半歩先を狙い撃ち



「失礼します、リヴァイ兵長、ハンジ分隊長」

涼やかな声を耳にして、エレンは手元に落としていた視線をぱっとあげた。
扉の方を見ると団長補佐であるなまえが部屋に入ってきたところで、エレンと目が合うとにっこりと笑って微かに手を振る。

「エレン、採血中にごめんね」

「いえ!お疲れさまです、なまえさん」

「うん、お疲れさま」

数枚の書類を手に微笑んだなまえは、エレンの後ろで腕を組んで待機しているリヴァイへ会釈し、採血の様子を目を爛々として眺めているハンジの元へ足を向けた。

「ハンジ分隊長、エルヴィン団長とのお約束の時間、過ぎてますよ」

「げっ…やっば忘れてた!あ、でもさ、ちょっと聞いてよなまえ!エレンがこの前採血した結果なんだけどさ…」

「分隊長、そのお話、きっとエルヴィン団長もお聞きしたいと思いますよ。エレンの件は兵団最優先事項ですから」

「そっか、そうだよね…よし、エルヴィンに検査結果を伝えて次の実験の許可を取ってこなくちゃ!」

「そうしてくださいな。あ、ハンジ分隊長の分の書類はここに置いておきますからね」

「了解だよ!じゃあなまえ、またあとでねー!エレン、リヴァイも!」

「あっ、お疲れさまでした…!」

なまえのさりげない促しで颯爽と部屋を出ていったハンジを見送り、エレンは丁度注射が抜かれた左手を開いたり握ったりしながら、採血をしてくれていた医療班の兵士に頭を下げた。
その様子を見ていたリヴァイは、医療班が出て行くのを見送って口を開く。

「エルヴィンの野郎も災難だな」

「ふふっ…分隊長とお約束していたのは本当ですし、エレンの状態を気にしていたのも本当ですよ」

「…一時間後は次の実験についての会議だったな」

「はい。大丈夫ですよ、その時間になったらハンジ分隊長を回収して、エルヴィン団長も遅れないように行って頂きますから」

「…会議が遅れることはねぇようにしろよ」

「了解しました。あ、これは兵長の分です」

穏やかに答えたなまえはリヴァイに書類を手渡すと、エレンに「またあとでね」と言って部屋を出て行った。
リヴァイのぶっきらぼうな対応にも臆さず、ハンジの突拍子もない行動や言動も絶妙なタイミングで止めることが出来るなまえは、団長補佐として正に申し分ない人物だと言われている。
エレンにも全く怯えることなく一新兵としての扱いをし、こうして会うたびに優しく声を掛けてくれる彼女に、エレンを始めとした104期生はかなり懐いていた。
そんななまえをリヴァイと共に見送ったエレンは、どこかうっとりとした表情で言う。

「ほんと…なまえさんって理想の上官って感じですよね…」

「ほう…エレン。色々不満そうだな」

「はっ!い、いえ!そういう意味じゃな…!」

「お前らみてぇな青臭ぇガキのお守り、いくらなまえでも嫌がるんじゃねぇのか」

「…なまえさん、正に大人の女性ですもんね…」

「はっ…なんだ、惚れてんのか」

「ちっ違いますよ!なんかこう…綺麗なお姉さんっていうか、素敵な女上官っていうか…」

「ふん…くだらねぇこと言ってねぇで行くぞ」

くっきりと眉間に皺を寄せたリヴァイが身を預けていた壁から身体を起こし、ガンッとエレンが座る椅子を蹴って急かした。

(兵長が聞いたんじゃ…!なんか…機嫌悪ィのな…)

分かりにくいが、どことなくリヴァイの機嫌が悪い気がしてエレンは黙って先に行くその後ろ姿を追った。
一時間後の会議には、エレンも特例として参加することになっている。それまでには機嫌が直っていますように…と祈る気持ちを込めて、エレンは真っ青な空を映す窓を眺めた。



その後、会議前になまえが見事な手腕でハンジを回収し、尚且つエルヴィンを召喚して定刻通りに始まった会議は、白熱した様相を見せたものの無事に終了した。
幹部たちの集う中で、場違い加減に冷や汗をかきながらも何とか乗り切ったエレンは深々と溜息をついた。ハンジやエルヴィン、リヴァイが雑談がてらに次の壁外調査の話を始めたところで、片付けをしにきたなまえが優しく声を掛ける。

「エレン、疲れたでしょ。頑張ったね」

「なまえさん…。はい、流石に緊張しました…」

「だよねえ。そんなエレンに、はい、これあげる」

「…これって?」

「レモンキャンディ。甘過ぎなくてさっぱりするから、部屋を出たら食べてみてね」

「っ、ありがとうございます!」

「オイ、なまえ。ガキを甘やかすんじゃねぇよ」

「いいじゃないですか。こんな緊張感の中頑張ったんですもの。たまには息抜きだって必要です」

「チッ…」

なまえとエレンのやりとりを聞いていたらしいリヴァイが不機嫌そうに声を掛けるが、それを全く意に返さず楽しそうに言うなまえにエレンはほとほと感心してしまった。
エルヴィンやハンジもにこやかにこちらを見ているし、なまえがいるだけで場が和やかになる気がするのは間違いないだろう。

「なんか…なまえさんって本当にすごいですね…」

「ん?なにが?」

「いえっ…」

変なエレン、とクスクス笑ったなまえは、次の予定があるらしくエルヴィンへと声を掛けて出て行った。
それを憮然と見送ったリヴァイの機嫌がまた悪くなったように感じて、エレンは思わず身を竦ませた。

(兵長…まじで今日は機嫌悪ィな…何かあったのかな)

「しっかしなまえは本当に理想的な“兵士”だよねえ…ね、エレンもそう思わない?」

「はっはい…さっき兵長にも話してたんですが、理想的な上官だってオレの同期からも人気あるんです、なまえさん」

「ははーん…エレンくらいの歳の子はああいうお姉さんタイプに憧れる年齢だよねー」

「ちょ、ハンジさん…!それも兵長とおんなじこと言わないでくださいよ…!」

「え?リヴァイと…?」

ハンジのにやにやした顔と揶揄うような言葉に顔が赤くなるのを自覚しながら、エレンは慌てて否定した。
それにきょとんとしたハンジだったが、直ぐにニンマリと笑みを浮かべて向かい側に座るリヴァイへと視線を向ける。

「ふーん…リヴァイが、ねえ…へえ…」

「視線がうるせぇよクソメガネ。こっち見んな」

「まあまあ…いくらなまえがあなたの前ですら、ただのいち部下のままなのが気に食わないって言ってもさ、エレンに八つ当たりするのは違うんじゃない?」

「誰がんなこと言った。適当なこと言ってんじゃねぇよ」

「え…えっと…?」

「こら、ハンジ。エレンが困ってるからやめなさい」

ハンジとリヴァイのやり取りに疑問を浮かべて二人を交互に見るエレンを見兼ねたのか、エルヴィンが穏やかに声を掛けた。
全く意味が分からずただリヴァイを見ることしか出来ないエレンだったが、ハンジの次の言葉に思わず腰を浮かせた。

「あれ?エレンって知らないの?リヴァイとなまえの関係」

「え…関係って…え?まさか…!」

「恋人同士ってやつだよ、この二人」

「……えええええ!?」

サラッとそう言い放ったハンジの言葉を暫く脳内で処理すると、一拍置いて叫び声をあげてしまった。
思いきり眉を寄せたリヴァイの射殺されそうな視線に縮み上がりながらも、エレンは必死になって口を開いた。

「恋人って…兵長となまえさんがですか!?」

「あ、ほんとに知らなかったんだ」

「うるせぇよクソガキクソメガネ。大体てめぇら、誰の許可をもらってペラペラ喋ってんだ」

「別に隠すことはないじゃないか、リヴァイ」

「てめぇまで何言ってやがるエルヴィン」

「そうだよーリヴァイ?君たちの関係を知らない子ばかりだと、エレンみたいな若くて勢いのある子に掻っ攫われちゃうかもよー?」

「はっ…言ってろ」

(ほ、ほんとなんだ…本当にお二人が…)

馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりに視線を逸らしたリヴァイは物凄く不機嫌そうな顔のまま立ち上がった。すれ違い様、座ったまま唖然としているエレンを見下ろす。

「オイ、エレン。てめぇらがあいつにどんな思いを抱いていようが構わねぇが…余計なことしやがったら削ぐぞ」

「っ、はい!了解っ…!」

絶対零度の声音のリヴァイに、座ったままではあるが背筋をピンッと伸ばしたエレンが完璧な敬礼を捧げる。
こんな恐ろしい恋人がいるなまえに声を掛けようとする輩がいたら、是非会ってみたい。

「…全然構わなくないじゃんよ」

そのまま部屋を出て行ったリヴァイの後ろ姿に、ハンジの呆れたような呟きは届かなかったようだ。
未だ呆然としたように立ち上がれないエレンの肩にポンっと手を載せたエルヴィンは、含み笑いを隠さない。

「エレン、他言無用とまでは言わないが、あまり公にしないでいてくれると助かるよ」

「は、はい…それはもちろん…」

「ま、秘密にしてるって訳じゃないんだけどさ。なまえもリヴァイもあの性格でしょ?
公私混同したら兵団の士気に関わるって。主になまえがね」

「はあ…なまえさんらしいですね…」

「関係を知ってる私たちの前でもなまえはあんな調子だからリヴァイは面白くないんだよ。
ね、エルヴィン、なまえって、あなたの前でリヴァイの話をしたりするの?」

「基本的に業務以外の話はしてこないな。しかし…たまに、リヴァイのことを働かせすぎだとチクリとやられるな」

「あはははは!あの笑顔でやられたらそりゃきついわー!」

爆笑するハンジと苦笑するエルヴィンという両極端の二人を見ながら、エレンは掌の中のレモンキャンディを握り締めた。そして漸く、リヴァイの機嫌の悪さの理由を悟ったのだった。

(…兵長、意外と心狭いのな…)



「なまえ」

「リヴァイ兵長、どうされました?」

なまえの後を追ったリヴァイは、書庫でメモを手に本を探している彼女に静かに声を掛けた。
振り返ったなまえの笑顔は、完璧な部下の顔だ。

(チッ…面白くねぇ)

エレンのだらしなく緩んだ顔もハンジのわざとらしい暴露も、エルヴィンの澄ました突っ込みも。
だが何よりも面白くないのは、どんな時でも部下の仮面を外さないなまえの素晴らしすぎる笑顔の鉄仮面だ。

「…今は二人きりだろ」

「二人きりでも業務中です」

きっぱりとしたなまえの答えに思わず舌打ちしそうになり、何とかそれを堪える。
そもそもリヴァイが「好きだ」と伝えた時に、「私も好きです…だけど…」と、団長補佐としての立場とリヴァイを慕う女の立場との板挟みで煮え切らないなまえに譲歩して、「公私混同はしねぇ。今まで通り、仕事中は上司部下として弁えれば問題ねぇだろう」と告げてしまったのが間違いだった。


あのままだと、「好きだけど私なんかが上司と付き合うなんて烏滸がましい」と言いかねないと思ったからだ。事実、恋人同士になってからもそれに近い科白は何度か吐いていた。
だからこそあの時、なまえを名実ともに自分の女に出来るなら、と線引きしてしまった自分を今では全力で罵ることしか出来ない。
ああ告げたリヴァイに、なまえはホッとしたような寂しそうな、何とも複雑そうな顔をしたもののしっかりと頷いたのだ。

「お前はそれでいいのか」

「何がです?」

「…最近、全然時間取れてねぇだろ」

恋人同士になって、約半年。
本気で大切にしたいと思っているからこそ、リヴァイはなまえに合わせて程よい距離感でやってきたつもりだ。流石に一通りのことは済ませているが、そもそもお互い仕事以外の時間は極端に少ない。
兵士長として兵団の要にいるリヴァイはもとより、団長補佐として事務方を一手に担うなまえはエルヴィンについて内地に行くことも少なくなく、二人の時間が重なることは稀である。

「私は…少しでもリヴァイ兵長のお顔が見られればそれで満足です」

そうはにかんで言うなまえは可愛い。
可愛いし健気だし、何なら仕事中にこういうことを言ってくれたのは初めてで、リヴァイは今すぐにでもここで押し倒したくなる衝動を拳を握って耐えた。

「…なまえよ。あまりエレンにいい顔してんじゃねぇぞ」

「エレンですか?」

「ただでさえ変な虫がつくことが多いんだ…。その上これ以上クソガキどもに調子に乗らせるな」

内地に行く機会が多いなまえは、貴族のボンボンや他兵団の男に声を掛けられることも少なくないらしい。
そこはエルヴィンがうまくあしらっているというが、リヴァイ自身もみすみすそれを見過ごすわけにはいかない。

「了解しました。申し訳ありません」

そうはきはきと答えたなまえはきっと、上官としてエレンを甘やかしたことを叱責されたと思っているのだろう。
まさかリヴァイが子供染みた嫉妬心で忠告しているなど考えてもいないようだ。

「…お前な。分かってないだろ」

「分かってますよ。でもエレンは大切な切り札と同時に、大事な仲間の1人です。少しくらいフォローしても良いかと…」

「…全然分かってねぇじゃねぇか」

見当外れの主張をしてくるなまえに、リヴァイは苛立ちのまま一気に距離を詰めた。
本棚とリヴァイの身体に挟まれる形になったなまえが困ったように眉を寄せる。

「兵長…仕事中です」

「…うるせぇ。名前で呼べ」

「…リヴァイ兵長」

「なまえ」

「…リヴァイ」

根負けしたなまえが僅かに頬を染めて、ポツリとリヴァイの名を呟いた。
それにほんの少し満足したらしいリヴァイが、ぽんっとなまえの頭を軽く叩いてそのまま髪を掬う。

「…今はこれで勘弁してやる」

「…もう。誰かに見られたらどうするんです」

「別にもう構いやしねぇだろ。ハンジのクソが軽々暴露してたしな」

「えっ…!?まさかエレンに…!」

「ああ。ペラペラ話してたぞ」

「なんっ…で、なんで止めなかったのリヴァイ!」

「あ?別に黙ってるモンでもねぇだろ。文句言いたい奴には言わせとけ」

「そういう問題じゃ…!ああもう!」

珍しく動揺したのか、敬称も敬語すらも取れているなまえとは裏腹に機嫌良さげに口角を上げるリヴァイ。
仕事中になまえがここまで素を露わにするのは珍しく、こればかりはエレンとハンジに感謝してもいいくらいだと内心ほくそ笑んだ。

「大体、なんでそんなに隠したがるんだ」

「だっ、て…リヴァイが公私混同はしないって言ったんじゃない…」

「は…?」

「団長やハンジ分隊長とか…昔から知ってる人はともかく、あんまり関わりのない人たちに突っ込まれたら、平然としていられる自信ないもの」

「…それがどうした」

「え?だから…リヴァイとの関係を知られて、それを周りに聞かれたりしたら、私、絶対にやけちゃうもの。
それに周りにバレないようにしなきゃって気を張らなくてもよくなったら、二人きりの時とかつい喜んじゃうような気がして…。リヴァイ、そういう公私混同嫌でしょ?」

「それは公私混同というのか…?」

「言うでしょ」

「オイ、待て待て待て。なまえよ…じゃあ今まで完璧に公私を分けてたのは…」

「?最初にリヴァイが公私混同はしないって言ったんじゃない。それは当たり前のことだし、私、正直どこからがプライベートなのか分からない生活してたから…だったら仕事は仕事、二人とも仕事が終わったらプライベート、そういうことでしょ?」

まさか、付き合う時に自分がなまえを気遣って発した言葉がここまで引き摺るとは…と、彼女の真面目すぎる返答に頭を抱えたくなる。
全くもって間違ったことを言っているわけではないのだが、あまりにも極端すぎやしないか。

「…間違ってはいねぇ。だがな、もう少し緩めてもいいと思うぞ俺は」

「だって…それでリヴァイに嫌われたら元も子も無いじゃない」

「おまっ…えなあ…」

あまりに真っ直ぐすぎるなまえの言葉と瞳にリヴァイは彼らしくなく動揺して、ともすればにやけそうになる口元を覆った。
今が仕事中だということも、もうなまえの頭からはすっかり抜けているようでいつになく素直だ。

「…いいか。俺はお前のことを嫌いになったりしねぇし、少しくらい公私混同したからって呆れたりしねぇよ」

「…そうなの?」

「大体そう言ったのも、お前が……ああもう面倒くせぇ」

大きく溜息を吐いたリヴァイは、不思議そうに自分を見上げていたなまえの腕を取って歩き出した。

「…リヴァイ?」

「…俺の苦労を返せ」

「何?なんのこと?」

惚れた女が甘えてくれるなら、仕事中だろうとプライベートだろうと嬉しいものだと、それをどう分らせてやろうかと、自室に向かいながらリヴァイは頭を悩ませたのだった。



-fin



Back



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -