩から目を逸らすと、静かに伊作先輩の腕を振りほどいた。そして倒れこむわたしに歩み寄り、
「帰るぞ」
右腕をとられる。反対側からは、
「手当てしなきゃね」
伊作先輩が支えてくれた。
わたしたち三人が立ち去るまで、彼女らは始終無言だった。





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