五感が紡ぐ恋のうた

「苦手なもの…?」

目をぱちくりさせ首を傾げるナマエの髪がさらりと揺れた。リヴァイに書類を手渡しながら、視線は質問を投げかけたハンジの方へ向けられている。

「そっ。今みんなの苦手なものを聞いてるんだ!ナマエには苦手だったり嫌いなもの、あるの?」

「うーん…あるにはありますが…」

「やっぱりリヴァイ?顔怖いしぶっきらぼうだし愛想ないし。こんな上官嫌だよねぇ?ウチの班に来な…」

「ひとんちの補佐官引き抜いてんじゃねぇよこのクソメガネ」

「リヴァイ兵長、そんなに怖くないですよ?」

「うっそだー!じゃあこのクソ怖い上官より怖いものって一体なに?」

興味津々に身を乗り出したハンジをリヴァイが睨みつけた。リヴァイの補佐官を担い、最強とも最恐とも言われる彼の扱きに耐えたナマエの恐れるものとは何なのだろうか。

「んー…秘密です。簡単に弱みを見せるなって、リヴァイ兵長に常に言われていますから」

「えぇー!教えてよー!」

クスッと笑ってハンジの追及を交わし続けているナマエを横目で見守りつつ、渡された書類に目を通す。ハンジだけなら騒音になりかねない騒がしさも、そこにナマエの声が加わるとちょうど良い雑音程度になるから不思議なものだ。
だがやはり、どうせ聞くならナマエだけの声の方がよっぽど心地が良い。

「人の部屋で騒ぐなクソメガネ。用が済んだならとっとと出てけ」

「ちぇっ…やっぱりクソ怖いじゃんよ。ナマエ、今度教えてよねー!」

「はーい、分かりましたよー」

軽く答えたナマエが不貞腐れて出て行ったハンジを優しく見送った。途端にシン、と静まり返った部屋がどうしてか勿体なく感じて、リヴァイは書類に目を落としたまま口を開く。

「…で、なんなんだ」

「えっ?」

「苦手なもの。あるんだろ?」

書類越しに上目で見上げてきたリヴァイが物珍しくて目を丸くする。ハンジの脈絡のない雑談に興味を示すなど珍しいこともあるものだ。

「そうですねぇ…誰にも言いません?」

「…聞いといてなんだが。弱みは人に見せねぇんじゃなかったのか」

うーん、と視線を上にやって考えていたナマエの返答に思わず突っ込んでしまう。自分から振った話題だが、先ほどのように誤魔化されると思っていたのだ。
ナマエが横髪を耳に掛けながら小さな笑みを浮かべて答える。

「そうですけど…。兵長は別ですから」

「…そうかよ」

それに特別な意味を見出しそうになる。喉につっかえたような掠れた声で答えたリヴァイを気にすることなく、ナマエはどこまでものんびりと話を続けた。

「弱みってほどのものじゃないですしね。私、雷が苦手なんです」

「は…?雷?」

予想外の返答に鋭い瞳を僅かに丸くした。
リヴァイの補佐官として壁外で最前線を駆け抜け、奇行種にも一人で立ち向かう彼女の苦手なものがまさか雷だとは。
言葉に詰まったリヴァイに気が付いたのか、ナマエが口元を苦笑の形に変える。

「小さい頃に目の前の木に雷が落ちまして。そこからどうも苦手になっちゃって…」

「まぁ自然相手はどうにもならねぇからな…」

「巨人や犯罪者なら倒せば済むんですけど、雷って倒せないじゃないですか」

「確かに古今東西、雷にブレードで立ち向かったアホはいねぇだろうな」

「あははっ。あの音と思いきり光るのがどうしても駄目で…。誰かと一緒ならなんとか誤魔化せるんですけど、一人だと布団に包まって過ぎ去るのを震えて待ってるんですよ」

話していくうちに羞恥を感じたのか、ナマエが顔を俯けた。今まで壁外調査中に雷雨になったこともあったようだが、そこはむしろ巨人のうなじを削ぐことに集中して難を逃れたという。

「まぁ…なんだ。今後一人でどうしようもなくなったら俺の部屋に来い」

「えっ…」

「んな話聞いたら放っておけねぇだろ。まさか兵士長補佐官が雷が怖くてピィピィ泣いてるなんてな」

「ちょっ…泣いてないですってば!」

慌てて否定するナマエにふっと微かな笑みを浮かべる。リヴァイなりの不器用な優しさと気遣いを受け取ったナマエもはにかむように頬を緩めた。
雷とは程遠い、雲一つない空が窓の外に広がっていた。



黒に近い濃い灰色の雲が空を覆い尽くしていた。
以前、ナマエと交わした会話を思い出しながら外を眺めたリヴァイは内心舌を打つ。長丁場になった合同会議は、夕飯時を過ぎてやっと終わりを迎えていた。

「うっわ、こりゃ帰り途中降られそうだね」

「そうだな…。風も強くなってきたし嵐になりそうだ」

「エルヴィン。俺は先に帰る」

憲兵団の本部を出た三人を強い風が迎えた。
細かい霧雨が風と共に吹きつけてきて、思わず顔を顰めてしまう。

「リヴァイ、もうすぐ馬車が来る。何か急ぎの用があるのか」

「…別にねぇよ。濡れるのが嫌なだけだ」

「だったら尚更馬車に乗って行った方が良いだろう」

「…チッ」

面白そうに碧眼を細めるエルヴィンから顔を背けて真っ黒な空を見上げた。時折ゴロゴロと遠くの方から雷鳴が聞こえてきている。
漸く到着した馬車に乗り込んだ三人の耳に、段々と強くなる風が窓を叩く音が飛び込んできた。

「まさかこんな荒天になるとはねぇ。ツイてないな、ほんとに」

「エルヴィン。ここから兵団本部までどれくらいだ」

「そうだな…三十分くらいだ」

「…そうか」

「なになに?リヴァイ、何か予定でもあんの?このあとに?」

「狭い中騒ぐなメガネ。別に何もねぇよ」

ふいっと顔を背けて窓の外を眺めるリヴァイ。
その横顔を眺めていたエルヴィンとハンジの視線が意味深に交わされる。そして何気ない口調でエルヴィンが口を開いた。

「そういえば…そろそろ兵団内でも異動を考えなければならない時期だな」

「もうそんな時期かー。ナマエとかうちの班に来ないかなー」

「人の補佐官口説くなっつっただろうが」

「ナマエと言えば…憲兵団からも異動の打診が来ていたな」

「…なに?」

その瞬間、勢いよくエルヴィンを振り返ったリヴァイの眼差しは雷よりも鋭い。その視線の先で食えない笑みを浮かべたエルヴィンが軽く肩を竦めるジェスチャーをした。

「もちろん断ったさ。彼女ほど優秀な人材をみすみす手放すわけがないだろう」

「…ならいい」

「なんならリヴァイの補佐官を解いて私の副官につけてほしいくらいだ」

「私も私も!ナマエが来たら最高なのにな〜」

益々厳しくなるリヴァイの視線の強さを知ってか知らずか、エルヴィンとハンジの明るい会話は途切れない。ナマエの優秀さと気立の良さについて語る二人を見遣りつつ、リヴァイは腕を組んで背もたれに深く凭れかかった。そしておもむろに告げる。

「オイ、エルヴィン、ハンジ。ナマエは確かに優秀で有能だ。そんなことお前らよりも俺の方がずっとよく知っている」

「ほう…お前がそこまで言うのは珍しいな」

「私も知りたいなー。壁外調査でのナマエの活躍は知ってるけど…」

興味深そうにリヴァイを見るエルヴィンと、手を頭の後ろで組みながら楽しそうに問いかけるハンジの二人に、フンっと鼻を鳴らす。噛み締めるようにもったいぶりながら、リヴァイがナマエについて語り始めた。

「…とにかく事務処理能力は桁違いだ。優先事項の把握は早ぇし突発的な仕事への対応力もずば抜けている」

「確かにな。リヴァイへ急な仕事を振っても確実に締め切りに間に合わせてくるところはさすがだ」

「俺はナマエに言われた通りに処理してるだけだ。あいつがいなきゃ俺の机は書類の山で埋まってるだろうよ」

「潔癖症のリヴァイがそこまで言うなんてねぇ」

「壁外調査でのあいつの動きはお前らも知ってるだろ。補佐なしで討伐出来るような巨人相手でも、ナマエは新入りに補佐させて実践経験を積ませている。つまりはそれくらい余裕があるってことだ」

「壁外調査は経験が何よりもものを言うからな。やはりナマエの下に新兵をつけるのは正解だったか」

「だが部下たちを気にする気持ちは強いくせに自分のことは疎かだ。チッ…俺が毎回どれだけ肝を冷やしているか…」

「…ほう。お前がか、リヴァイ」

「ああ。あいつ、15m級に捕まった部下を助けたあと壊れた立体機動のまま巨人の腕から飛び降りるようなやつだぞ?」

「えっ!?どうしたのそれ!」

「助けられた部下は自分の立体機動で飛べたからいいがな、ナマエはそのまま地面に真っ逆さまだ」

「ちょっと…!でもナマエ、怪我一つしてなかったよね?」

「当たり前だ。俺が助けたに決まってんだろ」

その時のことを思い出したのか、くっきりと眉根に皺を寄せたリヴァイが憮然と腕を組む。
巨人の腕から落ちてきたナマエを地面ギリギリで掬い上げ、そのまま馬に飛び乗ったリヴァイに彼女は満面の笑みを浮かべてこう言ったのだ。

「『リヴァイ兵長が絶対拾ってくれると思いました』…だとよ」

「くくっ…それは…とんだじゃじゃ馬だな」

「あはははっ!ナマエらしいっちゃらしいけどね」

「ふざけんな。俺は寿命が縮まったぞ」

脱帽したように笑う二人を尻目にリヴァイの表情はどこまでも不機嫌そうだ。だがその中にもどこか穏やかな雰囲気を醸し出していて、エルヴィンは益々笑みを深める。

「つまりはリヴァイ。お前の寿命が縮まるほどにはナマエは大切な存在ってことか」

「…てめぇ」

「やっぱりそうなんだ?ナマエといる時のリヴァイ、全然雰囲気違うもんなあ」

ケラケラ笑うハンジをじろりと睨みつけ、むっつりと腕を組んだまま答えないリヴァイをエルヴィンが楽しそうに見つめた。

「で?今日はナマエと約束があるわけか」

「…ねぇよ」

「じゃあなんで急いでるのさ?まさかナマエ以外と逢引き?」

「ハンジ。間違ってもナマエの前で誤解を招くようなことを言うんじゃねぇぞ」

脅すように低く言ったリヴァイに両手をあげるハンジ。その向こう側にぴかっと光る大きな雷が夜空を割った。早く着け、と口には出さずにその空を思いきり睨みつけた。



低く唸った遠鳴りにびくりと肩を震わせる。
訓練が終わったあたりから立ち込めた雨雲を見て、早々に全員を部屋に戻らせたのは正解だったようだ。

「うー…最悪…」

溢した弱音は思ったよりも近くで鳴った雷鳴に掻き消された。個室になる前は同室だった同期と喋ったりくっついたりして紛らわせていた恐怖だが、個室になってからは一人で耐える日々だ。

『一人でどうしようもなくなったら俺の部屋に来い』

脳裏にリヴァイの言葉が蘇る。それだけで心に温かいものが溢れてきて、少しだけ気が紛れた気がした。
今日、リヴァイは会議で遅くなると言っていた。もし兵団内にいてもあの言葉を鵜呑みにして頼ることは出来ないだろうが、それでも彼がそうしてナマエを案じてくれたことに意味がある。
リヴァイの補佐官を任じられ、誰よりも近くで彼を見てきた。決して甘い人ではないが、厳しさの中に誰よりも部下を思う気持ちを読み取った時には、既に彼に心を奪われていた。
この恋が叶うとは思っていない。リヴァイの役に立ち、彼が兵団のため、人類のために進むことが出来るように尽くすのがナマエの役目だ。彼の些細な表情の変化やナマエに向けるほんの少しだけ心を許した顔を、誰よりも近くで見ていられたらそれだけでいい。
いつもならベッドに入るにはまだ早い時間だが、頭から布団を被り無理やり目を瞑る。リヴァイを思い浮かべたことで、空の荒れ模様とは裏腹の穏やかな眠りが訪れることを祈った。



兵団本部に着く頃には横殴りの雨とゴロゴロと唸る雷がリヴァイたちに降りかかった。
濡れるのも厭わずに馬車から飛び降りたリヴァイに、さすがにエルヴィンとハンジも目を見張る。

「ちょっとリヴァイ…!」

「今日はこれで解散だな?エルヴィン」

「ああ、そうだが…」

「俺は先に部屋に戻る。じゃあな」

律儀に確認を取ったリヴァイが一切振り向くことなく豪雨の中を駆け抜けていく。濡れることも泥が掛かることも気にせず、ただ真っ直ぐ走っていく自由の翼をぽかんと見送ったハンジがエルヴィンの顔を見上げる。

「…リヴァイ、本当にナマエと約束でもあったのかな」

「いや…私が知る限り二人はまだそういう関係ではないはずだが…」

兵団随一の頭脳を持つ彼らにも理解出来ないことはあるらしい。だが一つだけ分かっていることは。

「まぁリヴァイがあそこまで必死になるのはナマエ絡みなんだろうけど」

「この嵐にナマエが怯えてるんじゃないかと心配になったんじゃないか」

「人類最強とその補佐官にしては随分可愛らしい理由だね」

声を上げて笑ったハンジとエルヴィンの優しい眼差しが、とっくに姿の見えなくなった緑のはためきを見送っていた。



前髪から滴りそうになる水滴を鬱陶しそうに払い、リヴァイはナマエの部屋の前で呼吸を整えていた。本当なら湯浴みをして濡れた身体を温め、着替えてから来るべきだと頭の隅では理解していたが逸る気持ちのままここに来てしまっていた。
とりあえずびしょ濡れになったコートを脱ぐが気休め程度にしかならない。未だ低く轟く雷鳴を耳にしたリヴァイは、躊躇いながらもノックのために拳をあげる。

(あんな話聞いちまったら放っておけねぇだろうが…。そうだ、部下の安全を確認するだけで他意はねぇ)

自分に言い聞かせながら叩いた扉は、思ったよりも弱々しい音を響かせた。だがナマエの耳にはちゃんと届いたようでノックの音よりも弱くて細い声が答える。

「…はい?」

「ナマエ、俺だ」

「え…リヴァイ兵長!?」

ガタガタと部屋の中で慌てる物音が響いている。
僅かな間をおいて、扉がゆっくりと開かれていく。そこから覗いたナマエの顔はひどく不安そうで、心なしか目元が濡れているように見えた。

「ナマエ…?泣いてたのか?」

「えっ、これはっ……って兵長!びしょ濡れじゃないですか!」

ハッとしたように目元に手をやったナマエだが、リヴァイの有様を見た途端に素っ頓狂な声をあげた。「入ってください」と慌てて大きく扉を開け放たれたことにたじろぐが、とりあえず甘えることにする。上官といえど男を部屋に招き入れることへの説教は嵐が去った後でいいだろう。

「すみません、こんなものしかないんですが…」

「いや、悪いな」

ナマエが差し出したタオルを素直に受け取った。それで髪を拭けば、同じ洗剤を使っているはずなのに甘い香りを嗅ぎ取った自身にうんざりしてしまう。

「あの…兵長、どうされましたか」

「ああ…お前、」

リヴァイからコートを受け取り、乾かすためにハンガーに掛けていたナマエがおずおずと問い掛ける。だがその時、一際大きな雷光の後に轟音が鳴り響いた。

「っ、ひゃ…!!」

びくんと身体を強張らせたナマエが両耳を塞ぐ。今回は相当近くに落ちたようで部屋を微かに揺らす振動も伝わってくる。

「やぁっ…!もうやだぁ…」

緊張の糸がプツンと切れたように、ナマエが両手で顔を覆って濡れた声を上げた。切羽詰まったそれに思わずリヴァイも一歩近付く。

「ナマエ、オイ、ナマエ」

「へいちょ、う…兵長…」

リヴァイの声に反応したナマエが指の隙間から瞳を覗かせる。きらりと光るそれに思わず息を呑み、一瞬の逡巡の後にそっと手を差し出した。

「…手でも握っとくか?」

「え…?」

「別に腕でも足でも構わねぇよ。この嵐が過ぎるまでここにいてやる」

驚いたように顔を見せたナマエだが、続く雷鳴に再び肩を震わせ、咄嗟にリヴァイの手に縋りつく。その温もりに気がつくと頬に血が昇るのを感じた。

「も、申し訳ありませっ…」

「泣くほど怖ぇか」

離そうとした手をぐいっと引かれ、握られたまま椅子に座らされた。隣の椅子に腰かけたリヴァイが気遣わしげにナマエの瞳を覗き込む。
自分の頬に流れる雫に気がついたらしいナマエがハッとして右頬に手をやった。

「あ、私…すみません…こんな、お恥ずかしい…」

無言で首を横に振ったリヴァイからは心配そうな気配が伝わってくる。まさか彼が本当にこうしてそばにいてくれることになるなんて、混乱と感動のまま口を開いたナマエは無意識に言葉を溢していた。

「これは…あの…夢を、見まして…」

「夢?」

「はい…。さっき雷が怖くていつものように布団を被っていたらいつの間にか…」

寝てしまっていて、とそこで言葉を途切らせたナマエの唇が大きく震える。そこに拭い切れない恐怖の色を見て取ったリヴァイが握った手に力を込めた。
それをしっかり握り返したのも無意識なのだろう、ぽろりともう一粒涙が落ちたことにも気付かぬまま、ナマエが震える唇を開いた。

「兵長が…」

「…俺が?」

「兵長が…私、を庇って…巨人に…」

そこまで聞いておおよその検討がつく。
恐らく夢の中でリヴァイが死ぬ場面にでも出くわしたのだろう。

「俺は死んだか」

「それをっ、言わないでくださいっ…!」

「悪かった」

くしゃりと顔を歪めたナマエを宥めるために、握った手の甲を人差し指でトントンと叩いてやる。大の苦手だという雷と夢見の悪さでいつもは平静なナマエの心も乱れに乱れているらしい。

「こわ、怖かった…。夢の中でも雷が鳴ってて…」

「ああ…。嫌な夢だったな」

「へ、兵長がっ…お前は隠れとけって言って…私を庇って…へいちょ…う…嫌です、兵長…」

ついにはひっくひっくと嗚咽を漏らしてしまったナマエに呼吸を忘れてしまいそうになる。これ以上触れられないこの距離が歯痒く、もどかしくて仕方がない。

「…泣くな」

「へいちょ…う…リヴァイ、兵長…」

譫言のように何度もリヴァイを呼んでいるナマエも自分を制御出来なくなったように泣き続けている。
その痛ましい姿に堪らなくなってリヴァイは勢いのまま思いきり手を引いた。そして自分の左胸に、握ったナマエの手をドンっと押し当てる。

「へ、いちょう…?」

「心臓、ちゃんと動いてんだろ」

「あ…」

「勝手に殺すな。俺は死なねぇよ。怖ぇ夢見て、雷怖くて泣いてるようなお前を置いていけねぇだろうが」

「そ、それだけ聞くと…私が子どもみたいじゃないですか…」

事実だろ、と微かに笑ったリヴァイが心臓からゆっくりと拳を離していく。どくどくと耳の奥に流れる鼓動の音は、今まで感じていた彼のものなのか、それともナマエ自身のものなのか。
今、その区別がつかなくなるくらいの近さに彼がいるのだと改めて実感してしまった。ふーっと大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。

「…すみません、兵長。お疲れのところこんなお恥ずかしいところをお見せして…」

「こっちこそ悪かったな。こんな濡れ鼠のまま部屋に押し入っちまった」

「いえっ、すごく…心強いです」

はにかんだナマエの顔にもう涙は見えなかった。大きく深呼吸をした彼女が両手でリヴァイの手を握り直す。

「兵長は…本当に優しいですね。この前私があんな話をしたから、心配して来て下さったんですよね?」

「…まぁな。まさか雷の中怖ぇ夢見たからってピィピィ泣いてるとは思わなかったがな」

「うっ…反論のお言葉もございません…」

居た堪れなさそうに小さく身体を縮めるナマエを見守る瞳の優しさに、彼女自身は気がつかない。浅く息を吐いたリヴァイが決意を固めたその時、再び凄まじい雷鳴が窓の外を明るく照らした。

「っ、ひゃっ…や、ぁ…!」

まだまだ過ぎ去る気配がない雷と豪雨を窓越しに思いきり睨みつけるリヴァイ。いいところで邪魔をしたどころか、ナマエをここまで怖がらせる自然相手に本気で腹立たしくなってきていた。
保っていた細い理性の糸がキリキリと音を立てる。

「…もう、ほんとに怖い、です…」

「ああ、怖いな」

「へ、兵長も…夢の中で私に怖い思いさせるしっ…」

「そりゃあ悪かった。許せ」

「というかなんでこんなうるさいんですかね、雷って。光るし夜なのに明るいし落ちてくるし…」

「…そうだな」

「なんかこう、物理的に遮断出来ませんかね。耳栓は試したんですけど、一人の部屋で何にも聞こえないっていうのも怖くて…」

「じゃあ…こうしてみるのはどうだ」

恐怖を紛らわせるようにつらつらと不平を連ねていたナマエの手を取り、立ち上がらせる。ぱちぱちと瞬きを繰り返すナマエをそのままそっと腕の中に閉じ込めた。
抱擁ともいえないくらいの温かいそれがナマエを閉じ込める籠となる。

「…兵、長…?」

「あとはこうすりゃ完璧だろ」

未だ事態が飲み込めていないような、ぼんやりとした瞳で見上げるナマエの両耳を優しく塞いだ。
初めて触れたその柔らかさにリヴァイの奥で燻る熱が刺激される。

「…どうだ」

「へ、いちょう…あ、の…」

「…よく言うだろ。恐怖を紛らわせるには人の温もりだとかなんとか」

苦し紛れの言葉は耳を塞がれたナマエにもちゃんと届いたようだ。置かれた状況を正しく理解したのか、じわじわと頬を紅潮させていくナマエの様子に嫌悪感は感じられない。そのことに内心胸を撫で下ろすと、塞いだ手のひらには彼女の熱がじんわりと伝わってきた。

「兵長…?確かに雷の音はあんまり聞こえなくなりましたけど…兵長の声も聞こえにくいです…」

「…好都合だ。そのまま聞け」

そう言って耳を塞ぐ手に更に力を込める。
聞こえて欲しいような、聞こえて欲しくないような、そんな両極端な気持ちを抱えたまま大きく息を吐いた。
そしてリヴァイの唇が、ゆっくりと三文字の言葉を形取る。呟くような声は彼女に音として届かなかったかもしれない。しかしその三文字を読み取ったナマエの目がみるみるうちに見開かれていく。

「兵、長…」

「…雷、いったみてぇだな」

不意に視線を窓の外に向けたリヴァイがおもむろに両手を離した。途端にクリアになる耳が未だ激しい雨音を捉えるが、確かに雷は遠くに去っていったようだ。

「リヴァイ…兵長…今、」

「…悪い、お前まで濡れちまった」

リヴァイと触れ合ったことでナマエの部屋着も少し湿ってしまったようだ。ナマエが視線を下に向けたタイミングを見計らったように、リヴァイが「今さらだが着替えてきた方が良いな」と踵を返そうとした。ここで彼を逃したら、きっともうこの部屋には来ない。そう確信したナマエは背中からリヴァイの耳に手を伸ばし、先ほどの彼と同じようにその耳を塞いだ。そして、ありったけの想いを叫ぶ。

「リヴァイ兵長っ…!大好きです…!」

張りあげた声は思ったよりも掠れ、伸ばした両腕はぷるぷると震えている。
相当遠くなった雷鳴が、最後の足掻きと言わんばかりに部屋の中に反響していた。

「…そんな大声じゃ耳塞いだ意味ねぇだろうが」

ふ、とリヴァイが纏う雰囲気が和らいだ。
耳にあてた両手を取られ、そのままぐるりとリヴァイの前へと身体を回される。

「っ、わっ…」

「ちゃんと聞こえたぞ」

「わ、私はっ…聞こえませんでしたっ…」

湿った服越しにリヴァイの心音が響いてくる。
その早さに勇気づけられて、抱き締められた体勢のまま顔を上げた。落とされた視線がどこまでも優しく、しかし熱を含んでいることに漸く気がついた。

「…聞こえませんでした、兵長」

どうしても顔を見ていられなくて再びリヴァイの胸に顔を埋めた。どちらかというとこの体勢の方が恥ずかしいはずなのに、何故かひどく落ち着いてくる。
リヴァイの腕がナマエの背中に回るが、最初と違うその力強い抱擁はナマエの心も身体も閉じ込める優しい籠のままだ。
ぎゅうっと胸元に押しつけたナマエの頭がぽんぽんと優しく叩かれた。宥めるような、それでいて何かを誤魔化すようなそれにドクドクと鼓動が高鳴る。

「…好きだ」

先ほどは届かなかった三文字が鼓膜を震わせた。
パッと顔を上げたナマエの五感全てが、リヴァイの想いを感じていた。



激しい雨音が収まってくる頃、リヴァイはゆっくりとナマエの身体を離した。複雑な様相を見せるその顔に首を傾げる。

「兵長?」

「風邪、引いちまうな」

「あっ、ごめんなさい…!びしょ濡れのままで…」

「俺じゃねぇよ。お前も濡れちまっただろ」

「いえ、私は全然大丈夫です」

気遣わしげにさらりと頬を撫でられる。
今までとは違ったその距離感に、彼の特別になれたのだと実感した。

「あ、そうだ!ちょっと大きめのシャツがあるので持ってきますね!」

「…は?」

リヴァイから離れたナマエが持ってきた男物のシャツに思いきり眉を寄せる。申し訳なさそうに俯くナマエからはその表情は見えていない。

「すみません、もっと早く思い出してれば…。あ、ちゃんと洗濯しましたし私は使ってないので清潔だと思…」

「これは誰のシャツだ」

「へ…?」

唸るような低い声に首を上げた。
そこにはとてつもなく不機嫌そうな顔があって、思わず一歩後ずさる。まるで親の仇のようにナマエの手の中のシャツを睨みつけていた。

「へ、兵長…?」

「男物のシャツなんてなんで持ってやがる」

「えっ、これは私のっ…」

言い終わる前に、バサリと音を立ててリヴァイが濡れたシャツを脱ぎ捨てた。露わになった裸の上半身に大きく息を呑んで、咄嗟に持っていたシャツで顔を覆う。

「りば、リヴァイ兵長っ、服、なんで服っ…」

「ああ?脱がねぇと着替えられねぇだろうが」

「だからって急に……きゃっ!」

防壁になっていたシャツが簡単に取り払われてしまった。目に入る逞しい上半身に顔どころか全身がかっと熱くなる。

「へいちょっ…シャツ、シャツ着てくださいっ」

「どこの誰のものかも分からねぇ服が着れるか。お前のものじゃねぇなら…」

「あ、兄の…私の兄のものです!」

「…兄?」

両手で顔を覆ったナマエのそれを引っ剥がしてやろうと近づいたリヴァイに、悲鳴のような声を上げるナマエ。
兄のものが荷物に紛れ込んでいてそのまま置いておいたのだと、辿々しく説明されるその答えにピタリと動きを止める。「そうか」とどこかホッとしたよう声を溢したリヴァイが手早くシャツを身につけていく。聞こえてきた衣擦れの音に恐る恐る両手を下ろしたナマエは、深い安堵の溜息を吐いた。

「紛らわしいことしてんじゃねぇよ」

「な、何がですかぁ…」

怒涛の展開に腰が抜けそうになってしまうのを何とか堪えた。少し大きい服を纏った彼が、そんなナマエをもう一度腕の中に閉じ込める。

「…言っておくが俺は相当嫉妬深いらしい」

「らしい…とは?」

「今、初めて知ったからな」

疑問符を浮かべるナマエの額にそっと唇を落とす。恥ずかしそうな笑みを浮かべた彼女の耳元をリヴァイの物柔らかな声がくすぐった。

「…もう怖くねぇか」

「はい。リヴァイ兵長が一緒ですから」

しっかりと頷いたナマエの両手がふわりと伸ばされる。すぐに絡め取られた手のひらに、リヴァイは熱い唇を押し当てた。
雷鳴もとっくに窓の外を抜けていったようだが、寄り添った二人の影はいつまでも離れることはなく、温かい灯りに照らされていた。


-fin




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