手を伸ばして掴んでみたよ

「出張?」

「はい。来週の日曜日から三週間、大型店舗の開業を手伝いに行ってきます」

なまえとの同棲生活が始まって三ヶ月ほど経ったある日の夜。帰ってきたリヴァイを笑顔で迎えたなまえの話に、思わずネクタイを緩める手を止めてしまった。
なまえが勤める会社は全国にカフェやレストランを展開しており、大きな店舗が開業する際には本部社員も応援に駆け付けるらしい。

「…長ぇな」

「確かに長いですけど…リヴァイさんはもっと長く海外出張に行くこともあるじゃないですか」

不思議そうに首を傾げるなまえにぐうの音も出なくなるリヴァイ。
いつもなまえに寂しい思いをさせるのはリヴァイの方なのに、同棲してから初めて三週間も彼女に逢えないと思うと恨み言くらい言いたくなる。いつも快く送り出してくれるなまえの懐の広さを改めて感じ取った。

「当日は空港まで車で送っていってやる」

「え、いいですよ!申し訳な…」

「俺がそうしたいんだ。時間があるなら空港でメシでも食うか」

なまえの言葉を遮ってきっぱりそう言えば、なまえも頬を緩めて頷いた。
嬉しそうに笑う彼女の髪を優しく撫でながら、リヴァイは内心溜息を吐いた。珍しく仕事が落ち着いていて土日がしっかり休めそうな来週あたり、なまえをどこかに連れ出してやろうと思っていたのだ。遠出しようと思っていた目論見は外れてしまったが、なまえを送るついでに束の間の空港デートと洒落込むことにしよう。
「今日は和食ですよー」と楽しそうにリヴァイを食卓に引っ張っていくなまえを優しく見守って、リヴァイも目尻を下げた。



そしてなまえが出張に行ってから三日目。
書類を確認しながら小さく溜息を吐いたリヴァイの憂鬱そうな雰囲気に、エルヴィンが興味深そうな視線を深くする。

「リヴァイ、何か問題でも?」

「あ?あぁ、いや…この件については何もねぇよ。あとはメンバー選出だけだな」

「それはお前に一任するよ。このプロジェクトが始まればまた忙しくなるな」

「…たまには休ませろ」

ばさっと書類を机に置いたリヴァイの心底嫌そうな様子に、エルヴィンは今度こそ意外そうに眉を上げた。今までどんなに多忙でタイトなスケジュールであっても、文句ひとつ言わなかったリヴァイから出た恨み節に何があったのかと瞑目するが、ふとハンジが言っていたことを思い出す。

「なまえさんか」

「…チッ」

「ハンジから聞いたよ。同棲を始めたんだろ?」

「…相変わらずお喋りな奴だ」

「あれだけ他人と暮らすのを嫌がっていたお前が同棲とはな。驚いたよ」

「うるせぇよ。俺のことはどうでもいいだろ」

「良くはないだろう。新プロジェクトが始まれば休みもままならないだろうし、急だが今週あたり半休か有休でも取ったらどうだ。夕飯を外に食べに行くくらいなら出来るだろう」

「…あいつは今いねぇから意味ねぇよ」

「いない?もう出ていかれたのか?」

驚いたように声を上げたエルヴィンに舌打ちをする。余計なお世話だし、何より失礼すぎるその発想に自分はどんな風に見られているのかと不愉快になってくる。

「ふざけんな。出張で三週間いねぇだけだ」

「なんだそうか…。それは良かった。私はてっきり…いや、何でもないよ」

射抜くような鋭い視線を真正面から浴びて、エルヴィンはわざとらしく咳払いをして誤魔化すことにした。
リヴァイが年下の恋人をこの上なく大切にしていることはハンジから聞き及んでいて、その彼女もリヴァイの性格や仕事に理解があるという。今まで自身の恋愛や女性関係に無頓着だったリヴァイの変化に、安堵したのはエルヴィンだけでは無いはずだ。

「そうか…。なまえさんが出張でいないからそんなに落ち込んでるのか」

「は?誰が落ち込んでるって?」

「よし、せっかくだから久しぶりに飲みに行くか。ハンジやミケも誘ってな」

「いらねぇよ。変な気遣いすんじゃねぇ」

「お前が同棲し始めたと聞いたから、私たちも誘うのを遠慮していたんだ。たまには付き合ってくれてもいいだろう」

「チッ…いい店選んどけよ」

もちろんだ、と笑って席を立ったエルヴィンを不機嫌そうに見送り、再び書類へと手を伸ばした。
このプロジェクトが始動すればエルヴィンの言う通り、また午前様や休日出勤の日々が始まるだろう。今までは何とも思わなかったそれが重く感じて、思わず溜息を吐いてしまった。ワークライフバランスという言葉を今ほど切実に感じたことはない。
なまえが出張に出発する日、宣言通り空港まで送って行ったリヴァイに向けて「デートみたいですね」とはにかんだ姿を思い出す。

「…帰ってきたらちゃんとしたデートとやらに連れてってやる」

「あはは、期待しないで待ってます」

「オイ…随分言うようになったな」

おかしそうに笑うなまえに苦い笑いを返してリヴァイも独りごちる。
確かにデートどころか、日々の夕食ですらたまにしか共にとれない生活だ。結局ペトラから薦められたデートスポットにも行けていない始末で、同棲する前のことを考えても、よくこんな男と付き合ってくれているとなまえの忍耐強さには感嘆するばかりだ。

「いいんですよ、リヴァイさんが隣にいてくれればそれで」

そんな内心を見透かしたように大人びた笑みを浮かべたなまえに対し、たかが三週間の出張で駄々を捏ねたくなった自分を恥じた。

「…運転中にんなこと言ってんじゃねぇよ。襲えねぇだろうが」

「はいっ?襲わなくていいんですっ!」

冗談めかしたリヴァイの本気の呟きに、慌てたようななまえがプイッと窓の方へと顔を向ける。横目で見えるなまえの頬と耳が微かに赤く染まっていて、リヴァイは満足そうに喉の奥で笑った。
その後昼食を共にしてから出発ゲートまで見送ったリヴァイに向けて「…やっぱりたまに電話してもいいですか?」と寂しそうに懇願した姿に、くらりと頭が揺れそうになる感覚を覚えた。出発ゲートで抱きしめる、なんて下手なドラマのような展開になりかけたのを必死に抑え、あくまで冷静に「いつでも電話してこい」と告げた。
優しくポンっと頭を叩いたリヴァイに手を振ってゲートを潜ったなまえ。それを最後まで見送ったリヴァイが、その日の夜から電話を待っていることを彼女は分かっているだろうか。

(…女々しいったらねぇな)

離れて暮らしていた頃は我慢出来ていた諸々のことが、どうにも耐えられなくなっている。筆頭は家に帰ってもなまえがいないということだが、今日に限ってはエルヴィンのおかげでそれを誤魔化せそうだと、ほんの少しだけホッとした気持ちでリヴァイも席を立ったのだった。



「そんなに寂しいならなまえの出張先まで行っちゃえばいいじゃん!」

エルヴィン、ハンジ、ミケ、それにモブリットといういつものメンバーに気が抜けたのか、あくまで冷静になまえの出張の話をしたつもりだっだが、ハンジがけらけらと笑いながらビールのジョッキを呷った。心底嫌そうにその様子から視線を逸らしたリヴァイも、杯を傾ける。

「確かにそれはいい案だ」

「いい案だ、じゃねぇよ。たかが三週間だぞ?そんなこっぱずかしいこと出来るか」

エルヴィンのにこやかな賛成の声をすっぱりと断ち切る。大体寂しいともなんとも言っていないのに、どうして自分は可哀想な奴として励まされているのだろうか。

「…だがリヴァイ。聞いた話によると彼女とデートもほとんどしてないと言うじゃないか」

「だからなんだよ、ミケ」

「ふん…彼女だって三週間ずっと仕事をしっぱなしではないだろう。休みのタイミングでお前があっちに行って、デートでもすれば良いじゃないか」

「ああ、それはいい考えですね。なまえさんもきっと喜びますよ、リヴァイ次長」

ミケの冷静な提案に意外にもモブリットが賛成の意を示す。
なまえの出張先は飛行機なら一時間ほど、新幹線でも三時間だ。最悪日帰りでも行ってこられる距離だし、前泊でも出来れば時間はたっぷりあるだろう。
思わずそこまでを瞬時に考えたリヴァイだが、ハッと首を振ってそれを打ち消す。仕事をしに行っているなまえの邪魔をするわけにはいかない。

「なまえは仕事に行ってんだ。それにそんな恥ずかしいこと、出来るわけねぇだろ」

「ふぅん?なまえに散々我慢させて、同棲してさえなかなか二人の時間が取れないのに?リヴァイの仕事が落ち着いてる奇跡的なタイミングが今なのに?」

「てめぇ…クソが…」

「同棲なんてリヴァイにしては思い切ったことしたなーって感心してたけど、結局なまえの寂しさを埋めるまでにはいってないんじゃないの?」

「まぁまぁハンジ。あまりリヴァイを責めるのはやめなさい」

「だってさエルヴィン!なまえは一年以上ずーっと我慢して耐えてきたのに、リヴァイってばたった三週間…ていうかまだ三日で音を上げてるんだよ!?」

「別に音を上げてねぇだろうが…」

いい感じに酔っているらしいハンジがここぞとばかりに突き詰めてきて、リヴァイは珍しくうまく反論出来ずに次々と酒を空けることしか出来ない。正論なのが本当に腹が立つ、と眉根を寄せるリヴァイをモブリットが気の毒そうに見ていた。

「リヴァイ次長…。もし仕事が立て込んでいて無理そうなら、なまえさんはちゃんと言ってくれると思いますよ。とりあえず提案だけしてみるのはどうでしょう?」

「モブリット…やけに勧めるじゃねぇか」

「リヴァイ次長となまえさんが同棲してから、ハンジさんがもう毎日毎日うるさくて…」

げっそりとしたモブリットの様子にリヴァイも察する。どうせ「なまえは寂しい思いをしてないか」だとか「これでなまえと気軽に遊びに行けなくなった」だとか、ぎゃあぎゃあ騒いでいるのだろう。
同棲したての頃にハンジがリヴァイの元で騒ぐだけ騒いでいたのを速攻で沈めてからはリヴァイにはあまり言ってこなくなったが、その分モブリットが被害に遭っているのか。

「…お前も苦労するな」

「ハハハ…まぁ慣れてますから」

エルヴィンとミケを相手に何故かおいおい泣いているハンジを視界の隅に、モブリットへ酒を注いでやる。苦笑いを溢したモブリットが一気にそれを呷ったのを見て苦労を察した。

「リヴァイ、聞くだけ聞いてみてはどうだ。もし無理でも、お前がそう考えていたってことだけでなまえさんは喜ぶんじゃないか」

エルヴィンの穏やかな笑みをじっと見つめたリヴァイは、次いでグラスの中で揺れる酒を眺めた。
確かに時間もあり有休も取りやすい今の状況は、一年のうちにそう何度もあるものでは無い。歳を重ねた今、学生のような恋愛のノリを持ち込むつもりは無かったがたまには無茶をするのもいいのかもしれない。
そう思い至ったリヴァイが口を開くと同時に、テーブルに置いた携帯が振動を伝えてきた。

「…リヴァイ」

「悪ィな、出てくる」

表示された名前を見たのか、ミケが促すように名を呼ぶ。気心しれた仲だ。恋人からの電話に中座するような青臭い行為も今なら許されるだろう。

「あぁ、ごゆっくり」

「なまえによろしくねー!!」

「ハンジさん、声が大きすぎます!」

騒がしい声を背中に、店の外へ出ながら着信をタップする。息を吸って耳に当てた無機質な機械から、温かい声が聞こえてきて思わず口角を上げた。

『あ、リヴァイさん?今大丈夫ですか?お仕事終わりました?』

「あぁ。なまえも終わったのか」

『はい。着いてからはバタバタしてましたけど、今日は早くホテルに帰ってこられたんです』

「そうか。無理してねぇだろうな」

『大丈夫ですよー。でも…まだ三日なのにちょっと寂しいなー、なんて…』

「なまえ…」

恥ずかしいですね、と密やかに笑うなまえの照れた雰囲気が電話越しにも伝わってくる。
同棲する前となまえとの関係があまり変わっていないのではと焦っていたが、それは違うと今唐突に気が付いた。以前ならなまえがこうして寂しいと言葉にすることも、電話をしてくることも無かった。ただ一人で耐えて、リヴァイと会った時にも何も無かったように笑うだけだったのだ。

「…変わってねぇのは俺だけか」

『え?リヴァイさん?』

「いや…こっちの話だ」

『もう…なんですか?』

なまえと共に在ると決めているのだ。
保守的なプライドに雁字搦めになるのはやめて、自分の気持ちに素直になるべきなのはリヴァイの方だ。

「なまえ、そっちで休みはあるのか」

『もちろんありますよ。そこまでブラックじゃないので大丈夫です』

「そうか…休みは何をする予定なんだ。同僚も何人か行ってるんだろ」

『はい、同僚も先輩もいますよ。けど休みは交互に取るので重なることはないんです。せっかくだからご当地ものを食べたり、有名な神社があるらしいので参拝くらいしようかなーと』

楽しそうに話を続けるなまえに相槌を打ちながら、リヴァイは携帯を持つ手に力を込めた。
女々しいと思われようと、なまえと一緒にそのご当地ものとやらを食べて、参拝したいと強く思う。

「ちなみに休みはいつだ」

『えっと…今度の日曜日と月曜日です。その日は人員が潤沢なのでなんと連休になったんです!』

「…俺も行っていいか」

『え?』

「今週の土日、どっちもアポもなくて休みだ。月曜は有休が取れるか分からねぇが…無理なら土曜に前泊する。だから…そっちに行ってもいいか」

『そっち…とは…えっと、私の出張先にってこと、ですか…?』

「あぁ。今は仕事が落ち着いてるんだが、またそろそろ忙しくなる。だからその前に、なまえとの時間をちゃんと取りてぇと思ってな」

『っ、う、嬉しいですっ…!えっと、もしリヴァイさんが大変じゃなければ是非…!』

「…そうか」

電話越しでも伝わるなまえの喜ぶ様子にホッと息を吐いた。知らぬうちに緊張していたらしい自分に苦笑し、肩の力を抜く。

『でも…貴重なお休みなのにいいんですか?私は嬉しいですけど、移動だけでも大変なのに』

「大した距離じゃねぇよ。それに…せっかくの休みでもなまえがいないんじゃ意味ねぇだろ」

『リヴァイさん…』

以前もそうだが、電話の方がリヴァイは素直な気持ちを吐露してくれるらしい。
ホテルに帰ってきて一人の部屋に感じた寂しさも、朝から夜まで働き詰めだった疲労感も全て吹っ飛んで、なまえは見えないながらも満面の笑みを浮かべる。

『楽しみにしてますね』

「あぁ。予定が分かったら連絡する」

『はいっ』

「というかお前…夜はいつもこれくらいになるのか」

『そうですね…今日は早いくらいですよ?』

「オイオイオイ…」

時計を見ればもう23時に近い時間だ。
なまえの泊まっているホテルと仕事場の距離が分からないが、確かどちらも繁華街に位置していると言っていたはずだ。一人でフラフラ歩ける時間ではないだろう。

「明日から帰る時は俺に電話しろ」

『え、大丈夫ですよ。ホテルまでは歩いて15分くらいですし、灯りもちゃんとありますし』

「そういう問題じゃねぇだろ。いいから電話しろよ」

『だってリヴァイさんもお仕事が…』

「今は落ち着いてるからこの時間ならもう家に帰ってる。今日だってエルヴィンたちと飲みに来れてるからな」

『えぇ!飲み会なんですか!?ごめんなさい、もう切ります…!』

「構わねぇよ。オイ、切るなよ。ちゃんと電話するって約束しろ」

『わ、分かりました!分かりましたから、皆さんのところに戻ってください…!』

「…随分つれねぇじゃねぇか」

アルコールが入っているからか、いつになく素直で幼くすら感じられるリヴァイに胸が高鳴ってしまう。いつまでも電話をしていたいのはなまえも同じだが、流石に上司たちを放っておいていいはずがない。

『リヴァイさんと明日以降も電話が出来るの、すっごく嬉しいです。帰る時には絶対電話しますから』

「忘れんじゃねぇぞ」

『はい。リヴァイさんもお気をつけて』

「ああ。…おやすみ、なまえ」

『おやすみなさい、リヴァイさん』

柔らかい声音の後にプッツリと切られた電話を数秒眺めてしまう。切りたくないと駄々を捏ねたリヴァイの方が子どものようで、羞恥が募った。

「…にしてもあっさりしすぎだろ」

不服そうにそう呟いて、エルヴィンたちが待つ個室へと戻っていく。月曜日の予定を脳裏に思い浮かべながら、いかに冷静に有休をもぎ取るかを計算しながら扉を開けたのだった。


-fin

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