いじめられっ子



目覚ましのアラームが鳴る前に、わたしはケータイのピピピという無機質なメール着信音で起こされた。一般的な対人関係を築いてこなかったわたしが友人からメールを受けるということはまずない。こんな早い時間にメルマガ?なんてメーワクな・・・・・・
毛布からもぞもぞと手を出し携帯電話を手探りで開いた。ぼーっとした目で画面を覗けば、一気に眠気が覚めた。


差出人:
善法寺伊作
件名:
おはよう
本文:
放課後、保健室に来てね



ハ・・・・・・・・・?

まず、なんでわたしのケータイに伊作先輩のアドレスが入っているのだ?
まさか、わたしが保健室のベッドで気を失っていたとき、生徒手帳を取るついでに携帯電話もいじったのでは?
ってことは、伊作先輩はわたしに直接確かめるまでもなく、わたしの寝言&寝顔でわたしの気持ちを確信していたということになる。
・・・・・・何てやろうだ・・・。
返信なんて気が進まない。毛布にくるまったままメールを打つのを渋っていると、再び着信音が鳴った。


差出人:
善法寺伊作
件名:
(no title)
本文:
返信は五分以内。それを過ぎると、どうなるかわかってるよね




どちくしょうめがぁぁっ!!
わたしは歯軋りしながら高速でメールを作り送信した。
送信完了の画面の右肩に表示されている時刻を見ると、ちょうど起床する時間だった。
あー、朝から気分悪い・・・。
鈍い動作で制服に着替え、洗面所で顔を洗って食卓についた。うちは両親が共働きなので、テーブルの上には既に出かけていった母の作った朝食がラップをかけられて並んでいた。
「おはよう桜子」
先に起きていたお兄ちゃんは台所に立ち味噌汁を温めていた。ほぼ百パーセントお兄ちゃんはわたしより先に起きていて、こうして汁物を温めてくれたり、ご飯をよそったりしてくれる。わたしは、まだまだ眠い目をこすって、
「おはよーお兄ちゃーん」
なんて返すことしかできない。
「ほら食べよう」
お兄ちゃんはテーブルに載った目玉焼きやサラダのお皿のラップを次々にはがしていく。
「桜子早く食べなさい」
「だって眠いんだもん」
「遅刻してしまうだろう」
「なんでお兄ちゃんは眠くないの・・・」
「さっきの伊作からのメールのおかげかな。お前と伊作、付き合ってるらしいじゃないか」
わたしは口に含んでいた味噌汁をぶーっと吹き出した。
「コラ桜子!」
お兄ちゃんはふきんで汚れたテーブルを綺麗に拭き始めた。わたしはゲホゲホとむせりながら、
「それ、伊作先輩から聞いたの」
「ああ、さっきメールで。これからよろしくな、お兄さん、とさ。そういえばお前、昨日はやけに私と目を合わせないと思ったら、そういうことだったのか。お兄ちゃんと同じクラスの奴と付き合うとか、確かに私とは気まずいかもしれんな」
ち、違うんですけど・・・・・・。お兄ちゃんが好きなのに、それが伊作先輩にバレちゃって脅されて付き合うことになっちゃって、もうわたしが好きなのはお兄ちゃんなのに・・・…!!
って感じで顔見れなかったんですけど・・・・・・。
胸の中に世界中の曇り空が詰まっているみたい。溜め息を吐くけれど、ちっとも晴れないモヤモヤが、これから続く苦悩をさらに深くさせる。
「桜子もう時間だ」
「はーい・・・」
リビングのカーテンを閉め、全ての電化製品の電源を確認し、わたしたちは家を出た。そして、門を開けた瞬間、
「やぁ」
伊作先輩・・・・・・!
「伊作、」
「いいいいい伊作先輩・・・・・・ちょ、あの・・・」
驚くお兄ちゃんと、驚きに拍車がかかりシドロモドロになるわたしに伊作先輩は
「一緒に学校行こうか」
なんて、爽やかに言ってくれちゃって。伊作先輩の笑顔は朝日が似合いすぎるほど似合っていて、これじゃこの人の人間性がダークサイドに落ちきっていることなんて誰もわかるまい。・・・・・・きっと、お兄ちゃんでさえ。
「放課後のことなんてメール寄越すから、完全に不意打ちでしたよ」
わたしはこっそり伊作先輩に耳打ちした。伊作先輩からお兄ちゃんと同じく今朝にメールが来ていたなんて、知られたくない。っていうか放課後保健室に来いだなんてメールしないで、朝こっちに来ることを知らせてくれれば、お兄ちゃんと家出るタイミングをずらすとかできたのに・・・!
伊作先輩は、わたしのそんな考えを全て見透かしたように、
「桜子を驚かせたかったんだ」
桜子!?
ぞわりと背筋に悪寒が走った。わたしの名を呼ぶ伊作先輩の目は小動物を痛めつける残忍な虐待家にしか見えない・・・・・・。
その証拠に、
「二人の邪魔をしては悪いな。私は先に学校へ行くよ」
「そんな寂しいこと言うなよ仙蔵。三人で登校しようよ」
ニコッと伊作先輩は笑いかけ、そうか、とお兄ちゃんは返す。
伊作先輩は、お兄ちゃんの前で苦しむわたしを徹底的に嘲笑うつもりなのだ。
一日目なのに、もうくじけそう・・・・・・。
三人で並んで門をくぐると、周囲がわたしたちを見てひそひそ話をしはじめた。
「あれ伊作じゃん」
「えー、なんで立花兄妹と一緒に学校来てんの?」
立花兄妹、わたしたちは生徒の間でそう呼ばれている。校内一とでも言うべきオーラを放つお兄ちゃんと、わたしは毎朝一緒に登校している。お兄ちゃんは登校中に女子生徒に声をかけられると、妹と一緒だから、と一蹴してしまうのだ。だから、お兄ちゃんを狙っている女子生徒たちの間では、わたしたちの登校風景が自然と目に入ってしまうのだろう。しかし、それに加えて今は伊作先輩のこともなにやら話されているみたい。・・・まさか、いや、そんな・・・
「伊作ー」
一人の三年生と思しき女子生徒が近づいてきた。ふわっとしたショートボブには見覚えがあった。・・・・・・ああ、なんてこったい。
「教室まで一緒に行こうよー」
「ごめん、彼女と今一緒だから」
そう言って伊作先輩は上から私の頭に顎を乗せた。ずん、と頭上に重みがきて、わたしは恐る恐るショートボブの三年生を見上げた。
・・・間違いない。この間、長谷川先輩と一緒にわたしをボコりやがった人だ・・・。
ショートボブの彼女は表情を崩さず、ふーん、と一言残すとその場を去っていった。
こんの伊作という男は・・・何つーことをしてくれたんだ・・・!!
「あの、伊作先輩?」
小声で言ってみれば、
「振りほどいてなんてみろよ、言うからね」
わたしより数倍音量を下げ、わたしにしか聞こえない声で伊作先輩は言った。
今正に頭をヘッドバンキングよろしく思い切り振り込んで伊作先輩の顎をどかしてやろうとしていたわたしは大人しくハイと涙目で返した。


廊下で別れて自分の教室に辿りついても気が気じゃない。いつ長谷川先輩たちがきてわたしを人気のないところへ連れて行ってもおかしくないからだ。常に緊張感を走らせて午前の授業と昼休みが終わった。ああ、長かった!よし、ここまで何もない。あとは午後の授業が終われば・・・・・・
「二行目から、桜子」
その午後の国語の授業が地獄だった。今まで一度だって名指しで土井先生の授業で当てられたことなんかない。開いているだけだった教科書から土井先生に視線を移すと、教卓にはニンマリと薄気味悪い笑みを浮かべた土井先生が立っていた。
「聞いているのか、桜子?」
「聞こえてます」
「87ページの二行目からだよ」
「・・・はい。『恥の多い生涯を送ってきました』
「立って読め。ドアホ」
〜〜〜〜!!立たなかっただけでドアホだとぉぉーっ!
思わずキッと教卓を睨む。土井先生はニンマリ顔で小首を傾げたポーズで、声を出さず口の動きだけで
『ないしんてん』
と言った。
あーそうですか。こいつアレか、もうわたしにミチルとの関係バレたから開き直って、成績下げるって言えばわたしが何でも大人しく言うこと聞くと思ってるな。おいおい、成績下がるのが怖くてドクサレ先公の言いなりになっちゃゲーセン女王のわたしにとっちゃ恥・・・・・・
「恥の多い生涯を送ってきました」
わたしはギギギーと音を立てながら椅子を後ろに引いて立ち上がり、朗読を始めた。
(学生なんか成績表が何よりの恐怖に決まってんだろがぁぁぁっ!!)
「じーぶんには・・・・・・人間の生活というものが、見当つかないのです・・・」
太宰治の文は読点が多くてめちゃくちゃ朗読しにくい。おまけに太宰流に送り仮名が省略されてたりして、
「自分は東北の田舎にうれましたので、」
「生まれましたので、だ馬鹿者」
「汽車をはじめて見たのは・・・よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを・・・」
「もっとリズミカルに読めんのか」
だって点あんじゃん!「、」あんじゃん!だってコレ、二秒はためるって習ったから小学校のとき!!
(なんて言えねぇー・・・・・・)
こうしてチクチク文句を言われながら朗読していれば、コソコソと女子生徒がおしゃべりしている。
「なんかあの子、伊作先輩と付き合ってるらしぃよー」
「ウソー!あんな優しい土井先生にまでこうやって怒られてる立花さんが?」
怒られてねーよ、コレいびられてんだよ。ていうか、もうクラスの人にまで伊作先輩とのことが知られちゃったのか・・・。あの人の多い登校時刻じゃね・・・。そしてあの少女たちに全力で言いたい。土井先生は優しい人間では決して無い。いまどきバファリンだって半分は優しさで出来てんのに、あの先生は百パーセントうんこで出来てます。
「上(のぼ)って、降りて、」
「あがって、だろうが」
んなのどっちでもええわい!!
こんなことを繰り返し、散々注意を受け、ようやく1ベージ読み終えた。
「よくがんばったな桜子。やればできるじゃないか。もう座っていいぞ」
土井先生は覇気のこもった声で、笑顔まで添えておっしゃった。
さっきの少女たちは、
「あんだけ読めなかったのに誉めるとか、」
「うわぁ先生優しい〜」
全部あいつの計算だろうがぁぁぁっ!!!!
こうやって優しい教師を演出することが、おそらく彼の給与明細には含まれているに違いない。けれども他の生徒たちときたら、
「土井先生って本当に格好いい」
「スーツとかヤバイよね」
「アタシ土井先生にだったら襲われてもいい〜」
「わっかるぅ」
おいおい、本当に土井先生とヤってる奴いるからね、今この教室に・・・。
ギギギーと立ったときと同じく椅子を戻して席に着く。土井先生は、やってやったぜ俺、的な顔。その顔に益々ムカついてくる。その教師面の下にあるゲスっぷりを表に晒してやりたいわ。
どっと疲れが出て、もう残りの授業なんか寝過ごしてやりたいが、ここで机に突っ伏してしまったら何を言われるかわかったもんじゃない。とりあえず聞いているフリだけして、授業が終わってHRも終了したら、ソッコー保健室に行こう。さすがに長谷川先輩たちも伊作先輩の前じゃ手を出してこないだろう。
そんな考えのもと、帰りのHRが終わると大急ぎで荷物をまとめ、わたしは廊下へ出た。HRを終えたばかりの生徒で廊下はごった返しており、この人ごみに紛れれば、先輩たちに声をかけられても素通りできるに違いない。なるべく人の集まっている箇所を選んで廊下を進み、保健室のある別棟まで何とか来た。はぁ、あとはこの薄暗い廊下を少し進むだけで保健室にたどり着ける・・・・・・
「ちょっと、」
この声は・・・・・・
恐る恐る振り返ると案の定そこには、
「来て欲しいんだけど?」
今朝のショートボブの女子生徒が真ん中に立ち、右には長谷川先輩、左には巨乳美人。この前と全く同じ三人が立ち位置を変えて立っていた。
ゴールは目前なのに、わたしはこうしてまんまと彼女たちに捕まってしまったのだった。



コンコンと白い引き戸をノックする。
「どうぞ」
わたしは引き戸を開けた。
「やあ、遅かったね」
事務机に腰掛けていた伊作先輩が、にこっと笑って振り返った。わたしは内出血だらけになった全身を引きずり、事務机の後ろにすえられている黒い革張りのソファーにもたれた。あれから約三十分、わたしは裏庭で三人に罵声を浴びせられながら殴られ蹴られ続けたのだ。
「何かあったの?」
ぐったりしているわたしに、伊作先輩は書類の束から手を離し、心配そうにわたしを覗き込んだ。長谷川先輩たちのうまいところは、表にでるような場所に傷をつけないという点だ。だから、ぱっと見ただけじゃ、わたしが蹴られたり殴られたりしただなんてわからない。制服に完全に隠れている腹や背中は黒紫色に蹴られた痕があるが、顔や膝などの露出している部分は全くの無傷だ。
しかし、こんなめにあったのも伊作先輩が交際宣言なんてしてくれたせいなのだ!わたしは抗議する権利がある。
「何かあったも何も。伊作先輩のせいで・・・・・・」
「僕のせいでリンチにあったんだろ?」
・・・・・・なんでわかるの・・・?
いぶかしげに見つめ返すと、伊作先輩は銀色のボールペンを回しながら、
「女って醜いよね。まあ、それが面白いんだけど」
そこでぴたりとボールペンの動きが止まった。そしてボールペンで、ある一点を真っ直ぐに指す。ペン先に視線をたどってゆくと、薬品棚に半分隠れたスチールのドアが。窓と一続きになったベランダとは違う壁に、そのドアはあった。下半分が銀色のスチールで、上半分は明かり取りなのかガラスが嵌められていた。そのガラス窓には真っ白なカーテンがかかっている。わたしはソファーから立ち上がり、へんに鼓動を早める心臓を意識しながらドアへ近づいた。そして窓部分にかかっているカーテンを一気に引いた。
そこは裏庭だった。わたしが、さっきまで散々リンチされていた―――。
「勝手口があると裏庭の焼却炉にゴミを持っていくのに便利なんだ。まあ、こういう使い方もあるけどね」
ぽん、と後ろから肩に手を置かれた。
「・・・見てたんですか」
「うん、いい暇つぶしになったよ」
…ああ、そうか。伊作先輩はわたしが長谷川先輩たちにこうして呼び出されるのを見越して、わざと目立つ場所でわたしを彼女だと言ったんだ。
伊作先輩の指先がわたしの頬を撫ぜる。消毒液のにおいがする。
「放課後さ、保健室で仕事してると退屈で仕方なかったんだ。これからは、いい見世物があるから少しは退屈しないかな」
最後に、ね?と耳に息のかかる距離で囁かれた。わたしは水銀を無理やり飲まされたみたいに体が重くなっていくのを感じた。ぼんやりと働かなくなった頭で、これが諦念というものかしらと思う。
伊作先輩の、くすくすと新緑が風で葉をざわめかせるような笑い声が、いつまでも耳に残った。




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