(後)



「へぇ…じゃあなまえさん、その時の怪我がもとで…?」


ハンジの懐かしむような回想の区切りで、アルミンが声を上げた。いつの間にか掃除の手は止まり、ほんの少しだけ綺麗になった机を囲むように全員が椅子に腰を下ろしている。


「ああ、違う違う。あれは本当に軽い怪我で直ぐに復帰したよ」

「あの頃からでしたよね、リヴァイ兵長が少しずつ兵団の兵士と言葉を交わすようになったのは」

「そうだったね、モブリット。まぁ最初はなまえが無理矢理引っ張っていったって方が正しいけど…リヴァイも嫌そうにしながら、それでも声を掛けられればちゃんと答えるようになったんだ」


そんななまえが毎日つけていた日記が先ほどのものだという。
いつ書き始めたかは知らないが、一言でも毎日何かしら書いていた。怪我で入院していたなまえに頼まれて部屋から日記を持っていたことで、ハンジはこの日記の存在を知ったのだ。机の中央に置かれたそれに視線をやり、ジャンがしみじみと言った。


「鍵まで掛けて…よっぽど見られたくなかったんですね」

「まぁ日記だからね。そういえばリヴァイが、こんな鍵直ぐに壊せるって言った時には烈火の如く怒ってたなあ」


あれは怖かった、と笑いながら言うハンジ。


「それからなまえとリヴァイはいつの間にか一緒にいるようになって…エルヴィンが団長になって、なまえが分隊長になると同時にリヴァイも兵士長に任命されたんだよ」


目を細めて日記を見つめたハンジの口調は穏やかだ。
巨人の謎なんて一つも解決せず、ただただ自由を追い求めて壁外へ出ていたあの頃。たくさんの兵士が死んだけれど、その中でエルヴィンやミケ、ナナバを始めとして、リヴァイやハンジ、そしてなまえは確かに見えない信頼があった。


「で、気がついたらなまえとリヴァイが恋人同士になっててさ。あれにはびっくりしたよ」

「リヴァイ兵長も兵団で恋人作ったりするんですね…」

「ははっ、羨ましいかい?コニー」

「いや、まぁそりゃあ…」


頭を掻くコニーを優しい目で見て、ハンジはまた窓の外を眺めた。そんなハンジを見ていたアルミンが、遠慮がちに声を掛ける。


「あの、ハンジさん…なまえさんは…」

「…うん。なまえが前線を退く結果になった怪我をした壁外調査…あれは本当にひどい日だった。私も長く兵団にいるけど、あそこまで悪条件が重なったのは初めてだったよ」


順路を進んで暫く経った頃、雷雨で完全に視界が閉ざされ、尚且つやっと辿り着いた中間地点に巨人の群れが襲いかかり、多数の死傷者を出してしまった。


「…もちろん索敵も機能しない。そもそも兵士たちも散り散りになって、まともに動けない状況だった」

「そんな…」

「それでもリヴァイとなまえの班は被害が少ない方でね。調査を切り上げて、彼らを中心にして壁内に戻ることになったんだ」





「あ、いたいた。リヴァイ!」

「…相変わらずどこから湧いてきやがるんだ、お前は」

「ふふーん、リヴァイのことなら直ぐ見つけられるよ?」

「…そうかよ」


雨露に濡れない軒下に潜ったリヴァイの元にひょっこりと顔を出した彼女は、殆どの兵士が意気消沈している中、いつも通りの明るさを保っていた。
リヴァイがどこにいようとなまえが見つけ出すのは、あの頃から何も変わっていない。変わったのは穏やかに彼女の名を呼ぶリヴァイとなまえの関係だけだ。


「さすがのエルヴィンも撤退を決めたみたいだね」

「あとはいかに損害を出さずに帰れるか…だな」

「…大丈夫。きっとうまくいくよ」

「なまえ…?」


不意に真剣な雰囲気を醸し出したなまえに違和感を覚えたリヴァイがハッと顔を上げて、なまえの横顔を凝視した。その横顔にあの時の記憶が蘇り、思わずなまえの腕を引き寄せる。


「っ、わっ…リヴァイ、どうしたの?」

「お前…また怪我なんてしてねぇだろうな」

「してないしてない!万全ですっ!」

「…ならいい」


大袈裟に両手を上げてアピールするなまえの上から下までをしっかり確認したリヴァイが息を吐く。笑いながら腕を絡めてきたなまえの腰をしっかり引き寄せて、真っ暗な空を見上げた。


「チッ…まだまだ降りやがるな」

「リヴァイ、気をつけてね」

「お前もな。足滑らせんじゃねぇぞ」


クスクス笑うなまえの唇を塞ぎたくなる衝動に駆られるが、さすがに壁外だと自制する。
代わりにポンっと優しく額を叩き、立ち上がった体勢のままそっと手を伸ばした。


「…行くぞ」

「うんっ。あ、そうだ、リヴァイ」

「なんだよ」

「今度の休み、買い物に付き合ってくれない?」

「構わんが…何を買うんだ」

「日記帳、もうすぐ終わっちゃうの。だから次のを買いたくて」

「ああ、あれか…次買うときは鍵無しにしろよ」

「えーやだよ。絶対見られたくないもん」

「俺にとっちゃあんな鍵、あってもなくても変わらねぇけどな」

「もうっ…リヴァイには絶対渡さない!…あ、でも」

「あ?」

「もし…もし私に何かあったらさ、リヴァイがあの日記を処分してね」

「…なまえ、お前な…」

「その時には中身読んでもいいよ」

「…不吉なこと言ってんじゃねぇよ」

「分かってないなー、リヴァイは。こんなこと言っちゃった以上、絶対読まれたくないから生き残るしかないでしょうが。願掛けだよ、願掛け!」

「くだらねぇな。願掛けなら…こっちにしとけ」


隣で煩く喚くその口を塞いでやる。
先ほど壁外だから自制しようと思った理性のことは、綺麗さっぱり忘れることにした。
途端に静かになったなまえに、キスをしたまま口角を上げてぺろりと上唇を舐めてやると、慌てたなまえがリヴァイの胸を押した。その顔は赤く染まっている。


「っ、リヴァイ…仕事中!壁外!注意散漫!」

「はっ…キスしてるくらいで俺が注意散漫になると思うか?お前と一緒にするな」

「もうっ…!」


照れ隠しなのだろう、怒った様子で先に歩くなまえの後ろ姿を見ながらリヴァイは喉の奥で笑った。ほんの少しの不安な思いを隠すようにして。





「…その後だよ。なまえの班が奇行種と戦闘になったのは」


殿を務めたなまえの班は、兵団の群れを追いかける奇行種二体と対峙したという。
予測不能な動きをしつつも、どこか連帯するようなその巨人たちに翻弄され、なまえの班は殆ど壊滅したらしい。


「でもさすがはなまえだったよ。単騎で一体を倒して、班員の一人を救い出した。ただその代わりに…」


痛ましそうに目を閉じるハンジに、声もなく俯くアルミン、ジャン、コニーの三人。真っ先に顔を上げたジャンが、同じく目を伏せるモブリットへ聞く。


「それでなまえさんは…」

「うん。班員を助けた時に巨人に掴まれて…手足の骨折と内臓損傷で、それはひどい怪我だった」

「あの時のリヴァイは…見ていられなかったよ」


助け出されたなまえの隣で膝をつき、その名を呼び続けるリヴァイの姿は今でもハンジとモブリットの脳裏に残っている。
誰が呼び掛けても答えず、ただひたすらになまえを呼び、その手を握るリヴァイは消えてしまいそうに見えた。


「何とか壁内まで戻ったはいいけど、怪我が酷くてね…」


そこで言葉を切ったハンジの横顔は影になって見えなくなってしまった。
その先を察した三人は、リヴァイの心情を慮ってただただ項垂れていたが、ガタンと音を立てて不意にコニーが立ち上がった。


「…オレ、訓練してきます」

「コニー…」

「オレらなんかがなまえさんの代わりにはなれないけどさ、兵長の負担にはならないようにしねーとな」

「…その通りだね、コニー。僕も行くよ」

「オレも…。ハンジさん、オレたちこれで失礼します」


話聞かせてくれてありがとうございました、と頭を下げるジャンに続いて、アルミンとコニーもお礼をしようとしたその時。


「オイ、クソメガネ…これはどういうことだ」


バン、と大きな音を立てて扉が開かれる。
そこには今し方まで話題に上がっていたリヴァイの姿があった。


「「「リ、リヴァイ兵長っ!」」」

「てめぇら…こんなクソ汚ねぇところで何してやがる。オイ、メガネ…俺はここを綺麗にしとけと言ったよなぁ…?」

「リヴァイ、早かったね!それがさ、片付けてたらこれが…」

「これのどこが片付いたっつうんだよ!ふざけんな!」

「ちょ、リヴァイ、これ見てこれ!」


深い皺を刻んだリヴァイが怒りのまま前に出たのに焦ったハンジが、机の上の日記を持ち上げた。
驚いたようにリヴァイの目が見開かれ、それを凝視する。


「オイ、それは…」

「ここを片付けてくれてたアルミンたちが見つけたんだ!ほら、なまえのだよね?」

「…ああ」


手を伸ばしたリヴァイがそれを受け取るのを、三人は固唾を呑んで見守っていた。
彼らしからぬ優しい手付きで表面の埃を払ったリヴァイの雰囲気は先ほどとは違い、穏やかな空気を纏っている。


「これ…なまえのところに持っていってあげなよ」

「あの、リヴァイ兵長…!もしよろしければ自分たちもご一緒してもいいでしょうか…!」

「お、オレもお願いします!」

「僕も…よろしいでしょうか!」


ジャンを筆頭に、コニーとアルミンのどこか必死な様子を驚いたように見ていたリヴァイ。
だが、何かを察したようにジロリとハンジとモブリットを睨みつけた。


「てめぇら…余計なことを話しやがったな」

「も、申し訳ありません!」

「いやー私も久しぶりになまえに会いたくなったよ!」

「チッ…」


忌々しげに舌打ちをしたリヴァイが、緊張した面持ちのまま敬礼を捧げている自分の班員たちを見て、深々と溜息を吐く。そして片手で持ち上げた日記でトントン、と肩を叩きながら呆れたような視線を向けた。


「お前らも…くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ」

「し、しかしっ…!」

「だが、まぁ…なんだ。あいつならそろそろ此処に着く頃だ。勝手に挨拶する分には問題ねぇだろ」

「は…?」

「此処、に…?」

「え、…もしかして葬儀、ですか?」

「…は?」


ぽかんと口を空けてしまった三人を訝しげに見たリヴァイの視線の先に、項垂れるモブリットの姿とそろりそろりと足を忍ばせながら部屋を出て行こうとしているハンジの姿が映った。


「…オイ、クソメガネ。てめぇ…こいつらに何吹き込みやがった」

「えー?あは、あはははっ」

「え、え、ハンジさんっ!?なまえさんって亡くなったんじゃ…!」

「ジャ、ジャン!」

「あはは、私は一回もそんなこと言ってないよ?ちょーっと思わせぶりに過去の思い出、なーんて……ぎゃあっ!いででで、いってぇ!」

「クソが…そのクソしか詰まってねぇ頭をかち割ってやるよ」

「へ、兵長!申し訳ありせんっ…分隊長の悪ふざけが…!」

「え、待ってくださいよハンジさん!じゃあなまえさんって…!」

「…コニー、てめぇのちっぽけな脳ミソにも叩き込んでやる。なまえは俺の妻だ」


ちなみに死人を伴侶にする趣味はねぇ、と吐き捨てたリヴァイの言葉に三人の思考が停止する。
あのモブリットの何か言いたげな悲痛な表情は、「またハンジさんの悪ふざけが始まった」というものだったというのか。


「つ、つま!?妻ってなんだ!?」

「コニー、落ち着いて。妻とは結婚相手、つまり配偶者の呼び名であって、ということはなまえさんは兵長の…」

「お、おい、お前も落ち着けよアルミン、まさか兵長が結婚してるなんてそんなわけが…」

「結婚してるよ、リヴァイ。なまえとね」


頭を潰されながらもヘラっと笑ったハンジが最後の爆弾発言を投げつけた。散々遊ばれた三人の頭の中には、ハンジに対する罵詈雑言が次々と溢れ出してくるが、何も言葉に出来ずにリヴァイとハンジ、モブリットを順番に見ることしか出来ない。


「ははっ、なまえ・アッカーマンになったからなまえ・みょうじはもうどこにもいないし、怪我がもとで調査兵団を抜けたのは本当だからね」


ケラケラ笑うハンジの言葉で全てを察したリヴァイは、「てめぇは一回死ね」とハンジを一撃で沈め、その頭をグリグリと床に擦り付けている。それに恐れ慄いて動けない三人とモブリットが震える身を寄せ合った時、不意に軽やかなノックの音が響いた。


「ハンジー?ここにリヴァイがいるって聞いたんだけど」

「っ、なまえさんっ!?」


モブリットの喜びと絶望が入り混じった声に、アルミンたちも驚きの声を上げた。色々立て続いていて、頭がこんがらがりそうだ。


「あ、今の声はモブリット?開けるよー」


明るい声と同時に扉が開かれた。
そこに立っていたのはリヴァイよりも小柄な、だが大きくお腹が膨らんだ女性で、104期生は何度目かの衝撃のままただただ呆然と立ち尽くす。


「…え?リヴァイ、ハンジ、何してんの」

「なまえ、迎えに行くから待ってろって言っただろ」

「だって兵団の入り口で待ってると目立つんだもん」

「馬鹿、お前だけの身体じゃねぇんだ。何かあったらどうする」

「もう、心配しすぎ。あ、モブリット、久しぶりだね。お邪魔してます」

「ご、ご無沙汰してます!」


瞬時にハンジの上から移動してきたリヴァイがそっとなまえの背に手をやり、心配そうな目を向けている。
おかしそうに笑ったなまえは、モブリットへ笑顔を向け、次いで床に伸びるハンジへと目を向けた。


「…ハンジ、今度は何したの」

「や、やあなまえ…久しぶりだね…」

「一週間前にウチに遊びにきたばかりじゃない。…ってあれ?」


壁と同化して立ち竦んでいたアルミンたちに気がついたのか、なまえが大きな目をぱちくりさせて三人を見つめた。
動くことも言葉を発することも出来ない彼らは、なまえの横から鋭い視線を浴びせるリヴァイと目を合わせないように必死だ。


「あ、もしかして…リヴァイの部下の子たち?」

「はっ、アルミン・アルレルトです!」

「ジャン・キルシュタインです!」

「コ、コニー・スプリンガーです!」

「やだ、私もう一般人だから。そんなかしこまらないでね。なまえ・アッカーマン、リヴァイの妻です。いつもお世話になっています」


ぺこりと頭を下げたなまえ。
咄嗟に心臓を捧げた敬礼をして自己紹介をした三人は、よろよろと立ち上がったハンジに恨みを込めた視線を向けつつ改めて背筋を伸ばす。


「なまえ…エルヴィンに挨拶に行くんだろ。それが終わったら俺も一緒に帰る。行くぞ」

「えっ…もうちょっとみんなと話を…」

「こいつらは業務中だ。邪魔すんな」

「そっか…そうだよね…」


しょんぼりしてしまったなまえを目にして思わず声を掛けそうになったジャンは、リヴァイの殺気だった視線を受けて慌てて口を噤む。命は惜しい。


「じゃあ皆さん、もし良かったら今度うちに遊びに来てくださいね。モブリットもね」

「ありがとうございます、なまえさん」

「あ、じゃあ私もー…」

「てめぇは呼ばなくても来てるだろうが。暫くウチの敷居を跨ぐのは禁止だ。絶対に来るんじゃねぇぞ」

「ええええ!!」

「あ、じゃあ皆さん、訓練頑張ってね!」


リヴァイに促されて退室したなまえの後ろ姿を見送ったアルミンたちは、緊張のあまり止めていた息を思いっきり吐き出した。
そしてショックを受けて項垂れるハンジを恨みがましげに仰ぎ見た。


「ハンジさん…」

「あはは、ごめんごめん!まさかなまえが今日来るなんてなー」

「なまえさんは…」


アルミンの言いたいことを察してか、ハンジは扉を見つめながらゆっくりと頷いた。その横顔は先ほどまでとは違い、心からの慈しみに溢れている。


「あの壁外調査の後、なんとか回復したんだよ。でもリハビリをしても身体は今まで通りに動かなくなって…暫くはエルヴィンの下で事務方の補佐官をしてたんだ」


悔しかったと思う、とポツリと呟くハンジ。
公私ともにリヴァイと肩を並べていたなまえからしてみれば、外に出る兵士たちを見送る辛さは如何ばかりだっただろうか。


「なまえはいつも笑ってたけど…やっぱりちょっと不安定だった。そんな時、リヴァイがプロポーズしたんだ」


二人の間にどんなやり取りがあったのか、ハンジたちは知らない。だがなまえは兵団を辞め、リヴァイと籍を入れたあと暫くして妊娠した。再来月には出産予定の筈だ。


「…兵長には守るものがあるんだ」

「その通りだよ、アルミン。さっきの見ても分かるだろ?過保護ったらないんだからさ!」

「分隊長がなまえさんに絡みすぎるのも理由の一つだと思いますよ…」


心配性だよね、と笑うハンジと呆れ返った様子のモブリット。
アルミンとジャン、コニーはほぼ同時に目を見交わしながら、それでも込み上げる笑みを押さえることが出来なかった。


「…幸せそうだったな、兵長」

「そうだね…」

「ちぇっ…なんだよ、心配して損したな」


頭の後ろで腕を組むコニーに笑って、アルミンは見つけた日記を思い浮かべる。大切そうにリヴァイの手に抱えられたそれが、二人の寄り添った年月を表しているようだった。





「…ねぇリヴァイ。さっきから気になってたんだけど、その手に持ってるのって…」

「ああ、お前が探してた日記だな」

「やっぱりっ…!え、なんで!?無くしたとばかり…」

「あのクソメガネの部屋から出てきたらしいぞ」

「やっぱりハンジかっ…!絶対私の部屋に積み置いてた本と一緒に持って行ったんだ…!」

「そういや…俺が開けていいんだったよな、これ」

「…はい?」

「『私に何かあったら』。お前、そう言ってたな」

「ちょっ…生き残ったんだから無効でしょ!それに引っ越しのドタバタで鍵も無くしちゃったしっ…」

「鍵なんてあっても意味ねぇって言ったろ、俺にとってはな」

「リヴァイっ…」


ワナワナと震えるなまえに喉の奥で笑ったリヴァイは、ザラついた感触を伝える日記を握り直した。隣で文句を言い続けるなまえだが、身重の自分の身体を理解してか無理矢理奪い取ろうと動くことはしない。
チラチラと不安そうにリヴァイを見上げるなまえは、妻となり母親となろうとしている今でも出会った頃から何も変わらない。
そんななまえが愛しくて、リヴァイはどんな時でもなまえのどこかに触れていたくなるのだ。


「…そんな風に撫でられても誤魔化されないからね」


戯れのように髪に触れるリヴァイに頬を膨らませ、なまえはなだらかな曲線を描くお腹をそっと撫でた。
それを見守るリヴァイの瞳は、何よりも大切なものを見る優しさを湛えている。


「ほら、行くぞ」

「…うん」


結局日記はリヴァイの手の中だが、反対の手がなまえの手をそっと握り込む。
その温かさに頬を緩めたなまえは、日記の中身を思い出して恥ずかしさと懐かしさにほんのりと頬を染めた。


(リヴァイに出会ってからは、リヴァイのことばっかり書いてたって知ったら…なんて言うのかな)


リヴァイの立体機動の技術に見惚れたこと。
初めて声を掛けた時のこと。
拒絶されて悲しかった気持ち。
言葉を交わせた日の喜び。
絶対絶命だと思ったあの時、初めて呼ばれた名前。
リヴァイから思いを打ち明けられた時のこと。
そして、戻らない身体に絶望したあの時に告げられたリヴァイからの永遠の誓い。


それを最後に日記を無くしてしまった。
なので最後のページには、喜びに満ち溢れたなまえの幸せと志半ばで兵団を去ることに対する悔しさが綴られている。
自身の存在価値やこれからの未来を想像出来ずに塞ぎ込むことが多かったあの時、リヴァイに強く抱きしめられながら言われた言葉はなまえの心の真ん中に今でも根付いている。


『…なまえ。俺と一緒になって俺の帰る場所になってくれないか』

『リ…ヴァイ…?』

『お前が自分を責めて苦しんでるのは十分分かってるつもりだ。だが…そんな思いも希望も全部捨てて、俺だけのものになって欲しい』

『それって…リヴァイ…』

『…結婚して欲しい』


その言葉にわんわん泣きながらリヴァイに縋ったなまえを強く強く抱きしめながら、リヴァイは絶対になまえだけは離さないと誓っていた。
兵士として戻りたいと足掻くなまえの願いも、それに届かず涙する彼女の嘆きも。全部自分が引き受けて壁外へ出て、彼女の代わりに自由を手にしてくると決めていた。全ては自分の自分勝手なエゴだと理解しつつ、それでもなまえの笑顔だけを守りたかった。
血塗れで横たわるなまえを見た時の心臓が冷え切る感覚は、もう二度と味わいたくない。


『なまえの未練も希望も願いも、俺が全部壁外へ持って行く。そして必ずお前に自由を持ち帰ってくる。お前は俺がどこにいても見つけるが…今度は俺がお前の元に戻ってくる番だ』

『ね、リヴァイっ…』

『…なんだ』

『絶対絶対…絶対に私のところに戻って来てよっ…』

『…当たり前だ』


で、返事は?とふてぶてしくもちょっとだけ不安そうなリヴァイに爆笑してしまい、そのまま朝まで啼かせられたのはあまり思い出したくない記憶だ。
ギュッと手を握り返したなまえの幸せそうな笑みを横目に、リヴァイも口元を緩める。
二人で一緒に書き始めた新しい日記に、今日のことを早く書きたいとほんのり笑って、なまえは確かな幸せな形を感じていた。



-fin




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