君色Diary(前)



ガタンっ、という大きな音とともに真っ白い埃が部屋中を舞い散った。
「アルミンっ!」とジャンの慌てた声が響く中、椅子から転がり落ちたアルミンが顔を顰めながら頭に手をやる様子が粉塵の中から見えてきた。


「いててて…」

「アルミン、大丈夫か!?」

「あー頭打ってない?どこか痛いところは……あれ?」


コニーが助け起こそうと屈む中、ハンジがどこかのんびりとした調子で声を掛けるが、その声が途中で止まる。しゃがみ込んだアルミンの足元に転がる箱を興味深そうに覗き込み、一冊の本のようなものを手に取った。


「あれ、これって…」

「分隊長!そんなものより先にこっち見てやってください!」

「ああ、ごめんごめん」


モブリットの慌てた声に振り返り、アルミンの元へと足を進めた。
リヴァイが外出している今日、アルミン、ジャン、コニーはハンジに声を掛けられて研究室の掃除に駆り出されていた。
というよりも、部屋の惨状に激怒したリヴァイが自分が帰ってくるまでに綺麗にしておけ、とハンジを脅したことがきっかけだが。
ちなみに他のメンバーはリヴァイに命じられた資料室の掃除に勤しんでいるはずだ。


「アルミン、怪我は?」

「大丈夫です。あの箱が急に落ちてきたので驚いてバランスを崩してしまって…」

「分隊長…これで彼に怪我でも負わせてたらリヴァイ兵長に殺されますよ。ただでさえ内緒で手を借りてるんですから」

「はははっ、大丈夫だよ。いざとなったら見兼ねた彼らが自主的に手伝ってくれたってことにしよう!うん、そうしよう!」

「…上下関係ってえげつねぇな」

「言うな、コニー」


げっそりした様子のジャンとコニーに苦笑を向けたアルミンが、ふと気がついたようにハンジが手に持つものに視線をやった。
転がり落ちた自分よりもハンジが興味を示したそれは、埃をかぶっているが鍵のついた本のようなものらしい。


「ハンジさん、それは…」

「…まさかこんなところにあったとはね。探しても見つからないはずだ」


そっと指先で表紙をなぞる仕草は優しく、その視線も柔らかい。赤銅色のそれには、開きのところに錠が付いており専用の鍵がないと開かない仕組みになっているらしい。


「…なんかの機密文書ですか?」

「ははっ、残念、そんな大層なものじゃないよ。…いや、彼女にとっては何よりの機密だったのな?」


ジャンの警戒したような問いかけに笑いながら答えたハンジが、それを手にしたままふと窓の外に目を向けた。その手元を覗き込んだモブリットが大きく目を見開いて、口を開く。


「分隊長、それっ…」

「ああ、なまえのものだよ。きっと他の本と紛れてあの箱に仕舞われちゃってたんだね」

「あの頃、なまえさん随分探してましたもんね…」

「あの、ハンジさん、モブリットさん。なまえさんって…?」

「ハンジさんの部下ですか?」

「どこかで聞いたことあるような…」

ジャンとコニーが不思議そうに首を傾げる横で、アルミンは記憶を辿るように視線を彷徨わせている。その三人の視線が示し合わせたように一斉に赤銅色の表紙に向けられて、ハンジはそれを目線の位置まで上げた。


「なまえ・みょうじ。一年くらい前まで、ここ…調査兵団で分隊長をやっていた女性だよ」

「あ、聞いたことがあります!確か…怪我がもとで前線を退いたって」

「うん。これはそのなまえが付けていた日記なんだ。絶対に見られたくないからって、こんな鍵付きのやつにしてね」

「その鍵も肌身離さず持っていましたよね、なまえさん」


モブリットの懐かしむような声にハンジが頷く。
二人の脳裏に蘇るのは、無邪気に笑うなまえの笑顔だ。


「…これ、リヴァイに渡そうかな」

「そうですね…。きっと喜びますよ」

「え、リヴァイ兵長に、ですか…?それは…」


ポツリと呟いたハンジの言葉に同意するモブリットとは裏腹に、ジャンはギョッとしたように声を上げた。ぱっと見でも埃まみれで綺麗とは言い難いそれをリヴァイに渡すなど、自殺行為では無いか。
アルミンとコニーも言葉にはしないものの、同じ気持ちのようで恐怖の表情を浮かべている。


「大丈夫大丈夫!リヴァイならきっとなまえに届けてくれるさ」

「あの、オレで良かったらなまえさん?に届けますよ。今はどちらにいらっしゃるんですか?」

「…兵団にはもういないよ。いや、なまえ・みょうじはもうどこにもいない、と言うべきかな」

「え…?」


大切なものならリヴァイの手に渡る前に自分が届けようと手を上げたジャンの提案に、ハンジが寂しそうに笑いながら首を振った。
モブリットはギョッとしたような、苦虫を噛み潰したような難しい表情で下を向き、視線をあげようとしない。


「なまえはね、リヴァイにとって誰よりも大切な恋人だったんだよ」

「えっ!?あのリヴァイ兵長の…?」

「そう。リヴァイが兵士長になった頃だったかな…なまえも分隊長になってね。ずーっと二人で寄り添ってやってきたんだ」

「…そんな前から」


呆然とした様子の三人を尻目に、ハンジは二人の姿を思い出す。卓越した戦闘センスを持つなまえと、人類最強の名を轟かせ始めていたリヴァイ。
いつも明るく飄々としていたなまえと、誰も寄せ付けない雰囲気を持っていたリヴァイは何故かウマがあったのか、気がついたら二人でいる姿を良く見掛けるようになっていた。


「リヴァイ兵長にそんな人がいただなんて…」

「ジャン、驚くだろう?私たちだってあの二人が恋人同士って聞いた時はたまげたもんだよ。ね、モブリット」

「そうですね。でも…なまえさんがいたから今のリヴァイ兵長がいるんだと思います」

「あの、なまえさんって今は…」


ジャンの恐る恐るというような問い掛けに、ハンジは儚げな笑みを浮かべたまま首を振った。何か言いたげに口を開閉したモブリットも、そっと視線を彷徨わせている。
息を呑んだ三人だが、アルミンが決然とした面持ちでしっかりと前を見据え、ハンジに向き直った。


「…あの、なまえさんってどんな人だったんですか?」

「オレも知りたいです」

「オレも」


アルミン、ジャン、コニーの真っ直ぐな瞳がハンジを見ていた。新リヴァイ班としての彼らは、リヴァイをきちんと支えようと貪欲に努力していて、きっとなまえのことを気にするのもリヴァイのことをよく知りたいという気持ちからなのだろう。
それを見て取ったハンジはもう一度古い日記を撫でながら、二人の姿を思い浮かべていた。
あの無邪気で真っ直ぐで、全てを包み込むような強さを持つ彼女とそんな彼女に惹かれて慈しんだリヴァイの姿を。





「あ、見ーつけた、リヴァイ」

「…てめぇ。毎度毎度顔出すんじゃねぇよ、鬱陶しい」


立体機動の天才だとか人類最強だとか、そんなどうでも良い通り名ばかりが上滑りしていたあの頃。
ファーランとイザベルを亡くしながらもエルヴィンについていくと決めた中、リヴァイはどこか虚無感を抱えながら日々を過ごしていた。
誰とも交わらず、ただ巨人を削ぐことだけを考えながら淡々と毎日を過ごすリヴァイを気にしたのか、エルヴィンやハンジなど、中堅兵士がやたら声を掛けてきていた。その筆頭がなまえだ。
ハンジと同じく次期分隊長と呼び声高いらしいが、本人は飄々としてのらりくらりと躱しているらしい。そんななまえは、リヴァイの何が気に入ったのか姿を見掛ける度に声を掛けてきていた。


「せっかく損害無しで中間地点まで辿り着いたんだよ?リヴァイのおかげでね。お疲れさま、ありがとう」

「はっ…俺はただ自分の役目を全うしただけだ。礼を言われる筋合いはねぇ」


リヴァイにとって幾度目かになる壁外調査、休息を取る兵士たちの目から隠れるように物陰に座り込んでいた彼を見つけたのは、やはりなまえだった。
他人と関わることを良しとせず、人が集まる場所からは距離を置くリヴァイを見つけてくるのは、いつの間にかなまえの役目になっていた。
地下街育ちで培った感覚を頼りに絶対に見つけられないように隠れても、何故かなまえはいとも簡単にリヴァイを見つけるのだ。


「…てめぇ」

「てめぇじゃなくて、なまえ。名前、知ってるでしょ?」

「お前の名前を呼ぶ道理はねぇ。…なんで俺に付き纏うんだ」

「え、付き纏ってないよ?リヴァイが一人ぼっちだと気になるから声掛けてるだけじゃん」

「それを付き纏ってるっつうんだよ」


にこにこ笑いながら「まぁまぁ。はい、飲んでね」と水を差し出すなまえを胡乱な目で見上げ、深々と溜息を吐いた。
もう何度目のやりとりになるのか、最初の頃はもっと辛辣な言葉を吐き捨てていたが、なまえは全く気にする様子もなく笑顔で寄ってくるのだ。


「…お前は飲んだのか」

「うん、飲んだよ。あ、もちろん飲みかけじゃないから安心してね」

「当たり前だ、馬鹿が」


眉間に皺を寄せたまま、リヴァイが乱暴に水を受け取った。微かに触れた指先がひどく熱く感じて、リヴァイは顔を顰める。絆されたわけではない。どちらかというと呆れ、諦めた方に近いだろう。


「…このまま無事に終わるといいんだけど」


リヴァイが水を飲む様子を満足気に見ていたなまえがふと呟いた。顔を上げたリヴァイの目に、厳しい顔で空を見上げるなまえの姿が映る。


「何があるかが分からねぇのが壁外だ。…てめぇらがいつも言ってることだろ」

「うん…そう、そうだね」


曖昧に頷いて笑ったなまえに違和感を覚えた。どこが、と言われるとうまく言葉に出来ないが、纏う雰囲気がいつもと違う気がした。
だがここでそれを口にすれば、なまえのことをリヴァイが気に掛けていると思われてしまうだろう。それは癪な気がして、気のせいだと結局口を噤んだ。


「あ、集合だ。行こう、リヴァイ」

「…先に行け」

「了解だよ。…あ、そうだ!」


チラッと集合の合図を見たリヴァイが素っ気なく視線を逸らすが、彼が遅刻などしないことはなまえもよく分かっている。
先に行こうと進めた足を止めて、なまえはくるりとリヴァイを振り返る。


「ね、今度立体機動を見てもらえないかな?」

「あ?なんで俺が…」

「リヴァイみたいに綺麗に飛びたいの。お願い!」

「…死なずに戻れたら考えてやる」

「っ、ありがとう!」


ぱあっと顔を明るくしたなまえが手を振りながら集合場所へと走っていく。飲み終えた水筒を軽く振り、リヴァイも立ち上がった。
何故かなまえの申し出を断らなかった自分に驚いてしまうが、全ては抜けるように青い空のせいにすることにした。




「なまえ班長、左前方より10m級が二体来ます!」

「無駄な戦闘は回避!陣形を死守することに専念して!」

「了解っ!」


赤い信煙弾が次々と打ち上げられるのを横目に、なまえは前だけを見て馬を走らせ続ける。
壁外調査の折り返し、順調に見えた復路は思ったよりも巨人の数が多く、索敵陣形も今は何とか形を保っているが、ここで奇行種でも出現したらすぐに崩れてしまうギリギリのところまで乱れていた。


(伝達が遅すぎるっ…!とにかく壁に辿り着くまで何とか形を保たないと…!)


澄んだ青空を睨みつけたなまえは、右前方で巨人が勢いよく走り出すのを目に留めて息を呑む。
5m級の巨人が向かう先には恐らく新兵だろう、固まったまま少しも動けない様子の兵士が立ち竦んでいた。


(間に合うか…!?)


幸い廃墟には事欠かない立地だ。
すぐに立体機動装置を起動して飛び上がるが、いかんせん距離がありすぎる。
巨人が手を振り被ったその瞬間、なまえの刃がその手を叩き斬った。


「っ、なまえ班長っ…!」

「無事ね!?」


震える新兵を振り返る暇はない。
ただすぐに声を上げた様子を見れば大きな怪我も無いのだろう。蒸気を上げる自身の腕を不思議そうに見ていた巨人が、ノーモーションで反対の腕を振り上げたのを軽々交わし、そのうなじを正確に削ぎ落とした。


「は、班長…」

「突っ立ってないで移動するよ!馬は?」

「そ、それが呼んでも来なくて…」


チッと舌打ちをしたなまえは、左の視界で一体の巨人が飛び出してきたのを捉えて新兵を抱えながら飛び立った。
その途端、太ももの付け根がキリっと痛み、なまえは思わず顔を顰める。往路で仲間を庇った時に少し痛めたのは分かっていたが、怪我の場所や程度から見て一人で戦う分には支障がないと踏んでいた。だが。


(この子を庇いながらの戦闘はちょっとキツい、かな)


屋根に飛び乗ったなまえは、真っ青な顔のまま立ち上がることさえ出来ない新兵をチラリと見遣り、次いで眼下の巨人に目を遣る。なまえたちの姿に誘われたのか、三体に増えていた。


「なまえ班長!」


なまえの班の班員が隣に飛び降り、厳しい顔で指示を待っている。赤い信煙弾の残炎の方向を確認したなまえは、新兵の手を引っ張って無理矢理立ち上がらせた。


「あなたはこの子を連れて離脱!隣にリヴァイの班がいるはずだからそこと合流し、増援をお願いして!」

「っ、でも…!」

「この子は馬も無いし、私とあなたで庇いながら戦う方がキツいわ。とりあえず増援を呼んできて!」

「了解っ…!」


唇を噛んだ班員が新兵を叱咤して馬に乗せ、一気に走り去るのを見送って、なまえはスラリと刃を抜いた。怪我さえ無ければ通常種三体など敵ではないのだが。


(リヴァイならこんな怪我、ものともしないんだろうなぁ)


そもそも彼はこんなドジは踏まないか、と一人笑ってしまう。
突如入団してきた彼の立体機動の技術に見惚れたのは、なまえだけではなかったはずだ。大切な仲間だったはずの二人を失ったリヴァイは、それでも変わらず前を向いて宙を舞っていた。
それをただただ綺麗だと、そう感じたなまえがリヴァイに関わるまでに時間は掛からなかったが、リヴァイに心を許してもらえるにはまだまだ時間が掛かるらしい。
だがなまえには分かっていた。彼は不器用で粗暴な人だけれど、決して人が嫌いなわけではないことを。能力の高さや出自からか、自分から壁を作ってしまうけれどその本質はきっと優しい人だ。


(立体機動、教えてくれるかなー…)


そういえばリヴァイはなまえが何故いつも彼を見つけられるのか不審がっていたが、実家で飼っていた黒猫に行動がそっくりなのだと伝えれば、激怒するだろうか。それとも呆れるだろうか。


「…とりあえずここを何とかしなきゃね」


不敵に笑ったなまえは、手を伸ばす巨人たちへ向かって飛び立った。





リヴァイは全速力で馬を走らせていた。
なまえの班員が血相を変えて伝言を伝えた瞬間、リヴァイはすぐに踵を返し彼女の元へと向かっていた。


(アイツ…!一人で無茶しやがって…!)


なまえの実力はよく分かっている。
が、壁外調査は何が起こるか分からない場所だと己の口から伝えたばかりだ。
リヴァイの耳に立体機動装置の音が聞こえてきてしっかりと耳をすませば、巨人の蒸気に紛れてうなじを削ぎ落とす刃の音が響く。


「っ、なまえ!」


最後の一体が崩れ落ちたと同時に、屋根に飛び移った影がバランスを崩して落下を始めた。
愛馬から飛び立ったリヴァイは、その影が地面に落ちるギリギリでその身体を掬い上げて近くの壁を蹴り上げる。


「オイっ…!」

「あ、リヴァイ…来てくれたの…」


屋根へと膝を付いたリヴァイがなまえの顔を覗き込み、その顔色の悪さに息を呑む。
リヴァイの姿を認めたなまえがへらりと弱々しく笑う。


「お前っ…怪我したのかっ!?」

「あはは、ヘマしちゃった…でもだいじょ…」

「大丈夫なはずねぇだろ。チッ…無茶しやがって…」

「ごめんね、リヴァイ。来てくれてありがとう…」


リヴァイに支えられて何とか立ち上がったなまえが目を細めて微笑んだ。
グッと眉根を寄せた不機嫌そうなリヴァイがふいっと顔を逸らし、代わりになまえを支える腕の力を強める。


「…とりあえず本隊と合流するぞ。俺の馬に乗れ」

「リヴァイ、帰ったら立体機動教えてくれる…?」

「…しつけぇよ」


まずは怪我を治せ、と低い声で言ったリヴァイに嬉しそうに笑うなまえ。
リヴァイと共に無事帰還したなまえだが、実は怪我をした状態で一人巨人に立ち向かったと知ったエルヴィンににこやかに一時間以上の説教を食らい、リヴァイには鬼の形相でベッドに縫い付けられた。
「巨人より怖い…」と布団に包まってシクシク泣いたなまえの元に、実はほぼ毎日リヴァイが見舞いに来ていたことを知っているのは、極々限られた者たちだけだった。




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