施設の自分の部屋や、職員の人、それから、一緒に何年も過ごしてきた仲間に別れを告げた。
施設からの旅立ちというのは一風変わっている。
置いて行かれる者は寂しさ半分、羨望半分で出て行く者を見送り、自分の将来を悲観したり、諦観したりして、少なからず憂鬱な気分になる。
素直に仲間に家族ができたことを喜べる奴なんて殆どいない。
僕だって、もう数え切れないほど仲間が施設から出て行くのを見送ったけど、その度にどうして僕じゃないんだろうと思っていた。
でも。今回は、僕が見送られる側。
もう何も悲しくなんかないし、施設にはこれっぽっちの未練もない。
仲間は、この歳になって里親が現れた僕を、半信半疑の眼差しで見つめていた。
じゃあねって短くお別れの挨拶をして、意気揚々と土方さんの後についていく。
他に言うべき言葉なんてわからなかった。
君たちも早く親が見つかるといいね。またどこかで会おう。
そんなこと、言ったところで慰めにもならないし。
「ほら、早く乗れ」
僕が施設をぼうっと眺めていると、土方さんが車のドアを開けて僕を呼んだ。
もう、二度とここに来ることはないだろう。
そう思うと、自然と口角が上がった。
寂しさなんて微塵もない。
「さよなら」
僕は新しい生活に向かうべく、土方さんの車に乗り込んだ。
*
「総司、どこか寄りたい場所はあるか?」
「え………」
運転中の土方さんに話しかけられて、僕はまじまじと土方さんを見た。
「総、司……?」
戸惑って反芻すると、土方さんがさも当然だ、という顔でチラリと僕を見た。
「何だよ、何か変なこと言ったか?」
「今…総司、って言った」
「あぁ、言った」
「………」
驚きが収まると、今度はこそばゆさや嬉しさがこみ上げてきた。
「…総司、ね……うん…」
「慣れねえか?」
「う、ん…まぁ」
「でも、お前はもう土方総司なんだから、総司って呼ぶのが道理ってもんだろう」
「いや……なんかね、…うん…」
「…………で、どこか行きたいか?」
「どこかって…」
「買い物でも、遊園地でも何でもいいぞ?お前、どうせそういう所にはあまり行ってねえんだろう?」
そう言って、土方さんは微笑んだ。
僕はその表情に釘付けになる。
「あ……じ、じゃあね、…んと、…」
慌てて頭を働かせる。
うーん。僕が行きたいところ?
……うーん。
こんな夕方から遊園地なんか行っても仕方ないし……もう真っ直ぐ家に帰ってもいいと思うんだけど。
でも、どうせならどこかに行きたい気もするし。
「あ、」
「ん?何だ」
「映画、見たいです」
「映画?」
「はい」
何のことはない。
ただ、車の窓越しに新作映画の宣伝ポスターが見えたから。
ただ、それだけだ。
本当に僕はもう土方さんと家族なのか心配で、未だに信じられなくて、正直どこに行きたいかなんてどうでもいいことだった。
「じゃあ、シネコン入ってるショッピングモールにでも行くか?」
「いいんですか?」
「当たり前だろ。ついでにお前の服だのなんだの、買ってやるから」
「そんな、悪いです」
「悪いってなぁ……俺はお前の保護者なんだから、遠慮はいらねえよ」
「う…ん」
土方さんの言葉を聞いているうちに、漸く施設とおさらばしたのだという実感が沸いてきた。
「そういえば、土方さんお仕事は?」
ふと思いついて、僕は土方さんに尋ねた。
「今日は創立記念日なんだよ」
創立……あ、そうだ。
土方さんは教師なんだった。
「土方さん、」
「ん?」
「教師って、高校の?」
何となく小学校という気はしない。
こんな人が小学校にいたら、みんなビビって不登校になると思う。
「ああ、薄桜学園高校って知ってるか?」
「あ、知ってる……」
知ってるも何も、薄桜学園高校は、ここら辺じゃ有名な進学校だ。
「そうだったんだ……」
もちろん、僕の学力じゃ、とてもじゃないけど行けない高校だ。
「お前、高校行きたいって言ってただろ?」
「あ、うん…」
「勉強くらい、見てやれると思うが…」
「っほんとですか??」
僕は思わず身を乗り出した。
「ま、一応教師だしな…高校受験なら…何とかなると思うんだが」
「土方さんて、何の教師なんですか?」
「古典」
「古典…?」
なんか、意外だった。
あ、でも国語の教師だから、あんなに論理的で回りくどくてねちっこかったのか。
なるほどなるほど。
「ついたぞ。降りる支度しろ」
土方さんが、車を立体駐車場に停める。
支度って言われたってシートベルトを外すことくらいしかないから、僕は黙って助手席に沈み込んでいた。
土方さんと買い物か。
買い物自体久しぶりだから、嬉しさ半分、緊張半分、ってところだ。
「先に映画のチケット買っちまうか」
車にキーをかけながら、土方さんが僕を見る。
元気よく頷いて、駐車場を飛び出そうとしたら、土方さんに思い切り引っ張られた。
「うわっ」
直後に、僕の目の前を車が通過していった。
「馬鹿!急に飛び出したら危ねえだろうが!」
う……これは"スーパー怖いモード"の土方さんだ。
「……ごめん…なさい」
「ったく、気をつけろ」
過保護な土方さんに手を引かれて、ショッピングモールの中へ入る。
……もしかして、もしかしなくても、土方さんって超のつく心配性だったりする…?
僕は繋がれた手を見ながら考えた。
シネコンのチケットカウンターまで行って、見たい(というかさっきポスターを見た)映画のチケットを買ってもらう。
慣れた手つきでクレジットカードを出し、さらさらとサインする土方さんに暫し見惚れて、こんな人が僕を引き取ってくれるなんて…とちょっと嬉しくなった。
まぁ、でも本当に不思議な人だ。
なんと言っても、僕らはあの雨の日にたまたま出会っただけの、他には何の繋がりもない関係だったんだから。
それなのに、あれよあれよと言う間にいつの間にか家族にまでなってるなんて、ちょっとどころかかなり不思議。
土方さんは一期一会だから、だのなんだの言っていたけれど、難しい言葉を使って言いくるめられた気がしてならない。
まぁ、多分土方さんも、僕を引き取ることにした明確な理由なんて分かってないんだと思う。
でも、別にそれでいい。
土方さんはともかく、僕は、今すごく幸せだから。
理由なんて、それこそなくても構わない。
「何か欲しいもんあるか?」
映画が始まるまでの時間、僕の生活用品を買い揃えることになった。
「欲しいもの……歯ブラシ、とか」
因みに今まで使っていた歯ブラシは施設に置いてきた。
だって、土方さんがそんなもん新しく買ってやるって言うからさ。
「お前なぁ……そういう必需品じゃなくて、お前が欲しい物だよ。本とか、文房具とか、何でも言ってみろよ」
土方さんと並んで、モールの廊下を歩きながら考える。
「あれ、土方先生?」
すると、突然そんな声が聞こえてきた。
振り返ると、いかにも、という出で立ちの女子高生が数人立っている。
土方さんはゆっくり振り返って、驚いたように目を見開いた。
「あ、お前ら……」
この女子高生たちが、土方さんの教え子であることは一目瞭然だった。
創立記念日とか言ってたし、この子たちも遊びに来たに違いない。
「キャーッ、やっぱり土方先生だ!」
「どうしたんですか?こんなところで」
「あ、デートだったりして!」
何だってこんなに五月蠅いのかなぁ。
口々にまくし立てる女子高生に閉口する。
そうか、この顔で教師なんかやってると、こういうことが起こるわけか。
この女子高生たち、みんな土方さんに夢中みたいだけど。
土方さんはと言えば、気にする風でもなく、慣れた様子で軽くいなしている。
僕は何故か無性にむしゃくしゃして、得意の冷たい視線を送ってやった。
「っていうか、その子誰?」
「もしかして隠し子!?」
「あれ、土方先生って結婚してましたっけ?」
僕はますますムッとして視線を落とした。
「馬鹿。こいつは俺の…」
「遠縁の者です。土方総司って言います。よろしくお願いします」
土方さんが何か言おうとするのを遮って、僕は満面の作り笑顔で、礼儀正しく挨拶した。
「総司?」
「えー可愛いっ!」
「遠縁なんだぁ…でも顔似てませんよね」
「総司くん何歳?」
そんなに年変わらないですけど、と思って、ますます笑顔がピリピリと引きつる。
「ていうか、何で土方先生と一緒にいるの?」
「僕今、トシさんの家に居候させてもらってるんです」
僕の口からついて出る非常に流暢な嘘に、土方さんが目を丸くした。
「総司、お前……」
「トシさんだって!トシさんって呼んでるの?」
「っていうかあたしも居候したぁい!」
因みにトシさんというのは、その場で適当に考えた。
だってつい"土方総司"なんて名乗っちゃったし、それなのに"土方さん"なんて呼んでたら、自分の名字を呼んでいるみたいで変じゃないか。
確か施設の書類に書き込む時に見たのが、歳三って名前だったような気がしたんだけど、間違えたら怖いからトシさん。
とにかく、養子だなんだと説明するよりはずっと楽だろうと思ったし、それを生徒にバラしていいものなのか躊躇したのだ。
ぽん、と湧いて出た子供なんて、不審極まりないだろうしね。
僕の咄嗟の機転に感謝してほしい。
「じゃ、俺は今日はこいつに付き合うって決めてるから」
土方さんは短く言った。
どうだ。ざまぁ見ろ。
土方さんの時間を拘束できる僕を、せいぜい羨ましく思うがいい…………って何考えてるんだ、僕。
「そっかぁつまんないの〜」
「土方先生バイバイ!」
「おう、お前ら明日は学校なんだから、早く帰れよ?」
「出た!過保護土方先生!」
「うるせぇ!…行くぞ総司」
土方さんが僕の手をぐいっと引っ張って、女子高生たちとは逆の方向にずんずん歩き出した。
「うわっちょっ…!土方さんっ」
何故か機嫌が悪そうだ。
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