名もない唄



幕が上がると、そこには全校生徒がいつもの授業へのやる気のなさはどこへやら、力いっぱいに叫びながら盛り上がっていた。
立ちすくむ足に、カラカラになる喉。この全校生徒の前で、歌えましぇーん!なんて言ってみれば、どうなっちゃうわけ?立花家の恥さらしもいいとこだ!!
尋常じゃない汗がシャツにつたう。けれど、そんなわたしにお構い無しにイントロが始まった。
・・・どこかで聞いたことのあるメロディ。確かチャートの上位に入っていた五人組みバンドのポップスだ・・・。
わたしは腹をくくった。しょうがない、やれるところまで、やるしかない。








少しくらいの不条理だったら
皿に残ったソースまで
残さず舐め取ってやる

街行く人々の疲れ顔に
自分の将来重ねて
ちょっと鬱になったりして

ねえ
ありふれた不幸に
君だったらなんて、名前つけんだろう?
oh darling

ねえ
ありふれた幸福に
君がいてくれたら、愛って呼んでいいかなぁ?
oh darling


リアルな自分飾る言いわけ並べて
誰もがもがいてる
そんな飾り要らないからって誰かに言われたくって

がなるほど本音吐いて
そんなもん全て捨てちまえ
そしたら、さぁ、僕と手を繋ごう






一番のサビが終わると、ワアァーッと体育館が盛大な歓声と拍手に包まれた。・・・・・・歌えた・・・。ぎゅっと閉じていた目をあけると、生徒たちは弾けるような笑顔で、両手を突き上げ音楽にのっていた。はっと息を呑んでわたしの歌声に耳を傾けていた観客たちも、徐々にわたしの歌声に合わせ手拍子やコーラスを始めた。わたしは益々歌の世界に入り込み、感情をこめてギターやドラム、ベースに歌をのせた。最後にギターのリフが入り、ジャカジャン!とフィニッシュすると、割れんばかりの拍手、歓声、また拍手・・・。全校生徒がわたしの歌声に興奮し夢中になっている・・・・・・。これは現実なのか・・・。
ふとバンドメンバーを振り返ると、ドラムスもツインギターを担っていた二人も驚愕の表情を浮かべていた。しかし、そこには確かに尊敬と羨望が交じっていて、ヒトカラの効き目が何だか感慨深い。
「お前、なんで、そんな・・・・・・」
食満先輩もまた驚いた顔で額に汗を浮かべていた。わたしを信じられないという目で見ている。
「テキトーに弾いてやろうと思ってたのに、つい本気になってしまった」
ハハン。見たか、ヒトカラの効力!!
と、つい悦に浸っていると、
「アンコール!」
「アンコール!アンコール!!」
げええええっ!!!!
「よし、次行くか!」
と食満先輩。
じょじょじょ冗談じゃねえええっ!!
「では、わたしはこれで」
「はっ、おい、待て!」
小平太の前でしか歌えないわたしがここまでやったのだ。もう十分だ。うん、わたし偉い。
わたしは食満先輩の制止を振り切って、ステージから逃げ切った。






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「桜子!?」
ステージの幕が上がりきり、そこに現れたバンドメンバーに自分の妹がいることに仙蔵は驚いた。すっかり電気の落とされた客席から必死に彼女の顔を確認する。
「あいつ、何であんなところに!」
自分のクラスの出し物に、なぜ妹が出ているのか?たしか、クラス会議では食満のほかに、そいつらと仲のいい女子がリードボーカルとして加わっていたはずだ。
「なんで桜子が?伊作、お前なにか聞いていないか?」
仙蔵の隣に立っていた文次郎が伊作に話をふった。
「いや、僕も何も聞いてない」
伊作もまた、怪訝そうにステージをじっと見つめた。
「実行委員だから何かの調整でステージにいるだけじゃないのかな」
「・・・・・・音楽が始まった・・・」
「おい、どこへ行く!?」
背中を向け生徒たちの波をかきわけていこうとする仙蔵に文次郎が声を投げる。
「決まっているだろう、あそこだよ。桜子が私たちのクラス発表に出るだなんて明らかにおかしい。何か手違いがあったんだ」
「待って、仙蔵」
伊作はステージを親指でさした。つられて仙蔵もそちらを見る。ステージの上で桜子が歌い始めたのだ。よく音程のとれた澄んだ歌声がメッセージを奏でていく。周囲の生徒たちも、そのあまりの素晴らしい歌声に息を詰め、ただステージを見つめていた。
「桜子うまいじゃないか」
文次郎が嬉しそうに言う。幼なじみが全校生徒を魅了していることが誇らしいのだろう。仙蔵も少し驚きはしたものの、ほっと一息つき再び元の文次郎の隣に戻った。
ただ伊作だけが、無表情に歌い続ける彼女に視線を注いでいた。


「へぇ、立花桜子にあんな特技があったとはな」
こう言ったのは1年C組担任、土井半助だ。土井は体育館の一番後ろで腕組みして桜子が歌い続けるのを見ている。
「お前、これを知っててこんなことを仕組んだのか」
隣には3年C組で一番バストの大きな少女が立っていた。彼女はそれまで浮かべていた悔しげな表情を一瞬で隠すと、
「うん、なんか勿体無いじゃない?ここで先輩として何かやってあげなくちゃって思ったの」
「お前、立花桜子とそんなに仲がよかったか?」
「えっと、あたしじゃなくて、あたしの友達が仙蔵と付き合ってて、彼氏の妹だったら何かしてあげたいじゃない?」
「へぇ、そいつの名前は?」
「・・・長谷川」
もちろんウソである。長谷川は一度、仙蔵にフられているのだから。
「ああ、あの長い髪を巻いてるやつだろう。仙蔵もなかなかやるな」
しかし何も知らない土井は納得していた。まさか立花桜子を貶めようとしたこの計画が、こんな成り行きになろうとは。
始めは確かに仙蔵を想う長谷川のためだった。しかし、立花桜子を裏庭で蹴り飛ばしていくうちに自身の鬱憤晴らしに丁度良いと思い始めた。はっきり言って、自分より弱いものを傷つけるのは楽しくて仕方なかった。だから究極とも言える今回のはかりごとを策謀したのだ。自分の体を武器にすれば男たちを従わせることは容易い。それなのに、まさか立花桜子が陽の目をあたることに協力した結果になろうとは・・・!
彼女はチラりと隣に立つ土井半助を見た。土井は目を細め客席を見ていた。視線の先には彼のクラスの生徒である神戸ミチル。ミチルはメイド服を着て無邪気にクラスメイトたちと音楽にノッてはしゃいでいた。
(土井先生・・・・・・)
彼女はますます心に嫉妬が広まっていくのを感じた。土井に自分のほかに女がいることを彼女はとうに気づいていた。土井は彼女が気づいていることに、気がついていないだろう。神戸ミチルが自分の存在を知っているかは定かではない。それともお互い気づいていて、土井半助という男から離れられないのかもしれない。それほど彼女らにとって土井半助は魅力的な人間だった。
最近、土井は立花桜子の話をよくしていた。いかに自分が阿呆な生徒を優しく指導しているかという内容だったが、彼女はそれにすら嫉妬を感じずにはいられないのだった。
(土井先生と笑ってやろうと思ったのに・・・・・・)
胸の大きな少女は、ぎりりと親指の爪を噛んだ。
隣に立つ土井は、そんな彼女の所作に気づきもせず、生徒たちの歓声に混じり聞こえてきた会話にいささか驚く。
「あれって伊作の彼女だよなぁ?」
「マジ?仙蔵の妹ってのは知ってるけど」
「二人で学校来てるとこ見たし」
「ふうん」
(ふーん)
小さな退屈しのぎに絡んでいた桜子が、三年生の伊作の恋人だったとは初耳だ。初めて耳にする情報ではあるが、少しの驚き以外の感情は何も沸いてこない。このときは、まだ―――。







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保健室のソファーでぐだっていると、扉がガラリと開いた。
「きみ、取り柄あるじゃない」
伊作先輩が目の前の事務机に腰掛けた。
「どーも」
わたしはソファーから身を起こすこともせずに間延びした声で応えた。実行委員の仕事とアンコールをバックレて、わたしはずっとここにいた。もう文化祭は終わりだったし、バンド演奏のアンコールが始まらないからといって暴動が起こるわけでもないから、別に問題ないだろう。わたしは一月半の締めに全校生徒の前で歌唱したせいで、トドメをさされた草食動物のように動けない。ソファーに沈む体が重い。
伊作先輩は腰をあげ、ソファーのわたしの隣に座りなおした。わたしはそれに違和感を覚えた。初日にキスされて以来、伊作先輩と体の距離がここまで近づいたことはなかったから。あのキスは、わたしが彼の所有物になったという言わしめのようなものだったと解釈していた。
「・・・なんか近いんですけど」
「いいじゃない、彼氏なんだから」
「じゃあ、わたしが彼女?」
「そうだよ」
「下僕の間違いでしょう」
ははっと軽く笑うと伊作先輩は、わたしの肩に腕を回した。伊作先輩がわたしの体を引き寄せる。うわぁ、何だコレ・・・・・・。
「正直、下僕だって思ってたんだけどね、今日のきみを見たら、なんかこう、ぐっときたよ」
わたしはそれに何と返事をしていいのかわからなかった。伊作先輩がわたしに興味を抱き始めている。わたしはそれに応えることはできないのだ。下僕というカタチのほうが、まだいい。機械的に伊作先輩の指示に従っていればいいのだから。それに伊作先輩の感情がからむと、どうなってしまうのだろう。事態は複雑になりつつある。
「わたし帰ります」
腰をあげると、伊作先輩の腕がばさりと落ちた。見上げてくるかれの顔に一瞬寂しげな色がうつる。伊作先輩なんてすげー嫌いなのに、そんな顔されると、どうすればいいのかわからない・・・・・・。
「もう帰っちゃうの?」
初めてここに来たときにも言われた言葉だった。けれど、そこにこもる感情は明らかに異をなしていた。
立ち上がるわたしの左手を、ソファーに座る伊作先輩が握った。
「まだいてよ」
「いや、もう遅いんで」
「送ってくから」
「いや、悪いんで」
「僕の命令なんだけど」
「・・・います」
再びソファーに座りなおすと、伊作先輩はまたわたしの体を自分に寄せた。保健室の真っ白な部屋が夕日で赤く染められている。学園ドラマの1ページみたい。でも、わたしはそこに出てくる主人公のように、心ときめかせることはできなかった。交差しない三つのハート。わたしはお兄ちゃんが好きで、伊作先輩はわたしを好きになりつつある。伊作先輩は、わたしの弱みを握ることで、わたしを繋ぎとめておくことができるだろう。でも、そこにわたしの愛情なんてものは介在しないのだ。それって、とても虚しいんじゃない?
伊作先輩は、そんな虚偽に身を投げようとしているんだろうか。




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