ミドルレンジ | ナノ


▼ 消えない背中A

待ち合わせ場所である藤沢駅についたナマエはすぐに辺りをきょろきょろと見回した。既に時計の針は約束の時間の10分前をさしている。すこし離れた自販機の影に見慣れた二人の姿を見つけると思わず頭を抱えたくなった。

「丸見えじゃない…」

一人は馬鹿みたいに身長が高いから仕方ないが、澤田に至っては何食わぬ顔でジュースを買おうとしている始末。両手を使って必死に隠れろとジェスチャーを送ってみても、それに気付いた仙道は笑って手を振り返すばかり。しまった、人選を間違えたとナマエが顔面蒼白になっていると背後からなんとも爽やかな声が聞こえてきた。

「お待たせ…!」

現れたのはバレー部主将。仙道と同じくらいの身長に甘栗色の髪をした男はクラスの女子逹の情報によると校内で一位二位を争う人気者らしいが、ナマエはさっぱり興味がなかった。頭の中にあるのはただ今日という日をいかにスムーズに終わらせるかということだけ。

「ごめんね、待たせたかな…?」
「いえ…」

さわやかな笑みに引き攣った笑みを返す。同時に頭の中では澤田に言われた言葉がぐるぐると回っていた。

『いいか、くれぐれもキャプテンに嫌われたりすんなよ。思ってた奴と違ったなんて言われて気が変わりでもしたら厄介だからな』

ひたすら猫を被れ、という澤田にうるさい!と思いっきり頬を引っ張ってやったのだが、確かにそんな展開になっては困る。ナマエは必死に慣れない笑みを作った。


***


海が一望できるカフェに移動するとキャプテンと他愛ない会話をする。バスケはいつ頃始めたのかとか、バレー部のマネージャーをやらないかとか、好きな男のタイプまで。だんだん面倒になってきたナマエが適当に相づちをうっていると後ろの席から澤田の肘鉄が入る。思わず食べていたパフェを吐き出しそうになったナマエは、気付かれないように背後を睨みつけた。

「澤田、あとで絞める…」
「ん?何か言った…?」
「いえ、何でも…」

はは…と誤摩化すように笑みを浮かべていると、キャプテンはちらりと腕時計を見て立ち上がった。

「そろそろ、行こうか」
「は、はい…」

伝票を持ってレジに向かうキャプテンをナマエは慌てて追いかける。それを確認した澤田もすぐに立ち上がろうとしたが、それを仙道が苦笑いで引き止めた。

「悪い澤田…オレ、財布忘れたみたい」
「はぁ?!」

こんな時に何を言ってやがると澤田が慌ててテーブルに目を移せばそこには空いた皿やらグラスがいくつも置かれていた。財布の中身は足りるだろうかと澤田が青ざめている間にも二人が店を出て行くのが見えた。なんとか小銭を寄せ集めてお会計を終えたが、店を出た頃にはすっかり二人の姿を見失っていた。


***


一方、水族館に移動したナマエ逹は水中の生き物に直接触ることができるタッチプールの前にいた。家族連れやカップルがわいわいと水槽に手を突っ込む中、キャプテンはすっかり有頂天だった。さっきから自分がどの大会でどれだけ活躍したかをベラベラと語りながらも、その距離はやけに近い。

「でも嬉しいな、こんな風にデートできて」
「はぁ…」
「あ、ヒトデとか触るの平気?俺は苦手なんだよねこういうの…」

キャプテンが指差した先には水中に漂う一匹のナマコ。確かに見た目は少々グロテスクではあるがではあるが…

「私は全然平気ですよ」

触るのなんてなんてことないとナマエがキャプテンの方に振り返った瞬間、思わぬ距離に息が止まる。館内は薄暗く、何を勘違いしたかキャプテンは急に顔を近づけてきた。ぎょっとして固まるナマエ、ちょうど同じタイミングで館内に入ってきた仙道たちも二人の様子にぎょっと固まった。すぐに駆け出そうとしたが、それよりもはやくナマエはタッチプールから黒い何かを持ち上げた。

ブチュっと嫌な音が館内に響く。

「………!?」

キャプテンの口元にはさっきまで水中に漂っていた一匹のナマコ。さっと目の前の顔が青ざめていくのがナマエには分かった。

(あ…どうしよ、やっちゃった…)

ナマエは立ち尽くしたが、ナマコと口付けしてしまったキャプテンは数秒後に泡を吹いてその場に倒れた。すぐに澤田が駆け寄る。

「ご、ごめん澤田…つい…」
「いや、今のは先輩が悪い!気にすんな!」
「で、でも…」
「とにかく先輩のことは俺に任せろ」

未だに意識が朦朧としているキャプテンを素早く背負った澤田は出口に向かって走り出した。流石、ああいうところは運動部なだけあるなと、ナマエは変なところで感心していた。館内にぽつんと残された仙道とナマエは同じタイミングで顔を見合わせる。

「どうする…?」
「どうするって…」
「せっかくだから回るか…」

え…と聞き返す前に仙道は歩き出していた。しばらく立ち尽くしていたナマエだったが、はやく来いよと振り返った仙道に小さく頷くと小走りで近付いて行った。


***


「あの先輩、大丈夫かな…?」
「澤田がついてんなら大丈夫だろ」

薄暗い館内を仙道は大きく伸びをしながら進んでいく。ブルーのライトに照らされた水槽には色とりどりの魚が泳いでいてロマンチックな雰囲気を醸し出していた。大あくびをする男と不釣り合いな空気に笑みが漏れるとようやく肩の力が抜けていくようだった。それを目にした仙道もにこっと笑ってすぐに、お、と珍しい魚でも見つけたように水槽に視線を移した。

「それにしてもデートがこんなに疲れるもんだとは知らなかったよ」
「デートとかしたことねーの?」

隣からちらりと視線を感じたがナマエはあえて水槽を見つめたまま口を開いた。

「一度だけ…」
「一度?誰と?」
「幼馴染みのみっちゃんと…」

なんだ、女かよと仙道は思ったが口には出さなかった。二人の間を相模湾の小魚たちがすいすいと泳いでいく。

「仙道くんはデートとか慣れてそうだね」
「ん?いや、そんなことないけど…一人でぼーっとしてる方が好きだからな」

魚見てたら釣りしたくなってきたなと独り言のように呟く仙道にナマエは思わず笑みを漏らす。

「仙道くん釣り好きなの?」
「ん…まーね」

そういえば、こんな風にバスケ以外のことを話すのは初めてかもしれないなとナマエはこの数週間を振り返った。仙道の意外な一面に釣り竿を持った姿を想像してみるが、案外似合っていそうだ。再びクスリと笑みを漏らしたナマエは小さく頷いた。

「やっぱり休みの日くらい好きなことしたいよね。今日だって本当は練習したかったのにさ…」

はぁ…とため息まじりにそんなことを呟くナマエに仙道は驚いたように目を見開いた。

「いや、休みの日くらいゆっくりしたいだろ」
「えー…休みの日くらいバスケしたいよ」
「前から思ってたけどさ、ナマエちゃんってすげーバスケ好きだよな…前からそうなの?」
「え…」

それはついさっき、海が一望できるカフェでされたのと同じ質問だった。その時は適当に誤摩化したが、なぜか仙道には素直に言葉が出てきた。

「ううん、前は嫌いだった…」
「え…なんで?」

それでもやっぱり咄嗟に答えられなくて、ナマエは視線を彷徨わせると静かに俯く。足元まで続く大きな水槽には海藻がゆらゆらと揺れているのが見えた。

「私、ね…お兄ちゃんがバスケがうまくてさ…幼い頃から試合を観に行ったりしてたんだ」
「へぇ…」
「でもその兄が…急にバスケでアメリカ留学することになって」
「そりゃすげーな」

ナマエは少しだけはにかむように笑うと出口に向かって歩き出した。テラスに繋がるドアを開けると途端に強い潮風が二人の間を吹き抜けていく。ナマエは攫われた髪の毛を耳にかけると、遠く水平線を見つめた。

「多分、バスケにお兄ちゃんを取られたみたいで、嫌だったんだよね」
「お兄ちゃん子だったんだな…」

仙道のその言葉にふっと笑ったナマエは、そのまましばらく口を閉ざした。波の音だけが遠くから聞こえる。

「それが、なんで…?」

───なんでそんなにバスケに拘るのか。
続きを促すように仙道がそう訪ねると、ナマエは苦笑いして首を傾げた。

「さぁ、なんでだっけ…忘れちゃった」

仙道はナマエの泣きそうな横顔に気付くと、開きかけた口を閉じた。なんとなく踏み込んではいけない領域だと感じたのだ。どう話を変えようかと仙道が思考を巡らせていれば、それよりもはやくナマエが振り返った。

「でも今は…バスケ好きだよ。あの心震える瞬間をもう一度近くで感じてみたいって思ってるの」
「心震える瞬間…?」

ナマエは小さく頷くとまっすぐに仙道を見つめた。まるでバスケ部に誘ったあの日のように。

「仙道くんにはそれが出来るような気がしてる」

その瞳はさっき見た幻想的な水槽より、その背後に広がる海や空よりも、深くて綺麗な色に見えた。

「はは…そりゃ随分荷が重いな。オレのこと買い被り過ぎじゃねぇ?」

いつもの調子で答えた仙道だったが、ナマエはすぐに首を横に振って微笑んだ。

「これから忙しくなるよ仙道くん」
「ん?」
「都内で…ううん、ここいらで仙道くんの名前を知らない選手はいなくなるから」
「相変わらずすげー自信」

目の前で笑うナマエの姿はいつもと服装が違うせいか、仙道にはなんだか別人に見えた。海へと振り返った背中は、オレンジ色の夕陽に溶けて消えてしまいそうで、仙道はそっと伸ばしかけた手を静かに握りしめた。

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