夢 | ナノ


▽ 2.寝ればや人の


さて、近くのスーパーまで来たわけですが。
一体何を買えばいいのか。ほんとしばらく自炊とかしてないぞ…。
新生活が始まったころは張り切って自炊しようとしたのだが、そのやる気も一週間で消え失せ、いまはすっかり近所のコンビニとファミレスにお世話になる日々です。

「どうしよう、お客様に料理を作ってあげるなんて初めてだ」

ていうか、まずお客さん自体招いたことはないのだから当然だ。
やばいやばい、これは自分でなにか作るより惣菜を買っていったほうが無難だ絶対。早々に野菜やらなんやらを売っているコーナーから惣菜コーナーへ移動。この諦めの速さである。

「うーんどうしよう」

適当に天ぷら、サラダを買って…お米はさすがにあった。気がする。
そんなもんでいいだろうか。女の子の手料理とは無縁である。まず手料理でもないしね!

お茶も買いたし、多少重くなった買い物籠をもってレジへ向かう。会計を済ませ、早々に帰路へとつく。
ただいま1時頃。ちょうど日光が容赦なく降りかかる時間であり、もうスーパーから出た瞬の熱気で頭がふらついた。暑い。

これは…早く帰らないとまじで熱中症になるぞ。
スーパー袋をかかえ直し、マンションまで歩き出す。

ちょうど半ばまできたあたりで、ふと目に留まったものがあった。


2.寝ればや人の


ひょろりと背の高い白い人影。
背が高いといっても、人の背の高さではない。間違いなく2mは越している。

足と胴体は短いが、首と両腕が異様に長い。そして顔には女を模した様な面。
思わずぴたりと足を止める。

妖怪だ、多分。

私は小さい頃から俗にいう霊感みたいなものがあった。

幽霊みたいなのが見え、幽霊より化け物と思われる出で立ちのものも見えた。
それは多分妖怪とか、そういう風に形容するんだろう。
田舎にもいくらか妖怪や幽霊はいた。東京にでてくれば少しは見えなくなるかとも考えたが、そんなことはない。むしろ田舎より見た回数は多いかもしれない。

実際、今私が住んでいるマンションの部屋にも一人、女も幽霊が憑いている。
時折目に留まるが、ただじっとこっちを見つめ返してくるだけなので特に気にしてはいない。
もうこんな奴らを見続けて19年。さすがに慣れ始めた。

その背の高い妖怪は、どこか虚空を見つけたまま動かない。
妖怪が立っている場所はおもいきり大通りの真ん中なのだが、人々は妖怪に気が付かない。

こういうのとは、関わらないのが一番だ。

早々に目をそらして歩き出す。
幸い妖怪とはそんなに近い距離にいない。このまま知らぬ顔で通り過ぎれば大丈夫だろう。

歩くたびにガサガサとスーパーの袋が音をたてる。
なるべく人ごみに隠れるようにして、私はマンションの方へ向かった。
ちょうど横断歩道の青信号が点滅していたので、少し小走りになって渡りきる。
よし、これでだいぶ距離がとれた。
まだあいつはいるのだろうか。そう思い、僅かに後ろを振り返る。

「ッ……!!」

背中に冷や汗が垂れた。

妖怪は、さきまでどことも知れない場所をぼんやりと眺めていたはずなのだ。

しかし、こちらの方を向いている。私を見つめていた。

(しまった)

目を合わせてしまった。
空洞のような黒い目がたしかに私を見ていた。
これはヤバイ、なにかされる前に早くにげないと。
人ごみの中だが仕方ない。駆け出そうとして、その足を止めた。
いや、止めざるを得なかった。
動かなかったのだ。左足が。

視線を落とす。足首に絡まっている、無骨な白い手が。

「……うわぁあっ!?」

思わず声をあげてしまった。
周りを歩いていた人々が一斉に不審な視線を送ってきたのがわかった。しかし、それにかまっていられる場面ではない。

足首の重い感覚を振り切って、そんな人々をかき分けて走った。

もう一度足元へ目をやるが、もう手首はついていない。
後ろを振り返る。あの妖怪はいない。
ただゆらゆらと陽炎が揺らめいていて、あの妖怪は暑さのせいで見た幻だったのではと思えてくる。しかし、あの足首に残った独特の感覚は消えなかった。

マンションまで走った。
炎天下にこんだけ全力疾走したはずなのに、汗はかいても暑さを感じない。むしろ鳥肌がたっている。
ラウンジへ滑り込んでセキュリティを解除し、エレベーターの中で息を吐く。

怖かった。

まだ息は荒く、収まりそうにない。
左足首は、重たいうえにぬるい感覚。あの妖怪の握った感覚が続いている。
おそらく、妖怪等と関わりのない人には一生味わうことのない感覚だ。生暖かい沼へ突っ込んだ、かみ砕いて言うとそんな感覚だろうか。

妖怪が見えてはいたが、あんな風に直接絡まれることはそんなになかった。
久々に恐怖を覚えた。きっとしばらく夢見が悪いに違いない。
四階へとたどり着き、自室のドアを開け、玄関に座り込んでサンダルを脱ぐ。

「……げ」

痣になっている。

左足首にだけ、荒縄でしめられたような真っ青な痣が残った。
それが鮮明にさっきの出来事を思い出すきっかけとなり、再び鳥肌のたった肌をさする。
脱衣所に寄って、出かける前に脱いでおいた靴下を履き直すが、それでは痣が隠れ切らなかった。
悩んだ末にソックスを履く。よし、これで見えない。

買ったものを冷蔵庫に詰め、久々に冷蔵庫の中身が充実していることに喜びと一抹の寂しさを覚えつつお茶をがぶ飲みする。
よくぞあの炎天下走り回って熱中症にならなかったもんだ自分。
かいた汗の分以上にお茶を流し込み、2リットルペットボトルを抱えつつリビングへ向かう。
鬼灯さんはまだ寝ているだろう、おそらく。

「鬼灯さーん……」

小声で呼びつつ、ベッドに横たわる黒い背中へ声をかけた。

ごとん、と音をたてて私が抱えていたペットボトルが床に落ちた。
思わず、目の前の光景を疑う。

そう、ついさっきまで、鬼灯さんは何の疑いもない、人間だと思っていた。美形で礼儀正しい男の人。
しかし買い物から帰ってきてみてみたらどうだ。

人間のそれより鋭くとがった耳。

額から生えている、これは、多分、角?

人間じゃない。
さっきの妖怪のことが頭をよぎる。
慌てて距離をとろうとして後ずさった。ゴンッと壁と背中がぶつかる音。

どうしよう、とんでもないものを部屋にあげてしまった。暑さも吹き飛び、いまは寒気しか感じない。
さっきの妖怪のような目に遭わされたら…いや、でも鬼灯さんがそんなはずない。
じゃああの耳と角はなんだ。

自分の見たもの、記憶が全て曖昧になる。
さっきのことも夢かもしれない。暑さで見た幻かもしれない。
だとすると、今も残る足首の倦怠感は何だ。
目の前で寝ている、鬼灯さんと思われる人間ではないものはなんだ。

不意に目の前の黒が身じろぎした。反射的に身体が跳ね、後退しようとするがこれ以上さがれない。

なにか呻きながら鬼灯さんが目を覚ます。

ベッドに手をついて身体を起こし、それからハッとするように自分の額へ手をやった。
角を幾度か撫で、その手で両耳にも手を伸ばす。
そして聞き取れるか危ういほどの音量で「戻ったか」と呟いた。

そこでようやく、私が一部始終を見ていたことに気がついたらしい。赤黒い瞳が僅かに驚きの色をともして、こちらを見た。

「由夜さん」

「………鬼灯、さん…!」

自分でも声が上ずっているのがわかる。
「それ、なんで、」とたどたどしく言葉をつないで聞けば、居住まいを正してあっさりと答えた。

「みての通り、私は人間ではないので」

「……妖怪?」

「厳密にいえば違いますが、そうですね。日本人の思う妖怪であっていると思います」

さらっと肯定。

「……どうして、人間の姿を」

「現世の実地調査ですよ。今回は人間の姿をしないといけない仕事だったので」

仕事?調査?

(あれ、待って、なんか私の思ってる妖怪とちがうんだけど)

私の思う妖怪っていうのは、ふらっと人の前に現れて人を怖がらせたり悪戯していく厄介者のようなイメージなのだが、なんというか、鬼灯さんは…

「……サラリーマンみたい」

「サラリーマンみたいなもんです。毎日デスクワークで腰痛と肩凝り洒落になりませんし」

不覚にも笑ってしまった。
完全にサラリーマンだよこの人。あまりにも人間味がありすぎて、妖怪の類であることも忘れて笑ってしまう。

「……そこまで笑われると流石にいい気はしないのですが」

「ごめんなさい…いやでも、妖怪なのにあまりにも人間ぽくって」

「人間と変わりませんよ。それから私は妖怪というより鬼です」

「妖怪と鬼って…何がちがうんですか」

妖怪の中に鬼っていう種類があるのかとも思っていた。
鬼灯さんはベッドの上に座ったまま膝の上に腕を下して話し始めた。

「鬼は主に地獄で亡者を呵責する労働者です。私のような文官タイプもいますがね」

「あのちょっと待ってなんですか地獄ってそんなんあるんですか」

「ありますよ。ちなみに天国もあります」

「まっまじですか!!」

「実際私も地獄で働いている鬼ですし」

鬼灯さんから話される一つ一つの話がぶっ飛びすぎていて色々すごい。
思わず何かの作り話でも話されているような気分になるが、そんな作り話っぽいのを話しているのは実在する鬼である。そんなバカな。

しかし妖怪がいるのだから鬼がいて地獄があっても納得できる…と解釈し始めた私の順応力よ。
まぁ元々妖怪とか幽霊っぽい人外の類は見慣れているというのは大きいのだろうけど。

「…でも、意外と地獄の社会制度?とかは現実と変わらないんですね…びっくりしました」

「私は由夜さんの順応力にびっくりしますが」

「そっ、そうですか!?」

鬼である鬼灯さんになら、自分が特殊な霊感をもっていて幽霊やそういった類が見えるといった話をしてもいいのだが、如何せん他人どころか両親にすら話していない秘密だ。
どうやって切り出したらいいかわからずとりあえず黙っておくことにした。

すると、鬼灯さんがズボンのポケットへ手を突っ込み、何かを取り出して見せてくれた。

「…普段現世の調査をする時は大抵変装するだけなんですが、完全に人間に化けるにはそういった薬を飲まないといけないんです」

「へーそうなんですか…ってキモ!!何このデザイン!!」

小ビンの蓋が人間の頭部である。

「ホモサピエンス擬態薬です」

「ネーミングセンスが来い!!…あ、これを飲んだから眠くなったんですか?」

「はい」

話を聞くと、たった30mlで30万円するそうな。そんなバカな。それに加えて一口で効き目は一時間。バカげている。

あれ、でも、鬼灯さん明らかに一時間以上人間の姿でいられてたよね?(ずっと眠りっぱなしでしたが)

それを聞いてみると、一気に鬼灯さんの機嫌が下方に傾いた。不機嫌そうに眉は顰められ、忌々しいというように溜息をつく。

ぶっちゃけていいですか。めっちゃ怖いです。

「…その薬は入手がとても困難な薬でして、今回がまた急な現地調査だったので薬の入手ができなかったんです」

「は、はぁ」

ただでさえバリトンボイスなのに更に声が低い。怖い。

「それで、知り合いの薬剤師に残った原液からできるだけ本物に近いものを作るよう依頼しておいたのですが…改悪しやがってあの白豚」

最後の方は最早なにを言っているか聞こえなかったが、呟き終わると同時に鬼灯さんの手の中にあった擬態薬の小瓶が嫌な音をたてて割れたので深追いはしないことにする。絶対しない。

とにかくあれだ、鬼灯さんを怒らせちゃダメだってことを学べた。

最初見た時からちょっとおっかないかもしれないとは思っていたのだが、ほんとに怒らせたら多分タダじゃすまないだろう。


「まぁ…効果は本物より長続きしても、副作用で倒れるくらい眠くなるんじゃ意味ありませんしね!」

「…はい。本当に由夜さんにはご迷惑おかけしました」

「いえ、ほんと!気にしないでください!…もう眠たくないんですか?」

「薬の効果も切れましたし、大丈夫でしょう」

そういって鬼灯さんは立ち上がる。そしてそのまますたすたと玄関へ。
え、ちょっと待って。

「ど、どこ行くんですか…?」

「いえ、昨晩の記憶が曖昧になったあたりを見てこようかと」

「その恰好でですか!?」

自分の耳と額を交互に指さして言えば、鬼灯さんは何事もないように続ける。

「仕方ありません。普段はキャスケットを被って誤魔化してるんですが、それも荷物と一緒に行方不明なので。探してきます」

どうやら記憶が曖昧であったころに荷物も行方不明になってしまったらしい。
私は慌てて玄関に飛びつき、サンダルを履く。

「ちょっと待ってください、荷物見つかったら鬼灯さん帰っちゃうんですか?」

地獄に、と続ければ間髪入れず「はい」と返ってきた。

それは悲しい。
合縁奇縁というがまさにそれだ。妖怪、鬼であるにもかかわらずこんなにも人間味のあって、話すことができる鬼灯さんとは、もう少し一緒にいたかった。

帰っちゃうのか。寂しいな。
さっきスーパーで買ってきた二人分の惣菜を今更のように思い出し、少し鼻の奥がツンとした。

「ですが、帰れないかもしれません」

「は?」

そんな鬼灯さんの言葉に思わず素で声が出てしまった。
どういうことですか、と聞けばまたも淡々と返事が返ってきた。

「私も今回の調査でこの擬態薬がとんだまがい物だったので、文句の一つでも言ってやろうと思って一度地獄へ帰ろうとしたことがあったんです」

「はぁ…」

「ところが帰ろうとしても帰れませんでした。地獄に携帯で報告しようにも連絡つきませんでしたし」

あぁ、地獄にケータイは繋がるんですね、というツッコミは飲み込むことにして。
ていうか、それって…

「それって、すごく困った状況ですよね?」

「現在進行形で困ってます」

そういって溜息を吐く鬼灯さんが、なんだか現世で迷子になった鬼だと思ったらとたんに可愛く思えてきた。
多分、まだ鬼灯さんとお別れしないですむということがわかって嬉しいからだと思うけど。
隠れて笑っていると、笑いごとじゃないんですけど、と恨めしそうな目でみられたが。







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