キス&クライで捕まえて(前)


『キス&クライで待っていて』の前日譚



女を誘うというのは、こんなにも難しいものだっただろうか。
文字通り頭を抱えそうになったリヴァイは、ここはまだ社内だということに思い至って何とか堪えた。そしてついでに、今まで自分から女を誘ったことなどほとんどなかったことも思い出す。先日無事に縁が切れた女たちも定期的に向こうから「今日はどうか」と連絡が来ていた。そういう気分でタイミングがたまたま合った誘いに乗っていただけで、自分から求めたことなど無いに等しい。

「部長…?リヴァイ部長…?」

痛む頭を慰めるようにこめかみを揉み込んでいたリヴァイは自分を呼ぶ声に我に返って顔を上げた。
目の前で気遣わしげな視線を寄越している彼女こそ、目下リヴァイの頭のほとんどを占めている悩みの種だった。

「大丈夫ですか?だいぶお疲れのようですが…」

「ああ、問題ない。悪かったな」

「あまり無理なさらないでくださいね。私とジャン、午後は比較的空いてますので必要でしたらお声掛けください」

完璧な部下として対応するなまえの口から他の男の名が出るだけで苛ついてしまうのはもう末期だと思う。だがそれをおくびにも出さず、「ありがとうな」と浅く顎を引いたリヴァイは、なまえが差し出した書類をゆっくりと受け取った。

「明日のマーレ社との打ち合わせですが、13時に変更になりました。ご確認お願いします」

「ああ、了解だ」

丁寧に一礼したなまえが去っていく。
その姿をずっと見つめそうになり、最大限の気力で目を逸らした。こんな自分に他の部下が気づいたら天変地異だなんだと騒がれかねない。
なまえに惚れて以来未だに一度も彼女との二人きりの時間が取れていないことに、リヴァイは強い危機感を覚えるのだった。



なまえへの気持ちを自覚してから初めて声を掛けた「もう遅いから駅まで送っていく」という誘いは、気持ちがいいほどすっぱりと断られた。あれをきっかけにまずは自分の身辺をきちんと整理し、なまえにふさわしい、彼女が警戒しない男になることを誓ったのだ。
そして正真正銘身辺整理が終わり、正に身綺麗になったリヴァイは改めてなまえを誘うことを決意した。

「部長、私、今日外にご飯を買いに行くんですが良ければ買ってきましょうか」

「…いや、俺も行く」

ある昼時、珍しくなまえとリヴァイしか部内に残っていない日だった。上司だからといって自分のことは気にしなくて良いと部下には常々言っているが、ともすれば昼飯抜きで業務に没頭するリヴァイを見兼ねてこうして声を掛けてくれることもしばしばあった。
そしてリヴァイは、この瞬間を待っていた。なまえが一人残るリヴァイを気にして声を掛けるであろうことは彼女の性格からして明白だった。いつもなら気にするな、と手を振るリヴァイが財布片手に立ち上がったのを見て、なまえがぱちぱちと目を瞬く。

「どうした、行かねぇのか」

「あっ、はい!行きますっ」

先に扉へ向かったリヴァイを追い慌てて駆け寄る。
なまえの動向や性格を注意深く見ていれば、社内や業務時間に関してはまだ警戒心が薄いことが見て取れた。恐らく昼休憩も業務内と考えているからだろうが、今はリヴァイと二人で外出することに何の警戒も抱いていないようだ。

「何買いに行くんだ」

「そうですねぇ…。あ、最近会社の裏に丼の専門店がオープンしたみたいですよ。チラッと見ましたけど清潔で綺麗なお店でしたし、テイクアウト出来るのでそこでどうでしょう?」

「ああ、任せる」

リヴァイの潔癖を知っている部下たちが選ぶのは清潔第一の店だ。なまえの先導で店に向かう最中、リヴァイはおもむろに切り出した。

「そういえばなまえも一人暮らしだろ?いつも夕飯はどうしてんだ」

「外食ばっかりですね。本当は自炊した方が経済的にも健康にも良いのは分かってるんですが…なかなか」

苦笑じみた返答に相槌を打つ。
なまえが業務外、プライベートで男性と二人になることを意識的に避けているのはこの半年間で理解していた。最初はリヴァイだけにそうなのかと思っていたが、よくよく観察すれば他の社員とも極力社外で二人きりになることを避けているようで、ほっと胸を撫で下ろしたものだ。

「…どっかこの辺でお勧めの店、あるか」

「え…?」

「あー…俺も外食ばかりで、最近は家の近くの店も飽きてきたところだ。帰りが遅くなることも多いからな、この辺で済ませちまうことも多い」

「そうですね…この辺だと…」

目線を上にあげながらいくつかの店を羅列するなまえをチラリと見る。お勧めの店の看板メニューを話している彼女の楽しそうな様子に勇気づけられて、一度唇を舐めた。

「…そうか。そこまで言うなら一度行ってみるか」

「はいっ、是非!部長もきっと気に入ると思いますよ」

「今度、一緒にどうだ」

カラカラに渇きそうなった口内で一度唾を飲み込み、何とかその言葉を絞り出す。きょとんと目を丸くしたなまえが左横のリヴァイをじっと見つめた。そして、にっこりと笑う。

「そうですね、是非」

「っ、いいのか?」

思いがけない答えにらしくもなく言葉が弾んだ。
いつもなら鬱陶しくすら思う燦々と降り注ぐ陽射しが、祝福の光に思えてきた。

「もちろんです!じゃあ来れそうな人を誘っておきますね。今週の金曜日はいかがでしょう?」

「…は?」

一瞬で頭が真っ白になったリヴァイが何も答えないのを見て、なまえが首を傾げた。
二人きりで行くことをやんわりと断られたのだ、と理解したリヴァイは何とか言葉を捻り出した。

「ああ…そうだな…金曜日、な…」

「はい。ご都合宜しければ」

「…問題ない」

了解いたしました、とハキハキ答えたなまえがリヴァイの一歩前を歩き出す。一筋縄ではいかないどころかスタート地点にも立てなそうで、リヴァイは茫然と空を見上げた。雲ひとつない青空がひどく憎らしかった。



それからも何かと理由をつけてさりげなくなまえを誘ってみてはいるが、色良い返事を貰えたことは一度もなかった。
彼女がリヴァイの誘いをどう捉えているかは分からない。過去の行いを耳にしているからなるべく関わりたくないと思っているのか、好意を寄せられていると気が付いていて断っているのか、どちらにしてもリヴァイにとって良い状況でないことは確かだ。

「なまえ、これやる」

「これは?」

「今日取引先が持ってきた。チョコ、好きなんだろ」

なまえと二人きりを目論んで失敗した金曜日の外食には、ジャンとヒストリア、ユミルがついてきていた。その時の会話でなまえが無類のチョコ好きだと知ったリヴァイは、社内で二人になった瞬間を見計らいチョコレートの箱を押しつける。
受け取った彼女が顔を輝かせたあと、頬を綻ばせた。

「嬉しい…!ありがとうございます!」

「…ああ」

そんなに好きなら俺がいくらでも買ってやる、と喉まで出かかった言葉を呑み込んで素っ気なく頷いた。なまえの嬉しそうな笑顔に満足したリヴァイは、他の社員には秘密だと伝えなかったことを心から後悔することになる。

「リヴァイ部長、チョコレートご馳走さまでした!」

「…あ?」

「あれ…?なまえさんがリヴァイ部長からみんなにって…違いましたか?」

翌日、ジャンにそう声を掛けられたリヴァイは瞑目したまま固まってしまった。まさか、という気持ちと、あり得る、という納得感がごちゃ混ぜになったリヴァイの形相を見たジャンが怯えた目で窺ってくる。

「あの、部長、すみません…なまえさんに、でした、よね…」

「…気にすんな。美味かったなら何よりだ」

そう呟いて去って行ったリヴァイの背中は哀愁を背負っていたと、後にジャンはそう語った。



そんななまえと二人で取引先を訪れたある日、商談が終わった頃にはどっぷりと日が暮れていた。

「随分遅くなっちゃいましたね」

「あいつらが変に粘りやがったからな。余計な時間が掛かっちまった」

「でもさすがです、部長。結局当初よりも安価な卸値で決まりましたし…とても勉強になりました」

鬼のようだと称されるリヴァイ相手の商談も、なまえにとっては新鮮で衝撃的だったようだ。珍しく興奮したように頬を上気させる彼女にむず痒くなる。
惚れた女に褒められるのはどんなことでも嬉しいものなのだとこの年になって初めて知った。

「チッ…もうこんな時間か。なまえ、駅まで送る」

「いえ、大丈夫ですよ。部長、別路線ですよね?道は覚えていますし一人で行けます」

「だが、ここは繁華街だぞ。女が一人でふらふら歩いてたら格好の的じゃねぇか」

「部長ったら…私、声掛けられるほど若くないですって。でもありがとうございます。これで失礼しますね」

おかしそうに笑ったなまえがリヴァイの申し出を柔らかく断り、一礼して背を向ける。眉間に皺を寄せて遠くなる背中を見送ったリヴァイは何か言いたげに開いていた口を閉じる。純粋に心配しての言葉だったが、なまえの頑なさには太刀打ち出来ない。
が、リヴァイの視線の先で早速彼女が声を掛けられている姿を捉えれば黙っていられなかった。何かを考える前に足が進んだ。

「オイ」

「あ…部長っ…?」

スカウトなのかナンパなのか、リヴァイとなまえよりも高い上背を持つヘラヘラした男を下から睨み上げる。リヴァイの鋭い視線に目の前の男がヒッと息を呑む音がした。

「こいつに変な声掛けてんじゃねぇよ。行くぞ、なまえ」

ぐいっと腕を引いてやや無理やり引っ張っていくが、彼女が抵抗を見せることはなかった。慌てて反対方向に去って行く男に忌々しげに舌打ちしたリヴァイへ、なまえが申し訳なさそうに口を開いた。

「あの、部長…私、もう大丈夫で…」

「あんなのも振り払えねぇくせに強がってんじゃねぇよ。この後お前に何かあったら、俺がどれだけ目覚めの悪い思いをすると思ってんだ」

「…申し訳ありません」

苛立ちのまま発した言葉になまえが項垂れる気配がした。本当はもっと優しく気遣う声を掛けてやりたいのに、無防備で強情な態度を崩さないなまえに腹が立ってしまう。

「…最寄りの駅はどこだ」

「えっ、あの、一人で帰れま…」

「別にお前を取って食いやしねぇよ。いいから黙って送られとけ」

本音とは真逆の建前を告げたリヴァイに、逡巡したなまえが答えた駅名を頭の中で確認する。
ここからならタクシーを拾った方が早いと、手を上げて止めたタクシーに彼女を押し込み、自分も乗り込んだ。

「私、電車で…」

「お前を送って俺もそのまま帰宅する。ついでだ、乗ってけ」

なまえの警戒心に合わせて今まで距離を縮めることを躊躇していたが、先ほどの光景を目にしたリヴァイの内心は抑えきれない激情が渦沸いていた。が、さすがに強引過ぎたか、と無言の車内の中、段々と冷えてきた頭で考える。気まずい思いでチラリとなまえを見ると、こちらを窺い見ていた彼女とばちっと目が合った。

「あー…なまえ、悪か…」

「すみませんっ!こんなお手間を掛けて…申し訳ありません!」

「…いや。俺の方こそ悪かったな」

勢いよく頭を下げたなまえに益々きまりが悪い思いを感じながら小さく呟いた。緩く首を振ったなまえがほっとしたように浮かべた笑みに背中を押され、ずっと抱いていた疑問を口にする。

「そんなに男と関わるのが怖ぇか?」

「え…?」

「…悪い。深く聞くつもりはねぇ」

視線を逸らしたリヴァイの言わんことを察したのか、瞬きを繰り返していたなまえが背筋を正す。暗いタクシーの車内、窓になまえの憂いげな横顔が映っていた。

「いえ…リヴァイ部長には色々と気に掛けて頂いているのに…不快な思いをさせてしまい本当に申し訳ありません」

「いや…」

どうやらリヴァイの好意には気がついていないようだ。単に上司が部下を気に掛けているだけだと捉えているらしい彼女に安堵した反面、歯痒くなる。だが、何かを決意したように暗闇の中で力強く光るなまえの瞳に言葉を呑み込んだ。
過去の恋人が最低な奴だった経験から男と関わるのを良しとしていないのかと考えていたのだが、どうやら違うらしい。

「私の前の職場の話はご存知でしょうか?」

「いや…確か同業だったな」

「はい。サシャたちには少し話したことがあるんですが…ブラック企業でセクハラ、パワハラが当たり前の会社だったんです」

繁華街のネオンが遠く離れて行く。
その煌びやかさなまえは軽く目を細めた。

「特に当時の男の先輩がなかなか曲者でして。よくご飯や休日も誘われたりしてたんですが、断ると機嫌が悪くなって周りに当たり散らしたりしてて…。なので会社終わりの飲みはたまに付き合うようにしたら、今度は私が自分のことを好きだと思い込んで随分馴れ馴れしくなったんですよね」

「それはまた…面倒な男だな」

「何度断ってもその…ホテルに誘われたり、ちょっとストーカーみたいになったのもあって上司に訴えたんですが…私が思わせぶりな態度を取ったのが悪いって言われ、逆に責められるようになったのをきっかけに会社を辞めました」

肩を竦めたなまえの表情を注意深く見守る。
辛そうな顔をしていないか、トラウマが蘇ったりしていないか暗い車内で目を凝らすが、とりあえず平素と変わらなそうで僅かに肩の力を抜いた。

「それで男と距離を取ってたのか」

「はい…もちろん部長や皆さんがそういう方ではないのは分かっています。だけど当時、色々悩んで嫌な思いをしたのは確かなので、無用なトラブルは避けたいという思いがありました。関わらなければそういうトラブルも無いだろう、と」

「…そうか」

「余計な心配をお掛けして申し訳ありませんでした」

そう言ってリヴァイに向かい深々頭を下げたなまえのつむじを見下ろす。一瞬の躊躇いのうち、ぽんっとその小さな後頭部を一度だけ優しく叩いた。
ハッと顔を上げたなまえが驚いたように丸くした目をしっかり見据える。

「…嫌な話をさせて悪かった。辛かったな」

よく頑張った、と静かに告げたリヴァイになまえの目が更に見開かれる。次の瞬間、くしゃりと大きく表情を歪ませた彼女が両手で顔を覆った。

「ありがとう…ございますっ…」

もう一度だけ触れたくなる手を抑え、リヴァイはそっと視線を反対側に逸らした。必死に嗚咽を堪えるなまえが落ち着くまでは、と窓越しに写る彼女を見守り続けるのだった。


その日は結局、恐縮するなまえを最寄り駅で下ろし、リヴァイも帰路についた。本当は家まで送っていきたかったが、あんな話を聞いた以上なるべく彼女の心を乱さない方法を取ってやりたい。幸い駅からは徒歩5分程度だというのを聞き、自分を無理やり納得させた。

「あの、部長、昨日はありがとうございました」

翌日、どこか吹っ切れたような笑顔で再度頭を下げたなまえには「気にするな」と短く答えるに留めた。そして、周りに人がいないのを確認してから机の中から小さな小箱を取り出す。

「やる」

「え…?」

「今回はお前一人で食えよ」

不思議そうに首を傾げて受け取った小箱から漂う微かな甘い香りに、なまえの表情が明るくなる。そして「ありがとうございます!」と破顔した彼女を穏やかな気持ちで見送った。
周りに配れないよう、3個入りを選んだ高級チョコレートは無事になまえだけの腹に収まることになりそうだった。



これが何度目の誘いになるのか、幾度目かの決意の元、リヴァイはなまえに食事の誘いを持ち掛けることを決めていた。
彼女が男を遠ざける原因は理解した。だがこの前の飲み会の反応を見る限り、リヴァイに対する『仕事は出来るが女性にだらしがない男』というレッテルは未だに剥がされていないように思う。事実だから何の言い訳も出来ないが、あの時部下たちに告げた「大切にしたい奴がいるから、他の女とは縁を切った」ということをなまえ自身にも分かって欲しかった。

「なまえ、もし時間があれば明日メシでもどうだ」

「ええと…あの…」

会議の後、片付けの為にひとり残ったなまえの元を訪れたリヴァイがさりげなく声を掛ける。
困ったように視線を彷徨わせた彼女に今回も駄目か、と内心溜息を吐き、謝罪の言葉を口にしようとしたその時。

「あの、明日はちょっと残らなきゃいけないので…もし部長が今日でも大丈夫でしたら…その…」

「…今日?」

「あっ、急すぎますよね!すみません、忘れてくださ…」

「いや、問題ねぇ。店は俺が決めていいか」

「は、はい…」

慌てて撤回しようとしたなまえの言葉を食い気味で遮り、約束を取り付ける。本当は今日残って仕上げたい仕事があったが、そんなもの明日に後回しだ。それに今日がうまくいけば、明日なまえの残業上がりに一緒になれるかもしれないと瞬時に頭を働かせた。

「一緒に会社を出るのはお前が気遣うだろ。店を決めたらURLを送っとくから、店の前で待ち合わせでいいか」

「了解しました。ありがとうございます」

頷いた彼女の頬がほんのりと染まっているように見えたのは、窓から入る西日のせいだったのか。己の都合の良い方に解釈することにして、リヴァイは店探しに全力を注ぎ始めるのだった。



目の前で緊張した面持ちでリヴァイからの酌を受けるなまえがなんとも可愛らしい。
漸くこぎつけた彼女と二人きりの食事に、年甲斐もなく心が弾んでいるのを自覚している。

「すみません、この辺は部長のご自宅からは遠いんじゃないですか?」

「気にすんな。誘ったのは俺の方だからな」

チン、とグラスを合わせて乾杯を終えれば、申し訳なさそうになまえが眉を寄せて言った。
会社近くだとなまえが嫌がるだろうと、彼女の最寄り駅から3駅ほどの場所に店を予約した。リヴァイの家からは大分離れてしまうが、今日もなまえをタクシーで送っていってそのまま帰宅するつもりなので何の問題もない。

「そういやサシャの奴、今日昼時に絶叫していたがあれはなんだ?」

「あ、あれはですね。お気に入りの大盛り弁当が終売することになったみたいで…」

敢えてなまえが答えやすい話題を振りながら場を和ませていく。その甲斐あってか、酒が進むにつれてリラックスした表情を見せ始めた彼女に目尻を下げた。

「でもこうして部長と飲んでること、他の人に知られたら恨まれちゃいますね」

クスクス笑いながら戯けたように言う彼女に目を細める。なまえは知らないだろうが、リヴァイが女と二人きりで食事に行くなど今まで無かったことだ。

「別に大したことじゃねぇだろ。あいつらとはなんだかんだ飲み会で一緒になることが多いしな」

「もう、違いますよ。社内の女性たちのことを言ってるんです。部長にたくさん女の影があっても諦めてない人が結構いる……あ」

しまった、というように自分の失言に慌てて口を押さえるなまえ。リヴァイの周りには常に女の影が絶えないと聞いてはいたが、彼本人の前でそれを言うのは憚れると考えていた。
だがチラリと見上げた酒を呷るリヴァイの表情は、それを聞いても変わらないように見えた。

「…前にも言ったが、もう連絡取ってる女は一人もいねぇよ」

「そ、うなんですね…。それは失礼しました」

トン、とグラスを置いて真っ正面からなまえと目を合わせるリヴァイにドキマギして言葉を詰まらせてしまう。飲み会のあの時、何故かなまえの方を真っ直ぐに見ながら告げた彼の言葉が蘇った。

「…ま、あながち間違った話でもなかったがな。以前の俺は、なまえが軽蔑して警戒するような男だったことに間違いはねぇ」

「そんな…私、別に…」

「だが俺の噂を聞いて、必要以上に関わろうとは思わなかった筈だ。違ぇか?」

問われた内容に思わず口を噤んでしまう。
確かに最初、部の仲間から「リヴァイ部長には何人も恋人がいる」と聞いて、あまり近づきたいと思わなかったのは確かだ。だが仕事で接する内に、彼の生真面目さや細やかさ、部下への分かりにくい優しさを目の当たりにして、その件についてあまり嫌悪感を抱かないようになっていた。

「…最初は仰る通りでした。ですが今は違います。そうじゃないとこうしてご一緒させて頂いたりしていません」

きっぱり言い切ったなまえの言葉に嘘はない。そうか、と呟いたリヴァイの瞳は穏やかな色を湛えていて、なまえはホッとしたようにビールを呷る。そしてリヴァイと顔を見合わせると思わずお互い噴出してしまった。

「ふっ…まぁお前の避けっぷりもなかなか見事だったからな」

「ふふっ、すみません…でもリヴァイ部長もそんな風に気になさるんですね」

「…まぁな」

お前は特別だ、と口の中で呟いた本音は彼女には届かなかったらしい。随分打ち解けたように目の前で笑うなまえを見て、次いで手元の腕時計に目を落とした。

「っと…悪い。もうこんな時間だな。タクシーで送る」

「え…?まだ21時ですよ?」

「だが明日も仕事だろ。しかも残業予定っつってたじゃねぇか」

「…部長」

軽く手を挙げて店員を呼ぶリヴァイに目を丸くしてしまう。どこまで気遣いの出来る人なのだ、と軽く衝撃を受けてしまった。

「先に言っとくが、金はいらねぇからな。ついでにタクシーで送っていくことも決定事項だ。異論は認めねぇ」

「えっ…!?でもそれじゃあ私…」

「…もしお前が嫌じゃなかったらまた夕飯に付き合ってくれれば助かる」

会計をしながら横目でなまえに伺いをたてるリヴァイに息を呑んでしまう。心臓がひとつ、音を立てた。

「あの…私でよければ喜んで」

「決まりだな」

満足そうに頷いたリヴァイに丸め込まれ、結局最寄り駅まで送られてしまった。家までとは言わず、「なるべく明るい道を通って帰れよ」と告げたリヴァイの思いやりを読み取って、なまえは頬を緩めながら去って行くタクシーを見送るのだった。





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