小説『植物図鑑』のパロディです。
こちらの続き。
大丈夫な方はスクロールをどうぞ

























寒くて、腹が減ってお金もなくて。
ぼろぼろの体とぐちゃぐちゃの頭では判断能力なんて擦り切れて、無理矢理進めて来た足はついに歩みを止めてしまった。ずるずると倒れるように着地した地面はひんやりと冷たく、体温ごと絞り滓みたいな体力を奪っていく。
ああ、もうだめだ。そう思った瞬間感じた、やわらかい熱。

「……………」
「……………」

見つめ合うこと約五秒。
通路にはみ出てた手を握ったのは、頬を染めた女の子だった。ふわり香るアルコールに、彼女が酔っていることを知る。

「………行き倒れ?」
「…うん」
「帰るところ、ないの?」
「…そう。」
「捨てられたの?」
「……………」
「いっかい家族になったら、ちゃんと最後まで一緒にいなきゃいけないのにねぇ」
「………ものすごく、酔ってるでしょ?」

えへへ、うん。あたり、
まるでちっちゃな子供みたいににへら、と笑った彼女は握ったままの俺の手を酔いのテンションに任せてぶんぶん振る。

「…ね、酔っ払いさん」
「んー?」
「お行儀良く、吠えたり咬んだりいたしません。躾の出来た良い子です」

だから、拾ってくれませんか。
言って笑えば、彼女はまた楽しそうに笑って俺の手を引いた。立ち上がって並べば肩よりも低い位置からにこにこと見上げて来る視線にぶつかる。

「よし、私のお城にしゅっぱーつ」




普通じゃない。間違いだらけの、おかしな出会い。
目を覚ました彼女は昨晩のことを綺麗さっぱり忘れていて、危うく悲鳴を上げられそうになった。だけどゆっくり言葉をかければ、どうやら欠けたピースを見つけ出したらしい瞳がゆっくりと合わされる。
用意した食事を見て一気に涙ぐんだり、口にした瞬間の嬉しそうな顔。酔っていた間ずっと浮かべられていた笑い顔がまた見られたことにほっとした。
目を覚ましてから、くるくると目まぐるしく変わる表情は見ていて飽きない。そうして。

「…ここで、一緒に住まない?」

お人好しにも程がある、寂しがりな彼女によって提案された信じられない話。一瞬でも喜びかけた自分をひた隠しにして、どうにか平静を保って説得してみても、ことごとく言い返されてしまう。
だけど、もっと簡単に断れた筈だ。拒絶してしまえば、切り捨ててしまえばそれで終いの筈なのに。
結局そう出来なかったのは、俺も寂しかったからなのかもしれない。

「私はツキコ。月の子ども、で月子だよ。よろしくね、錫也」

一生懸命に腕を伸ばして俺を撫でる手のひらが、やわらかく浮かべられる笑顔が、やさしく俺を呼ぶその声が。
どうしようもなく、温かかった。




誰かの帰りを待つほんの少しのさびしさと、「ただいま」と言われるこそばゆさと、疲れた時に素直に甘えてくれるくすぐったさ。
必要とされることがこんなに嬉しくて、満たしてくれるなんて知らなかった。分からないで、歩き続けていた。
他愛ない話をしながら一緒に食事をとって、休みの日にはいろんな場所へ出かけた。同じものを見て、同じものを聴いて、同じものにさわって。

傍らに誰かがいることが、こんなに手放し難い幸せだったなんて。




ごめん、ありがとう。

何度も何度も考えて、書き直して、やっと書けたたったの二言。
「貯金の目標額に到達したから」とか、「住み込みのバイトを見つけた」とか、もっともらしい嘘だっていくらでもつけた筈なのに。
隠し事だらけで始まった関係をこれ以上嘘で汚したくはなくて、結局はっきりとした言葉は何も書けなかった。

「狡いな、俺は…」

荷物は全部処分した。一緒に買いに行った収納用具も、服も何もかも。俺がいた時間ごと消すみたいに、片っ端から捨てていった。
だけど、一緒に開いた図鑑や一緒に作ったプラネタリウムにまでは、手を出せなくて。あれは月子のものでもあるから、そんなのただの言い訳だ。覚えていて、忘れないでいて欲しいだけ。手紙と一緒に残したレシピノートだって同じこと。
一緒にいられなくたって、どこか影響を及ぼしていたいだけだった。

何より心惹かれたのは土に根を張り芽を伸ばす野の草で、目を奪われたのは遙か夜空に灯る星だった。
由緒ある華道の家元、その息子。そう生まれた人間として許されなかったそれを彼女は、月子は、嬉しそうに受け入れてくれた。一緒に見つめて、知って、笑ってくれたから。知らずにいた喜びを、くれた。
ただ満たされる一方で、ざわざわと背筋を這い上がる影がある。いつ道楽から足を洗うのかと干渉する父親の言葉、能力こそあれど熱意のない俺を刺す弟や妹達の冷えた視線。―――いつまでも逃げていられない。

もっと知りたいことがある。もっと知って欲しいことがある。それは、月子の。それは、俺の。
全部を許してもらうには俺は、あまりに隠していることが多いから。沢山のことから、逃げすぎていたから。だからこうやってまた、月子の元すら逃げ出した。

「…怒ってるかな」

甘えたがりな癖に甘え下手。でも寂しいのを何よりも嫌っていたのに。
そんなあいつを、突き放せないまま手放してはやれないままで投げ出した。

「…っ…」

考えれば考える程、自分の卑怯さに嫌気がさして。お守りみたいに持って来てしまった予備の合い鍵を、ある日衝動的に送りつけた。
こんなに勝手で卑怯な俺を、待っててなんて言える筈がない。たった一本の鍵で縛り付ける権利なんて、俺にはない。だけど、それでも、俺は

「かえりたい…」

帰りたい。戻るんじゃなく、帰りたかった。
他のどこでもない、他のどこにもないあの部屋へ。彼女の元へ、かえりたかった。

離れて半年が経つ。もうこれ以上、ここには止まってはいられない。立ち向かう為に戻って来たのだ。逃げ続けた影と決着をつけ、今度こそ真っ直ぐ彼女と向き合いたかった。

「……父さん、今日こそ話を聞いてもらう。俺は―――」




使




君がいなくても生きていける。
だけど、一人じゃ上手に世界が見えない


20110915

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