▽ 11.宿りして
振り上げられたそれによって生み出されるものは、痛みしか知らない。
だから、目を瞑った。
拒否すれば、更に強く殴られるだけだから。
ただ、無慈悲にやってくる痛みを待った。
11.宿りして
「…………。」
眩しすぎる朝日。カーテンから漏れるそれが、自分の顔へ容赦なく降り注いでいた。この日の高さからして、大分長いこと寝ていたらしい。
汗ばんだ額へ手を当てれば、やはりじとりと汗をかいている。気持ちが悪い。
上からかすかに聞こえる寝息に耳をすませ、まだここの家主は眠りこけていることを理解する。
ちらりとテーブルを挟んだ向こうへ目を向ければ、白澤もまだ起きていないようだ。
クーラーがついていない状態のこの部屋は、うだるような暑さである。
そういえば、自分が死んだのもこんな暑さが続いた日だったと思い返す。
あぁ、命日が近いのだ。だからあのような、昔の夢を見た。
女々しい、と溜息を吐いて布団から起き上がる。大分寝ている間に汗をかいてしまった、今日は布団を干さねばなるまい。
「…………。」
立ち上がって、クーラーのリモコンを操作し冷風を送り込んだのだが。
一向に二人が起きる気配はない。
*
「いい加減起きなさい」
「……うぶっ、ッ冷た!??」
心地いい浮遊感のような眠気の中にいた私を叩き起こしたのは、いきなり降って来た冷気でした。
「うわぁあなにこれなにこれ!!保冷剤か!!なんて起こし方してくれるんですか鬼灯さん!!」
どこの世界に保冷剤投げつけて叩き起こす目覚ましがあるんだよ。
すっかりつめたくなった頬をさすりつつ、身を起こす。保冷剤とか家にあったんだな、そして私を起こす為だけにわざわざ冷蔵庫をあさって来た鬼灯さんに、どこからその行動力が出てくるのか是非問いただしたいところだ。
「おはようございます、いい目覚めだったでしょう」
「ええそりゃもう。だけどもうちょっと私への配慮がほしかったです」
「十分考えましたよ。本当は冷水かけて起こそうと思ったんですけど、さすがに部屋を水浸しにすると片づけ面倒ですしね」
「片づけに対する配慮じゃなくて、私に対する配慮ギブミー」
そんなことを言いつつ、私は保冷剤を持って、この騒ぎでも起きてこない白澤さんの元へ忍び足で近づく。
鬼灯さんも布団を畳む手を止めてこちらの様子を伺っている。
眠りこけてるその頬へ、ゆっくり保冷剤(いまだ冷たい)を近づけ、ぺとりと、
「ッうおおおおお!?冷ッ何ッ!??」
「起きた!」
「起きるよそりゃ普通!!なにこれ保冷剤!?どんな起こし方してくれてるの由夜ちゃん!!」
「由夜さんと全く同じ反応ですね」
「やっぱりお前か元凶はー!!」
そういって、保冷剤片手に鬼灯さんにつっかかる白澤さん。勿論鬼灯さんがまともに喰らう訳なく、あっさりカウンターしていたのだが。
カウンターされた白澤さんは赤くはれた頬へ手を当てつつ、崩れ落ち、
「くそう、こいつさえいなきゃあ由夜ちゃんと二人っきりで幸せな現世ライフなのに…!!」
「そうですかだったらさっさと天国帰れ白豚」
「だから帰れないんだってば!!」
「ていうか白澤さんて帰れないんですか、一応神獣?なのに?」
「一応じゃなくてれっきとした神獣ね」
そう、鬼灯さんが地獄に帰れないというのは以前から聞いていたが、白澤さんから直接「帰れない」ということは初めて聞いた。
ご飯をよそい、お茶碗をテーブルへ運ぶ。昨日の晩ご飯の残り物と味噌汁が朝食だ。
朝食をとりつつ、白澤さんの話は続く。
「じゃあなんか神様っぽいこと教えてくださいよ」
「だからなんでそんなに疑ってかかってるの由夜ちゃんは」
「気持ちはわかりますよ、こんな堕落しきった男が神なんて戯言は疑ってしかるべきです」
「おい鬼灯おい」
「でも鬼灯さんが一応認めてるみたいだし、やっぱり神様なんですね白澤さんて」
「くそう、由夜ちゃんが一切僕の言う事は信じてくれないのにコイツのことは信じ切ってるし…」
「当たり前です一緒にするな」
そういって睨みを利かす鬼灯さんの視線から逃げるように私の方へやってくる白澤さん。…うん、
「白澤さん暑いです」
「由夜ちゃんがどんどん冷たくなってる…」
「甘いですね、箸で目潰しして追い払うくらいしていいんですよ」
「流石にそれは…ちょっと箸が…」
「箸より僕の目を心配してね」
由夜ちゃんがコイツの影響受けてるよー、と嘆く白澤さんの言葉は流し、私はお味噌汁を飲みつつ急かす。
「それで、白澤さんはどんなことができるんですか?なんか神様っぽいことできるんですか?」
「うーん、神様っぽいことか…。あ、僕が描いた絵は実物になったりするよ」
「すごいじゃないですかそれ!!十分神様っぽいですよ!!」
思わず身を乗り出してしまった。だってあれでしょ、ナ○トの誰かが使ってた忍術みたいに、獅子とか墨でサッと描いたらそれが本物になるやつ!
尊敬の眼差しを送れば満更でもないような様子の白澤さん。ところが、鬼灯さんの一言が場の盛り上がった空気を一気に冷やしてくれた。
「期待しないほうがいいですよ由夜さん。それの描く絵は確かに動き出しますが、描き手が滅茶苦茶絵が下手なので本末転倒です」
「茄子君には褒められただろ!!」
「あれは彼が一般の人々にはない感性を持ち合わせているからであり、普通の感性しか持ち合わせていない私たちにとっては、何かにとり憑かれたとしか思えない絵でしょうアレは」
そんなにひどいのか。本人は必死に弁解しているが、鬼灯さんがそういうならきっと白澤さんの画力はきっとすごいんだろう(いろんな意味で)。
「…今度描いてください!白澤さん!」
「うんいいよー」
「やめてくださいアレ暫く消えないんですよ」
鬼灯さんはそう言っているが、私の好奇心はそれを上回る。見てみたいよ、白澤さんの絵がどれだけ破壊力を秘めてるのか見たい!!
一通り食べ終わった鬼灯さんが立ち上がり、食器を持って台所へ向かう。
あ、私も話すばっかで全然食べてないわ。
「そのほかは?どんなことできるんですか!?」
「できるっていうか…そうだなぁ。恐竜がいる時代から世の中に存在したとか。実はこの姿の他にも、白澤図で伝わってる獣の姿にもなれるとか。その姿になれば空も飛べるとか。神様っぽいでしょ」
「…………。」
なんていうか、ごめんなさい。いままで散々な扱いしてきたけど、この人ほんとに神様だ。漫画に出てくるような能力を持ち合わせているらしい。
「……白澤さんて、実はすごいんですね…」
「いやだから神獣だからそれなりにすごいんだよ?」
「や、やっぱり恐竜て大きかったんですか…?襲われたりしませんでした…?」
「うん大きかった。時々お話したりもしたよ」
「恐竜とお話…!?」
「ていうか恐竜なら地獄で雇ってなかったっけ?」
と、台所へむけて白澤さんが声をかければ、鬼灯さんの声だけが返って来た。
「雇ってますよ。数は減ってますがね。亡者を呵責する仕事に一役かっていただいてます」
「一体どうなってんですか地獄って!!」
話を聞く限り、私の予想する地獄とはだいぶ形が違うとは思っていたがここまでくるとは。
想像できない地獄の姿に思いを馳せていると、ふとさっきの白澤さんの言葉を思い出す。
獣の姿にもなれるって言ってたよね。
「白澤さん」
「うん?」
「白澤さんて獣…?の姿にもなれるんですよね?ここでも変身できるんですか?」
「うん、なれるよ」
でも、といって白澤さんは続ける。
「この姿は普通の人には見えない。完全に妖怪の姿だからね」
「そうなんですか」
「霊感が強い由夜さんなら、もしかしたら見えるかもしれませんが」
と、いつのまにか台所から戻って来た鬼灯さんが言った。
白澤さんの獣の姿、見てみたい。すごく。
それこそゲームや漫画の世界にたいな設定で、面白いじゃないか。
「見てみたいです!見せてください!」
「うん、いいよ。見えなくってもがっかりしないでね」
「そ、それはまぁ…はい」
「逆に見えない方がいいですよ、これが見えてしまったらそれほど強い霊感を持ってることになってしまいます」
鬼灯さんはそう言うが、私は白澤の獣姿が見たい気持ちでいっぱいだった。ごめんなさい鬼灯さん。それでも自分の好奇心を抑えられません。
じゃあ後ろ向いてて、と言われて素直に白澤さんへ背を向ける。
その瞬間、ふわりと風が吹いた気がした。
僅かに、お香の香りが漂った気がする。
「はい、こっち向いていいよ」
直に鼓膜を揺るがすような声。
声は確かに白澤さんの声なのだが、なにかが違うようなそれに、おずおずと向き直る。
目があった。
どこの、とは言えない。
視界いっぱいに広がる白に、爛々と光る金の瞳。それは一つではなくて、
「………!!」
ぺたりと床へ崩れ落ちた。
「あぁ、見えましたか」
「やっぱり由夜ちゃんのそれは霊感以上だね」
これが見えるなんて、と私の様子を見た二人の言葉。
窓を閉め切っているこの部屋では、冷房くらいしか風を送るものがない。
しかし白澤さんの汚れひとつない毛並は何かに吹かれてたしかに揺れている。
神々しい、の一言につきた。
部屋を埋め尽くす白に、腹回りを彩る金色の瞳に、格の高さを示すような角に。
そしてなにより、妖怪とは一線を引く風格に。
言葉もでないとはまさにこのこと。
「さ、さわってもいいですか」
おずおずと聞けば、同意を示すように白澤さんがその場に足を折りたたみ、頭を垂れた。
僅かに震える手を伸ばし、目がついていない首元の鬣へ触れる。腹の目は全て私のことを見据えていた。
雲をつかむように、細かいそれはとらえることはできない。
少し距離を縮め、両手を広げて鬣へ身体を沈めれば、ふわりとした感触と共に感じた浮遊感。
(この感じ…)
覚えている。
私が悪霊に追われていて、白澤さんに助けられたあの時。急速に意識を失った後。
私は確か、暫くこの浮遊感に揺られていた。
やっと合点がいった。
あの時気絶した私をどうやって市街地まで白澤さんが運んだのか不思議でたまらなかったのだが、きっと獣の姿に戻って、私を乗せて下山してくれたのだろう。
形容しがたい心地よさに、思わず再び眠気を覚える。
そう、例えるならきっとこの感覚は、
(天国にいるような、)
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