そして事件



「さっきの、お腹に蹴りが入ったときのきみったら、まるでバッタのようにびくっとハネちゃって最高だったなぁ」
伊作先輩は、それはもう楽しそうにわたしが長谷川先輩たちに暴行されていた様子を語る。わたしはその屈辱的なシーンの感想を保健だよりを各教室ごとの枚数に仕分けしながら聞いていた。
(こいつめ、バッタさんに失礼だろ)
・・・まあ、そういう問題じゃないんだけど。でも、はっきり言ってしまえば、長谷川先輩たちの呼び出しも伊作先輩に保健委員の手伝いをさせられるのも(+リンチシーンの伊作先輩による解釈を聞かされる)、土井先生の嫌みったらしい授業も、わたしにとっては一番大きな問題ではないのだ。こんなめにあっているのだから、当然あいつらは大っ嫌いだ。でも嫌いといっても長谷川先輩たちみたいに相手に何かしようとは思わない。ただ、嫌い。それだけ。まあ、ひたすらストレスがたまっても、ゲーセン行ったりカラオケ行ったりすればいいんだしね。

わたしにとっての一番の問題。それは、
「桜子、お前最近やつれてないか?」
夕食が済んで、リビングでテレビを見たり雑誌をめくったりしながらお兄ちゃんとだらだらしてるとき。これが、わたしの一日で、いや人生で最も幸せな瞬間かもしれない。でも言われた一言に、そんな幸福作用はどこかにふっとび、冷や汗がじっとりにじんでくる。
「そ、そうかな、きのせいでしょ」
「気分が沈んでいるというか。私にはわかるんだよ」
さすがのわたしでもゲーセン・カラオケじゃ解消しきれないほど、長谷川先輩ズ+伊作先輩+土井先生の三連コンボは効いていたらしい。
でも、こんなこと誰にも言えない。長谷川先輩のことだって、お兄ちゃんを心配させたくないし、それ以上にイジめられているということがお兄ちゃんに知られてしまうのは恥ずかしくて恥ずかしくて、絶対に言いたくない。わたしも妙なところでプライドが高いんだなあ・・・。
「本当に何でもないってば」
ほら、元気だよ、なんて言って笑ってみせる。
「そうか?」
わたしの笑った顔を見て微笑んでくれるお兄ちゃん。お兄ちゃんはすっと手を伸ばし、わたしの頭を撫でた。これをやられる度に、ああ、可愛がってくれてるんだな、って思う。たまらなく嬉しい。この気持ちがあるから、わたしは頑張れる。妙に意地を張ったりプライドが高くなってしまうのも、お兄ちゃんが絡んだときだけ。お兄ちゃんに全てを隠しきれている、お兄ちゃんの前では以前と何も変わらないわたし。その虚勢が、わたしのなしくずしの砦を保っていたというのに―――。



土井先生のイヤミな授業と、伊作先輩&お兄ちゃんのファン(笑)からの呼び出しが平常化したころ、わたしにとって休息とも呼べる行事が近づいてきた。
「うちのクラス何やるー?」
「メイド喫茶やろうよー」
「ええーステージ発表でもいいんじゃない?知ってる?三年生のクラスじゃライブするらしいよ!」
ざわついた教室内で楽しそうに話すクラスメイトたち。
文化祭。学校行事の花形イベントだけれど、クラスの出し物がお化け屋敷などの自教室を使ったものであれ、演劇などのステージ発表であれ、準備期間中は教室の端で小道具などを作り、当日は校舎の隅に潜んで一日を過ごすという方法をとっていた。休んでいても気づかれない生徒が一人文化祭で欠けていても気に留めるものは誰もいない。
朝の八時半から放課後の時間まで屋上などで一人時間を潰すのは、なかなか気楽である。文庫本を何冊かとお弁当を持参すれば、もう言うことはない。とくに最近のわたしの日常と比べれば天国のような一日になるだろう。ふふっ、これは今から楽しみ・・・・・・。
静かにしてくださーい、と学級委員長が声をあげ、生徒たちは一応はおしゃべりをやめた。
「では文化祭実行委員を決めたいと思います」
文化祭についての第一回目のHR。今日は土井先生の国語の授業をまるまるHRにあてるという、土井先生の点数稼ぎっぷりも甚だしい話し合いである。
「だれか立候補する人は?」
学級委員長の呼びかけもむなしく、こういう場面で真っ先に手を挙げる猛者は大抵いない。そのうち時間が進めば目立ちたがり屋の誰かが仲間に押されて出てくる。わたしのようなクラスに馴染んでいない生徒は、そのときがくるまで時間が過ぎるのをただ待っていればいい。
「なんだ、誰もいないのか」
教室の後ろで見守っていた土井先生が困ったように言う。まあ、先生が目立ちたがり屋の立候補を促進するというのも、よくあるパターンだ。目立ちたがり屋ってのも変なプライドを持っている連中だ。自分が誰より目立ちたいくせに、自分から何かを率先するのはカッコワルイと思っていて、誰かに言われて仕方なくやってるんですぅ、ってスタンスが一番好きらしい。他人に信頼されてるオレ、カッコイイ、ってことですかね。そういうのが一番ダセーっつの。ったく、やりたいならやる、やりたくないならやりたくないと・・・・・・
「立花桜子、どうだ?特別、委員会にも入っていなかっただろう?」
教室が一瞬ざわめいた。ええー?とか、先生何考えてんだよ、とかいう声があちこちで聞こえてくる。・・・おい、みんな、誰よりそう思っているのは、わたし・・・・・・。
あんのゲス野朗、どこまでわたしを目の敵にすれば済むのよ!わたしはね、やりたくなければやりたくないとはっきり言う、けっしてそこらのダッセェ連中とは違う・・・・・・
後ろを振り向けば、土井先生は腕を組んで不敵な笑みを浮かべていた。自分の将来と一時の文化祭実行委員、どちらを取るのだとでも言いたげに・・・・・・
「・・・・・・やらせていただきます」
「偉いぞ!」
先生が大きく拍手すると、生徒たちもおざなりに手を叩き始めた。みんな腑に落ちないようだが、先生が言うなら・・・ということで、カタチ上は納得したようだった。

保健委員の手伝いをさせられているものの、それは伊作先輩以外に知る人はいない。こうして、わたしは文化祭実行委員に正式に着任したのだった。
休息なんて、わたしには未来永劫訪れないんじゃないかしら・・・・・・。







―――
――――
―――――
――――――



「アンプの主電源オーケーでーす」
わたしは裏の電源調節室からステージに声をかけた。
「了解ー。あとはボーカル入れて幕が上がるのを待つだけだな」
お兄ちゃんと同じクラスの食満留三郎という人がベースの弦を確認しながら言った。次はお兄ちゃんのクラス、3年C組のバンド演奏なのだ。いよいよ文化祭本番。ここまでこぎつけるのになんと長かったことか・・・。文化祭実行委員の仕事をこなし、その合間に保健員の仕事まで手伝って、約一月半。このわずかな期間にわたしは何度死線をさまよったことか…。もう体力がもたなすぎて・・・。ゲーセンに行くような元気もないからストレスはたまりっぱなしだし・・・。もう、さっさと終わってくれよ、文化祭なんて。
とりあえず、この3年C組のバンドが文化祭のトリである。お兄ちゃんは出ないのが残念。ステージにお兄ちゃんがいたら絶対映えるのに。そう言ったら、
「あんなものは暇な自己主張の強い奴がやればいい。私は伊作や文次郎とのんびり屋台を回っているよ」
桜子は実行委員で忙しいだろうから、好きなもの買って来てやるからな、なんて言ってくれて。本当にどこまでも、わたしには甘いお兄ちゃん。こんなんだから長谷川先輩たちにも目つけられるんだろうなぁ・・・。
ともあれ、これが終わればわたしもお役放免、晴れて自由の身だ。このバンドのボーカルを呼んでこようと裏へ回ろうとすれば、
「ちょっとマイクスタンドを見てくれないか」
と食満先輩。・・・んだよ、そんなのボーカルが来て自分でやれよ・・・・・・。
とはまあ、いえないわけで。わたしは、ささっとマイクスタンドに駆け寄った。位置を調節する部分が緩んだりしていないか確認していると、
「立花さん、」
振り返れば、あの巨乳女がいた。ここしばらく、というより実行委員として動き始めてからは一度もお呼び出しにならなかったので、一月半ぶりに彼女の顔を見たわけだ。
「久しぶりね」
「はぁ、そうですね」
この一月と半、わたしが動きき回っていて捕まりにくいから彼女らは呼び出さないのだと思っていた。でも、それは悪い意味で違っていた。
「実行委員大変そうね。ご苦労さま」
「いえ別に」
「半助も急にあなたを指名するなんて、イジワルよねぇ」
半助?誰だそれ。
ぽかーん、としていると、巨乳先輩は、うふふっと魔女のように笑い、
「あたし、あなたの担任の恋人なの」
呆気に取られ、開いた口がふさがらないでいると、彼女はふわっと香水の香を残し、ステージを去っていった。なんだったんだ、あの人。つまり、巨乳先輩の指示で土井半助先生がわたしを文化祭実行委員にしたということになるが、なんのために・・・?
その理由は、二秒後にわかった。
「それでは3年C組によるバンド演奏、開幕です!」
放送部のMCが叫ぶと、キャーっと会場から歓声があがった。
「なっ、まだボーカルが・・・」
放送部に抗議に行こうとすれば、
「ボーカルはお前だよ」
と食満先輩が言った。彼は口の端に笑みを浮かべている。
あの女に釣られたのだと容易に予測できた。ドラムスにギター二人もまた、したり顔でニヤニヤしている。大量ですね先輩。
・・・・・・・・・はめられた。なんだよ、みんなどんだけ巨乳好きなんだっつーの・・・・・・。
防ぐ余地のなかった己の最大のピンチに成す術もなく、わたしは目の前でビロードの真紅の幕がするする上がって行くのを眺めていた。




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