小説『植物図鑑』のパロディです。
大丈夫な方のみスクロールどうぞ

























酔っていた。それはもう、盛大に。
足取りこそ確かだったものの、思考はやたらとふわふわしていた。
一月がかりで取りかかっていた仕事が遂に手を離れ、部署の皆で祝勝会の如く盛大に飲んだ。それが、昨日の話。
幸いなことに頭痛やどこでぶつけたか覚えていない痣なんかはない。その代わり、記憶にない後ろ姿。

「…あ。目、覚めた?」
「っ…あの…えっと、」

どうしよう。
その五文字が頭の中をぐるぐるぐるぐる回って、言葉が上手く組み立てられない。ここは私の部屋で、私のベッドで、あの人が立ってるのは私の部屋の台所で、私は、一人暮らしで―――

「っ!!」
「ストップ!」
「!」
「…覚えてないかな、昨日の夜。相当飲んでたみたいだけど」

ぱちん。その一言をきっかけにして、まるで魔法をかけたみたいに私の思考回路がクリアになっていく。

「…エントランス前の生垣に、行き倒れてた…?」



『お行儀良く、吠えたり咬んだりいたしません。躾の出来た良い子です』

だから、拾ってくれませんか?
ふにゃり。そんな擬音が似合いそうな笑顔でそんなことを言われたのが決め手だった。



「そ。誓って手は出してません。俺は居間の床借りたし」
「え、や、うん…」
「驚かせちゃってごめんな。台所勝手にいじったのも」
「…ごはん、作ってくれたの?」
「一晩の寝床を借りたからには、何か返したかったからさ」

テーブルに並んでいたのは、久々に見る誰かの手料理。一人暮らしを始めて随分と経つものの、時間的な余裕以上に私は料理の腕がなかった。
ほかほかと湯気を立てるコンソメのスープとシンプルなオムレツ。たった二品のそれにお腹の虫とそれ以上に涙腺が刺激されて、私は思わず涙ぐんでしまう。

「!ごめん、やっぱり俺、」
「違う…何か、こういうの久々で…」

嬉しくて。
ごしごし目元を拭いながら答えると、途端安心したようにふにゃりと笑う。ああ昨日の私は、この笑顔にどうしようもなく惹かれたんだ。

「…おいしい。」
「それは良かった」

オムレツとスープ。至って簡素な朝ご飯を挟んで向かい合って、ぽつりぽつり記憶を辿るようにお互いについて話した。ここから電車で三十分程かけて会社へ通っていること、家事は苦手なこと。彼が旅の真っ最中であること、家事は性分のように得意なこと。
一時間足らずで私達の距離は大きく詰められた。だけどお互いが手にしている情報は、思っている以上に少ない。

「今後のあてはあるの?」
「うーん…住み込み可か日雇いのバイトを見つけられたら、それが一番良いんだけど」
「…ここら辺は、あんまりそういう所ないと思う」
「あ、やっぱり?…昨日ちょっと回ってみて、そんな気はしたんだよなあ」
「……………」
「部屋借りるって言ってもなあ…移動してみるしかないか」
「あの、」
「ん?」

あれ私、何を口にしようとしてるんだろう。昨日会ったばかりで(しかもその記憶はほとんど無い)、素性なんてほとんど知らないに等しい。そんな彼に私は、とんでもない話を持ちかけた。

「…ここで、一緒に住まない?」
「……………は?」
「ここね、外装は古いけど中は改装したばっかりだから綺麗だし。駅から距離あるけど、元々が新婚向けの集合住宅だから余裕あるし、その」
「ストップ。…あのさ、自分が何言ってるか解ってる?」

今までずっと落ち着いていた彼の瞳が、真ん丸く見開かれる。あ、ちょっと珍しい綺麗な眼してるなぁ。差し込む光の加減で、いろが変わる。

「…一応、うん。解ってるつもり」
「俺としては有り難い。非常に助かる話だよ。でもダメ」
「…どうして?」
「あのさ、君は女の子なんだよ?しかも若くて、はっきり言って可愛いと思う。そんな子の一人暮らしに、ろくに身元も知らないような男を転がり込ませちゃダメだろ」
「…でも、昨日は」
「それは俺が悪かったんです、ゴメンナサイ。正直、体力とか判断力とか諸々が限界だったし」

ぺこり、と律儀に下げられた頭。それでも私はまだ譲れなくて、つい伸ばした指でそのつむじをぐりっと押した。

「!?」
「襲うんなら昨日のうちに出来た筈だよ。私べろんべろんだったし」
「……………」
「さっきの寝ぼけてる時だってそのチャンスはあったでしょ。お金が目当てだったら、私が寝てる間にカードとか通帳を持ってっちゃえば済むじゃない」
「それは、」
「それをしなかったあなたは、少なくとも悪い人じゃないと思う。…良い人かまでは、わかんないけど」

それにね。一人暮らしがいい加減寂しくなってた所に、こんなご飯で胃袋つかまれたら私あなたが惜しくもなるよ。
もう一度上げられた視線を真っ直ぐに受け止めながら、ぼそぼそと最後は早口でまくし立てる。

「……………」

ああ、やっぱり呆れられたかな。自分でも無謀だってわかってるし、友達が聞いたら呆れるし思いっきり怒鳴るだろう。
それでもどうしてか、ほっとけなくて。

「………俺の名前は、スズヤです。」
「え?」
「金属の錫に、也の方のヤで錫也」
「え、あの、」
「一緒に暮らすなら、名前知らなきゃ不便だろ?」
「!」
「とりあえず移動資金と貯金がある程度貯まるまで、だけど…よろしくお願いします」

ぺこり。もう一度下げられた頭を今度は、『よろしく』の意味を込めて撫でた。

「私はツキコ。月の子ども、で月子だよ。よろしくね、錫也」




知らなかった訳じゃないけど、忘れてしまっていたこと。
へとへとで開けたドアの向こうが明るい時の嬉しさ。「おかえり」って言ってくれるあったかさ。疲れて頭がぐちゃぐちゃしてパンクしそうになった時、泣いて寄りかかれる場所がある安心感。
ゆっくりご飯を食べて、ちゃんと眠って。お休みには買い物や散策兼ご飯調達。暗くなったら星を見て、天文学の専門知識や星座にまつわる神話をたくさん話した。

隣に誰かがいることが、こんなにくすぐったくて幸せだったなんて。




別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。
花は毎年必ず咲きます。

明治の文豪が遺したその復讐法もどきは、植物に限ったことじゃなかった。
一緒に採りに行った食べられる草花や、名前を教えてもらった花。だけどそれ以上に、見上げた先広がる空に灯る星だって、ずっと。

「…ばか。   、」

何度も、何度も呼んだ大好きななまえ。口にしたら、音にしたらいよいよ我慢が出来なくなってしまいそうで、小さく絞り出すように息だけを吐いた。
だけどやっぱり堪えきれるはずもなくて、決壊した涙腺から洪水みたいに涙が流れていく。

「ばか、すずやの、ばか…っ」

同居生活をスタートして間もなく、錫也が見つけて来た深夜のコンビニバイト。一方的に嫉妬した同じシフトの女の子と、その子からプレゼントされたブランド物のハンカチ。錫也に釣り合っているけど似合わないそれに、勝手にいやな気持ちになって、けんかした夜。目も合わせず口も利かなかった翌日は、渦巻く妬きもちと寂しさでぐちゃぐちゃだった。
始まり方が普通と違った気持ちは、どう伝えて良いのか解らなくて。
だって私、錫也の何も知らない。名前だって、苗字は知らない。家族構成も、どんなものが好きなのかも、ほんのちょっとしか知らなかったんだもの。
だけど私がぶつけるみたいにあげた気持ちを、あの日ちゃんと受け止めてくれた。包むみたいに、守るみたいに受け取って、同じだけのあったかさをくれたのに。


ごめん、ありがとう。

たったそれだけが、丁寧な字で記された一筆箋。
並べて置かれていたのは渡した筈の合い鍵と、一緒に作ってきた料理のレシピだった。私の不器用っぷりはいちばん知ってた癖に。奥に仕舞い込まれたレシピブックを見て、苦笑いしてたのは錫也じゃない。
部屋にあった錫也のものは皆きれいに処分されていて、まるで長い夢でも見ていたかのような気分になる。だけど、買い物に付き合ってもらって一緒に選んだ服がある。一緒に開いた植物図鑑、天体図鑑、星座早見盤。全部、本棚の一番引き出しやすい場所に並んでる。
科学雑誌の付録についていたピンホールプラネタリウムは、休日を丸一日潰して二人で作った。天気が悪い日は電気を消して、床に寝そべってお腹が空くまで星を見て。喋ることもしないでただ静かに星を見上げるその時間が、すごく好きだった。

「はっきり言ってくれなきゃ、わかんないよ…」

置いて行くならいっそ、はっきりと切り捨てて欲しかった。ごめん、ありがとう。再会を信じさせてくれる言葉も、明確な終わりを突きつけてくれる言葉もない。希望も絶望もくれないなんて、ずるい。
言葉にしたらまたぼろぼろと涙が生まれて、視界がにじむ。

「…っ…!!」

昼は草花、夜は星。
どこを見たって面影がある。探してしまう。
一緒に過ごした分だけ、私のからだはその時間で構成されてる。作ってくれたご飯も、教えてくれた植物や星の知識も、ひたすらに優しくさわってくれた手の温度も。








あなたがいなくても生きていける。
だけどね、一人じゃ上手に息が吸えないの


20110909

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