▽ 9.涼しくなりぬ
「あ、おはようございます」
「おはようございます」
ドアを施錠していると、お隣さんのドアを同じタイミングで開いた。
なにやら重そうな機材を背負っている。これから大がかりな仕事が控えているのだろうか。
カメラマンをしているお隣さんは結構見るたびに重そうな荷物を持っている印象がある。
「そういえば、橘さん」
「はい?」
「ここ数日、御親戚がお泊りになられてるんですか?」
「ぶっ、違ッ…くないです!そうなんですよ、実は!いや、毎日騒がしくてすみません…」
朝から心臓に悪い話題だ。
いや、いつかはばれるだろうとは思っていたけど、こうも核心をつかれちゃしどろもどろに話さざるを得ない。
あまりに不審な私の態度に、お隣さんも不可思議そうに首をひねっていた。
うん、、そりゃああれだけ騒いでたらばれるわな。
9.涼しくなりぬ
「おかえり、由夜ちゃん」
大幅に早送り。今は学校帰りの駅である。
今日は都心のほうのキャンパスのほうでサークルの会議があった。
この前のこともあって、だいぶ帰り道には気を付けようと思っていたのだが、駅について定期を取出し、さぁ改札を通ろうとしたところ、見覚えのある白いのを見つけて思わず立ち止まったのだ。
「白澤さん…!?」
「えー、このこだれぇ?」
「ねぇカラオケ行こうよぉ。暇だっていってたでしょぉ」
とりあえず、白澤さんが外に出てるっていう事に驚き、さらに彼の周りには都会でよく見かける、私とは無縁そうな女の子の集団が群がっていたのだ。
白澤さんの袖を引っ張るその人たちに、申し訳なさそうに眉を下げて白澤さんは言う。
「ごめんね、僕この子のこと待ってたんだ」
「えぇー、そうなのー?」
そういって、集団の女の子達から恨みやらなんやらが確実に含まれているだろう一瞥をくらう。なんか舌打ちも聞こえた気がする。都会怖い。
やめてください。私だってこんなこと予想していませんでした。なんなら白澤さんをここに置いて帰りたい。
「じゃ、由夜ちゃん行こっか」
「どこへ!?ていうか、なんで白澤さんここにいるんです!?」
そんなこんな思っていると、白澤さんに手をとられて半ば誘導されるように人混みの中にずんずん入っていく。
ただでさえ目立つ白澤さんの恰好は、この人混みの中だ。大いに人の視線を集める。そりゃ、給食当番みたいな恰好の高身長イケメンが歩いていたら誰だって目に留める。
駅の中に入っているデパートのエレベーターの前で止まると、やっと白澤さんが私の質問に答えてくれた。
「実は、由夜ちゃんにちょっと付き合ってもらいたくってさ」
「は、はぁ」
「僕この恰好じゃうかうか外にも出られないじゃん?だから、とりあえずこっちの世の服がほしくて」
「一人で行けばいいじゃないですか」
「えっなんでそんなに冷たいの由夜ちゃん。あいつに毒された?」
ポーン、という柔らかい音が響き、エレベーターが開く。
大人数がぞろぞろと一つの箱へ押し込まれ、満員電車のような状態で上の階へ上る。
たまたま白澤さんの近くにきた若い女の人が、頭一つ分くらい高い白澤の顔を見上げて慌てて目を反らした。赤面して。
(…ほんとにモテるんだなぁ)
たしかに顔は申し分ないもんな、この人。
紳士服の階で降り、周りを見渡す。…うん、なんか、カップル多いね。当たり前か。なんとなく隣の白澤さんの存在を意識してしまって、顔を上げられなくなった。
ふと思いついて時計をみれば、四時三十分だ。
「あの、逢魔が時になっちゃうんですが…」
「ああ、大丈夫、アイツにも言って許可もらってきたから」
「え、そうなんですか」
それだけでだいぶ安心できる。またも言いつけを破って怒られるのはごめんだ。
「アイツもなんか外にでる用事があったみたいだしね」
「へぇ…?」
鬼灯さんが外に出る用事ってなんだろう。あんまり思いつかないな。
そんなことを思いつつフロアを歩いていると、目の前を一組のカップルが通り過ぎて行った。
美男美女だ。大人っぽいお姉さんと、優しそうなお兄さん。お兄さんが紙袋を持っていて、片手は女の人と手を繋いでいる。二人とも幸せそうに笑っている。きっと二人でいるだけで楽しいんだろう。
互いを握った手。恋人繋ぎかなぁ、あれ。リア充乙、末永く爆発してください。
そんなことを思っていると、ふと人肌を感じて思わず飛び上がった。
「うわ!?何!?」
「うん?」
バックを持たない左手を白澤さんが握っている。
「なんです、これ」
「何って、真似っこ?」
あれの、とさっき目の前を通った二人組を目線で指す。
「疑問符ついてますよ」
「いいじゃん、こういう雰囲気ってあるでしょ?」
……どういう雰囲気ですか。体験したことが悲しいことにないのでわかりません。
「あ、未体験だからわからない?」
「そっそうですよ悪いか!!!」
悪かったな恋愛経験値の低さには自信があるんだよ!!と心の中でシャウトすれば、白澤さんはなにがおかしいのか、嬉しそうに笑っている。
「そんなに笑わないでくださいよ!」
「いいじゃん。じゃあ僕が由夜ちゃんの初体験いただきだね」
と、手を少し持ち上げて言うもんだから、思わず顔に熱が集中するのを感じた。
わざとだよ、この人わかってて言ってるよ。
鬼灯さんも一緒にいて身が持たなそうだとは思ったけど、白澤さんも違う意味で持たなそうだ。
今更振り払おうともできないので、仕方なく手を下して、ついでに視線も下方固定。恥ずかしい。
白澤さんの服選びに付き合ったわけだが、この人なんでも似あう。ちょっと付き合っていてイライラするくらい似合う。うらやましいぞ。
店員さんは白澤さんのお着替えを見てベッタベタの褒めちぎるわけだから、私も最初の方は真面目に彼の恰好について考えていたのだが、もう後半あたりからはどうでもよくなってきたので店員さんに丸投げだ。
彼女の買い物に付き合う彼氏の気持ちはきっとこんな感じなんだろう。
そりゃあ、元がいいんだもの。何着せても似合うわけだ。
やっと買い物が済んだらしく、紙袋さげて戻ってきた白澤さんをげんなりと出迎えた。
今の彼は、今まで着ていた白衣を折りたたんで紙袋にいれており、その代わり、ここで買った服を身に着けている。中に黒のVネックTシャツ、その上から白の五分袖シャツをカーディガンのように羽織り、下は同色のパンツ。
やっぱり全体的に白いな。
「おまたせー」
「…随分買いましたね…」
「うん?まぁね。疲れちゃった?」
「主に待ち疲れです」
そういっても悪びれることなくごめんごめんとにこやかに笑って言っていた。付き合ってくれたお礼、と白澤さんの発案(奢り)で帰りにスタバによることに。
ていうか、彼の口からサラッとスタバという単語が出てきたことに私は驚きだ。
「白澤さん…よくスタバとか行かれるんです…?」
「うん、現世にきたらよく行ってる。女の子って好きだよね、あそこ」
やっぱり理由はそれか。まぁそうだろうと思ってたけど。
とにかく名前がややこしいことで有名なここだが、白澤さんはなんの抵抗も感じずに注文をしていた。順応能力はんぱない。
「由夜ちゃんなににする?」
「え、えーと私は…」
慌ててメニューに目を通す。ややこしいフラペチーノの類へ目を滑らせていたが、
「…あ」
「どうしたの?」
ふと声に出してしまっていたらしい。白澤さんが私を見て首を傾げていたので、鞄をあさりつつ答える。
「あの、白澤さん、もう一杯買ってもいいですか、こっちは自腹なので」
「え?いや全然かまわないし。むしろもう一杯くらい僕出すって」
「すいません、これ一つと、会計で別で同じのもう一つ。……いや、私が飲む分じゃなくて、鬼灯さんにも買っていこうかと」
そう言えば、案の定白澤さんの顔が引きつった。
買って帰ったら、きっと鬼灯さんも喜ぶだろうし。
いや、だって、白澤さんに計三杯買ってもらったら、白澤さんが鬼灯さんにも一杯おごったことになるじゃん。そんなの絶対本人嫌がるだろう。
帰り道、買った飲み物を飲みつつ歩いている中、大分口数が減った白澤さんが思いついたように言った。
「由夜ちゃんてさ、今まで彼氏とか作らなかったの?」
「は!?」
いきなりぶっとんだ質問である。
言うまでもなくそんな経験ない私は、この屈辱的な質問になんて答えればいいの。
「………白澤さん」
「なに?」
「察してくださいよ」
半ば睨みつけてそう言えば、上から不可思議そうな回答が返ってくる。
「いや、パッと見達者じゃないとは思ってたんだけどさぁ、思ってたより思い通りじゃなかったから」
「思い通り?」
夕日の照らされ、少し濃い影が白澤さんの顔に落ちる。うーん、こっちの話。と言って空を見上げた白澤さんの耳飾りが動きに合わせて揺れた。
それ以降なにも言わないので、私も特に追求することなく再び前を向いた。
すると、住宅街の人気があまりない通り。二人ほど、誰かが立っているのが見えた。正しく言うと、一人は立っていて、一人は座っていた。
近づけば、見覚えのある後ろ姿である。
「…鬼灯さんなにやってんですか」
「由夜さん」
鬼灯さんは、しゃがみこんでおばさんが連れているゴールデンレトリバーを撫でている所だったのだ。このゴールデンレトリバー、とても人懐っこいようでごろりと地面に転がってお腹を見せている。その上ちぎれんばかりに尻尾を振っている。
そのゴールデンのお腹を、鬼灯さんは慣れた手つきで撫でまわしている。喜んで鬼灯さんの顔を舐めてきても、特に嫌がる素振りは見せず頭を撫でる。
見てるだけじゃついに我慢ならなくなったので、私も飼い主さんから許可をもらってゴールデンの毛並を満喫する。このフサフサ感。モフモフ。可愛い!
存分に触ったのち、おばさんとゴールデンとお別れし、もうすぐそこのマンションを目指した。
「鬼灯さんて、犬好きなんですか」
「犬というか、動物は好きですね」
「へぇ…意外」
「こいつ、動物にしか優しくないからね」
白澤さんがそう言えば、またも二人で言い争いが開始する。この二人なにが発端で喧嘩になるかホントわからないんだけど。
一応距離をとりつつ、鬼灯さんへ話しかける。白澤さんの耳飾りをめっちゃ引っ張ってるけどアレ大丈夫かな、白澤さんの耳。
「由夜さん、これと出かけたそうですが、大丈夫ですか?何もされませんでした?」
「大丈夫です大丈夫です!!」
「そんなすぐ手ェ出すわけないだろ!!ただ買い物行っただけだよ!!」
「そうですか。じゃあ一発殴らせろ」
「結局殴られるのかよ!!」
路上で痛々しい音が響いたが、もう私に止められるすべはない。アーメンと手を合わせるのみである。
マンションにつき、ドアを開けて我が家へ。
ああ、なんか久しぶりに何事も起こらず家に帰れたなぁ。
なんでこんな事を幸せに思うようになってしまったか…と途方に暮れていると、白澤さんが手を洗って戻ってきたらしい。
鬼灯さんは携帯を持ってベランダヘ行き、またも地獄へ連絡を試みている。
「由夜ちゃん、今日はついてきてくれてありがとね」
「いや大丈夫ですよ」
そしてふと気がついた。
白澤さんに振り回されてたから気が付かなったけど、今日逢魔が時に出歩いても何事もなかったのって、白澤さんが一緒にいてくれたからかな。
「また今度一緒に行こうよ。次は由夜ちゃんの買い物に付き合うから」
そういって、今日で何人の女の人を虜にしてきたのかわからない微笑みを見せる。あぁ、やっぱりかっこいいなぁ。
「そうだなー…」
今のところ特にほしいものなんてないけど、洋服久しぶりに買いに行きたいなぁ。
あ、そういえば、東京で初めて他人と買い物したな、今日。
田舎にいたときは、家族と買い物とかしなかったし。
こんな風に、みんなで買い物するのも楽しいかもしれない。
「また行きたいですね、今度は鬼灯さんも一緒に」
「…………。」
隣の白澤さんから返事がない。
あ、そうか、白澤さんは鬼灯さんとできるだけ一緒にいたくないもんなぁ。忘れてた。
すいません、と謝ろうとしたら鬼灯さんがベランダから出てきた。どうやらまたダメだったらしい。多少ナナメに傾いたえあろう鬼灯さんの機嫌をなおすため、冷蔵庫からさっきスタバで買ってきた飲み物を持ってくる。
「鬼灯さーんお土産でーす」
「……どうも?」
疑問符をつけながらも、一応受け取ってもらえた。今日の買い物帰りにスタバに寄ったんです、といえば、
「あぁ、美味しいですよね。抹茶のフラペチーノとか」
「…鬼灯さんもスタバユーザー?」
「現世調査で来たときによく飲みます」
ありがとうございます、といって飲み物片手にキッチンへ入る。
ていうか、白澤さんといい鬼灯さんといい、なんでこうもこの世の俗っぽい事柄に詳しいんだ。下手したら私より知ってるぞ。
なんか負けた気がしたなぁ、と思っているとキッチンからお呼びがかかる。
「由夜さん、何か作りますから、手伝ってください」
「あ、はーい」
「由夜ちゃんもいい加減、なんか一品作れるようになんないと。お嫁にいけないよー」
「うううるさいです白澤さん私だって頑張ってるんですこれでも!!」
そう、私の料理の腕のレベルの低さを知った二人は、私の代わりに毎食作ってくれるのだ。鬼灯さんの作る料理(基本和食)はめっちゃおいしいし、白澤さんの作る料理も言わずもがな美味しい。
薬膳粥つくってあげる、といわれいまいちてピンとこなかったのだが、これが死ぬほどおいしかった。
そして女として負けた気しかしないので、一日交代制でご飯を作ってくれる二人を、私はお手伝いする形で料理を学ぶこととなった。
野菜刻んでおいてください、と言われその通りに包丁を握って切り始める。最初は持ち方が違うと怒られて(オカンだとしみじみ思った)、それ以来一度も間違った扱いはしていないはずだ。
「ニンジン出しといてください」
「はーい」
「あと鍋も」
「はーい」
「使い終わったら洗う」
「ごめんなさーい」
「…なついてるなぁ」
いつの間にかいたのか、白澤さんがこちらを覗いていた。なついていると言われた。なんかその言い方動物みたいで気に食わん。
「邪魔です白豚さん」
「なにもしてないだろ」
「存在が邪魔です」
「そういわれたら意地でも留まっててやる」
「由夜さん、酢豚とか食べられます?」
「白澤さん逃げて超逃げて!!」
あやうく人肉(?)が食材になるところだった。鬼灯さんが、包丁を脱兎のごとくキッチンから逃げ出した白澤さんへ投げつけようとしたので私が身を挺して庇った。白澤さんには後で感謝してもらいたい。
まぁ、これ以上、家の中で乱闘騒ぎになったらたまらないっていうのが本音だけども。
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