―――数週間後。
あの後無事にハレトーーークの仕事も終えた沖田は、自宅のマンションでのんびりと旅行雑誌を眺めていた。
「あー、ここもいいなぁ」
この間の雑誌の取材で宣言した通り、沖田はずっとキャンプに行きたがっていた。
取材ではあんなことを言ったが、実際は、自分のことを誰も知らないような、それくらいの山奥に行ってしまいたかっただけなのである。
「でもー、さすがに一人じゃ寂しいかな。夜とか怖そうだし」
ぺらぺらと雑誌を捲りながら沖田はぼやく。
「それに、火起こしとか大変そうだしなぁ…」
めぼしいキャンプ場のページをドッグイヤーしながら、沖田はソファに寝転んだ。
この雑誌を買うのだってすごく大変だった。
わざとぼさぼさにした頭にダサいメガネをかけて、なるべく目立たないような格好で家から遠い本屋まで行って、ようやく買ってきたのだ。
土方に頼んでもよかったのだが、キャンプに行っている暇はないだのなんだの色々と言われそうで面倒臭かった。
その時、ソファテーブルに無造作に置かれた携帯が、けたたましくダースベーダーのテーマソングを鳴らし始めた。
沖田はこれでもかというほどに顔をしかめながら、ディスプレイに示された『鬼マネ』の文字を見て、渋々通話ボタンを押した。
「………もしもし」
「仕事だ」
「はっ?」
何の前置きもなく告げられたその言葉に、沖田は目を剥いた。
「仕事!?今から!?」
「あぁ。急に入ったんだよ。お前が嫌がると思って、俺は断ったんだがな。先方がどうしてもって言うから」
「そこは土方さんがどうしてもって言うところでしょっ!?」
「悪いな。今迎えに行くから用意しとけ」
「嫌ですよ!僕は絶対行きませんからね!」
言うだけ無駄な我が儘だとは思ったが、言わずにはいられなかった。
「これで最後だから、な?とにかく、あと10分ぐらいでそっちに着くから、絶対準備しとけよ?」
「っもう!」
沖田は半ば自棄になって携帯を放り出すと、ソファの上に雑誌を投げ捨てた。
それから適当に服を引っ張り出してきて、脱いだ部屋着をくしゃくしゃに丸める。
「土方さんのバカ!何で断ってくれないの!僕が倒れたら土方さんの所為だからね!」
ぶうぶう文句を言いながらも、心では土方はマネージャーとして当然のことをしているだけだということはよく分かっていた。
そしてまた、土方だから、自分の我が儘をある程度聞いてくれ、十分に気遣ってくれていることも知っていた。
マネージャーは土方以外考えられない。
しかし、こうも仕事が立て続けに入ると、文句の一つや二つでも言いたくなるわけで。
「もー!今一体何時だと思ってるんだか」
沖田は一人ごちた。
時計の針は、あと二時間程で日付が変わることを示している。
お気に入りのカバンに、携帯やら財布やらを放り込んでいると、玄関のチャイムが鳴った。
「わぁ!もう来なさった!」
沖田はオートロックを外すボタンを押すと、ついでに玄関の鍵も開けたりして、慌ただしく右往左往した。
「総司、支度できたか?」
これまた慌ただしく家に上がってきた土方は、中途半端に帽子を被った沖田を見て、奇妙な顔をした。
「もうできます!……はい、できました!」
身支度を整えて、沖田がぱたぱたと土方の前にかけていくと、土方はソファに打ち捨てられた旅行雑誌を見ているところだった。
「あ…それ……」
「お前…キャンプなんか行きてぇのか?」
眉間に皺を寄せる土方に、沖田は慌てて取り繕った。
「べ、別に、旅行なんかに行ってる暇がないことくらい、わかってますからね?」
早く出発しようと急かす沖田を、土方は益々訝しそうな目で見る。
「あ、今日は土方さんの車なんですね」
マンションの下まで降りると、目の前に止まっている見慣れた車に沖田は駆け寄った。
遠隔操作でロックを開けて、沖田を助手席に座らせると、土方も運転席に乗り込む。
「うっわ!相変わらず煙草臭いなぁもう」
沖田は顔をしかめて鼻を摘んだ。
ゆっくりと車を発進させながら、土方は不機嫌そうに言う。
「悪かったな、煙草臭くて」
「僕、別に嫌いじゃないですけどね、この匂い」
「はぁ?」
「土方さん、あんまりヘビーにスモークしてると、変な病気になっちゃいますよ?」
これでも沖田は、土方の身体を心配していた。
自分が忙しいということは即ち、土方も忙しいということだ。
その働きぶりは誰もが賞賛するほどで、沖田とて例外ではない。
ただでさえ過労気味なのに、その上大量の煙草まで吸っていたら、倒れるのではないかと純粋に心配だったのだ。
「…お前、それ心配してんのか?」
夜の高速道路を飛ばしながら、土方はちらりと沖田を見た。
「べっつにー。ただ周りにも害を及ぼすから、ほどほどにって言ってるだけです」
沖田はとにかく素直さのかけらもない性格をしているため、残念なことに土方に本音を言うことはほぼない。
「ったく、人のことを心配してる暇があったら、お前自分のことを考えろよ?」
「自分のこと?」
「あぁ。お前は変なところで遠慮したりするからな」
「……そんなことありませんよ?」
沖田が首を傾げながら言うと、土方は深々と溜め息を吐いた。
「○○」
「…はい?」
「そこなら行ったことがある」
「えっと……あの、話がよく見えないんですけど」
「キャンプ場の話だ」
「えっ……」
「○○キャンプ場、ドッグイヤーしてただろ?」
「あぁ……えぇ?!」
自分でもよく覚えていないのに、土方はそんなところまで見ていたのかと、沖田は吃驚して土方の横顔を見つめた。
「何びっくりしてんだよ」
「え、いや…だって、」
しどろもどろになる沖田に、土方はくすりと笑いを漏らした。
「お前、この前の雑誌のインタビューでも答えてたよな、キャンプ場行きたいって」
「なっ……もう読んだんですか?!」
確かあの雑誌は、昨日あたりに発売されたばかりだったはずだ。
「当たり前だろ、マネージャーなんだから」
「…当たり前なんですか?」
違う気がするなぁ、と沖田は首を傾げた。
「読みたいなら、後ろの鞄に入ってるが…」
「読みたくないです」
後部座席を指しながら言う土方を、沖田は慌てて遮った。
自分が載っている雑誌など、今まで一度も読んだことはない。
もちろん、出演したテレビ番組も然りだ。
土方はためになるから確認しろ、とか煩く言ってくるのだが、沖田はそれを聞いた試しがない。
仕方なく土方が代わりに逐一確認して、ダメ出しやら何やらをしてやるのが常だった。
「お前、キャンプに行きてぇんだろ?」
「そりゃ、行きたいですけど。休みなんかないのは分かってますから……って、これさっきも言いました」
「いや、まぁそうなんだが…」
沖田はむくれて窓の外を見た。
猛スピードで、夜景が後ろへと流れていく。
さっきまでは東京タワーや汐留のビル群が見えていたのに、今は黒く波打つ東京湾や、ベイブリッチの向こうのお台場のネオンが綺麗に光っている。
「あ、観覧車……」
遠くに見えている観覧車を、沖田はじっと見つめた。
別に初めて見るわけでもないのに、幾何学模様を描いて光るそれは、今日に限ってやたらと綺麗に見えた。
「土方さん、あれ」
「ん?」
土方が余所見できないのは分かっていたが、沖田はぽつりと呟いた。
「あれ、乗りたいです」
「あぁ?」
その言葉に土方が密かに眉を寄せたのを知る由もなく、沖田は静かに助手席のシートに身を沈めた。
「おい、もうすぐ着くから寝るんじゃねぇぞ」
「んー、」
「おいって!起こす身にもなれよ!」
「でも疲れちゃったもん」
慌てたように片手で沖田の肩を揺さぶる土方に、沖田は甘えたような声を出した。
「ったく…」
土方が溜め息と共に諦めようとしたその時、沖田が突然間抜けな声を上げた。
「あー」
「うわ、何だよ急に」
むくりと身を起こす沖田を視界の端に捉えて、土方はぎょっとしたように言った。
「そういえば、今日のお仕事って何なんですか?」
「あぁ…そういや、まだ言ってなかったな」
一番肝心なことを話していなかった自分たちに、土方の背中に冷や汗が伝う。
「ダッシュボードにメモが入ってるから、開けて見てみろ」
「はーい」
沖田はダッシュボードの中から、土方の走り書きのメモを取り出した。
走り書きなのに整った土方の字を見て、純粋に感心してみたりもする。
「えーと?え、何これ。クイズ番組?」
「違ぇよ。投稿されたVTRを見て、面白さを判定するらしい」
「あ、だからボタンを押すって書いてあるのか」
「まぁ、着いてから説明してくれんだろ」
「ていうか、何でこんなに急なの?」
「さぁな…急に欠員が出た、とかじゃねぇのか?」
「欠員、ねぇ」
「ほら、着いたぞ」
車がテレビ局の駐車場に滑り込む。
沖田はメモを小さく折りたたんでポケットにしまうと、溜め息混じりにシートベルトを外した。
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