大嫌い、大好き、大好き(後)
一睡も出来ないまま、リヴァイは白む空を窓越しにぼんやりと見上げた。あの後慌てて外に出てみたがもちろんなまえの姿は無く、何度電話をしてもメールをしても、なまえから折り返しが来ることは無かった。
「…はぁ」
どこで一夜を越したのか。
まさかとは思うが、話に出た元カレとやらのところを頼った訳ではないだろうなと、焦燥感のまま携帯を手に取るがそれは未だに沈黙を保ったままだ。
なまえの言う通りだと思う。
女を舐めているつもりは無かったが、結果的にそうなっていたことに違いはない。多忙ゆえに連絡すらまともに寄越さないリヴァイに痺れを切らし、「連絡くらいして欲しい」と懇願してきた過去の恋人を面倒に思ってスルーしたことは一度や二度ではない。
今回の元凶になった元恋人の女のようにあまりにしつこければ「お前の願う関係にはならねぇから別れよう」と一言送り、それで終わりにしたこともある。
そんな彼女は付き合っていた頃にリヴァイの誕生日を知って、当日にこの家に押し掛けてきたことがあった。クリスマスと同時にリヴァイの誕生日を会社の仲間に散々祝われ、珍しく飲み過ぎたリヴァイを寒空の下ずっと待っていたようだった。
「やっと帰ってきた、リヴァイ」
「…なんでここにいやがる。帰れ」
「今日誕生日でしょ?誕生日プレゼント持ってきたの。ほら、リヴァイがいいって言ってた画家の…」
「悪ィがお前の相手をしてる余裕はねぇ。日を改めて…」
「っ、ちょっとくらいいいじゃない!」
エントランスで騒がれるのが面倒で、渋々部屋に上げたのだった。嬉々として付いてきた彼女をどう帰そうか酔いで回らない頭で考えているうちに、「せっかくだからここに飾るね」と玄関に絵画を飾られ、ソファーに座り込むリヴァイへと手を伸ばしたのだ。
「…そんな気分じゃねぇ。プレゼントはありがたいが、今日は帰ってくれ」
彼女に流されるままになりかけたが、それよりも疲労と酔いが酷くてとてもじゃないが最後まで出来る状態では無かった。
不満そうに眉を寄せる彼女を体良く追い払い、身を清めたリヴァイはその瞬間に別れることを決めていた。そしてその時のソファーカバーは速攻で処分している。
「確かにクソ野郎だな…」
今回のことがあるまで彼女を思い出したことは一度たりともなかった。送った別れのメールには何度も連絡が来ていたが全て無視していたし、その後この部屋に来ていたとしても少なくともリヴァイは会ったことが無い。絵画のことも既に景色の一部となっていて、特段思い出すこともなく過ごしていたのだ。
「…なまえ」
なまえに出会って初めて大切にしたいと心から思って、リヴァイなりに不器用ながらも大事にしてきたつもりだ。己の恋愛遍歴があまりに最低すぎて全く役に立たないせいで、なまえを不安にさせたこともたくさんある。その度にぶつかって話し合って距離を縮めてきたつもりだった。
なまえがどんなに泣いても我儘を言っても、リヴァイが面倒だと思うことは無いと言い切れる。むしろ何でも叶えてやりたいし、少しでも一緒にいたいと、そう思う心が恋人を大切にするということなのだと、リヴァイはなまえに出会ってから知ったのだ。
(…俺が言えた義理じゃねぇか)
なまえの言う通り、今まで自分と付き合ってきた彼女たちには悪いことをしたと思う。
少なくとも自分を好いていてくれた彼女たちの心を蔑ろにし、今回に至ってはこれ以上関わると面倒だからという理由で誕生日プレゼントでも何でも贈って解決しようとした。なまえの気持ちを無視し、踏みにじったのだと言われても反論出来ない。
なまえはそんなリヴァイの身勝手さに以前から気がついていたのだろう。面倒ごとから逃げ、自分の身を守ることだけに徹してきたリヴァイを軽蔑しても仕方がない。
大きく溜息を吐いたその時、手元の携帯が振動を告げて相手すら確認せずに慌てて応答ボタンを押した。
「っ、なまえ!?」
『え、リヴァイ、私だけど?』
「…クソメガネ。切るぞ」
『ちょっとちょっと!おかしいでしょ!』
「俺は忙しい。せっかくの休日にお前の相手をしてる暇はない」
聞こえてきた声に瞬時に電話を耳から離すが、ハンジの甲高い声がそれを止めて思わず顔を歪めた。こうしているうちになまえから連絡が入るかもしれないと思うと、一分一秒ですら惜しい。
『その貴重な休日に悪いけど、あなたが昨日送れって言った資料が出来上がったから連絡したんだけど』
「…あぁ、そうだったか」
『ちょっとほんとにどうしたのさ。なまえと何かあったの?』
「…出て行った」
『はぁっ!?』
思わずポロリと告げてしまう程に自分が弱っているのだと自覚した。なまえと仲が良いハンジなら何か知っているかと思ったが、この様子なら何も連絡が無いのだろう。
『どういうことだよ!?』
「…うるせぇ。資料は今から確認する」
『そんな場合じゃないでしょ!?なまえが出て行くなんてよっぽどじゃないか!何したのさ、リヴァイ』
「ぴぃぴぃ騒ぐな、頭に響く」
耳元で騒ぐハンジの五月蝿さにやはり失敗だったと頭を抱えそうになるが、「今からそっちに行くから!」との言葉に携帯を握り直した。
「来るんじゃねぇ。これ以上なまえに嫌な思いはさせたくねぇ」
『は…?どういうこと?』
「…認めたくはねぇがてめぇも生物学上は女だろう。あいつがいない間に、一応女のてめぇを家に入れたと知ったら悲しむかもしれねぇだろ」
『待って待って。色々突っ込みどころが満載なんだけど、なまえがそんなことで怒るわけないだろ。相手は私だよ?』
「今はそんなこと言ってる余裕はねぇんだ。とりあえず誰一人としてこの家には入れねぇし、あいつが帰ってくるまで女と喋ることもねぇ」
『…リヴァイ、あなた相当混乱してるね』
暫し絶句したハンジが呆気にとられたような声音でしみじみと呟いた。リヴァイとなまえの間に何があったのかは知らないが、リヴァイがここまで極端な思考に走るくらいショックを受けているのは確かなようだ。
『とりあえず分かったよ。リヴァイのことは放っておくことにする』
「オイ、どうするつもりだ」
『なまえの方が心配だから連絡してみるよ。もちろんあなたから話を聞いたことは言わないから安心して!』
「オイ、もしなまえと連絡が取れたら…」
『なまえと連絡が取れたとしても、なまえがいいって言わなきゃリヴァイにそれは教えないよ!じゃあね!』
「っ、クソがちょっと待っ……チッ」
切られた携帯を投げ捨てそうになるが理性でそれを何とか堪えた。壊れでもして、なまえからの連絡に気が付けないことがあってはならない。
「…頼むから帰ってきてくれ」
そう祈るように呟いて、リヴァイは何度目かのなまえの名をタップしたのだった。
▼
そして三日後。
結局なまえは帰ってこず、殆ど眠ることの出来ないまま迎えた月曜日の朝、そんなリヴァイの顔を見たハンジはギョッと目を剥いた。
「ちょっとリヴァイ!いつも以上に凶暴な顔なんだけど!」
「…黙れクソが」
心なしか罵倒の声にも力がない。
あまりの憔悴したその姿に、全面的になまえの味方であるハンジもさすがに心を痛める。
「仕事に支障は出してねぇ」
「…その顔つきで既に支障が出てそうだけど」
月曜日の朝から最強と呼ばれる栄養ドリンクを3本飲み干したリヴァイに、あちゃーと額に手をやったハンジが深々と溜息を吐く。そして携帯をずいっと差し出した。
「これ、なまえからのメール。本当はリヴァイには言うなって言われたんだけど…」
「っ、見せろ」
ひったくるように奪ったリヴァイは画面上の小さな文字を素早く追った。
「『心配かけてすみません。ちゃんとビジネスホテルに泊まってるので大丈夫です。ハンジさんのところに行くと甘えちゃいそうなので、しばらくここで頭を冷やします』…。オイ、このビジネスホテルはどこのことだ」
「そこまでは知らないよ。私の家に来なって言ったんだけどね」
「てめぇ…無理矢理でも引っ張ってこいよ!ろくでもねぇビジネスホテルだったらどうすんだ!」
「そんなこと出来るはずないでしょ!リヴァイのそういうところに愛想尽かして出て行っちゃったんじゃないの!?」
ハンジの鋭い指摘に咄嗟に言葉に詰まる。
休憩所で激しく言い争う二人を社員たちがするすると避けていくのにも気が付かず、ハンジはビシッとリヴァイを指差した。
「なまえは詳しく話さなかったけどね、どうせリヴァイのそういう独断専行なところが嫌になっちゃったんじゃないの!?なまえには随分優しくしてたみたいだけど、根っこの部分は変わらないんだね!」
「うるせぇよクソが!てめぇに何が分かる!」
「分かるから言ってんだよ!私もエルヴィンもミケもずーっとあなたに言ってきたよね!?あなたが女の子たちにしてきた仕打ちが、廻りに巡って自分に返ってくるよって」
「…チッ」
リヴァイが女たちを切り捨てる度、ハンジたちには強く言われていたのだ。本当に大切な人が出来た時、絶対に自分にしっぺ返しがくると、だからきちんとした方が良いと口酸っぱく言われてきたことが今更身に染みる。
「…どうしろってんだ」
「言っとくけど、なまえは冷静だよ。このまま一緒にいたら、あることないこと言っちゃいそうだから離れただけだって言ってた」
「それなら目の前で罵ればいいだろ…」
「わお。ドSのリヴァイがドMみたいなこと言ってる」
相当参ってるねーとケラケラ笑うハンジを蹴り飛ばそうとするも、素早くそれを察して避ける瞬発力には感心する。言われなくともたった三日で限界が来ていることは自覚していた。
「なまえの出張の時も思ったけどさ、リヴァイって手元にあったものが急になくなることに弱いんだね」
「…何がだ」
「ずっと変わらないものがあると思った?それを守るためには間違った方法でもやり通すの?」
ハンジの言葉にこの土日に何度も頭を巡ったことをまた考える。どこで自分は間違えたのか。何故なまえをあそこまで怒らせ、傷つけたのか。
「…今回のことはただのきっかけだったんだろうな」
「リヴァイ?」
「俺なりになまえを大切にしていたつもりだった。離れていかないように同棲までして、物理的な距離は縮まったが…俺の方は何も変わってねぇ」
なまえの出張先にリヴァイが訪れた時、なまえは本当に嬉しそうに笑っていた。こういう風に一緒に街を歩いて外食出来ることが本当に嬉しいと、ありがとうと何度も何度もリヴァイに伝えてくれていた。
「なまえと初めてぶつかった時、あいつは言っていた。俺と特別なことじゃなくて一緒にメシを食ったりたまに散歩に行ったり…そんな普通のことをやりてぇって、そう言ってたんだ」
そんな小さな願いですら自分は叶えてやっただろうか。いつもいつもなまえの方から歩み寄ってくれていたのに、リヴァイはハンジやエルヴィンたちに背中を押されなければ行動も出来ない。
同棲してなまえが側にいることに満足して、それを間違った方法で何としても守ろうとした。それを知った時になまえがどう思うか、その気持ちを無視して合理的に物事を進めた結果がこれだ。
「リヴァイ、言ってたじゃん。同棲してからなまえは変わったって。ちゃんと気持ちを伝えるようになって、嬉しいことも嫌なことも、不満も寂しさもあなたにちゃんと言うようになったって。リヴァイ、嬉しそうに話してたじゃない」
「…そうだな。そうだったな」
「リヴァイなりになまえと向き合ってるのは知ってるけどさ、元が最低なんだからもっともっと頑張らなきゃ。あなたの方こそちゃんと変わらないと」
「…言ってくれるじゃねぇか」
苦々しげに腕を組んだリヴァイに薄ら笑い、ハンジは心の中でなまえに謝罪をした。
本当はリヴァイには何も言わないと約束したのだが、こんな憔悴仕切ったリヴァイを見ては流石に放っておけない。
「そんなリヴァイに良いことを教えてあげよう」
「…なんだよ」
「なまえ、今日着替えを取りに家に戻るつもりだよ」
「っ、」
「会社終わってからだって。本当は今日飲みに誘ったんだけど、一旦戻るからって断られた。そのまま家に戻るつもりなのか、また出て行くのかは知らないよ」
「…ハンジ。今回ばかりは礼を言ってやる」
「素直にありがとうって良いなよ!」
ハンジの言葉を聞いた瞬間、表情を切り替えて即座にその場を後にしたリヴァイの背中にそう叫んだ。
恐らく最強の名に恥じない仕事振りを発揮して、定時に家に帰るつもりだろう。リヴァイが飲み干した翼を持つ最強の栄養ドリンクを眺めながら、ハンジは楽しそうに肩を竦めた。
▼
たった三日振りなのに懐かしい不思議な気分を感じて、なまえは目を細めた。少しだけ緊張する手元を叱咤してそっと鍵を開ける。
いつも通り定時に帰ったなまえより先にリヴァイが帰っていることは、今まで無かった。今日も大丈夫なはずだ。未だどうしたいか気持ちは固まっていないが、持って行った着替えが底をついた今、どちらにせよ一度は家に戻らなければならない。
「…ただいま」
「おかえり」
俯いたまま薄暗い玄関に入ってそっと呟いた挨拶に返事があって、なまえは思わずそのまま立ち竦んだ。驚きのあまり、手元から鍵が滑り落ちて床に落ちる音がした。
「え、あ、リ、リヴァイさん…?」
「…おかえり、なまえ」
いつの間にか壁に凭れかかってなまえを見つめているリヴァイを見上げる。薄暗い中でも疲れ切ったような顔が見えて息を呑んだ。
「リヴァイさ、ん…あの…」
「…話がしたい。駄目か」
「…はい」
リヴァイの声が穏やかながらも僅かに震えているように聞こえて、なまえは目を伏せたまま頷いた。先にリビングへと戻ったリヴァイの後に続いたなまえは、広がっていた光景に言葉を失った。
「え、これ…」
「…あぁ、悪い。ダイニングキッチンでいいか」
リビングを陣取っていたソファーが跡形も無くなっている。促されるままにダイニングの椅子に座ったなまえは衝撃から醒めやらぬまま、おずおずと口を開く。
「リヴァイさん…まさか本当に捨てちゃったんですか?」
「あぁ、捨てた」
「私、そこまでして欲しかったわけじゃ…」
「分かってる。これは俺のエゴだ」
向かい側に座ったリヴァイはそうきっぱり言い切り、そしてゆっくりと頭を下げた。
「…悪かった、なまえ」
「リヴァイさん…」
「お前の言う通りだ。俺は…俺の大切なものを守るためなら他はどうでもいいと思ってた。今まではそれが自分の自由な時間や空間で、それを侵されることが苦痛で仕方なかったんだ」
「…はい」
「だから今までの女も家に入れたことは無かった。自分だけの空間が邪魔されるように思えて…。あいつのことはやむを得ず一度だけ入れたが、どうにも耐えられなくてすぐに帰ってもらったくらいだ」
頭を上げて、ゆっくりと自分の思いを話すリヴァイをじっと見つめるなまえ。何を話せば良いのか分からないが、それでもなまえにちゃんと気持ちを伝えなければならないことだけは理解していた。
「…あいつらと別れ話をする時間すらもったいねぇと考えていた。なまえの言う通り、メール一本で別れを告げたこともあるし、逆に別れ話をされても手間が省けたとすら思ってたくらいだ」
「…それだけ聞くとやっぱり最低な男ですよ」
漸く聞けたなまえの声が思いの外穏やかで、リヴァイは安堵にそっと息を吐いた。最低な男と評されようと、どんな罵倒も受け止めると決めている。
「あぁ、俺もそう思う。実際ハンジたちにも苦言を呈されていたくらいだしな。だが別にそれでも構わねぇと思ってた。…お前に会うまでは」
「私、ですか…?」
「…初めてなんだ。ちゃんと大切にしてぇと思ったのも喜ぶ顔がみてぇと思ったのも。あの時もなまえが離れていっちまうと思ったから、同棲してでも側に居てぇと思った。だからあいつが…あの女がそれを壊そうとしていると知って、俺がなんとかしなきゃいけねぇと思ったんだ」
苦しそうに言葉を紡ぐリヴァイの姿は初めて見るものだった。明るい光の下でリヴァイをよく見れば、いつも以上に目の下の隈は濃くなっており、心なしか服装や髪型も乱れているように見える。
「なまえとの生活を壊されたくねぇと思った。だから…あいつから一度だけ会えば、それでもうお前には付き纏わないと言われて承諾したんだ」
「…そうだと思いました」
「誕生日プレゼントの件も、金でカタが付くならむしろ万々歳だと思ったくらいだ。まぁ結局馬鹿らしくなって買わずに帰ってきたが…金だけ渡してきた」
「それはそれで…最低ですね」
「…そうだな。お前の気持ちも考えず勝手に行動して勝手に満足してた。もし俺がなまえの立場で、なまえが俺の知らないところで男と二人で会ってたと知ったら、俺はそいつをどうするか分からねぇ。それなのに俺は…」
「リヴァイさん…実は私のこと大好きなんですね…」
あまりに熱烈な愛の告白のような懺悔に、自意識過剰だとは思いながらも知らず知らずのうちにそんな感想が口をついて出た。
心外だ、というように片眉を上げたリヴァイが真っ直ぐになまえを見つめる。
「そんな今更なことを何言ってやがる。まさか知らなかったとは言わせねぇぞ」
「あの、いえ、…はい」
「…これからはちゃんとなまえに相談するし、嘘をついたり秘密を作ったりしねぇと約束する。だから…戻ってきてくれないか」
そう言ってもう一度深々と頭を下げたリヴァイに慌てて手を伸ばす。まさかここまでリヴァイが考え追い詰められているとは考えてもいなくて、なまえは自分の衝動的な行動を恥じた。
「頭を上げてください。その、私もすみませんでした。言いたいこと言って勝手に出て行って…」
「帰ってきてくれるか」
「あの、リヴァイさんさえ良ければ…」
「良いに決まってるだろ。ビジネスホテルに泊まってると聞いたが、そこはもうチェックアウトしたのか」
「いえ、まだなんです。でも今日分のお金は払ってるので明日にでも…」
「明日までなんて言ってられねぇ。今からチェックアウトしに行くぞ」
「え、リヴァイさん、ちょっと…!」
なまえの言葉に全て食い気味に被せてくるリヴァイが善は急げとばかりに立ち上がる。
目を白黒させたなまえの手を優しく引いて、リヴァイが切なそうに唇を噛んだ。
「…頼むから。ちゃんとここに帰ってきてくれ」
どんな形であれなまえが出て行ける術を残しておきたくなかった。それを察したのか、しっかりと頷いたなまえがリヴァイの頬にそっと手を伸ばす。
「…心配掛けてごめんなさい」
「…お前がいない部屋があんなに広いもんだなんて思いもしなかった。いつも寂しい思いをさせてすまなかったな」
なまえが出て行ったこの土日は持ち帰った仕事をやりつつも一日中なまえからの連絡を待ち、時間があれば外に出てなまえの姿を探してしまっていた。そして帰って来た時に感じる部屋の広さに、なまえはいつも一人でリヴァイの帰りを待っていたのだと身をもって痛感したのだ。
「リヴァイさんの帰りを待つの、嫌いじゃないですよ?だけど…やっぱり寂しい時はあります」
「俺はお前と一緒に暮らせて、それだけで満足していた。この前の出張の時は俺も仕事を入れてなるべく家にいねぇようにしてたからな。一人がこんなに辛ぇもんだとは知らなかった」
「私が出張の時そんなに寂しかったんですか?」
「…今のは忘れろ」
照れたようにそっぽを向いたリヴァイの手がやや乱雑になまえの髪を撫でる。意外なその一面に、なまえの胸に温かい気持ちが広がっていった。
「…俺をこんなにした責任は取ってくれよ」
自分だけの空間を侵されるのを何よりも嫌ったリヴァイが、今はなまえが此処から離れていくこのを恐れている。自分の居場所は此処なのだと改めて実感して、なまえは満面の笑みを浮かべた。
「次の休みにはソファーを買いに行かなきゃですね」
「ついでに絵画もな」
「え!?あれも捨てちゃったんですか!?」
「…なまえが思い出して嫌な思いさせるもんは全部無くなった方が良い」
「…極端ですよ」
呆れたように笑うなまえを漸く腕に抱いて、リヴァイは長く長く息を吐いた。なまえが出て行ってから初めてちゃんと呼吸が出来た気がして、リヴァイはそんな自分に苦笑してしまった。
「玄関に飾るの、絵じゃなくてリースみたいなのでもいいですか?」
「…よく分からねぇからなまえに任せる。此処はお前の家でもあるからな」
甘えるように頬を擦り寄せるリヴァイの新たな素顔に嬉しくなってギュッと腰に手を回した。恥ずかしいけれど、なまえも甘えてみていいだろうか。
「リヴァイさん、やっぱりチェックアウトしに行くの、明日にしませんか?」
「…なんでだ」
「その…今日は離れてた分、たくさん抱きしめてくれたら嬉しいなーなんて」
そう言って恥ずかしそうに胸に顔を埋めたなまえの可愛さと愛しさに思わず天を仰ぐ。
リヴァイの海外出張や先日のなまえの出張に比べれば大したことのない日数だった筈なのに、気が遠くなるような長さに感じていたのはリヴァイだけでは無かったらしい。
「…明日が休みじゃねぇのが残念だ」
「でも今日はまだまだ時間がありますよ。そうだ、夕飯はピザ取っちゃいません?」
「悪くねぇな」
行儀は良くないが、だだっ広くなってしまったリビングの床にピザやワインを広げるのも楽しそうだ。毛布に二人で包まりながら取り留めのない話をして、そして今日は二人で眠ろう。
「リヴァイさん、大っ嫌いって言っちゃってごめんなさい」
「…あれは死ぬかと思った。頼むから二度と言ってくれるな」
「ふふっ。はい、ごめんなさい」
寄り添った二人の密やかな睦言は、真夜中まで続いていた。
-fin