やっとの思いで駐車場のところまで辿り着いた時には、二人の額には玉のような汗が滲んでいた。
秋とは言え今日の快晴ぶりは、少々蒸し暑さまで感じるほどだ。
「で?そのサイクリングロードってのはどっちだよ?」
「えーと、あっちから来た時に"この先100メートル"って書いてあったから、こっちかな」
沖田に言われるまま歩き出す。
程なくしてかなり大型のレジャー施設が姿を表した。
どうやらサイクリングロードだけでなく、アスレチックや子供用の変わった二輪車まで用意されているところらしい。
家族連れにはもってこいというわけだ。
ここでは利用客も多いだろうと土方は顔をしかめたが、平日のため人数は少なかった。
「僕たちの休日が変則的なんですよ。今日って、世間的には平日ですよ?」
沖田にもそんなことを言われてしまい、土方はそりゃあそうかと納得した。
それでも人が皆無と言うわけではないので、人目も憚らずにはしゃぐ沖田の姿は、必然的に目立った。
流石に黄色い声を上げるような人はいなかったが、親子連れの何人かが沖田に気付いて俄かに色めき立っている。
「おい、総司」
「あーこれこれ!これに乗りたかったんです!」
試しに声をかけてみたが、沖田はずらりと並べてある自転車に夢中でろくに聞いていない。
「総司、聞いてんのか?」
「ほら、見てよ!じゃーん!」
「……何だそれは」
「見れば分かるでしょ、二人乗りですよ!」
嬉々として言う沖田を見て、何だか注意する気も失せてしまった。
沖田が楽しいのなら、それでいいだろう。
土方はそう割り切ると、目の前の二人乗り自転車を見て溜め息を吐いた。
「まさかとは思うが、これに乗るんじゃねぇだろうな?」
勝手にマウンテンバイクを想像していた土方は、予想外にメルヘンチックな選択肢に脱力した。
「僕、一回乗ってみたかったんですよね、これ」
そう言いながら、勝手に前のサドルに跨がっている。
「お前が前なのか?」
「いいから早く乗ってくださいよ」
「だが、こういうのは普通、恋人同士でやるもんで…」
「親子だってやりますよ」
「俺たちはどっちでもねぇだろうが!」
「同じようなもんですって。そんなの別にどうだっていいじゃないですか。楽しいですよ?きっと」
「けどよ、男二人がこんなもんに乗って楽しそうにはしゃいでたら、それなりにむさ苦しく……」
「もー土方さんはうるさいんですよ!誰も見てませんて!」
ベルをちりんと鳴らして催促までされ、土方は渋々折れることにした。
「へぇ……後ろにもちゃんとブレーキが付いてんだな」
後ろのサドルに跨がりながら言うと、沖田が肩越しに振り返って見てくる。
「ハンドルも付いてるでしょ?」
「あぁ…でも方向は変えられねぇから、ただのお飾りだな」
「じゃあ運転は僕にかかってるわけですね」
「なぁ、これって二人で漕がねぇと動かねぇもんなのか?」
「さぁ?…でも、二人分の体重を乗っけてるんだから、一人じゃやっぱり重たいんじゃないですか?」
それより出発していいですか、と言い終わらないうちから車体が動き出した。
前で沖田が漕ぐのに従って後ろのペダルも動くから、これなら漕がなくても分からねぇなと、土方は密かに考える。
「うわぁ!総司くんだ!」
しかし、子連れ客の何人かがそう叫んで写メったりしているのを見て、土方は慌ててそれを制した。
「写メは遠慮して……って総司、お前も何ピースなんかしてんだよ!」
「いいじゃないですか、別に。ほら、もうすぐサイクリングロード入っちゃうし」
いつもと違い、人の目を全く気にしていない様子の沖田に、土方はやれやれと肩を竦めた。
「土方さーん、気持ちいいですね!」
高低差の激しいコースを覚悟していた土方は、予想外の道の平坦さに安堵していたところだった。
サイクリングロードは自分たちの他は全くの無人で、適当なスピードで漕いでいれば、周りの紅葉も見られるし風は気持ちいいしで、最高のコンディションだ。
「あぁ、紅葉も綺麗だな」
「都会じゃ見られませんからね」
「見れたとしても、イチョウくらいだよな」
「イチョウは嫌です。臭いし」
「それに、黄色一色だしな」
その点、山の紅葉は、常緑樹の緑、紅葉の赤以外にも、黄色や茶色など、様々な色のコントラストが楽しめる。
しかも、一言で緑や赤と言っても、その加減は種類や日の当たり方によって違って見えるから、まさに十人十色である。
「いいもんだな、こういうのも」
土方は完全に自転車を漕ぐ足を止めて、辺りの景色に没頭していた。
それだけではない。
前で必死になって漕いでいる沖田の横顔がたまに見えるとすごく楽しそうで、見ている土方まで楽しくなった。
普段からこんな風に笑っていればいいものを、無理強いさせられている仕事がそれを許さない。
だからこそ、たまにしか見られない心からの笑顔が、土方にとっては貴重だったのだ。
「ねぇ、土方さん、ちゃんと漕いでます?」
暫く沖田の楽しそうな背中を眺めていたら、不意に沖田に指摘されて土方は慌てて足を動かした。
「お、おぅ…当たり前だ」
「何そのしどろもどろな返事。怪しいですね」
「いやぁ、ちゃんと漕いでたぜ?」
「でも、今急に車体が軽くなったんですけど」
「お前そりゃ、坂が終わったんだよ、きっと」
「…坂じゃなかった」
「いや、見た目には分からねぇ坂だってあるだろ……っうわ!」
急に自転車が停車し、土方は思い切り前につんのめった。
「急に危ねぇじゃねぇか!何しやがる!」
土方がガミガミ怒鳴ると、沖田は自転車を降りながらけろりと言った。
「前代わってください」
「はぁ?」
「前だと土方さんのズルが見えないから、僕が後ろに乗ります」
「どっちでも変わらねぇだろうが」
「変わりますよ!」
「…分かったよ。もう好きにしてくれ」
沖田は我が物顔で後ろのサドルに跨がると、もたついている土方に早くしろと催促した。
我が儘放題だな、と思いながらもそれをすべて許せてしまう辺り、自分も相当焼きが回ったものだと土方は苦笑する。
やがて自転車は滑り出し、沖田は鼻歌を歌いながら自転車を漕ぐ土方を見つめた。
男のくせにやたらさらさらした髪の毛に日光が反射し、艶やかな光沢ができている。
「土方さん」
「何だ?」
「綺麗ですね」
「ん?…あ、あぁ……綺麗だな?」
「あはは…紅葉じゃなくて、土方さんの話です」
「お、俺が?!」
「よく言われるでしょ?綺麗とか、格好いいとか」
「い、いや……急に吃驚するだろうが……しかもお前が、そんなことを言うなんてな」
「普段ほぼ毎日一緒にいるのに、あんまりじっくり眺めたことなかったんで」
「あんまりじろじろ見るなよ」
「さっき土方さんだって見てたくせに」
「ばっ…んなわけねぇだろ!」
「嘘つきー!嘘つきはこうしてやる!」
"こうしてやる"とは言われたものの、差し当たって何の変化もない周りの環境に、土方は困惑してチラリと後ろを見やった。
「…お前何してんだ?」
「別に何も?」
「はぁ……?」
しかし突然重くなったサドルに、土方は何となくことの次第を理解した。
「お前、ブレーキ握ってねぇか?」
「さぁ?何のことだかさっぱり…」
「おい!お前ぜってぇ握ってんだろ!」
「土方さんの気のせいですよ」
沖田はそう言って、無防備な土方の脇を思いっきりくすぐった。
「う、わっ!?ちょっ……」
二人乗りとは言え、前と後ろのサドルの間にはそれなりに距離があり、ハンドルまでついているから、沖田はかなり無理な体勢で前に身を乗り出すこととなる。
おまけに土方が驚いてぐらりと自転車が傾いた所為で、沖田は土方諸共自転車から転げ落ちた。
がしゃん、とそれなりにけたたましい音がして、自転車が派手に転倒する。
「いったぁ……」
思い切り打ちつけた頭を抱えて起き上がろうとして、沖田は上に乗っているものに固まった。
土方が、顔をしかめて覆い被さっていたのだ。
鋭い眼孔、薄く開いた唇、その吐息までもが身近に迫っている。
いつにない近距離に、沖田の顔は真っ赤に染まっていった。
意志に反して速くなっていく鼓動に、沖田は焦って身を捩る。
「土方さん…お、重いんです、けど」
誤魔化すように沖田が呟くと、土方は悪いと言って起き上がった。
一瞬視線がかちあって、沖田の心臓がまた跳ね上がる。
身体が離れるなり、沖田は照れ隠しに怒り出した。
「っもう!びっくりしたじゃないですか!」
「何でお前が怒ってんだよ!そもそもお前がくすぐってこなけりゃな、こんなことにはなってなかったんだよ!」
「だって土方さんが綺麗だったんだもん!土方さんの所為ですよ!」
「なっ…そりゃ屁理屈だろうが!」
沖田が言い返そうとした時、ちょうど道の向こうから親子の自転車が併走してくるのが見えた。
「「………」」
沖田と土方は、思わず互いの顔を見合わせて、溜め息を吐いた。
そしてどちらからともなく自転車を起こして、再び跨がる。
「総司くんバイバイ!」
横を通り過ぎながら小さな女の子に手を振られて、沖田はハの字眉毛で手を振り返した。
くすぐった結果転倒したなど、まかり間違っても知られたくない。
「………おら、行くぞ」
「………今度は安全運転で行きましょうね」
「そりゃあ俺の台詞だ!」
そして再び、自転車は何事もなかったかのように滑り出したのだった。
2011.10.19
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