▼ 消えない背中@
───バスケなんて大ッ嫌い!!
六年前、アメリカに発つ兄の背中に私はそんな風に叫んだ。もう二度と会えなくなるなんてその時は思いもしなくて。あれから何年も経つのに私は、いまだに玄関先に立ち尽くした兄の背中が忘れられないでいた。
「お兄ちゃん…」
目が覚めるといつもと同じ天井、カーテンの隙間から差し込む日差しにわずかに目を細める。少し遅れてピピピと鳴る電子音を止めると、そこで初めて頬を流れる冷たいものに気がついた。すぐにサイドテーブルへと手を伸ばしたが、置かれたままになっていた一枚のチケットに気付くと動きを止める。
ああ、そうだ…
今日は例の「デート」の日だった。
はぁ…と大きなため息が朝の冷たい空気でいっぱいの部屋に響きわたった。
***
遡ること数日前。
その日、放課後になるとクラスはいつも以上に賑わっていた。海外で人気のスイーツ店が学校近くに初上陸したらしいと、そんな記事が掲載された雑誌を囲ってわいわいと騒いでいた女子の一人が仙道の席に近付いた。
「ねぇ、仙道くんって甘いもの好き?」
「ん…まあ、それなりにかな」
「だったら仙道くんも一緒に行こうよ!近くにできたワッフルのお店がすごく人気なんだって」
「へぇ…いいね、行こうか」
基本的に来るものは拒まずな仙道が笑ってそう答えた瞬間、目の前にひとつの影が落ちた。顔をあげると仁王立ちで立ち塞がるのはバスケ部マネージャー。その迫力は金剛力士をも彷佛とさせる。
「こぉおら、仙道彰!!」
その声にビクッと大きな肩が跳ねた。
「また部活サボる気だったでしょ」
うっ…と仙道が声を詰まらせた瞬間に始まったのはお決まりの説教。声をかけた女子もその迫力に思わず顔を引き攣らせて固まり、鞄を持って立ち上がろうとしていた仙道は眉尻を下げて大きく息を吐いた。
「ふうっ…まいったな…」
***
「いや、だからさ…ワッフル食べたら練習行くつもりだったんだって」
「どうだか…この前もそんな調子いいこと言って練習来なかったじゃない」
「そうだっけ」
「そうよ!!」
まったく、どこまでマイペースなのやら。ナマエはだんだん怒るのにも疲れてがっくりと肩を落とす。部室まで仙道を連行するとスポーツバックを抱えたままベンチに腰かけた。今はただでさえ、考えなきゃならないことが山積みなのだ。顧問の倉持には今週末までに部員を集めることが出来なければ練習試合は断りを入れると言われていた。無意識にため息が漏れる。
「どうかした、ナマエちゃん?」
「え…」
「なんかいつもより元気なくねぇか?」
仙道は自分のロッカー前でTシャツに着替えながら首を傾げた。何も考えていないようで実はちゃんと周りを見ている仙道にナマエは口をすぼめる。
「実は、さ…今週末までに部員集まらないと今度の練習試合は断るしかないって言われてるんだよね…」
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって…このままじゃ試合できないんだよ?」
「だったら、そこにいる奴でも誘ってみれば?」
暇そうだしな…と続ける仙道の視線を辿れば、部室の入り口にあるゴミ箱の影に見慣れたブレザーが見え隠れしていた。そんなところに隠れる奴など一人くらいしか思い当たらない。
「澤田…!あんたまだ諦めてなかったの!?」
「うるせーお前に勝つまではぜってー諦めないからな仙道!」
完全に隠れているつもりだったのか澤田は少し耳を赤くしてバツが悪そうに現れた。バレー部一年の澤田は体育館と仙道彰をかけた1on1で惨敗を喫してからというもの、しつこく仙道を追い回していたのだ。
「そんなことよりお前ら困ってんだろ…俺が力になってやってもいいぜ」
「はぁ?!」
「足りないんだろ、人数…」
「だからって誰があんたみたいな下っ手くそ」
ナマエは澤田にバスケ部を弱小部呼ばわりされたことを根にもっていた。お返しだと言わんばかりにべっと舌を出して吐き捨てればすっかり練習着に着替え終わっていた仙道がはて、と首を傾げる。
「イヤでも澤田はそんなに弱くねえよ?あのしつこいディフェンスだけでもうちの守備力はかなりあがると思うけど」
「せ、仙道くん…」
「それに今はただでさえ経験者が少ないんだ…練習試合するならなおさら澤田はありがたい存在だと思うけど」
毎日毎日しつこく追いかけ回されているというのにこの人は…と、ナマエは思わずにはいられなかった。澤田も勝手にライバル視している仙道にそこまで言われて心なしか嬉しそうである。ナマエは大きく溜め息をつくと澤田を見つめる。
「でも澤田、あんたバレー部はどうするのよ。先輩に怒られるんじゃない?」
「ああ、そのことなんだけどな…」
ごほん、と咳払いした澤田は急にもごもごと何やら言い渋った。
***
「はあ!?なんで私がデートなんかしなきゃなんないのよ!」
「いいだろ、減るもんじゃないんだし」
「そういう問題じゃない!」
澤田いわく、バスケ部に移りたいとバレー部主将に打ち明けたところ、あの気の強そうなマネージャーとデートできるなら認めてやると言われたらしい。なんだその条件はとナマエは顔を歪める。バレー部はこの辺りでも有名な強豪校だが主将がそんなんで本当に大丈夫なのかと疑いたくなる。
「ま、いいんじゃねぇの…デートくらい。別にチューしろって言われてるわけじゃないんだからさ」
「仙道くんまで…」
こいつらは私のことを一体何だと思ってるんだとナマエは訝しげに眉根を寄せて二人を見る。いいや、男子中学生にまともな女子の扱いを求めた私が馬鹿だったと、首を横に振る。それに、この申し出は冷静になって考えてみたらとても魅力的だ。澤田はバスケット経験者だし、なにより練習試合まで時間がない。
ぐっと拳を握りしめたナマエは意を決したように顔をあげた。
「わかった…ただし澤田、あんたもついてきてよね」
「はぁ?それじゃあデートになんねぇだろうが」
「だーかーらー、こっそりついてくるの!護衛よ護衛!仙道くんもね」
「えっ…俺も?」
すっかり自分は関係ないとばかりに練習へ向かおうとしていた仙道のTシャツを掴めば驚いたように振り返ったので、当たり前でしょ!とナマエは声を荒げた。乗りかかった船だ、最後まで付き合ってもらわなきゃ困る。
そんなこんなで、澤田をバスケ部に引き入れるため見ず知らずの先輩と一日デートすることとなったのだ。
***
「はぁ…行きたくないなあ…」
澤田から渡された水族館のチケットをしばらく見つめていたナマエは、やっぱり大きなため息をついて、再びベッドに倒れ込んだ。
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