不変の月を手に入れる(後)

「で?なんでそんなに苛々しているんだ、リヴァイ」

「…別にいつも通りだろ」

普段通りの仏頂面を無表情の上に貼り付けたリヴァイの声に覇気がない。ふむ、と思案気に目線を上にやったエルヴィンがおもむろに筆を置いた。

「当ててやろうか。ナマエのことだろう」

「俺は別に…」

「ナマエが最近お前に好きだと言わなくなったばかりかあまり顔も合わせなくなった。違うか?」

確信を持ったその言い方に口を噤んだ。
チッと舌打ちをしたリヴァイがどかっとソファーへ腰を下ろし、不服そうに腕を組む。

「…何か心当たりがあるのか」

「その前にお前に聞きたいことがある」

「あ?改まってなんだ」

蝋燭の光がゆらりと揺れた。
逆光になったエルヴィンの表情が読み難くてリヴァイは目を眇める。

「ナマエのことをどう思ってるんだ」

「は…?」

唐突な質問に目を瞬いた。
ナマエのことで揶揄われたり冗談混じりに声を掛けられることはあったが、今の彼はその時とは違う真剣な雰囲気を纏っている。

「なんだ…いきなり。前から言ってるだろ。ただの部下に手を出すつもりはねぇよ」

「…そうか。ならナマエが兵団を辞めて嫁ぐことに何の支障もないな」

「なん…だと…?」

思いがけない話に思わず腰を浮かしてしまう。
そんな自分に気がついて、ハッと再び腰を下ろすがエルヴィンの澄んだ碧眼をどうしても見ていられない。

「ナマエに縁談の話がきている」

「オイ待て…あいつの両親はとうに亡くなってるはずだろ。誰がそんな話を持ってきやがる」

「…ほう。それは知っているのか」

意外そうに片眉をあげたエルヴィンがゆっくりと手を組んだ。未だにその表情の色がうまく見て取れない。

「では彼女の父親が調査兵団だったことも?」

「ああ、聞いている」

「…そうか。彼女の父親はな、元々憲兵団所属だったんだ」

「憲兵団…?」

「そうだ。そしてピクシス司令の部下でもあった」

予想外の話に思わず眉を寄せてしまう。
そんなリヴァイにエルヴィンは静かに話を続ける。

「私が入団する頃にはもう亡くなっていたから直接は知らないが。優しく優秀な方だったようだ。結婚して子どもが…ナマエが生まれて、そして調査兵団に異動をしたらしい」

「そりゃなんでまた…」

「…巨人のいない世界を子どもに見せてやりたい。ピクシス司令にはそう言っていたそうだ」

そう言って伏し目がちになったエルヴィンを食い入るように見つめてしまう。会ったことも見たこともないナマエの父親の笑顔が、何故か思い浮かべられるような気がした。

「ピクシス司令も大分目を掛けていたようだ。亡くなったと聞いて…しかもその娘が調査兵団に入団していると知り、いてもたってもいられなくなったらしい」

「オイオイオイ…それじゃあまさか…」

「そのまさかだよ。二週間前、ピクシス司令がここに来ていたのは知っているだろう?その時初めてナマエと顔を合わせたんだ」

父親の面影を残すナマエを大いに懐かしみ、そして気に掛けたという。そして亡き部下の忘れ形見を思うあまり随分と余計なことを吹き込んでいったらしい。

「『リヴァイのような男に色恋沙汰は不要じゃないか』とな」

「…クソジジイが」

食えない笑みを浮かべるピクシスの顔を思い浮かべて眉間に青筋を立てるリヴァイを、エルヴィンが深い笑みで眺めた。そしピクシスがナマエに告げた言葉を更に重ねていく。

「リヴァイはああ見えて情に深い男だからナマエの好意を無碍に出来ないだろう。本当に相手のことを思うなら、自分から身を引くのも愛情の一つだ、とな」

「てめぇ…それを聞いて放っておいたのか」

「ナマエが何も言わないのに私が何かを言うことは出来ないだろう。あの子は穏やかに笑って頷いていたよ」

大袈裟に首を竦めたエルヴィンをきつく睨めつけた。いらぬことを吹き込んだピクシスに腹が立つが、それを止めもしなかった目の前の男にもはらわたが煮え繰り返りそうになる。

「何故怒る?ナマエに気持ちがないのなら別に構わないだろう」

「…どうしてそれが縁談の話になる」

「今日、ピクシス司令から直接話をもらった。ナマエが乗り気ならいい話を紹介したい、ということらしい」

「てめぇ…それをナマエに話したのか」

「もちろん。受けるか受けないかは彼女次第だ。明日、返事をもらうことになっている」

漸く逆光から出てきたエルヴィンの顔はいっそ腹が立つほど普段通りだ。勢いよくソファーから立ち上がったリヴァイは、その飄々とした顔を思いきり睨みつけた。

「…エルヴィン。お前、覚えてろよ」

「リヴァイ…中途半端な執着でナマエを縛るくらいなら…」

「ふざけるな」

ピンと張り詰めた空気がリヴァイを纏う。
きつく握られた拳が彼の心情を表していた。

「いいか。あいつは…あいつが俺に告げる言葉は、俺にとってたったひとつの不変なものだ」

「…リヴァイ」

「あいつは俺のそばで、ヘラヘラ笑いながら好きだなんだって騒いでればいいんだよ。他の男に掻っ攫われるくらいなら…俺がもらう」

「お前…部下には手を出さないんじゃなかったのか」

「そうだ。“ただの”部下に手を出すつもりはねぇ。だが…あいつはもうただの部下じゃねぇだろ」

「…それは屁理屈ってものだろう」

「勝手に言ってろ」

そう言ったリヴァイがエルヴィンに背を向ける。
真っ暗な外を映す窓にチラリと目をやり、扉に手を掛けた。

「ピクシスには断っとけ。あと勝手に俺の心情を分かった気になるな、ともな」

言い捨てて部屋を出て行った自由の翼を見送った。
ふう、と息を吐いて引き出しから取り出した手紙を一読し、知らず知らずのうちに笑みを浮かべる。

『もしリヴァイとナマエがくっつかなかったら、彼女にはいい縁談を紹介するぞ』

行き過ぎたお節介だと思っていたがどうにも功を奏したようだ。どこまでも不器用な男の幸運を祈って、エルヴィンはそっと手紙を仕舞い込んだ。



「ナマエ!!」

「えっ…リヴァイ兵長!?」

自主練の最中、突如届いた声に思わず目を丸くした。かなりのスピードで走ってくるリヴァイの姿を捉えて慌てて敬礼を捧げる。

「いい、下ろせ。お前に話がある」

「は、話…?」

息一つ乱していないのはさすがとしか言いようがないが、鬼気迫った雰囲気を醸し出すリヴァイに顔が引き攣ってしまう。
自分は何かやらかしただろうか。いや、そもそも最近はリヴァイと顔を合わせないようにしていた分、彼の怒りに触れるようなことはしていないはずだ、とぐるぐると混乱する頭で考える。

「…最近顔を見てねぇが」

「そ、そうでしょうか…」

「それに、あれだ…あんまりぎゃあぎゃあ騒がなくなっただろ」

「えっと…?」

回りくどい言い方にナマエが疑問符を浮かべるのが分かる。不機嫌そうな顔を隠さず、リヴァイがぎろりと彼女に視線をやった。

「だから…好きだとか言わなくなっただろ」

ボソリと呟かれた言葉に一瞬頭が真っ白になる。
目を合わせて聞いた「好き」の単語にじわじわと顔に熱が集まってきた。別に自分に向けられた言葉でもないのに、もう末期だなと内心苦笑する。

「えーっと…それは…」

「なんだ。まさかピクシスの話を気にしてんのか」

「えっ…!?どうしてそれを…!」

驚いたように声を上げたナマエを見た彼が益々皺を深くするのを目にし、混乱してしまう。
何年も何も気にせず好意を表してきたのに、今になってピクシスの一言を気にするなど自分で自分が可笑しくなってくるが、リヴァイのことを第一に考えるナマエにとっては笑って済まされない問題だ。

「お前…今さらそんなこと気にするのか」

「いえ、あの…私、兵長に迷惑を掛けるのだけは嫌なんです」

「それこそ今さらだろうが。毎日懲りずに告白してきた奴の言葉か?」

「それはそうですけどっ…!もし本当に兵長が迷惑に感じていて、でも優しさで我慢して下さってるとしたら…すごく嫌だなって」

「…お前」

「それに、ピクシス司令が兵長のことを誤解するのも嫌なんです!私が勝手に好きだって言ってるだけなのに、兵長まで…」

「は…?俺がなんだ」

思い出すのはピクシスとの会話だ。
父との思い出話を懐かしそうに語る彼に、最高司令官ということも忘れつい盛り上がってしまった。
そしてナマエの緊張が解れた頃、優しい瞳で気遣う色を見せていたピクシスが告げた言葉は、全く優しくもなんともないものだった。
それを思い出したナマエが怒っているのか照れているのか、複雑な表情のまま頬を赤くしている。そんな彼女の憤りは自分が思っていたものと違っていそうで、リヴァイは眉を寄せた。

「あの、これは司令が言ってただけですからね?私じゃありませんよ?」

「いいから早く言え」

「…兵長が私を特別に思っていてそばにいることを許してる、だとか、兵長もただの男だったとは驚きじゃ、とか…」

チラチラとリヴァイを見ながら言いづらそうに語られた内容に、頭の中でピクシスとエルヴィンを蹴り上げておいた。余計なことを言ってんじゃねぇよ、と口の中で呟きながらも気を取り直す。

「…あんなクソジジイの世迷言を気にしてんじゃねぇ」

「クソジジイ…」

「それより縁談はどうするんだ」

「あ、それもご存知なんですね。もちろん断りましたよ。エルヴィン団長にはお伝えしました」

全て知っているリヴァイに目を見開くが、エルヴィンから聞いたのだろう納得する。
彼からどこか楽しそうに「君に縁談の話がきている」と告げられた時は心底驚いたものだ。だが、ナマエが丁寧に断るとあっさりと身を引き、底知れぬ笑みを浮かべて「リヴァイは幸せ者だな」と呟かれてしまった。

「…チッ。エルヴィンのクソ野郎が」

「あの…兵長?」

「こっちの話だ。とすると、なんだ。最近俺を避けていたのはそんな下らねぇことが理由なんだな?」

「さ、避けていたわけじゃ…。お会いしちゃうと好きって言いたくなっちゃうので…」

「それを避けてるって言うんだろうが」

「…でもリヴァイ兵長に迷惑を掛けたくないのは本当なんです」

困ったように、寂しそうに笑ったその笑顔は初めて見るものだった。
その顔を見て、自分はとっくに彼女に惹かれていたのだと気がつく。いつもの笑顔を見たいと、そう強く願う自身の気持ちを改めて自覚する。

「…別に迷惑だとも嫌だとも思ってねぇよ。むしろそれがないと一日が始まった気がしねぇな」

「はあ…」

曖昧に頷いたナマエの様子に必死に頭を回す。
彼女が伝えてくれた百分の一でも自分に素直さがあれば、今すぐ想いを通わせることは何も難しくないだろう。

「チッ…気付けこのクソ鈍感女。俺をこんなんにした責任取りやがれ」

「ええと…あ、あれですか。私の愛の告白で一日が始まるスイッチが入る的な…」

「間違っちゃいねぇがそうじゃねぇだろ…」

納得したように目を輝かせた彼女に脱力してしまう。そんなリヴァイを見て何を勘違いしたのか、ナマエがグッと拳を握って気合いを入れていた。

「じゃあ明日からも愛をお届けしますね!お任せください!」

「…前から不思議に思ってたんだが。お前、好きだとかなんだとか言う割に、恋人になれとは言わねぇんだな」

「な、何を仰います!私こそ前からお伝えしてるじゃないですか。そんな恐れ多い…私はこうしてリヴァイ兵長とお言葉を交わせて、好きだと伝えられれば満足です」

途端に恥ずかしそうに両手で顔を覆うナマエに愕然とした気持ちになる。
ここまで言って気がつかないナマエが悪いのか、明確な言葉を告げられないリヴァイが悪いのか、恐らくそのどっちもなのだろう。

「…いいか。一度しか言わねぇからよく聞けよ」

「はい…?」

「…俺はお前がそばにいることを迷惑に思ったりしねぇ。それどころか毎日見ていた顔が見えなくなれば気になって仕方ないくらいだ」

「兵長…」

「今までもこれからも、俺が隣にいることを許すのはナマエだけだ。分かったな」

「っ、はい…!」

嬉しそうに大きく頷き、目を潤ませるナマエに安堵の息を吐く。羞恥からナマエと同じ言葉は告げられなかったが、ここまで言えばいかに鈍感な彼女でも理解出来るだろう。

「では今後も遠慮なく、朝のご挨拶と共に大好きの気持ちをお伝えしますね!」

「ああ…つーか別に朝だけじゃなくていいだろ。仕事が終わってからや休みの日でも…」

「そんな…あくまでこれは私のプライベートの気持ちですから…!兵長のプライベートまで押し入るわけにはいきません」

「あ?別に構わねぇよ。そんなこと言ったら今までと何も変わらねぇぞ」

「十分ですよ。兵長にこうしてお気持ちを伝えられ、お役に立てるだけで幸せです」

「…ナマエ」

「はいっ」

どこまでも純真な瞳でリヴァイを見つめるナマエに嫌な予感が湧き上がってくる。
恐る恐る確認のために名を呼んだ彼に、ナマエは明るく答えた。

「…ちなみに聞くが。俺たちは今、どんな関係だ?」

「関係…ですか?上官と部下ですが、私が兵長にずっと片想いさせて頂いております!」

「片想い…」

「あっ…図々しかったですかね。でも…兵長公認でこれからも片想い出来るのが嬉しくて…。ありがとうございます!」

心から幸せそうに微笑むこの顔も初めて見るものだ。可愛らしいその表情に頬が緩みそうになるが、それよりも彼女が告げた内容に思わず天を仰ぐ。

「…ナマエ」

「はいっ、兵長!大好きです!」

そこで「俺もだ」と答えられない自分の情けなさを呪いながら、リヴァイは暫しの現実逃避のためにナマエの笑顔を堪能するのだった。



その後。
ナマエが「大好きですっ」と告げる度、ほんの少しだけ表情を緩めるようになったリヴァイを周りが放っておくわけもなく。
ハンジの質問攻めに降参したリヴァイが告げた「…まだ好きだと伝えてねぇ」の一言が、周りから非難轟々だったことは言うまでもない。
そして文字通り背中を押されたリヴァイの一世一代の告白は、「…私、いつ死んでもいいです」と何よりも綺麗な涙と共に溢された、ナマエの笑顔に受け止められたのだった。


-fin




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