ビターメルトな日常

リヴァイ兵士長の補佐官はすこぶる優秀である、というのが兵団内外の共通認識であった。
ナマエ・ミョウジ、ハンジと同期の彼女は幾つもの死線を潜り抜け、巨人討伐補佐数は5本の指に入るほどの実力者だ。
変人奇人揃いの調査兵団の中において、常識的かつ朗らかな性格は団長のエルヴィンからも重宝されており、部下たちからの信頼も厚い。
ある晴れた日の昼下がり、エレンはそんな彼女とリヴァイの姿を見つけ、駆け寄ろうとした足を咄嗟に止めていた。

「ナマエ、そういやあれどうした」

「明日には申請許可がおりるはずです。その後はハンジのところと共同管理になるかと…」

「ちょっと待て。クソメガネに見せたら色々弄られて原形留めねぇだろうが」

「モブリットの管理下に置くように伝えているのて大丈夫ですよ。せっかくの新しい模型ですもの、新兵たちの訓練にちゃんと使わせてあげたいですからね」

「…ならいい。それから頼んでおいたあの話だが…」

「はい、順調です。あとはどれだけ支援を得られるか、ですね」

「その辺はエルヴィンがうまくやるだろ。お前は手筈を整えるだけで構わねぇよ」

「了解です。あ、あと先日言っていた件ですが…」

「あれなら急がねぇ。見極めにも時間が掛かるだろ」

「ありがとうございます。次の壁外調査の結果を見てから考えようかと思っています」

「了解だ。お前に任せる」

リヴァイとナマエの会話を耳にして立ち竦んだエレンは、隣で立体機動装置の準備をしていたエルドに向けて声を潜めた。

「あの、エルドさん…?ナマエさんと兵長って、いつもあんな感じなんですか?」

「あんな感じ、とは?」

「だから…あれとかそれとか例の件とか…そんな適当な言葉で会話が成り立ってるんですが…」

「ああ、すごいよな、あれ。ナマエさんにしか分からないだろうなあ」

「いや、そのナマエさんの曖昧な言葉にも兵長しっかり答えてるんですが…」

「あの二人の付き合いは長いんだよ。確かリヴァイ兵長が兵士長になったと同時に補佐官についたらしいぞ」

目を細めて二人の後ろ姿を見守るエルドからは、二人への絶対的な信頼が窺えた。エルドだけではない。通称リヴァイ班の他のメンバーも、リヴァイとナマエには命を預けてもいいという覚悟が滲んでいたことに、最初は驚いたものだ。

「そうなんですか…」

「あのリヴァイ兵長があそこまで信頼して背中を預けるのは、エルヴィン団長の他にはナマエさんくらいだろ。なんでも兵長の部屋の合鍵も持ってるらしいぞ」

「えっ…!?お二人ってそういう関係なんですか…!?」

衝撃の事実に素っ頓狂な声を上げてしまう。
親しいとは思っていたが、まさかあの二人は恋人同士というやつなのだろうかと思わずエルドに詰め寄った。

「それが兵団七不思議の一つだ」

「はあ…?」

「付き合ってないらしいんだよ、あれで」

深々と溜息を吐いたエルドが視線を上げて二人の姿を目で追うのに釣られ、エレンも呆然としながら見つめた。書類を覗き込みながら真剣な顔で顔を寄せる二人の間には、誰も入り込めないような雰囲気が流れている。

「…大人って難しい」

ポツリと呟いたエレンの背中を、エルドが笑いながら軽く叩いて励ました。そんな大人と少年の後ろからペトラがにょきっと顔を出す。

「エレン、兵長とナマエさんが気になるの?」

「わっ…ペトラさんっ!びっくりした…」

「気になるよねぇ、あの二人。素敵よねぇ…」

「あ、あのペトラさん…?」

にっこりと笑うペトラの意味ありげな視線を受けたエレンがひくりと頬を引き攣らせる。
ちょいちょい、と手招きして内緒話の構えを取った彼女に恐る恐る耳元を近づけた。

「ナマエさんね、私たちの前…というか部下の前ではリヴァイ兵長に敬語使ってるけど、二人きりの時やエルヴィン団長、ハンジさんの前だと兵長のこと呼び捨てにしてるんだよ」

「えっ、えええ!?」

「それは知らなかったな。ペトラ、本当か?」

「うんっ、この耳で聞いたもの。あと団長やミケ分隊長のことも呼び捨てにしてて、敬語じゃなかったの」

「ほう…ナマエさんも古参メンバーの一人だもんな。俺らの前では上官を立ててるってことか」

感心したように腕を組んだエルドに大きく頷いたペトラ。驚きのあまり口を半開きにして固まるエレンに、彼女がキラキラとした目を向けた。

「あれは…私が兵長に頼まれて会議室の準備をしていた時のことだったわ」

幹部を含めた主だったメンバーが集まる会議室の準備をしていたペトラは、お茶の用意もしておこうと会議室の隣にあるキッチンに籠っていたらしい。
そこにエルヴィンを始め、リヴァイやナマエ、ハンジといった会議参加メンバーが入ってきたという。

「…でねっ、巨人の質量問題を解決するにはやっぱり捕獲しかないと思うんだ。頼むよエルヴィン!」

「それについては何度も話し合っただろう。壁外調査のためにも兵士を削るわけにはいかない。もう少し人員が増えたら…」

「万年人手不足の調査兵団に潤沢な人員の時期なんてないだろ!ねぇ、リヴァイからもなんとか言ってやってよ」

「…俺を巻き込むな」

「ハンジ、気持ちは分かるけど時期尚早じゃないの?それならまず犠牲を出さない作戦を練ってエルヴィンに突きつけなきゃ。聞く耳もたないよ」

「もちろん考えてるよ!それにはリヴァイとナマエの力が必要不可欠なんだ。協力してくれる?」

「私はリヴァイの補佐官だからね。まずリヴァイが許可を出して、エルヴィンがゴーサインを出したらいくらでも協力するよ」

間に答えた女性の声がナマエだと気がついて、ペトラはお湯を用意する手を思わず止めてしまった。ハンジと同期で気安い関係なことは知っていたが、エルヴィンやリヴァイを呼び捨てにしているのは初めて聞いたのだ。

「…んな成功率の低い作戦への参加、許可するわけねぇだろ。諦めろ」

「んもうケチ!頭が固いんだから!」

「全員が全員、ハンジみたいに頭が柔らかかったら今ごろ誰も生き残ってないでしょうね。これくらいがちょうどいいんだよ」

「ま、ナマエの頑固さには負けるけどね」

「…?なんのこと?」

ガタン、といくつか椅子が引かれる音がした。別に隠れていた訳ではないがどうにも出て行きにくくなってしまって、沸騰したお湯を前に固まってしまう。

「いくらリヴァイの補佐官だからって、みんなの前では頑なに距離を取ってさ。昔からの付き合いなんだからいいじゃん、エルヴィンにもリヴァイにも敬語なんて使わなくても」

「…あのね。そんなんじゃ他の兵士に示しがつかないでしょうが。一応エルヴィンだってリヴァイだって、私の上官にあたるんだよ?」

「オイ、一応ってなんだ一応って」

「ははっ、ナマエらしいな」

呆れたようなナマエとリヴァイの声に、楽しそうに笑うエルヴィンの声が重なる。本来のナマエと彼らの距離はこんなに近いのかと、軽い衝撃を受けたペトラはにやける口元を抑えられなかった。

「こいつには何言っても無駄だ。俺がいくら堅苦しいからやめろって言っても何年もこのままなんだからな」

「リヴァイ、言っておくけどもし私がいつも通りに接したら、リヴァイが掃除に費やせる時間は半減すると思ってね」

「…チッ」

「はははっ、リヴァイにとっては今くらいナマエが大人しい方がいいんじゃないの?じゃないと気がついたらナマエに衣食住全部世話してもらってるかもね。うちのモブリットみたいに」

「黙れクソメガネ。うちの補佐官をてめぇみたいな非常識奇行種と一緒にすんな」

「それこそリヴァイに言われたくないね」

べ、と舌を出したらしいハンジに苛立ったリヴァイの雰囲気が伝わってきた。そこにガチャっと音を立てて、更に誰か入ってきた気配がする。
お茶を用意したはいいものの、益々出るタイミングを失ったペトラがいよいよ焦り始めた時、スンと鼻を鳴らす音が耳に届いた。

「…良い香りがするな」

「ミケ?」

訝しげなナマエの声の後、大柄な影がゆっくりとキッチンを覗き込んだ。息を呑んだペトラの目がミケの優しげな瞳とかち合う。

「…やはりペトラか」

「えっ、ペトラ?」

「す、すみませんっ…!」

ミケの影からひょこっと顔を出したナマエの目が丸く見開かれる。盗み聞きをしたような罪悪感から咄嗟に頭を下げたペトラを見たナマエが、キッとリヴァイを振り返った。

「ちょっとリヴァイ、ペトラにこんなこと頼んじゃ駄目でしょ。さっきまで訓練してたのに」

「…茶の用意までは頼んでねぇ」

「というか隣にいるのに気付いてたなら教えてよ!ペトラが気まずくて出て来られなくなっちゃってるじゃない」

ごめんね、と申し訳なさそうに眉を下げるナマエに促されてキッチンを出たペトラは、純粋な驚きと共に彼女を見つめてしまう。いつもの柔らかな雰囲気とはまるで違う、ピシャリとリヴァイに物申す姿に圧倒されてしまった。

「ははっ、ほら、ペトラが驚いてるよ?」

「もう…ハンジったら」

頬杖をついてニヤニヤ笑うハンジを軽く睨みつけたナマエが、すまなそうな表情を浮かべながらペトラの顔を覗き込んだ。

「ごめんね、ペトラ。面倒なこと頼んで」

「いえっ、とんでもありません!あの、お茶の用意も出来ています」

「うん、ありがとう。ほら、みんな各自持っていって」

各々返事をした彼らがぞろぞろとキッチンに入っていくのを唖然として見送ったペトラに、ナマエがにっこりと笑い掛けた。

「疲れているところお茶の用意までありがとう。この後私も兵長も暫く会議で拘束されちゃうから、自主練が終わったら解散してね」

「は、はいっ!了解です」

ペトラの前だからだろう、敬称に戻ったリヴァイの呼び方に大袈裟に反応してしまう。その様子を見たナマエが笑顔を苦笑に変えて、若干声のトーンを落とした。

「…上官を立てるって意味もあるんだけど、昔リヴァイとの仲を面白おかしく吹聴されたのがきっかけなの」

「え…?」

「私がエルヴィンやリヴァイ…ミケもそうだけど、昔からの仲間ともみんなの前では距離を取る理由。私が補佐官になった始めの頃、女を使って取り入ったとかリヴァイと寝たから補佐官になれた、とか」

「そんなっ…誰がそんなひどいことを…!」

「昔の話だから。今はそうやって言ってた奴ら、もう誰も残ってないよ」

どこか暗い影を落としたナマエの顔を見上げて絶句してしまう。
ハンジのような規格外な性格でも、ナナバのように中性的でもない、ある意味普通の女性であるナマエだからこそ言われた根も葉もない噂話だったのだろう。だがそこに、ナマエの葛藤と苦しみを読み取ってペトラは頬を震わせた。

「ナマエさんがそんな人じゃないこと、みんな分かってます!誰よりも強くて優しくて…リヴァイ兵長の補佐官はナマエさんしかいません!」

「ありがとう、ペトラ。ま、本当は私は何を言われても別にいいんだけどね。私なんかよりずっと重責を担ってるエルヴィンやリヴァイ…仲間のことまで悪く言われるのがすごく嫌でさ。だからせめて、彼らの前以外ではちゃんと上官と部下の体裁を整えてるだけ。ここまできたら変な意地だね」

そう言ってずらされた視線の先に、各々のカップを手に持って戻ってきたリヴァイたちの姿があった。
ナマエに言われた通り、大人しく自分たちの飲み物を取りに行ったその姿がなんとなく子供染みて見えて、ペトラはクスリと笑いを溢す。

「…私はどんなナマエさんでもついていきます」

「ペトラはほんっとにいい子なんだから。さ、ここはもういいから訓練に戻りな?」

優しく促されたペトラがビシッと敬礼を捧げる。それに目尻を下げたナマエの微笑みの向こうに、見たことのない表情でナマエを見守るリヴァイの姿を見た。
それを思い返していたペトラの顔が優しく和らいで、エレンとしっかり目を合わせる。

「…あの時、リヴァイ兵長は私に気がついてたと思う。気付いててわざと、ナマエさんの素の部分を見せたんじゃないかな」

「えっと…それはなんで…」

「きっとナマエさんが本来の自分を見せられる場所を増やしたかったんだと思う。…まだまだ私たちはその場所になりきれてないのが悔しいけどね」

そう言って柔らかい眼差しでナマエを見るペトラに倣って、エレンもそっと視線を上げた。
リヴァイが座ると同時にナマエが書類を差し出す。それに目を通していたリヴァイの右手がほんの少しだけ動いたタイミングで、さっとペンを渡すその様子はまさに阿吽の呼吸といっていい。

「…どれだけ息ぴったりなんですか」

「あれで付き合ってないって言われてもなあ…」

「ま、誰も入る隙間がないのは確かでしょうね」

半ば呆れた様子で肩を竦めた二人の先輩を横目に、エレンは壁外で無双状態を誇ると聞くリヴァイとナマエのペアをいつまでも見つめていた。



それはある日の壁外調査のことだった。
補給拠点の一つを確保、そして新しく編成したいくつかの班の機動力を確かめるために向かう、久しぶりの壁外だ。リヴァイ班としては数度目、今回は新兵を二人迎え入れたこの壁外調査で、その時は突然やってきた。

「兵長っ…リヴァイ兵長っ!!」

「お前たち、止まれ」

リヴァイたちの進行方向から、砂埃をあげて一つの影がこちらに向かってくる。班員に一旦止まるように指示したリヴァイは、その兵士が悲痛な絶望感を纏っていることに顔を険しくする。

「どうしたの!?」

「兵長っ…ナマエさんっ…!」

馬から転がり落ちそうになるその兵士を支えたグンタ越しに、ナマエが鋭く問いかける。
途切れ途切れに伝達されたそれは、リヴァイ班の前を進む班が全滅したことを示していた。奇行種一体を中心に何体もの巨人が徒党を組んで進路を塞いでいるという。知らずに進んだ班は、信煙弾を撃つ暇も無く彼を残して壊滅した。

「俺、俺だけっ…生き残っ…兵長、すみません…ナマエさん、俺だけ…!」

「落ち着いて。あなたが知らせてくれなければ私たちも危なかった。ありがとう」

静かな声を受けたその兵士が益々嗚咽を大きくした。グンタが彼を励ますように肩に手をやるのを見届けて、ナマエは真っ直ぐにリヴァイを見る。

「…兵長」

「その巨人の群れがどういう動きをするか分からねぇが、本隊と補給拠点に近すぎる。しかも奇行種がいるとなりゃ尚更だ。俺たちで叩く」

「了解」

簡潔に答えたナマエとリヴァイの眼差しがもう一度真っ直ぐ交わる。軽く頷いた彼女が、固唾を呑んで指示を待つ班員を振り返った。

「新兵の二人は彼を連れて本隊に合流!エルヴィン団長に事の次第を報告して、出来れば増援を要請して!そうね…出来ればミケ分隊長の班かハンジの班を」

「り、了解っ!」

生き残った兵士を連れて離脱した新兵を見送ることなく、リヴァイがナマエたちに向き直った。

「ナマエ、俺が奇行種をやる。進路を邪魔する巨人はお前が殺せ」

「了解」

「お前たちは二人一組になって、俺とナマエの進路上以外の巨人をやれ。近付けんじゃねぇぞ」

「「了解っ!」」

「行くぞ」

辿り着いた現場は悲惨な有り様だった。
血生臭い腐臭に顔色を変えることもなく進むリヴァイとナマエの背中を、他の四人はひたすら追っていた。

「…いたぞ。さっきの作戦通りだ。いいな、俺とナマエの進路上には入るな」

そう言い捨てたリヴァイが立体機動に移ったのに次いで、ナマエも飛び上がった。それを見送る四人に明るく声を上げる。

「みんな、周りは任せたよ!」

「「了解っ!」」

一番奥にいるのが奇行種だろう、辿り着くための道を塞ぐように十数体の巨人がニタニタと気味悪い笑みを浮かべている。
さらにそれを見守るかのように、数体の巨人が左右に散らばっていた。

「お、おい!あの数を兵長とナマエさんがやるってのか!?俺らも加勢した方が…!」

「オルオ、無駄なことは考えるな!兵長が言った通りにするんだ!」

動揺のあまり悲鳴に近い声を出したオルオを、エルドがピシャリと戒める。ここで自分たちが一瞬でも迷ったらリヴァイとナマエを危険に晒すことになりかねない。
左右にそれぞれに飛び立ったペトラとオルオ、エルドとグンタの目に緑の閃光が次々と巨人を葬っていく姿が飛び込んでくる。

「っ、すげぇ…」

オルオが思わず洩らした感嘆の呟きは他の三人にも共通する衝撃だった。
後ろを振り返ることなく飛び続けるリヴァイの背中を追うナマエのブレードが、的確に巨人のうなじを削いでいく。リヴァイは横から手を伸ばす巨人を一閃して進路を確保しており、何の躊躇いもなく前に進み続けるだけだ。

「…どんな技だありゃあ…」

言われた通り確実に巨人を仕留めてきたグンタが、蒸気に塗れる二人の背に向かって呆然と呟いた。隣に立ったエルドはただただ苦笑を浮かべることしか出来ない。

「あの近距離で立体機動使うとなると…下手すりゃお互いを巻き込みかねねぇ…」

「だが…兵長を見ろ。全くスピードを緩めずに進んでる。後ろを気にする必要がないから出来ることなんだろうな」

エルドに分析に息を呑んだグンタの横に、ペトラとオルオも降り立った。同じように衝撃的な表情を貼り付けた二人の目も、今まさに奇行種に辿り着いたリヴァイとナマエの動きから離れない。

「ナマエさん…巨人を倒しながら兵長のスピードについていってるなんて…」

「兵長もだぞ…ナマエさんに全部任せるように見せて、ナマエさんがうなじを削ぎやすいような位置に誘導してる…」

唸るように身を震わせるペトラとオルオのマントが風にはためき、揺れる。こんな戦場の真っ只中でぼんやりと突っ立っているなんて、本来ならあり得ないことだ。

「おい、グンタ、オルオ、ペトラ。何があるか分からない以上、いつでも兵長とナマエさんのサポートに入れるようにもう一度…」

「ナマエっ!」

エルドがそう言いかけた瞬間、リヴァイの鋭い声がここまで届いた。ハッと視線を戻した彼の目に、巨人の蒸気の中体勢を崩しながらも奇行種の右腕を切り落とすナマエの姿が飛び込んできた。
そして間髪入れずリヴァイがそのうなじを正確に削ぎ落とす。

「ナマエさんっ!?どうしたんだ!?」

「あの奇行種が自分の腕引きちぎってナマエさんにぶん投げやがった…!」

オルオの震える声が張り詰めたその瞬間を物語っていた。湧き上がる蒸気が重なったせいで、二人の姿を完全に捉えられなくなった四人は固唾を呑んだ。

「とりあえず馬に乗れ!兵長とナマエさんのところに向かうんだ!」

エルドのその言葉に各々馬に飛び乗ったその瞬間、シュンっと鋭い音と共に二つの影が降り立った。

「ナマエさんっ!」

「みんな、怪我はない?」

軽く手を挙げながらリヴァイの隣に立つナマエは血に塗れている。だが蒸気を立てて消滅していくのを見るに、全て巨人の返り血のようだ。

「私たちは大丈夫です!ナマエさんこそお怪我は…」

「私も兵長も大丈夫。さ、本隊と合流しよう」

「エルド、グンタ、お前らが先頭を走れ。俺とナマエは最後だ」

「え…り、了解っ!」

同じように蒸気を立てるリヴァイがぶっきらぼうに告げる。ナマエに比べればリヴァイの方が返り血は少ないが、それでも嫌そうに顔を拭うその姿からは嫌悪感が伝わってきた。
走り出した一行が倒した巨人の群れから完全に離れた頃、リヴァイがぎろりとナマエを横目で睨む。

「…ナマエ。どこ怪我しやがった」

「…何の話でしょう?前を見ないと危ないですよ、兵長」

「どうせ聞こえちゃいねぇよ。その堅苦しい喋り方をやめろ。命令だ」

静かな怒りに満ちたリヴァイの声にひくりと頬を引き攣らせるナマエ。流石に気付かれていたか、と諦めの溜息をついて軽く肩を竦めた。

「…巨人の腕が飛んできた時にちょっとね」

「当たったか」

「左肩に掠っただけ。外れてないし折れてもいないから大丈夫」

まさかあそこで腕が飛んでくるとは想像もしていなかった。だが不測の事態に対応しきれなかった自分の自業自得だと、あっけらかんと告げるナマエにリヴァイの眉間の皺は更に深くなる。

「馬鹿野郎。んな状態で馬に乗ってんじゃねぇよ」

「大丈夫だって。あとで医療班に診てもらうから」

「お前一人じゃ不安だ。俺も行く」

「…はぁ?リヴァイのえっち」

「黙れ。どうせお前のことだ。大したことなかったとかヘラヘラ笑いながらすぐに訓練に参加するつもりだろ。俺がちゃんと医者の見立てを確認してやる」

「…我らが兵長は過保護ですねぇ」

ねぇ?と愛馬に話し掛けるナマエに胡乱な視線を投げ掛けたリヴァイが今度こそ前を向く。エルヴィンたちが待つ本隊はすぐそこだった。



「…へぇ。じゃあ本当にリヴァイ兵長、ナマエさんの診察に付いて行ったんですか」

「そうそう。あれはウケたなぁ。リヴァイがいつまで療養させればいいんだ、って大真面目な顔で聞いててさ。ナマエが恥ずかしがっちゃって大変だったよ、もう」

全治5日程度だよ?と呆れたように笑うハンジに、エレンも苦笑を返した。己の上官が思いの外情が深く、面倒見が良いことは勘づいていたが、ナマエからしてみればいい迷惑だったのだろう。
巨人化実験のレポートを纏めているというハンジに誘われ、その手伝いをしていたエレンがふと溢した疑問、「リヴァイとナマエの不思議な関係」ににんまりと笑ったハンジが語ったのが先ほどの壁外調査の逸話だった。

「ま、リヴァイとナマエの連携は本当に見事なもんだよ。リヴァイの素早さや技術についていけるのはナマエだけだし、何よりあのリヴァイが背中を完全に預けられるのは彼女だけだ」

「ナマエさんすげぇ…」

「でもね、エレン。ナマエのそれだって血の滲むような努力の末なんだ」

「え…?」

切なそうに一瞬目を伏せたハンジが、「ナマエから昔の話、聞いただろ?」と問う。僅かな逡巡の後、素直に頷いたエレンに優しい瞳を向けた。

「…兵士としてはナマエの方がリヴァイより先輩だけど、彼女はリヴァイのことを心から尊敬してた。だから補佐官に選ばれた時は大喜びでリヴァイに飛びついてたくらいだ」

「えっ?あのナマエさんが?」

「そうそう。あの時のリヴァイの顔は見ものだったなぁ」

ククッと笑うハンジの脳裏には、迷惑そうにナマエを引き剥がしながらも満更ではないような、そんな複雑な顔を見せていたリヴァイの姿が思い返されていた。

「でもまぁ…そもそもリヴァイの兵士長就任に色々言う奴らは兵団内外にも大勢いてさ。それに付随してナマエも色々言われてたんだよね」

「…そう、だったんですね」

「エルヴィンやリヴァイはあの性格だから別に気にしちゃいなかったけど。ナマエは自分のせいで彼らの名が貶められることはあっちゃいけないって、がむしゃらに努力したんだよ」

「…あの時のナマエは壊れそうだったな」

「エ、エルヴィン団長っ!ミケ分隊長…!」

気配もなく後ろから現れた二人に驚き、慌てて立ち上がって敬礼を捧げたエレン。その肩を気安く叩いたエルヴィンが、向かい側の椅子に腰掛ける。立ったままのミケはスン、と鼻を鳴らして窓の外を眺めていた。

「随分懐かしい話をしてるじゃないか、ハンジ」

「でしょ?私たちも年取ったよねー」

楽しそうに頭の後ろで腕を組んだハンジに代わり、エルヴィンがその碧眼をエレンに向ける。些か緊張した面持ちの彼を宥めるように緩く口角をあげた。

「あの通り、ナマエは生真面目な性格だからな。色々な重圧もあっただろうに…よくここまでついてきてくれたと思う」

「あのリヴァイが不器用にも頑張って支えようと奮闘してたからね」

「えっ、リヴァイ兵長が…ですか?」

「そうだったな。リヴァイ自らナマエに訓練をつけて、二人して傷だらけになって戻ってきたこともあった」

くくく、と笑ったエルヴィンに合わせてミケも微かに微笑んでいるのが分かった。驚いて思わずハンジの方に視線を向けたエレンを見返した彼女も、ひどく楽しそうだ。

「あの訓練は傑作だったね。リヴァイを巨人に見立ててナマエがそれを攻撃する、ってやつだっけ」

「後にも先にもリヴァイを巨人に見立てのはナマエだけだ」

ミケが静かに告げた言葉を聞き、あまりの衝撃に二の句を継げないエレンを放っておいて三人は過去の思い出話に花を咲かせている。するとそこに、渦中の二人の声が飛び込んできた。

「…随分楽しそうじゃねぇか、お前ら」

「エレンまで珍しいね。何の話?」

パッと振り返ったエレンは、寄り添うように立っている人類最強とその補佐官の姿に椅子ごと後ずさってしまう。そんな彼をよそに、ハンジが陽気な声をあげた。

「いや今ね、ナマエがリヴァイのことを巨人に見立てて訓練した話をしてのさ!」

「…てめぇこのクソメガネ。よっぽど死にてぇらしいな」

「うわ、懐かしい!あの時私も兵長もズタボロになりましたよね」

ぱぁっと顔を輝かせたナマエが懐かしそうにリヴァイの顔を覗き込むが、心底嫌そうに顔を背けたリヴァイがぼそりと答える。

「…あれはお前がワイヤー巻き取り損ねて俺に突っ込んで来たんだろうが」

「あれ?そうでしたっけ?」

「しかも本気で討ちにきやがって。お陰で俺も本気出しちまったじゃねぇか」

「だって“兵長巨人”倒せたら無敵じゃないですか。兵長より強い巨人なんて、この世にいませんって」

言い争いにもならない、もはや戯れ合いかいちゃつきにしか見えないそのやり取りに、思春期の少年は無になることを決めた。
心底面白そうにそれを眺め続けるエルヴィンとハンジ、そしてミケの生暖かい目をものともしない彼らはやはり最強なのだと実感する。

「なんか久しぶりに兵長と手合わせしたくなったな〜。ね、“兵長巨人”やってくださいよ」

「却下だ。巨人役ならそこの本物の奇行種にやってもらえ」

「やるやる!ナマエに削がれるなら本望だなー」

「…こんな変態巨人は嫌です」

酷いな、と声を上げて笑うハンジが立ち上がる。それに釣られて咄嗟に立ち上がったエレンに、ナマエが満面の笑みを向けた。

「エレンも行こう?兵長が手合わせしてくれるなんて貴重だよ!ミケ分隊長はどうします?」

「…俺は遠慮しておこう。お前らが倒れたら回収しに行く」

「あ?俺はやらねぇって言ってるだろ。ふざけんな」

「…エルヴィン団長ー」

素っ気なくそっぽを向いたリヴァイにムッとした顔になったナマエだが、くるりとエルヴィンを振り返って何かを企んでいるような笑みと共に一度、名を呼ぶ。

「…仕方ないな。リヴァイ、付き合ってやりなさい。これは団長命令だ」

「…てめぇ」

「終わったら久しぶりにみんなで食事に行こうじゃないか。エレン、もし都合が合えば君の仲間も誘うといい」

「はっ、はい!ありがとうございます!」

「…チッ」

「リヴァイ。団長命令だ」

「…了解だ、エルヴィン」

渋々頷いたリヴァイに嬉しそうに両手を合わせるナマエ。リヴァイを促して歩き出した彼女がハンジの隣で振り返る。

「エレン、行くよ?」

「っ、はい!」

ぺこり、とエルヴィンとミケに頭を下げたエレンが駆け出して、ハンジの横に並ぶ。そんな彼をげし、とリヴァイが軽く足蹴にしたのを見たナマエが、リヴァイに注意する声が小さく届いた。

「…あれはいつまであのままなんだろうな」

「それは…いつまでもあのままだろう」

半ば呆れたミケの言葉に答えたエルヴィンの声音は、春の風のように暖かかった。



「リヴァイ、髪に葉っぱついてるよ」

前を歩くナマエがリヴァイの頭に手を伸ばすのを、エレンはぼんやりと見つめていた。エレンには聞こえていないと思っているのだろう、ナマエの話し方が素に戻っている。
リヴァイが何の抵抗もなく彼女の手を受け入れるがどれだけ貴重なことなのか、今ならよく分かる。

「…お前にもついてるぞ」

花びら、とリヴァイが伸ばした手を自然に受け入れたナマエの横顔は、この天気のように晴れ渡っていた。見た目に似合わず丁寧な手つきで彼女の横髪を掬ったリヴァイの指先には、明るい色の花弁が摘まれている。

「…はいはい、ご馳走さま」

呆れ返った、だが慈しみのこもったハンジの声がエレンの鼓膜を揺らす。見上げた空には、二羽の鳥が寄り添って飛び立っていた。


-fin




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