(後)




それから二度ほど食事に行く機会があったが、いつもタクシーで最寄り駅まで送り、もちろんなまえに触れることもそんな素振りを見せることも一切なかった。それにどこかもどかしく感じるようになった自身になまえが気がつく前に、リヴァイの多忙さが増していった。

「リヴァイ部長、この時期はほんっと忙しいですよねー」

「だよなぁ。人事考査と中期決算が重なって、いつもこの時期は大変そうだもんな」

サシャとコニーの会話を耳にしたなまえは、部長席でパソコンと睨み合うリヴァイにそっと視線を向けた。なまえが入社して一年半が経ったが、確かに去年のこの時期の多忙さも群を抜いていた。

「お前ら、あまりリヴァイ部長に迷惑掛けないようにしろよ。ただでさえ忙しいのに余計な手間かけんな」

「うるせーよジャン!そう言って去年、この時期に受注ミス起こしてリヴァイ部長に助けてもらったのはお前だろ」

「なっ…馬鹿、お前、あれはなぁ…!」

「ほら、ジャン、コニー。もう終業時間だよ。今日は合コンなんでしょ?」

「そうでしたっ…!行くぞジャン!なまえさん、お疲れさまです」

「おい、待てよ…!じゃあお先に失礼します。なまえさんも早く帰ってくださいね」

騒ぎ出したジャンとコニーを宥めて退社させたなまえもパソコンに向き直る。リヴァイほどではないにしろ、溜まりに溜まった書類処理はなまえの気分を重くさせた。
もしかしたら帰りはリヴァイと一緒になれるかも、と頭をよぎった不純な思いは無視することにした。



「…なまえ。オイ、なまえ」

呼ばれた声にハッと顔を上げた。
完全に集中して没頭していたのか、咄嗟に見上げた時計の針は既に22時を指していた。

「リヴァイ部長っ…?」

「もう遅ぇ。その辺にしとけ」

周りを見渡せば、残っているのはなまえとリヴァイだけのようだ。見上げたリヴァイの顔には疲労の色が強い。

「すみません…もう帰ります。リヴァイ部長もお疲れさまでした」

「お前もな」

応じたリヴァイが何か言いたげに一旦口を閉じる。パソコンをシャットダウンさせたなまえは不思議そうに首を傾げた。

「…前にも言った覚えがあるな。もうこんな時間だ。駅まで送って行く」

「あ…」

思い出すのは、以前同じ状況でリヴァイの厚意をきっぱり断った時のことだ。あの時と今、違うのはなまえのリヴァイへの印象の違いだけなのだろうか。

「…ありがとうございます」

素直に申し出を受けたなまえは、先ほど過った「帰りはリヴァイと同じになるかもしれない」という期待を思い出して、僅かに身体を熱くさせた。



半歩先をゆっくり進むリヴァイの横顔を盗み見て、なまえは一つ息を吐いた。
駅に着いて、金曜日の喧騒と満員電車の様子を見たリヴァイが今日もタクシーで送ると言い出したのだ。そんなことはさせられないと押し問答になった末、ならば電車で最寄り駅まで送って行くと主張に折れたのはなまえの方だった。
そして、恐縮しきるなまえが家はこっちなのだと指差した方を見たリヴァイが深く眉間に皺を寄せた。

「…オイ、なまえ。俺はいつも明るい道を通れと言ったはずだが」

「えーっとあの…この道しかないんです…」

どう見ても街灯が少なく、至るところに狭い横道が見え隠れする道に益々リヴァイの表情は険しくなっていく。他の道もあるにはあるが、倍以上の時間が掛かるのだという。

「クソ、タクシーからじゃ見えねぇ道だったな…」

「でも本当にすぐそこなので…!」

「お前な…」

今までちゃんと確認しなかった自分に舌打ちをしたリヴァイに焦ったようにフォローするなまえ。
疲れているリヴァイにこんなところまで来させ、尚且つ心配させていることに居た堪れなさが加速して行く。

「なまえ」

「はっ、はい…!」

「お前、今でも俺のことを最低クソ野郎だと思ってるか」

「え?ええと…そんなことありません、よ?」

「…俺がお前の家まで送って行くことに支障はねぇか」

真剣に問われた言葉に完全に言葉を失った。
その驚きは、リヴァイがなまえを案じて家まで送ってくれようとしていることでもあり、まさか自分の過去の経験を汲み取って距離を取ろうとしてくれていた事実でもあり、そしてなまえの意向を何よりも重視しようとする優しさにでもあった。

「リヴァイ、部長…。でも、お疲れなのに…あの、こんなところまで送って頂くだけでも申し訳ないのに、さらに家までなんて…」

「ピークは過ぎたし、明日は休みだ。更に言えば大人しく家まで送られた方が俺の心労は軽くなる」

「よ、よろしくお願いします…」

リヴァイの一見辛辣に思える物言いも、なまえに気を遣わせないためだと分かる。おずおずと肯定したなまえをじっと見つめる彼の瞳が夜の闇の中でも綺麗に瞬いていた。

「チッ…クソ暗ぇ道じゃねぇか」

「いつもはこんなに遅くなりませんから大丈夫ですよ?」

ぶつぶつ苦言を呈しながら半歩前を歩くリヴァイに苦笑する。徒歩5分ほどの距離が、やたら遠く感じた。

「あの、ここです」

「…そうか」

なまえが指し示したのは小綺麗な外見のこじんまりしたマンションだった。ざっと見た限り、オートロックはあるようだし、道中聞いた話では3階に住んでいるということでとりあえず安堵する。

「じゃあ俺は帰る。ちゃんと鍵閉めろよ」

「あ、あの、リヴァイ部長…!」

本当は部屋に入るまで見守りたい気持ちをグッと堪え、踵を返そうとしたリヴァイに上擦ったなまえの声が降りかかった。
振り向いた彼の目に、緊張した面持ちのなまえの顔が飛び込んでくる。

「あの、ありがとうございました」

「ああ。これからもあまり遅くならないように…」

「あの、本当ならお茶でもと思ったんですけど、今家の中が散らかってて…片付けるのを待って頂いてたら、部長のお帰りがもっと遅くなっちゃいますよね。あ、いつもは一通り片付けてるんですが、最近の繁忙でおざなりになってるだけで…!なので、その…ごめんなさい…」

一気に言い終えたなまえの言葉に口が半開きになっていたのを自覚する。恐らく間抜けな表情を晒してしまっただろうが、この夜の闇の中なら気付かれなかっただろうと自分を納得させた。次いで、片手で目元を覆う。

「…勘弁してくれ」

「え…?リヴァイ部長?」

どうしましたか?と怪訝そうに聞く彼女に、お前の方こそどうしたと問いただしたくなる。
こんな夜半に男を家に迎え入れようとする気持ちがあったなど、今までの警戒心をどこに置いてきたのだと説教までしたくなってきた。

「いや…気持ちは嬉しいが…お前も疲れてるだろ。またの…機会で頼む」

振り絞ったのは、理性と本能を天秤に掛けた結果、ほんの僅かに理性が勝ち取った良識ある言葉だった。今まで築いてきたなまえからの信頼をここでふいにしたくないという、ただの意地のようなものだ。

「そう、ですよね…すみません、急に…」

「いや…」

「リヴァイ部長、最近お疲れですし、あまりこうしてお話しする機会もなかったので…今日は嬉しかったです」

「…は」

「私がお力になれることがあったら、なんでも言ってくださいね」

はにかんだなまえの笑みと言葉が強く突き刺さる。確かに疲れている。疲れているし、繁忙ゆえになまえを誘うどころか二人きりで話すことすらままならなかった最近の鬱憤が、無意識に言葉となってするりと口を衝いた。

「…好きだ」

「え…?」

「俺は…なまえ、お前が好きだ」

言った本人も、言われたなまえも立ち尽くす。さぁっと吹き抜けた風は、春のそれに相応しく温かいものだ。

「…悪い。急すぎたな」

「あ、あの…部長…」

「本当はもう少し距離を縮めてから伝えるつもりだった。だが、さっき言った言葉に嘘はねぇ」

手を伸ばせば届くところになまえがいる。
呆然とした表情を隠さず、僅かに開いた唇から覗く白い歯が闇夜に映えた。

「お前が好きだ」

「リヴァイ…部長…」

一度俯いたなまえをじっと見守る。
どれくらいの時間が経ったのか、恐らく数十秒にも満たないそれが永遠に感じたのは初めてのことだった。ゆっくりと顔を上げたなまえの瞳がきらりと光る。

「あの、お気持ちはすごく…嬉しい、です」

「…ああ」

「私もリヴァイ部長と食事に行ったり、こうして色々お話をしたり…気に掛けてくださるのが本当に嬉しくて…」

辿々しくも一生懸命に自分の気持ちを言葉にするなまえに見入ってしまう。てっきりすっぱりと断られると思っていた想いが細い糸で繋がった気がして、ぐっと拳を握りしめた。

「でもやっぱりまだ…誰かとお付き合いしたりするのは怖いんです。それにリヴァイ部長、とてもモテますよね?…すぐに飽きられたりするの、すごく辛いんです」

暗にまだ信用出来ないと言っているのだと理解する。当然だと思う。男にトラウマがあるなまえが、リヴァイのように下半身がだらしないと噂される男を無条件に好きになったりするはずがない。

「お前の懸念は最もだ」

「え…?」

「前にも話したが、俺の過去はクソみてぇなもんだ。それこそなまえが1番嫌う人種だったと思う」

「…はい」

「なまえ、俺はお前に惚れて、そんな過去の自分と決別することに決めた。だがそれは俺のエゴで、お前には何の関係もないことだ」

真っ直ぐに伝えられるリヴァイの想いに、なまえも目を逸らさず耳を傾ける。どくどくとうるさく鳴る鼓動の音が耳に響いた。

「お前に軽蔑されたくないから必死に取り繕ってるだけだ。きっと俺の本質は、そこらの男の何も変わりがねぇと思う。いや、それよりもひでぇだろうな」

「そんなこと…」

「俺が潔癖気味なのは知ってるな?」

「え…は、はい」

「…なまえがどんな話を聞いているか知らねぇが…。俺はどんな女であっても触りてぇとか手を繋ぎてぇとか…そういう普通の恋人同士が抱く気持ちを持ったことがねぇ」

その告白になまえが顔を強張らせる。そして当然抱いた疑問を口にしようとした彼女を片手で制し、話を続ける。

「…それなのにどうしてなまえに告白したか、だろ?」

「は、い…」

「こんなクソみてぇな俺だが、なまえにだけは触れたいと、抱き締めてぇと…そう思う。こんな気持ちになるのは初めてだから最初は戸惑ったが…これが誰かを好きになるってことなんだろうな」

思うままに告げた独白のようなその強烈な愛の言葉が、唐突にリヴァイの中にもストンと落ちてきた。そう、彼女だけは特別なのだと、唖然としているなまえを見て喉の奥で笑う。振られかけているはずなのにひどく気分が良かった。

「…なんて顔してやがる」

「だって…リヴァイ部長がそんな…恥ずかしい、ことを…」

「恥ずかしくなんてねぇよ。事実だ」

暗闇の中でもなまえが頬を真っ赤に染め上げたのが分かった。今日はここまでか、と穏やかな気持ちのまま息を吐く。

「今すぐ返事が欲しいとは言わねぇ。長い時間を掛けてもいい。こんな風に想われるのが気持ち悪いと思ったら、俺からの誘いは全部断ってくれて構わねぇ。だが少しでも迷う気持ちがあるなら…チャンスをもらえねぇか」

両手を胸の前で握り締めていたなまえが、やがてこくんと一つ頷いた。弛むことなく合わされた視線の強さが、なまえの今の気持ちを表していた。

「遅くまで悪かったな。早く家に入れ」

「…はい。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

一度頭を下げて背を向けたなまえが扉に入るまでしっかりと見送る。さっきまで感じていた距離感が良くも悪くも縮まったのを、リヴァイは明確に感じていた。
オートロックの扉が閉まったのを確認したリヴァイもマンションを後にするが、少し歩いたところでなんとなく振り返ってみた。すると。

「…なまえ?」

3階の廊下部分からこちらを見ている彼女の姿を捉え、足を止めた。まさかリヴァイが振り向くと思わなかったのか、狼狽したような様子が遠目からも確認出来た。だが気を取り直したなまえがそっと手をあげて、何度かリヴァイに向けて手を振る。

「…クソ可愛いことしてんじゃねぇよ」

呟いたぼやきはなまえには届かない。
軽く手をあげて答えたリヴァイに安堵したのか、もう一度頭を下げたなまえが今度こそ視界から消えた。
なまえのどこにも触れていないのに、あげた右手だけがひどく温かかった。



なまえに告げた通り、リヴァイは清廉潔白な人間にはなれない。ただ彼女にだけは正直であろうと思っただけだった。
それは想いを告げた後も変わらない。いつも通りなまえを含む部下たちのフォローをし、時に厳しく指導しながら導いていった。
そして折を見てなまえを食事に誘い、遅くなる前にマンションの前まで送って行く。変わったのはマンションの近くにあるベンチに座り、たわいもない話をするようになったことくらいだ。それも23時になる前にはリヴァイの方から切り上げ、なまえに家に入るように促していた。

「部長は本当に時間に正確ですねぇ」

「…お前は馬鹿か」

これ以上一緒にいたら触れたくなるだろ、と悪びれもなく言われた口説き文句に耳まで赤く染めたなまえを見下ろしたことも懐かしい。

「じゃあな、温かくして寝ろよ」

そう告げたリヴァイの手が何かを求めるように一瞬彷徨うのを、なまえは知っていた。それを自制して、なまえの気持ちを何よりも大切にしてくれていることにももうとっくに気がついている。あとはなまえ自身の問題だ。

「リヴァイ部長…」

「どうした」

「あの…来週の金曜日、良かったらまたご飯に行きませんか」

それはなまえからの初めての誘いだった。
いつもリヴァイに任せきりのこの関係を、なまえも進めたいと思っている気持ちを拙い方法ながら伝えたかった。
いつもは鋭いその瞳を僅かに丸めたリヴァイがほんの少しだけ口角を上げた。初めて見るその表情に、思わず見惚れてしまう。

「…食いたいもん、考えとけ」

「はいっ」

もう少し、もう少しだけ待っていて欲しい。
あなたのその気持ちに、不器用で真っ直ぐなその気持ちに、もう少ししたら追いつくから。
その時はちゃんと伝えたいと、そう思いながらなまえは満面の笑みを向けた。


そしていくつかの夜を越えたある日、再び告げられたリヴァイの想いに大きく頷いたのだった。



「でもリヴァイさん…素朴な疑問なんですけど」

麗かな昼下がり、のんびりと紅茶を啜っていたリヴァイはなまえが不意にあげた声に、過去の回想に浸っていた意識を浮上させた。
彼女の煽りと精一杯の献身にたかが外れ、抱き潰したあの日からリヴァイはあまり我慢しなくなっていた。とはいっても自分の欲を発散するよりもなまえを翻弄し高みに追いやる方が心の満足感が桁違いに高い。昨日の夜も散々啼かされたなまえの声は少しだけ枯れている。

「なんだ?」

「こんな昼間から聞く話じゃないですけど…。リヴァイさんが今までの女の人たちとそういうことしなくなって、私と付き合うまでって…どうしてたんですか?」

何気ない風を装って聞くその声音には、ほんの僅かに不安の色が見え隠れしている。なまえの考えていることが手に取るように分かって、リヴァイは気がつかれないように楽しげに目を細めた。

「どう、とは?」

「だって疲れてる時とか…その、絶倫気味、になるんですよね…?どう解消してたのかなーって」

陽の光が明るく差し込むリビングで、なまえの口から絶倫なんて言葉を聞くだけで欲望が高まる自分に呆れてしまう。だがまずは愛しい恋人の不安を解消するのが最優先だ。

「…知りてぇか?」

「えっと…知りたい、ような…知りたくないような…」

モゴモゴと口籠るなまえの目に何故か楽しそうにも見えるリヴァイの表情が映った。すごく嫌な予感がする、と思わず背筋を震わせる。

「そりゃ俺も男だからな…。発散するものはしねぇと身体に悪い」

「あ、やっぱりいい…!大丈夫で…」

「まぁ聞け。なまえに惚れてから、お前にしか欲情しねぇ身体になってな。おかげで他の女を見てもゴミ屑にしか思えなくなったもんだ」

「ゴ、ゴミ屑…!?」

あっけらかんと言うリヴァイがカチャンとティーカップを置いた。そしてソファーで寛いでいたなまえに覆いかぶさるようにして、耳元に唇を寄せる。

「…俺がどうやって発散してたか知りてぇんだよな?」

「あの、ごめんなさい、やっぱり大丈夫…!」

逃げようとするなまえをやんわりと捕らえ、そっとソファーに押し倒す。彼女が何を想像しているかは分からないが、片想いをしていた一年間は隠し撮りしたなまえの写真をお供に、常に右手のお世話になっていたと告げるのはいつにしようか。

「それよりも俺は、お前がなんであんなに咥えるのが上手くなっていたのかが知りてぇなぁ…?」

のらりくらりと躱されて、未だに答えてもらっていないなまえの口淫の上達方法も気になるところだ。かぁっと頬を染めたなまえが自分を押し倒すリヴァイを潤んだ瞳で睨みあげた。

「もうっ、やめてくださいよ…」

「ま、どうせお前のことだから生真面目にAVで勉強でもしたんだろ」

「えっ、なんで知って…!」

「ほう…だが普通のAVじゃ細部までは分からねぇだろ。無修正でも探したか?」

見事に言い当てたリヴァイにぱくぱくと口を開閉させるなまえ。羞恥のあまり頭が沸騰しそうになっている彼女の健気な献身に、あの一年間我慢した甲斐があったとしみじみと己を労った。

「せっかくだからその成果、もう一度確かめさせてもらおうか」

「ちょ、リヴァイさんだって答えてないっ…!」

私だけずるい、と顔を真っ赤にさせるなまえにくくっと笑う。聞いてもどうせ恥ずかしがるだけなのに、変なところが負けず嫌いだ。

「…耳貸せ」

そうして告げられた事実に居た堪れなくなり、両手で顔を覆うなまえを面白そうに眺める。こんな恥ずかしい話があるか、と逃げ出そうとした彼女を柔らかく縫いつけて、お互いの成果とやらを身体に刻み込むのだった。


-fin




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