夢 | ナノ


▽ 17.みればあけぬる



心地いい浮遊感。
久々に感じたそれはよく知っているもので、おそらく白澤さんの背中であることは理解できた。
しかしそれ以上に、温かい人肌とくっついていることも理解した。
抱きしめられている。おそらく。
気持ちいいな、離れたくないな、と子供のように思われて、それに縋りついた。


17.みればあけぬる


目を開ければ、眩しい光にやられて顔をしかめた。見覚えのある天井に、ああ私の家だと漠然と感じた。
しかし起きた瞬間鼻を突いたのは消毒液の臭い。嗅ぎ慣れない臭いに、どこかここが病室のような違和感を与える。
流石に点滴まではされていなかったが。

「由夜さん」

不意に上から降って来た落ち着いた声。
目だけ動かせば、いつもと変わらない冷静な表情の鬼灯さん。影が落ちた顔は、どこか疲れているようにも感じられた。

一度瞬きしたが、それでも特に鬼灯さんは声をかけてこない。
私も何か言おうとしたのだが、思ったより喉が枯れているらしい。息を吐くだけで声らしい声も出ず、眉を顰めた。
不意にぴとりと顔に何かが触れた。そこでやっと気が付いたが、どうやら私の頭には包帯が巻かれているらしい。
あぁ、そういや私頭に怪我してたわ。と他人事のように思い出す。

額へ置かれている、冷たいが、血の通っているそれ。
何かを確かめるように私の額を行き来した後、

「痛みは?」

と、淡々と聞いてきた。そう言ってから、先より少し強めに額を指先で押されたが圧迫感しか感じない。特に痛みはないようだ。
…随分出血してたと、曖昧な記憶の私でも思うんだが。

「…だいじょぶ、です」

咳払いを二回ほどしてから、なんとか枯れた声でそう答えれば鬼灯さんの手は離れていった。それからそのまま後ろへ手を回し、何かを掴んで私の視界に入れてくれた。
見れば、コンビニか自販で買ったと思われるミネラルウォーターである。

「飲めますか」

あまり聞きづらい声を出したくなかったので、無言で頷けばパキンと乾いた音をたててキャップを開けてくれた。
そのまま鬼灯さんは屈みこみ、上体を起こせるよう私の背中へも手を回してくれたのだが。

「……あの、鬼灯さん」

申し訳なさそうに言えば、流し目でこちらを伺った。ようするに続きを言えということか。とりあえず、私も言いづらいながらも続ける。

「…介護されてる、気分なんですけど」

こんな若いうちに寝たきり状態を味わうとは。なんたる屈辱。しかしほんとに身体に力が入らないのは事実なので甘んじる他ないのだが。
おかしいな、怪我をしたのは足と頭だけだと思ったのだが、上体どころか全身が重だるく、呆れてしまうほどに脱力したままだ。

しかし、鬼灯さんの回答は無慈悲なそれだった。

「我慢なさい」

「…デスヨネー」

うん、なんとなくわかってましたよ。
それどころか、追い打ちをかけるように鬼灯さんの久々の罵倒が私を襲う。

「私の手を借りるのが嫌ならば、おひとりで頑張ってください。ここで傍観してるので」

「すいませんやっぱほおずきさまのちからがないとわたしはいきていけないにんげんですどうかおてをおかしくださいおねがいします」

病人相手に容赦がなさすぎる。心なしかさっきの疲れた様子の鬼灯さんはどこへやら、今はいきいきしている気がする。全力で気のせいだと思いたい。
しかしプライドを捨てて平謝りしたことで及第点をくれるらしい。
わざとらしく「仕方ないですね」とか言うあたり、なんでも今日の鬼灯さんはSに磨きがかかっているようだ。いや、普段からSだけど。

もう一度枕元に置かれたペットボトルを手にした鬼灯さんはキャップを開けている。
その一方で、私はなんでこんな鬼灯さん今日に限ってどSなの、目覚めて一番に罵声とか勘弁して、などとぶつぶつ呟いていたわけだが。

「由夜さん」

不意に呼ばれ、私は顔を上げる。
そして、予想以上に距離の近い鬼灯さんの顔に思わず、

「うおお!?」

「…あなた、少しは女性らしい声は出ないんですか」

と、以前白澤さんに言われたまんまの台詞を言われてしまった。しかも、今は声が枯れていたのでまるで女子大学生の声とは思えないそれが出たわけですが。
いや、しかし、待って。なんでいきなりこんな距離詰めてるの鬼灯さん。今の流れのどこにここまで急接近する要素があったんですか。

なんだかこの前の、白澤さんによる貞操の危機がよみがえる。
そういやあの時も随分急展開だったな。
ではなく。

「あ、あの…鬼灯さん?」

ていうか、私動けないんですけど。今度は背中ではなく、鬼灯さんの手によって後頭部と顎の下を固定された。
ちょっと、待って。だって、これってさぁ。

そんな私の動揺などものともしないというように、鬼灯さんは横を向いてミネラルウォーターを口に含む。

うん、待って。

鬼灯さん、という声は最後までどころか言えたかどうかも怪しい。人肌の体温が押し当てられた感覚と、口の周りから溢れた水が垂れていくのがわかった。
苦しい、飲まないと死ぬ、と漠然と感じて口内に溢れる水を嚥下する他ない。

初めてだよ、これ。

とりあえず、私の初めての感想は「めっちゃ苦しい」だ。
鬼灯さんのせいで若干キスがトラウマになるぞ。こうして私の辞書には、キスというものはただの酸欠への一本道だということが記された訳ですが。

口内の水は飲み乾した。
しかし唇に押し付けられた感覚は、そのままである。

「…ん、……!!」

本気で酸素が足りない。明滅し始める真っ暗な視界な中、さっき覚醒したばかりに意識が再び遠くへ行きかける。
しかし、私が意識を飛ばすより先に、やっと唇が解放された。
やっと肺の中に待ち望んでいた酸素が流れ込む。水を飲まされる前より苦しいんだけど鬼灯さん。主に貴方の飲ませ方のせいで。咳と吐き気が止まりません。主に貴方の飲ませ方のせいで(大切なことなので二回言いました)。

「げっほごっほぐっは…!!」

「…期待はしてませんでしたけど、本当色気とかそういうのないですよね、あなた」

「だっれの…せいだと…!!」

ベットの上で悶絶する私を見る鬼灯さんの目は心なしか冷たい気がする。男らしく口許の水をぬぐった鬼灯さんは、手元にあったタオルを渡してくれた。これで拭けという事か。
ていうか、仮にもさっきのキスは私にとってファーストキスになる訳なのだが、それをお互いに口許を拭い合うってどうなの。

初めてが鬼灯さんだということが、別に嫌という訳ではない。そうではなく、もっと、こう、雰囲気ってあるじゃん?ということだ。
散々白澤さんにそういう雰囲気があるだろとか言われたが、今ならそれに賛同できる。こんな苦しい思いしかないファーストキスは嫌だった。

そう言えば、白澤さんがいない。どこにいるんだろう。

「…それで、体調に変わりはありませんか」

部屋を見渡していたところ、鬼灯さんがフローリングに胡坐をかいて座ったので、多分少し話をする気なんだろう。
なんで私の初めてを奪った挙句になんともない顔していられるんだドS鬼神。

ああ、そうか鬼灯さんにとっては数ある経験の内の一つだという事か。もうすでに散々経験してきたことなんですもんね。なにこれ悔しい。
まぁ初チューが「水を飲ませるため」という動機であることがまずツッコむべきなのだが。

「…聞いてます?」

「…ちょっと、いやすごく身体だるいです…」

水を飲んだ(飲まされた)ことによって、大分マシになった私の喉ですが、喉は治っても相変わらず身体はだるいままだ。手を上げることも正直辛い。
鬼灯さんはさっきのペットボトルを振ってみながら、

「これには白澤さんが調合した漢方薬も入ってますから。その倦怠感はおそらく、あの悪霊の妖気にあてられたものだと思うので…これで少しは楽になると思いますが」

「あ…そうなんですか。で、その白澤さんはどこにいっちゃたんですか?」

と聞けば、鬼灯さんはわざとらしく肩をすくめて見せ、

「さぁ。一時間前くらい前に寝ているあなたを襲おうとしているのを発見したので、ちょっとぶっ飛ばしたきり見てませんね」

「あ、ありがとうございます…?」

お礼を言うべきなのか微妙だったが、とりあえず私の貞操が知らぬ間に守られていたということに対しては感謝しておく。
まぁそのあとあなたに半ば無理やりファーストキスを奪われたわけですが。動機は私の為とはいえ。

「…それであなたが昨日襲われた悪霊は、わかっているかと思いますが…」

「あ、はい。前から私の家に憑いてたあの幽霊ですよね」

そして私の首をしつこく何度も絞めにかかった悪霊である。

「そうです。おそらく私と白澤さんがここにいることで危機を感じ、仕方なく住処をここから移したのでしょう」

だから透子の家に移ってしまったのだろうか。それはそれで申し訳ない。私のせいで透子の眠れない夜が続いたのかと思うと、やはりこの霊感を憎らしく感じる。
そこでふと思い出すことがあった。
一度、透子の家であの悪霊に腕を折られそうになったときがあった。
その時、何かに弾かれたように悪霊が後退したのだ。そのことを簡素にまとめて鬼灯さんの話せば、あっさりと種明かしをしてくれた。

「退魔の術ですね」

「…私がついに完全に人間離れして、そんな術を使うようになったと。そういうことですか」

「まさか。アレは白澤さんがあなたに施した術ですよ」

そういえばと記憶を辿る。
あの貞操の危機だなんだとパニック状態だった私の手首へ、白澤さんが口づけを施したことが感覚と共に蘇る。思い出さなきゃよかった。
たしかに、衝撃を生み出して悪霊を弾いた瞬間、見覚えのある赤い目の模様が浮き出ていた。アレは白澤さんの額の目と同じ模様である。
その術のおかげで、私は一度危機を回避できたのか。白澤さんがきたらまたお礼を言おうと思いつつ、ならばあそこまで不穏な雰囲気で迫らずとも、普通に「退魔の術かけてあげる」みたいな流れで施してくれればよかったのにとも思う。
あれでだいぶ寿命が縮んだぞ。というか、あの白澤さんの急接近がこの退魔の術をかけるためだけならば、あの口づけだけすれば良かったのではないか。
白澤さんは、間違いなく口づけの「そのあと」までしようとしてたよね…と恥ずかしながら考える。

これは私の推測だが、もしかして、口づけのあとに白澤さんがしようとしていたことは、大人の階段を上る的なことではないのかもしれない。
そう見せかけておいて、実は退魔の術の他にも、私に気が付かれないように何かしらの術をかけようとしていた、とか。

「…そんなわけないかー」

「…何がそんなわけないんですか」

あの女好きで名高いらしい白澤さんだし、と自己完結したところで鬼灯さんから冷静なツッコミをもらった。

「その退魔の術は一度きりのものですが、術者に術が切れた瞬間と、かけた者の現在地を知らせることもできます」

私が由夜さんを早くに迎えに行けたのもその術によることが大きいですね、と鬼灯さんは言う。なるほど、だからナイスタイミングで鬼灯さんが私を助けに来てくれたのだ。きっと白澤さんが私にかけた術が解けた、とういことを感じていそいで鬼灯さんに電話かなにかで伝えてくれたのだろう。

「…それにしても、鬼灯さんすごいタイミングできてくれましたよね」

「私も私で、その悪霊の跡を追っていたので。お互い近くにいたようです」

不幸中の幸いとはまさにこのこと。
ともかく、今回もまた私はこの二人に助けられてしまったということだ。私はゆっくりと息を吐き、抱えていた枕へ顔を埋める。

本当に、こんな幸せな時がずっと続けばいいのに、と思いながら。
安堵して疲れが出たのか、そのまま枕へ沈み込んでいきたくなるような眠気が今さらのように襲ってきた。さっきまで寝ていたはずなのに、やはりまだ完全に体力は回復していないらしい。

「…由夜さん?」

いきなり静かになったからか、覗き込みつつ不思議そうに問いかけてきた鬼灯さんの後ろで、バタンとドアが閉まる音がした。
眠気をこらえつつ見れば、片手に携帯を持った白澤さんである。なんだか久しぶりに会う気がして、小声で名前を呼べば、何故だろう、ものすごく申し訳なさそうな顔をされた。
あれ、でも、白澤さん、鬼灯さんに吹っ飛ばされたわりには全然元気そうだ。

ぼやぼやと思考がまとまらない頭には、疑問しか浮かんでこない。そんな私を他所に、鬼灯さんは白澤さんに目配せする。白澤さんの無言で頷き、眠りかけている私へゆっくり近づいてきた。
なんだか、二人の表情がいつになく真剣だ。曖昧な意識の中、漠然とした不安が私を支配する。

脱力していた手を、白澤さんが枕元にしゃがんで握った。

「由夜ちゃん、気分は?」

その声は、いつもの白澤さんより事務的なように感じた。

「ねむい、です…」

「そっか。寝てもいいから、きいてね」

そう前置きして、白澤さんは続ける。
それは、私が予期していた通り聞きたくない話であった。

「先に謝るよ、薬盛ってごめん。許してね」

「…………。」

「僕と鬼灯は、これからあの世に帰るよ。由夜ちゃんが僕達と離れたくないっていうのは知ってるし、勿論僕もそう思ってる。でもね、君はまだ命があって、この世を生きる人間で、僕とあいつはあの世の住人だから。ずっと一緒になんていうのは、無理なんだよ」

「…………。」

「この世で由夜ちゃんが死ぬまで一緒、なんていうのは無理なんだ。人間と妖怪じゃ、…寿命が違いすぎるから」

そこで、白澤さんが自嘲気味に笑った。
きっと、そういうことなんだろう。

「僕は由夜ちゃんの死に水を取る、なんて絶対に嫌だから」

「………。」

「間違っても早まらないで。命は粗末にしちゃだめだよ」

前も聞いた言葉だ。
白澤さんはそういうと、名残惜しげに利き手へ口づけを落とす。そしてそのまま私の頭へ手を置き、ゆっくりと髪をかきまぜた。
小声で「もし、覚えてたら」と呟き、私の目をまっすぐに見つめ、

「極楽満月で待ってるから」

そう言って、ふわりと溢れかえった紫の煙と共に、神獣の彼が姿を現す。
お香の匂いが鼻腔を擽り、あぁ、白澤さんの香りだ、と漠然と感じた。

確実に私の意識レベルが下がっている。もう瞼を開けているのも辛い。睡眠薬かなにかだろうか、白澤さんが盛ったというのは。
そして、私が寝ている間に二人は帰ってしまうのか。
ずるい、と思った。
起きたら誰もいないなんて、一番寂しいじゃないか。もっとちゃんと、お別れをするなら、したいのに。

冷たい手が、頬に触れた。
なんとか顔を動かしてみれば、こちらを見下ろす鬼灯さんが目に入る。その瞳に相変わらず表情は、ない。

鬼灯さん、と声を出したいのに出せない。
帰らないで、と言いたいのに、言えない。

頬が濡れる。視界が滲む。
きっと今、私はひどい顔をしているだろう。
無言で私の頬に手を当てる鬼灯さんの表情は、変わらなかった。

鬼灯さんに会えてから、毎日楽しかったよ。それまでの生活が嘘のように。
絶対、二人のことは忘れない。どんなことがあっても忘れない。
たとえ記憶喪失になって、いままでの記憶を忘れても、二人のことだけは覚えてる。

お別れがくるのも、わかっていた。それは受け入れたくないけど、悲しいけど、仕方のないことだってわかってる。
だから、せめて、ちゃんとしたお別れにしたいのに。

すっと、なんの前触れもなく手が離れていく。
結局、鬼灯さんはなんのお別れの言葉もなしに行ってしまうのか。
身を引いた長身へ、身体が動くならば飛びつきたい。駄々っ子のように、喚いてでも引き止めたい。
行かないで。

「…かえらないで……」

絞り出した声と同時に、視界が落ちた。

視界の暗転が怖い。
この暗闇から覚めた時、二人がいなくなってると思うと、とてつもなく怖い。
最後は「さようなら」で、見送るつもりだったのに。なんでこうも上手くいかないんだ。

様々な感情が混沌する意識の中。風が吹いてくるのを感じる。白澤さんが鬼灯さんを乗せて駆けていくのか、それともあの世からの迎えが来たのか。
悲しい、悲しい、寂しい、寂しい。そんな言葉しか浮かんでこない。
それを遮るように、鼓膜に響く声が届いた。

「また、あの世でお会いできたら」

それは一瞬で。
その言葉がきっかけになったように、私の意識は暗転した。

***
急展開申し訳ない。
ファーストキスの感想が「咳と吐き気」のヒロインがいてたまるか、って話ですね














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