Full of grace twinkle
店内に一つだけあるこじんまりとした椅子に凭れ掛かりながら、リヴァイは眼前の光景から目を逸らさないでいた。同じく小さなテーブルにはナマエが用意してくれた試飲用の紅茶が置かれていて、それを一度啜る。
「…じゃあこの二種類をブランドするのはどうでしょう?ストレートでもミルクティーでも香りを損なわずに楽しめますよ」
「あ、ああ…じゃあ…そうしようかな」
「はいっ、ありがとうございます。少々お待ちくださいね」
朗らかに答えたナマエが調合のために奥へ引っ込んだ。一気にシン、と静まり返った店内にはリヴァイがティーカップを置く音が響き渡る。
そわそわしながらチラチラと彼を横目で見遣る男は、最近この店の常連になったらしい。だが紅茶よりも目当てのものがあることは、リヴァイの目には明らかだった。
「あ、あのー…リヴァイ兵長、ですよね…?」
「…そうだが」
「兵長もここの常連だったんですね。ハハ、紅茶がお好きだとは聞いていましたが…」
果敢にも声を掛けてきた男の勇気は認めてやろう。
だがダラダラと脂汗を流しながら、早くナマエが戻ってこないかと縋るような目で何度も奥の部屋に視線をやるその姿は滑稽といっていい。
「ここの茶葉は純度が高くて香りがいい。お前もそう思うだろう?」
「はっ、はい…そうです、ね…寝る前には最高です、」
試飲という名で新作の茶葉を堪能したリヴァイは、大柄な身体をこれでもかというほど小さくしている目の前の男をじっと眺めた。そして、ゆっくりと足を組む。
「…だがお前には茶葉よりも欲しいもんがあるんじゃねぇのか」
「へっ…?な、なんのこと…」
「あいつに随分貢ぎ物をしているようだが…諦めろ。そんなもので靡くような女じゃねぇよ」
男が羞恥と憤怒で顔を真っ赤に染める。だがこの偉そうにふんぞり返る小柄な男が、人類最強と呼ばれ巨人共を一網打尽にする兵士だと知っている以上、動くことも出来ない。
「そんなのっ…あんたに言われる筋合いは…」
「忠告してやってんだ。貴重な金を無駄なことに使う必要はねぇ。大事に使え」
「そ、それこそ余計なお世話だ!俺の金を誰に使おうとあんたには関係な…」
口角泡を飛ばす勢いの男にスッと目を細める。それだけで途端に肩を窄めて言葉を途切らせる男にはほんの少しばかり哀れな気持ちが湧いてくるが、ここで容赦するわけにはいかない。
「…まぁそうだな。てめぇが何をしようとお前の勝手だ。だがな…忘れるなよ。ここは、“俺の”馴染みの店でもあるからな」
「ヒッ…」
いつもなら兵士長という立場や、人類最強というむず痒い通り名を誇示することは一切しない。だが彼女のためなら別だ。むしろ大いに利用させてもらい、抑止力にしてやろうとリヴァイは更に視線を鋭くした。
「お待たせしましたー!…って、あれ、お二人ともお知り合いだったんですか?」
「ああ…いや、今顔見知りになった」
なぁ?と目線を流したリヴァイに何も言葉が出ないのか、ナマエが差し出した袋を震える手で受け取った男がそそくさと出て行く。
あの男は二度とこの店に来ないだろう。羽振りのいい常連を失ったことは店にとって痛手かもしれないが、それならその分リヴァイが買って補えばいいだけの話だ。あんな害虫をのさばらせる方が問題だ、と自己完結したリヴァイは先ほどとは打って変わり、機嫌が良さそうだった。
「何のお話をしてたんです?リヴァイさんが他のお客さまと話すなんて珍しいですね」
「…どう足掻いても手に入らねぇもんに時間を掛けることの無意味さについて、だな」
「はぁ…」
随分難しい話をしてたんですね、と曖昧に頷いたナマエがクローズの札を掛ける。あの男は閉店間際を狙って彼女を誘い出そうとしていらしいが、残念なことだ。西陽が店内をオレンジに染める中、それに照らされた彼女が頬を緩めた。
「お待たせしましたっ。さっ、出掛けましょう」
「そんなに急ぐな。転ぶぞ」
嬉しそうにはしゃいでいるナマエにリヴァイも目尻を下げる。久しぶりに外に食事でも行こうと、彼女を誘い出したリヴァイも立ち上がった。
「今日の茶葉も悪くなかった。独特な後味だったな」
「ハーブティーの一種なんです。ちょっとお薬っぽい味ですよね」
「そうだな。二日酔いに良さそうだ」
「あっ、正解です!胃が弱ってる時とかに良いそうですよ」
「ほう…モブリットに勧めておくか」
たわいもない会話を交わしながら並んで歩く二人の長い影は、暫く離れることがなかった。
▼
「リヴァイ。彼女とはうまくいっているようだな」
スン、と一度鼻を鳴らしたミケが静かに言った。
会議の後、新兵たちの訓練をつけるために連れ立って歩いていたリヴァイはチラッとその長身を一瞥した。彼がこんな風に言ってくることは珍しい。
「…藪から棒になんだ」
「いや…最近のお前は随分穏やかな匂いになったと思ってな」
「穏やかな匂いってなんだよ…。気持ち悪ィな」
毒づくその横顔に怒りは見えない。
微かに紅茶の香りを纏う彼が、恋人になる前の彼女に何を贈ろうか迷っていたあの頃が懐かしい。無事に彼女の心を手に入れたらしいリヴァイは、未だに足繁くその紅茶屋に通ってた。
元々は店主とナマエが二人でやっていた店だが、完全に彼女一人に任せることに決めたらしい。バタバタと忙しくしながらも楽しそうに店に立つナマエを、リヴァイは近くで見守っていた。
「兵士長御用達、更に実は恋人の紅茶屋となれば、街で評判になって繁盛してるんじゃないか」
それでは彼女も大変だろう、とミケとしては彼らを慮った言葉を発したつもりだった。だがそれを聞いたリヴァイが、ピタリと足を止める。
「…?リヴァイ、どうした」
「…らねぇ」
「ん?すまん、聞こえなかっ…」
「あいつ、俺が恋人だと公表したがらねぇ」
纏っていたはずの穏やかな雰囲気は塵と化した。
最大限の不機嫌さを表情に貼りつけたリヴァイが、それを大いに不満に思っていることは明白だった。
「…ほう」
「自分のような平凡な女が恋人だと知られたら、兵士長の名に傷がつくだとかなんとか言いやがって。チッ…そのおかげでこっちは大変だってのに」
「随分奥ゆかしい女性なんだな。普通は自慢したがるものじゃないのか」
「ナマエはそんな女じゃねぇよ。奥ゆかしさを持ってることは間違いねぇが…それよりも一度こうと決めたら絶対に譲らねぇ強さを持ってやがる」
「だがそれじゃあ一緒に出掛けることすらままならないだろう。恋人同士になって暫く経つんじゃないのか?今までどうしてるんだ」
「基本的にあいつの家か店で過ごすことが多いな。確かに俺もその方が気が楽だ。何より紅茶がうめぇ。出掛ける時は、口が固い俺かナマエの行きつけの店に行くことにしている」
「随分徹底しているな」
「…俺は別に気にしねぇってのに」
「だがそんな彼女の意思を尊重するあたり、お前がいかに惚れ込んでいるか分かるものだ」
憮然として腕を組んだリヴァイだが、決して否定しないところに彼の本音が見えた気がした。意外に尻に敷かれるタイプだったか、と新しいリヴァイの一面を見た気がして、ミケはひっそりと笑った。
ミケとのそんな会話を思い返しながら、リヴァイは内心盛大に顔を顰めながら、表面上はいつも通りの無表情を貼りつけて目の前の光景を見つめている。
掃除用具を買いに出た帰り、ナマエが店の客らしい男に声を掛けられている場面に出くわしたのだ。ギリギリ二人の声が聞こえる距離だが、リヴァイに半分背を向けているナマエは彼に気付かない。
直ぐに間に入ろうとして、しかし彼女がリヴァイとの関係を隠したがっていることを思い出した。ここでリヴァイが彼女を庇えば下手な噂が広がりかねない。
彼としてはその方が万々歳なのだが、客商売のナマエには迷惑が掛かるかもしれない。それを思うと自分勝手な行動は出来なくて、何とか足を踏ん張った。
「ナマエさんもよくここに買い物に来るの?俺もなんだ。店から遠いのに…偶然だね」
「そうですね。では私はこれで…」
「あ、ちょっと待って!今日店は休み?もし良かったらこの後お茶でもどうかな?ナマエさんが好きそうな店を見つけたんだ」
「いえ、今日はちょっと無理です」
「じゃあいつなら平気?俺、自由がきく仕事だしナマエさんの予定に合わせるからさ」
困ったように首を傾げるナマエを見て、ぷつんと堪忍袋の尾が切れた。元々大して太くもない理性だ。ここまで待っただけでもよく保った方だと褒めて欲しい。
一歩足を踏み出した瞬間、男が探るような目でナマエの顔を覗き込んだ。
「前から聞きたかったんだけど、付き合ってる人とかいるの?」
「どうしたんですか、急に」
「いやね、最近ちょっとした噂っていうか…あのリヴァイ兵長がナマエさんの店に入り浸ってるって話を聞いてさ」
「…大切な常連さまです。入り浸っている、という言い方は失礼です」
「はははっ、ごめんごめん。まさかとは思うけどリヴァイ兵長と付き合ってたりする?」
男としては一応聞いてみただけなのだろう。
まさかそんなはずはない、という嘲笑にも似た色を交えながら問われたその質問に、ナマエは気付かれないように拳を握りしめた。そして惚れ惚れするような綺麗な笑みを浮かべ、しっかりと男の目を見返す。
「そんなわけないじゃないですが。私なんかが畏れ多い」
「だよねぇ?ナマエさんみたいな普通の女性があんな乱暴な兵士と…」
「私が一方的にお慕い申し上げているだけです」
「え…?」
聞こえた言葉にリヴァイも思わず足を止める。
見えたナマエの横顔は、笑顔ながらもどこか凄みのある雰囲気を醸し出していた。驚いたように瞬きを繰り返す男の顔が間抜けなそれに見える。
「え、ナマエさん、が…?」
「はい。リヴァイ兵長は本当に素敵な方です。お強くて優しくて…部下の方からの人望も厚い。何より私たちのために命を懸けて戦って下さっている」
「そ、それは彼らが勝手にやってることだろ?よく考えてみなよ。俺たちみたいな一般人が、いつ死ぬかも分からない兵士とうまくいくと思う?それに憲兵団ならまだしも、調査兵団なんて穀潰しの税金泥ぼ…」
「調査兵団の皆さんのことを悪く言わないでください」
ピシャリと跳ねつけたナマエの声が微かに震えている。リヴァイからしてみれば聞き慣れた言葉だ。今さら傷つくことも怒ることもなかったが、ナマエにとっては違ったらしい。
ふるふると震える両手を胸の前でしっかり握り締め、男を睨みつけている。
「壁外に出たこともない、戦ったこともないあなたが彼らのことを悪く言う権利はありません。やめてください」
「っ、本当のことだろう?ナマエさんさ、リヴァイ兵長に毒されちゃってんだよ。目覚ましなって」
「…触らないでっ!」
宥めるようにヘラヘラ笑いながら男が伸ばした手を、ナマエが思いきり振り払った。ぱしん、と響いた音にカッとなったのか、男が一気に顔を赤らめる。
「いってぇな…下手に出てりゃ調子に乗りやがって…!お前みたいな平凡な女をリヴァイ兵長が相手にすると思ってんのか!?」
「そんなことっ…私が一番分かってま…」
「分かってんじゃねぇよ」
低くもよく通る声が二人の間に割って入った。
ばっと同時に振り返った二人の目に、不機嫌そうに顔を顰めるリヴァイの姿が飛び込んでくる。
「リ、リ、リヴァイ兵長っ…!」
「くせぇ口を開くな。気分が悪ィ」
動揺する男を一瞥して吐き捨てたリヴァイは、驚きに目を見開くナマエに視線を移す。目の縁に溜まった雫と色が変わるほどに握られた両手を見て、ぴくりと眉を上げた。
「…てめぇ。このクソ野郎が。何こいつのこと泣かせてんだ。ああ?」
「お、俺はそんなっ…そういうつもりじゃ…」
「一つ誤解を解いておいてやる」
ナマエを背に庇うように前へ出たリヴァイが静かに男を見上げる。冷静なように見えるその瞳の奥に、冷たく燃える怒りを認めた男が背筋を震わせた。
「こいつの店に入り浸ってるわけじゃねぇ」
「そ、そうですよねっ…兵士長ともなるとお忙しいでしょうし、入り浸るなんてそんな…」
「俺はただ、自分の恋人に会いに行ってるだけだ」
「…へ?」
「リ、リヴァイさんっ…!?」
うまく理解出来なかったのか、呆気に取られた男の間抜けヅラを冷たく睨みつけた。ついでに慌てたように腕を引くナマエの腰を少し乱暴に引き寄せる。
「恋人に会いに店に行って何が悪い」
「こ、恋人って…え?ナマエさんが…え?」
「だからそう言ってんだろ、グズが。分かったらさっさと失せろ。目障りだ」
そこまで言ってもただ立ち竦み、放心状態のまま固まる男に痺れを切らしたのか、リヴァイがナマエの腰を更に引き寄せた。
「行くぞ」
「えっ、あの、リヴァイさん、なんでここに…?」
「話は後だ。…このままここで見せ物になってもいいなら別だがな」
耳元で囁かれた言葉に周りを見渡せば、興味津々にこちらを見ている通行人たちと目が合った。元々ナマエと男の諍いを気にしていたところにリヴァイが現れたことで、彼らの興味は一層強くなったらしい。
「い、行きましょう…!」
今まで周りの様子を気にしていなかったナマエは、愕然とした顔でリヴァイの手を急いで引っ張っていく。男に見向きもせず足早にそこを立ち去る彼女の耳は鮮やかに染まっていた。
「ナマエ、止まれ」
暫くされるがままで手を引かれていたリヴァイだが、人目がなくなったことを確認してくいっと軽く手を引いた。恐る恐る振り返ったナマエの頬は上気し、瞳は未だ潤んだままだ。
「リヴァイさん…あの、さっきは…」
「もういいだろ」
「え…?」
謝ろうとしたのか咎めようとしたのか、暗い顔を見せるナマエを優しく引き寄せる。それを拒まれないこの距離を誰にも渡すつもりは無いことを、彼女にはよく刻み込まなければならない。
「あんな風にお前が誰かに言い寄られるのを見るのも、お前が俺との仲を誤魔化すのを聞くのももうごめんだ」
「あ…」
「今まではナマエの意思を尊重していたがな。お前目当ての客が来る度、そいつらを放り出したくなる俺の気持ちも分かってくれ」
深々とリヴァイが吐いた息がナマエの耳元を擽る。そのまま間近で合った彼の瞳が切実な色を灯しているのを見て、思わず胸元に顔を埋めた。
「リヴァイさん…ごめんなさい…」
「…一方的な片想いとか言ってんじゃねぇよ。寂しいだろうが」
吐露された本音にぱちくりと目を瞬くナマエ。そっと顔を上げて見えてきた彼の拗ねたような表情に破顔する。
「はい。寂しい思いをさせてごめんなさい」
「…チッ。今のは忘れろ」
ふいっと視線を逸らしたリヴァイが照れ隠しのように身体を離す。そのまま握られた手をしっかり握り返して、ナマエはリヴァイの隣を歩き出した。
「でも兵士長さまがただの紅茶屋に入り浸ってるなんて、そんな噂を立てられたら兵団の矜持に関わりません?」
「別に構いやしねぇよ。プライベートの時間使ってんだ、何が悪い」
「私なんかがリヴァイさんの恋人だなんて知ったら、兵団支持の方がなんて言うか…」
「兵団を支持するような奇特な奴らのことを気にすんな。もし何か言われたら俺に言え。全員黙らせてやる」
「…私、リヴァイさんの隣にいてもいいんでしょうか」
不意に溢された小さな不安がナマエの本心なのだと気付く。心細そうに揺れる瞳が、本当はずっとそのことを気にしていたのだと表していた。
「ナマエ…」
「…ふふ、かっこわるいですね。口ではリヴァイさんのため、なんて言いながら…本当は私が一番信じられなかったんです」
壁内で熱狂的な支持を持ち、憧れの的であるリヴァイが自分を選んだことも、彼がこうして手を引いてくれるのが自分だけであることも、本当は今ひとつ自信が持てなかった。
いつかきっとこの手を離す時が来るのではないかと、そんな未来に怯えていたのだ。
「恋人だって公表しなかったのも、いつかリヴァイさんが離れて行った時…傷つかないようにするためだったんです」
ぽつりぽつりと語られるナマエの本音が胸を突く。
彼女を手に入れるため、慣れない贈り物に四苦八苦し、恥を偲んでエルヴィンたちに相談もした。恋人同士になってからも折を見て店を訪れ、彼女を狙う男どもに睨みを効かせてきた。だがそれはナマエの預かり知らぬ話だ。肝心の彼女にちゃんと言葉を伝え、寄り添ったことはあっただろうか。
「…新しい菓子を見ればナマエの顔を思い出す。喜ぶだろうかと考えて、すぐにでもお前に持っていきたくなる」
「え…?」
「初めて飲む紅茶があれば、お前ならもっとうまく淹れられるだろうと考える。次に会った時に聞いてみようと…待ち遠しくなる」
「あ、あの…?」
「…他の男がナマエを見てりゃそいつの目ん玉を潰したくなるし、客だろうとなんだろうと蹴り飛ばしたくなる。なんなら客は女だけでいいんじゃねぇか」
「そんなわけにはいかないじゃないですか…」
呆れたように笑う彼女にリヴァイも僅かに口角を上げた。心の狭い男の正直な気持ちを聞いて欲しかった。
「大体、変に隠すから訳のわからねぇ男どもが寄ってくるんだ。あの変な貢ぎ物を持ってくる常連の男、もう来てねぇだろうな?」
「あ、あの人ですか?うーん…確かに最近見ないですね」
「俺も人のことは言えねぇが。野郎からの貢ぎ物はちゃんと断ってるんだろうな?」
「貢ぎ物って…そんな大袈裟なものじゃないですよ」
「…お前のその呑気さが心配なんだ」
大きく溜息を吐いたリヴァイに不服そうに頬を膨らませるナマエ。
そんなことを言うならリヴァイだってたくさん贈り物をしてくれたではないか、と正論を返せば軽く睨みつけられてしまった。
「俺はいいんだよ。他の野郎の下心満載のものなんて受け取るんじゃねぇぞ」
「じゃあリヴァイさんは下心が無かったってことですか?」
「あ?逆だ。下心しかないに決まってんだろ。何言ってやがる」
偉そうに告げられた事実に絶句した後、ふつふつと笑いが込み上げてくる。抱いていた不安や恐れが、リヴァイの言葉で少しずつ消化されていくのを感じた。漸く見れたナマエの笑顔にリヴァイも表情を緩めた。
「俺はこんなだから言葉が足りねぇが…ナマエ、お前のことは大切に思っている。何よりもだ」
「…はい」
「だから、離れるとかくだらねぇことを考えんな。少なくとも俺はそのつもりは一切ねぇぞ」
「私も、です」
「ナマエと二人で家に篭ったり店で茶飲むのも悪くねぇが…たまには外に出て、恋人らしいことをしてやりてぇと思う俺の気持ちも汲んでくれ」
ただでさえ中々会えずに寂しい思いをさせているのだ。たまの休日や非番の日くらい、恋人を思いきり甘やかすことに使ってやりたいとそう思う。
そんなリヴァイの本音に、ほんのりと頬を染めたナマエが嬉しそうにはにかんだ。
「私はリヴァイさんと二人でのんびりするのも大好きですよ?」
「俺も好きだが…これからはもう少し外にアピールしていくぞ」
さっきみたいな思いはごめんだ、とぼやいたリヴァイに申し訳なさが募ってくる。彼の意外な子どもっぽい独占欲に、自分の一方通行な想いでは無いのだとそう実感した。
「じゃあ早速なんですけど、まだ買い物の途中なんです。リヴァイさんの時間があれば付き合ってもらえませんか?」
「当たり前だ。つーか今日休みなら教えておけよ」
「急ですがお休みにしたんです。店で色々ありまして…」
「どうした。何かトラブルか」
分かりづらい彼の表情の中にも心配そうな色を見つけることが出来る。それだけ近い距離にいるのだと、それが嬉しくてたまらない。
「いえ…あの、そのことでリヴァイさんに相談というか…」
「なんだ、何でも言え。俺が全て潰してやる」
「そんな物騒な話じゃないですって」
途端に目付きを鋭くする彼を宥めながら大きく息を吸う。公私混同だと言われるかと思い、ずっと黙っていたことだ。だが、今の彼の気持ちを聞いて少しだけ勇気を出してみたくなる。
「あのお店、移転しようかと思ってるんです」
「なに…?急にどうした」
予想外の話にリヴァイが目を見開く。
繋がれた手に力が込められて、彼が驚いていることが伝わってきた。
「本当は少し前から話があって…。今のお店は大分古くてところどころ修繕が必要になってきてるんです。なんせ店主と同じくらいの年齢ですから」
おかしそうに笑ったナマエに釣られて最近殆ど見ない店主の顔を思い出す。正に好好爺といった店主は、リヴァイが行く度に「今日はナマエは休みなんですよ」と口を窄めながら笑っていた。見透かされていた気持ちに居た堪れなくなって、仏頂面を作ったものだ。
「…そうか。確かに古い店だったな」
「はい。それで今回、店主が完全に引退することになって、私にお店を譲って下さったでしょう?その時に移転したらどうかって話を頂いたんです」
今後ナマエが店をやっていく上で、店舗の修繕や改装は何度かしなければならない。それなら心機一転、ナマエがやりたい場所で店を開くのはどうかと店主が勧めてくれたという。
「今の店は家からも遠いですし…。それで色々場所を考えていて、今日はお店の場所を見に行って来たんですよ」
「だからこんなとこにいたのか」
それを聞いて漸く合点がいった。
この辺は兵団本部からはほど近いが、ナマエの店からはそこそこ遠い場所にある。どうしてこんなところに、とナマエを見かけた時に思ったものだ。
「この場所の他に、あと二つほど候補があるんです。そこは今の店にも近いんですが…」
言葉を切ったナマエが視線を彷徨わせながら、きゅっと口を結んだ。そして決意したように強い眼差しで夕陽に染まるリヴァイの顔を見上げた。
「…ここなら兵団に近いし、リヴァイさんも通いやすくなるかなって」
「…ナマエ」
「…というのは建前で。私がもっとリヴァイさんの近くにいたいだけなんです」
こんな女々しい考えを彼はどう思うだろうか。
重いと、大事な店の場所をそんなことで決めるなと呆れられないだろうか。
そうぐるぐる悩む気持ちから、今までリヴァイにこの話をすることが出来なかったのだ。
「…馬鹿野郎。大歓迎に決まってんだろうが」
「っ、あ…」
口元を手で押さえたリヴァイがふいっと視線を逸らす。その横顔はオレンジ色に染まっているが、その中にもほんのりと赤い色を見つけることが出来た。
「今度は店舗の上に家を構えようかと思ってます」
「そうか」
「だから…あの…リヴァイさんさえ良ければ今よりもっと…」
遊びに来て下さい、と続けることは出来なかった。ぐいっと身体を引き寄せられ、逞しい胸元に抱きしめられたナマエは、どくどくといつもよりも速い鼓動を奏でるリヴァイの命の音を感じていた。
「…結局俺はお前に甘えてばかりだ」
「そんなこと…」
「人類最強とか呼ばれてる俺がクソ野郎の暴言からも自分の恋人に庇われて、挙げ句の果てに引越しまでさせて…世話ないな」
「動ける方が動けばいいんです。私だってリヴァイさんの近くにいられるのが嬉しいんですから」
自身を詰るリヴァイの口調は、しかし嬉しそうな響を隠せていない。ありがとう、と囁かれた彼の言葉が耳朶を打った。
▼
暫くして離された温もりの持ち主はひどく穏やかな顔をしていた。再び取られた手に引かれ、夕暮れの街をゆっくりと歩く。
「引っ越しや物の移動は俺も手伝う」
「わっ、助かります」
「…移転を機に女の客限定の店にしねぇか?」
「それだとリヴァイさんも入れないけど、いいんですか?」
「そこは特別に許可しとけよ」
「駄目です。お客さまは平等です」
ククッと小さく笑ったリヴァイが、ふと思いついたようにナマエを見下ろした。小さく揺れる頭が愛おしい。
「そういやまだ用があると言っていたな」
「あ、そうなんですっ。このちょっと先にある本屋さんに行きたくて」
「本屋?それなら店の近くにもあるんじゃねぇのか。ここからじゃ荷物が増えるだろ」
ただでさえさっきもいくつかの荷物を抱えていたのだ。今は全てリヴァイの腕に収まっているが、もし自分がいなかったら持って帰るのが大変だっただろうと慮る。
そんな優しさに相好を崩したナマエが明るく声を上げた。
「そうなんですけど…あの本屋さんでは売り切れだったんですよ」
「売り切れ?」
「はいっ。でもここならまだ在庫があるって聞いて…良かったです」
喜色に満ち溢れた顔をしているナマエは大変可愛らしい。だが何故かその内容に嫌な予感がして、リヴァイは唾を呑み込んだ。
「…ちなみに何の本なんだ」
「えへへ…雑誌なんですけどね、調査兵団特集が組まれてるんです!」
やはりか、という気持ちが湧き上がってピクリと頬を引き攣らせる。
資金集めの一環として、エルヴィンが団長になってからインタビューや対談が格段に増えていた。リヴァイとしては一切受けたくないのだが、団長命令と言われれば渋々頷くだけだ。
やたら誇張され美化された自分自身や調査兵団の表現にはうんざりするし、それとは逆に皮肉や嘲笑を交えて批判する記事にも勝手にやってろと唾を吐きかけたくなる。
だがナマエはどんな記事でも目を通し、その雑誌や新聞を嬉しそうに胸に抱えるのだ。
「そんなの別に読まなくてもいいだろ。実物が隣にいるんだからな」
「あ、今回はリヴァイさんの特集じゃないですよ?」
「……は?」
告げられた衝撃的な事実に一瞬頭が真っ白になる。わざわざ別の本屋まで足を運んで手に入れようとしている雑誌が、まさかのリヴァイが載っているものではないというのだ。
元々ナマエがリヴァイだけでなく兵団贔屓だとは知っていたが、まさか恋人以外に顔を輝かせるほどだったとは。
「今回はエルヴィン団長とミケ分隊長…あとはハンジ分隊長の特集なんですって!」
「なん、だと…」
「リヴァイさんが載ってないのは残念ですけど、すごく楽しみです」
ウキウキとスキップでもしそうな雰囲気のナマエを無言で見遣る。
そういえば数週間前、調査兵団幹部特集とかいうインタビューに誘われたが馬鹿らしくてばっさり切り捨てたことを思い出した。結局あれはリヴァイ以外で受けたのではなかったか。
「…ナマエ」
「お店を移転して兵団本部に近くなったら、他の方に会う機会もあるでしょうか?私、ハンジ分隊長とナナバさんにお会いしてみたいんですっ。ハンジ分隊長はエルヴィン団長に次ぐ頭脳明晰な方で、ナナバさんは部下指導に関して一流な方だと拝見しました」
そうなんですか?と目をキラキラとさせるナマエにはとても可愛い。可愛いが、それが自分以外の兵士にときめいている姿だと思えば苦々しい思いが込み上げてきた。しかもナナバはともかく、あのハンジときたものだ。
「…却下だ」
「え?」
「んなくだらねぇ雑誌を買う必要はねぇ。帰るぞ」
「えっ、えええ!?」
悲鳴をあげるナマエを無視して、手を引いたままずんずんと足を進める。引き摺られながらも「リヴァイさん、本屋!本屋通りすぎちゃいます!」と泣き声混じりで喚くナマエからは、リヴァイのものすごく不機嫌そうな顔は見えなかった。
そして彼は強く誓った。これからはどんなインタビューや対談だろうと、全て自分が受けることを。
-fin