小説『植物図鑑』のパロディです。
これこれの続き、ラストです
大丈夫な方はスクロールをどうぞ

























言ってやりたかったことが沢山ある。いきなり消えられたことにどんなに怒ったか。どれだけ悲しい、寂しい思いを味わったか。私は錫也の住所もフルネームも知らないのに、ご丁寧に予備で渡していた合い鍵をトドメのように送りつけてきたことだって許せない。
だからもしまた顔を合わせる日が来るなら、絶対に怒鳴ってやろうと決めていた。それなのに、そんな捨てられた仔犬みたいな顔されたら怒れないじゃないか


「…すず、や」
「……月子。もう一度、俺を拾ってくれませんか」
「………………」
「吠えたり咬んだりいたしません。躾の出来た良い子です」
「………」


あの日とおんなじ言葉、おんなじ笑い方。気付かなかったよ、あなたがそんな寂しそうな眼で笑っていたこと。
あの夜はアルコールで。今度は別の原因で、クリアにならない視界に滲んでいく錫也の声。


「もう、間に合わないかな」
「……ばか。吠えたって、咬んだって良いんだよ」
「え」
「勝手にいなくなっちゃわないなら、何だって良い…っ!!」


―――まるで首輪みたい。
うずくまっていた錫也の首に腕を回して、ありったけの力を込めて抱きついた。


「…ごめん。ほんとに、ごめん」
「…っ…!!」
「もう、いなくならないよ。絶対に帰って来る。それと、隠しごともしない。全部月子に聞いて、知ってて欲しい」
「当然だ、ばか…っ!!」
「イエスって返事だと解釈するよ。…なぁ、部屋に入って良い?」
「…『入って』じゃなくて『帰って』でしょ。錫也のばか」
「……うん。本当に、ばかだったと思う。…ありがとうな、月子」


ぎゅうぎゅう締め付けるみたいに抱きつく私を、これでもかってくらい優しく撫でてくれる手のひらにまた不安になる。そんな簡単に、解けるように触れないでよ。この腕の中以外に行きたい場所なんてないんだから、どこへも行けないように抱きしめてよ。

「……落ち着いた?」
「何で私がこうなったのか、誰のせいか分かってないようならめいっぱい教えるよ」
「…うん。ごめん」
「もうそれはいらない」


くっついたままで部屋に入って、荷物なんか適当にほっぽってずるずると床に座り込んだ。涙は落ち着くなんてことを知らなくて、未だぐずぐず泣いてる私を錫也は戸惑ったように撫で続けてる。
壁を背にして座ったその腕の中に収まるように離れない私の肩に、ぽつりぽつりと優しい声が降る。


「……なあ。俺の話、聞いてくれるか?」

まずはフルネームから。
続けて家の話、家族の話。子供の頃から今まで。月子と出会う前何をしていたか。一緒に暮らしていた間、どんなことを考えていたか。どんな風に感じていたか。何を思いどう過ごしていたか。伝える練習をして来た筈なのに、何度も詰まって途切れてしまう。


「…ゆっくりで良い。全部きくから、ぜんぶはなして」
「………うん。」


まだ涙を滲ませて、声だって泣きすぎて鼻声気味になってる。だけど急かすでもなく俺のシャツを握った手に力を込めて、離れないって意志表示してくれる。
それが堪らなく嬉しくて、また少しず塊を吐き出すように話し続けた。

この部屋を出た理由。出て、それから。嘘をつかなくたって、幾らだって格好はつけられる。弱く汚い場所や惨めな顔は見せずに蓋をしてしまえば良い。
だけどもう、これ以上ないくらい卑怯な真似をして一度はここを出たんだ。だから隠すつもりもない。何より、真ん丸い瞳がちいさく言うのだ。だいじょうぶだよ、ゆるすから、こばまないから―――
言葉を手探りする子供みたいに、何度も躓きながら。情けなく震える声を繋げて、連ねて、溜まり続けた澱を晒した。


「―――これでやっと俺は、ただの『東月錫也』になれた」

また、ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。そこに言葉はないけれど、体全部から伝わる温度と、肩を濡らす涙が教えてくれる。
ああやっと、俺は帰って来れた。


「…たった今話した通り、もう絶縁されたようなものです。味方だったじいちゃん達が俺に譲るって言ってくれたのは、星が綺麗な田舎の畑と古い民家です。」
「……うん。」
「それも元気なじいちゃん達だから、継ぐのは大分先になるだろうけど。…当分は、この町の大学の講師です。給料はそんなに良くないけど、でも」
「私は贅沢はいらない。また休みの日に一緒に外へ出かけられたらそれで良い」


肩に埋められたまま、くぐもった声。一度だけ深呼吸をして、続けた。

「なあ、月子。俺と家族になってくれませんか」
「………ばか」
「…つき、」
「言い方がだめ。何で、ここに来てまだ私の逃げ道をつくるの」


ぎゅう。首に回された腕に力が籠もる。そして囁かれる、甘い束縛。

「私はもう錫也を放したくない。錫也から離れたくない。いつでも手放せる準備なんてしないで…はなさないでよ…」

くらくらする。咲き乱れる花の中に迷い込んだみたいに、瞬く星に呑み込まれたみたいに。蜜のように甘く、光のようにあたたかい言葉。

「…家族になって。傍にいて、一緒にいて。俺だけの月子になって」
「…っ……」
「いまさら放してやれないから、イエスをちょうだい」










君がいるから生きていきたいよ。
さあ一緒に、素晴らしい世界で息をしよう


20110915

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