スペシャルサンクス



「これで良し」
伊作先輩が鼻に包帯を巻いてくれた。校庭の水道で血を洗い流し、伊作先輩が手当てしてくれると、すっかり夕方になっていた。校庭ではサッカー部や野球部が夢中になってボールを追いかけている。彼らにも彼らなりの悩みがあるんだろうけど、白い球を追いかけていればいいだけの時間が数時間あるというだけで羨ましく思える。
「すまないな、桜子、私のせいで・・・」
「ちょ、お兄ちゃんのせいじゃないって」
「いいや、原因を作ったのは私だし、気づいてやれなかったのも悪い」
お兄ちゃんは辛そうに目を伏せた。
「何を言ってるんだよ仙蔵。悪いのは全部あいつらだろう」
そうそう、お兄ちゃんに責任は一切ない。それに、気づいてて何もしないどころか楽しんでた野郎もここにいるんだから。
わたしはチラリと伊作先輩を見た。
伊作先輩は、にこりと笑うと、
「手当ても済んだし帰ろう」
・・・こいつ本当に調子いいな・・・。わたしに好意が生じたとなればすぐこれかい。
大分痛みの引いた体を引きずり、わたしは立ち上がった。
三人で校門を出て、数メートル歩いたところでわたしは思い出した。
(帽子・・・・・・!)
急に立ち止まったわたしに、
「桜子どうした?」
怪訝そうにお兄ちゃんが振り向いた。
「ごめん、ちょっと用事あるから先に帰ってて」
「ええ、大丈夫?」
と伊作先輩。
「助けてくれてありがとう。大丈夫だから、じゃ」
「待て桜子!お前一人じゃ心配だ。私たちも行く」
えーっ!!
「だ、だめっ!」
「・・・?」
疑問符を浮かべる二人に慌てて取り繕う。
「あの、ここまで迷惑かけて悪いし、ほんと一人で行けるから!じゃねっ!」
わたしは未だはてなマークを浮かべている二人を残し走り出した。・・・危ない危ない。





「うー・・・無い・・・」
通いなれた道を隈なく探したものの、帽子は見つからなかった。ゲーセンの前をうろつく。店員に聞いてみようか?いやいや、あんな騒ぎを起こした後だしなあ・・・。
うーん、と出入り口で腕を組み考えていると、
「うわあん」
小さな女の子の泣き声。
「泣かないの。風船くらいで」
目を上げると、お母さんと五歳くらいの女の子が道路沿いに植えられたポプラの下にいた。木の高いところに赤い風船が絡まっている。到底、人の手が届かない位置だ。でも小さな子にそれを納得させるのは難しい。
「うええん」
「風船くらい、またもらえるわよ」
ああ、商店街で配ってたやつか。宙に浮く風船って家庭では手に入りにくいもんなあ・・・。
「あのふうせんがいいのおー」
顔を真っ赤にさせて泣いている女の子が可哀相で仕方ない。
(よーし)
私はゲームセンターの出入り口に据えられたクレーンゲームに百円を入れた。
そして一分後、
「はい」
わたしはしゃがんで子猫のマスコットを女の子に差し出した。
「これあげるから、お母さん困らせちゃだめだよ」
「くれるの?」
「うん」
「わーい、お姉ちゃんありがとう!」
さっきまでの泣き顔はどこへやら。はじけそうな女の子の笑顔が可愛くて可愛くて。
女の子の後ろからお母さんが顔を出した。
「まあ、ありがとうございます」
「いいんですよ」
「お代は?」
「結構ですよ」
「おねえーちゃん、ありがとー!」
女の子は小さな手を千切れそうな手を振り、お母さんはぺこぺこと頭を下げながらポプラの並木から去っていった。
手を振り返しながら、
(あの風船みたいに、わたしの帽子も戻ってこないかもなあ・・・)
なんて感傷に浸っていると、
「・・・・・・!!」
ぽん、と後ろから頭に何かを乗せられた。慌てて頭に手をやると慣れた手触りがした。
「これ・・・!」
お兄ちゃんから貰った帽子・・・!
振り向くと、そこには、
「ど、土井先生!?」
学校帰りと思われる、スーツに黒鞄の土井先生が立っていた。
「学校帰りにこんなとこで遊んでいていいのか」
「先生だって」
「まあな。それより、その帽、」
「いやあ、偶然ですねえ、ちょうどわたしもこんな帽子探してたんですよーアハハ。何これくれるんですか?ははっ、じゃ、今までの嫌がらせを耐えてきたご褒美ってことで、また明日」
口を挟めるタイミングを与えないマシンガントークで土井先生を交わし、わたしは彼に再び背を向けた。が、
「ゲームセンターで暴れるなんて感心しないなあ、桜子?お前の生活態度に問題があると、書いていいか?」
どこに書くんだ、なんてわかりきった疑問をぶつけるのは無意味だ。わたしは渋々先生の方に向き直った。
「ついてきなさい」
歩き出す先生。わたしは非常に不本意ではあるが夜になった繁華街を土井先生の後をついて回った。
先生は英字の看板がかかったカフェの扉を押した。わたしもそれに続く。店内はオシャレによるオシャレのためのオシャレな内装だった。
「先生、わたし制服なんですけど」
「だからどうした」
「浮きそう」
「構うものか」
てめえが構わなくてもこっちは絶賛思春期中なんだよ!誰の視線も浴びたくねーんだよチキショウが!!
と、昼間学校で散々コソコソ話をされ、視線恐怖症に陥りそうになっていたわたしは脳内で叫んだ。
席に着くと、先生はメニューを広げ、
「何が食べたいんだ?」
「・・・・・・ご飯おごってくれるんですか?」
「言っただろう、礼がしたい、と」
へえ、そういうことなら、
「えーっとじゃあ、エビとカニのトマトクリームスパゲッティと北海道ポテトのグラタンと海藻とグリーンリーフのサラダとかぼちゃの冷製スープと木苺のタルトとオレンジジュースで」
日ごろの土井先生への恨みをこめ、ここぞとばかりに注文してやった。
「お前なあ・・・」
土井先生はピキピキと額に血管を浮き上がらせたが、店員を呼ぶとわたしの言った料理名を復唱し、それにジェノベーゼとコーヒーを追加した。
「ごちになります」
「お前に助けてもらったからな」
先生は片肘をつき、わたしを見つめた。
真正面から担任に見られると何とも居心地が悪い。
「・・・何か」
「なぜ、あのとき私を助けたんだ」
・・・・・・え?
「お前、私に気があるのか」
ズコ―――ッ!
わたしは思わずオレンジジュースを鼻から噴出した。
「何をやってるんだ!?芸人にでもなるつもりか!」
「違うわ!先生が有り得ないこと言うからでしょう!」
「いや、あれだけ授業中に嫌な思いさせられていて私を助けるなんて、それ以外理由が見つからなくてな」
あんのねえ・・・・・・。
「先生、わたしは自分の良心に従ったまでですよ」
もっとも、良心なんて、この人にはカケラもないんだろうけど。だから、わたしが彼を助けに入った理由がわからないのだ。先生はコーヒーカップを持ち上げると、
「良心、か。さっき、知らない女の子も泣き止ませていたな」
見てたのかこいつ・・・。
「つうか、俺に気があるのか、なんて台詞、どんだけモテるんですか」
「まあ、事実だからな」
冷静にコーヒーをすする土井先生。
この男はぁ・・・!
「わたしには先生がモテるなんて理解不能ですけどね」
「顔が良いからだろう」
顔が良いだってえー!?
「お兄ちゃんの方が先生の何百倍もカッコいいもん!!」
ばーん、とテーブルに手をつき、わたしは思わず立ち上がっていた。
先生は、はあ?といった表情を浮かべると、
「立花仙蔵か?お前、何をそんなにムキになってるんだ?」
しまったあああ!これじゃ、わたしはブラコンですって言ってるようなものじゃないか!
「いいいや、だって、お兄ちゃんだって目茶目茶モテるし・・・」
「そうだな」
先生はテーブルにカップを置き、目を落としたまま返事をした。・・・・・・誤魔化せたかな?
わたしは話題を逸らした。
「それより先生、なんでこの帽子の持ち主がわたしだってわかったんですか」
テーブルに載せたミッキーマウスのキャップを指差しながらわたしは言った。
先生は、ああ、と呟くと、
「お前が走っていったとき、この帽子が脱げて髪の毛がパラっと広がってな・・・」
髪型でバレるもんなのか・・・。
「こんなもっさい髪型、今時わたしくらいですもんね」
「いや、そうじゃなくて」
先生の手が、すっと伸ばされる。先生は肩を流れるわたしの髪を一束掴むと、
「髪質が」
そして先生の指が、くるくるとわたしの髪の毛を巻き込んでいく。
な・・・・・・・・・。
(何してんだこの助平先公はぁぁー!!)
なんて怒鳴れないので、冷静に抗議しようとすると、
「半助!」
びくっと先生の手が揺れた。拍子に髪を引っ張られる。痛い。
「な、お前、なんでここに・・・」
テーブルの脇に目をやると、そこにはこの間ゲーセンで先生と一緒にいた女性が立っていた。
「誰よこの子!」
うわあ何か勘違いしてらっしゃる・・・。まあ、男が女の髪の毛いじくってたらそら勘違いするわな・・・。
「何また生徒に手ぇ出してるのよ!」
シフォンのブラウスに包まれた細腕が制服姿のわたしを指差す。って、この人、土井先生がミチルとか巨乳先輩に手を出してるの、知ってるのか・・・。何で別れないんだろ。
先生は、わたしの髪から手を離すと、
「この子とはそういう関係じゃないんだ」
「ウソつかないで!」
これ修羅場ってやつですか・・・?店内の客も店員も、みーんなこっち見てるんですけど・・・。うわあ、逃げたいいい―。
わたしは恐る恐る、
「あの、本当にそんな関係じゃないんですけど」
「だったら何なのよ!」
「教師と生徒です」
「じゃあさっきのはなんだったのよ!」
「髪にジュースがついちゃって、あはは」
バレバレのウソをついてしまったああああ!!
しかし、彼女は、ふんと呼吸を置くと、
「そうなの、半助?」
先生の口から騙して欲しいんだろう。なんか見てられないや・・・。
先生は、ゆっくりと口を開いた。
さあ、ウソついてモテ男の本領発揮してくれ。そして修羅場をどうにかしてくれ。
「違う。触れたかったから触れた」
ぱすん、と彼女の手にしていたビジューの手下げバッグが床に落ちた。わたしは、あんぐりと口をあけ先生を見た。
先生は立ち上がると、
「君とはもう会えない。さようならだ」
先生は伝票を手に、行こう、とわたしの腕を取った。わたしは慌ててキャップを掴む。そのままスタスタと出口へ歩き出す土井先生。背後からうわーんと盛大な泣き声が聞こえた。
「せっ、先生!?」
いいのか、あれいいのか!?
先生はわたしの問いかけを無視し、扉近くのレジカウンターまで来ると、
「幾ら?」
「はっ、はい、ええと、お料理がまだですから1400円に消費税が・・・」
店員はしどろもどろに伝票をめくる。
「いいから、合計幾ら?」
先生は店員が告げた金額をきっちり支払うと扉を開け、わたしを先に外へだすと、ちらりと店内に視線をやり、何も言わず扉を閉めた。







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