昨日から泊まり込んでいた土方が、何やら慌ただしく部屋から部屋へと渡り歩いていた。
「何かあったんですか?」
箒を動かしていた手を止め、庭からさり気なく尋ねると、土方は焦りを隠そうともせずに上擦った声で返事を寄越す。
「俺のな、つづらがなくなっちまったんだ」
「行商に使う?」
「あぁ。中に売り上げ金も一緒に入ってる。あれがねぇと出立できねぇし、兄貴たちにも叱られちまう」
「売り上げってどうせ、雀の涙なのに?」
総司は、わざと気に障るような言い方をした。
が、いつもなら面白いほど目くじらを立てるはずの土方が、今日は何も言わずにズンズンと歩いて行ってしまう。
「……つまんないの」
口ではそう言ったものの、総司も土方の焦りが本物だということはよく分かっていた。
土方の目下の生業である薬の行商も、あのつづらがなければ始まらない。
代替品も中身の薬も、日野の実家にならいくらでもあるのだろうが、取りに帰って姉上たちに叱られるのが土方は嫌らしい。
もっとも、土方家は御大尽と呼ばれるほどの豪農なのだから、薬の売り上げをあてにしているわけではない。
が、土方が行商を任されているのは、奉公に出ても長続きしない、その放蕩無頼さを戒めるためであったりもするから、何にせよ、手ぶらで帰ったりしたら実家の面々に大目玉を食らうのは避けられない…ということなのだろう。
「あんな大きいもの、すぐに見つかりそうなのになぁ」
総司は箒を片付けると、興味本位で土方の後を追った。
格好付ける余裕もなく焦っている土方など、めったに見られるものではない。
廊下を進み、試衛館の広間を覗き込むと、積んである座布団の陰を覗き込んでいる土方を見つけた。
「そんなところにあったら、すぐに分かると思いますけど」
後ろから声をかけると、土方はうんざりしたように頭を掻いた。
「あんなに後生大事そうに持ってたものを、どこへやったんですか?」
「知ってたら苦労しねぇんだがな」
重ねて積まれた座布団の上にどっかりと腰を下ろした土方に、総司はゆっくりと近付いた。
「最後に見たのはいつなんです?」
「寝る前。客間の部屋の隅に置いといたのによ、 朝になったら忽然と消えてやがった」
「てことは、物取りの仕業じゃないですか?きっと今頃、中身のあまりの貧相さにガッカリしてますよ」
土方は眉を吊り上げたが、何も言わなかった。
「………フデさんがどこかに移動したって可能性もある」
「近藤先生には聞いてみましたか?」
「あぁ。知らねぇだとよ。総司、お前は知らねえか?」
「さぁ?知りません。知ってても教えません」
「てめぇ…!」
土方は今度こそムキになって突っかかってきた。
総司は内心で喜びながら、土方に応戦して取っ組み合いを始める。
するとそこへ、竹刀を担いだ近藤が現れた。
「トシ!つづらは見つかっ……って、お前たちは一体何をやっているんだ」
呆れた声を出す近藤を見て、総司は慌てて土方と距離を取る。
「僕、土方さんの探し物のお手伝いをしてあげようと思ってたところなんです」
「嘘吐きやがれ!知ってても教えませんって言いやがったのはどの口だ!」
「…その様子だと、どうやら見つかっていないようだな」
近藤はやれやれと頭を掻いた。
「あんなに大きなものがどこに消えるというんだかなぁ」
自分が考えていたのと同じことを言う近藤に、総司はにっこりと笑ってみせる。
「ちょうど僕もそう思っていたところです。消えるわけがないんだから、土方さんがうっかりしてる間に盗まれたんですよ」
「でも、誰に?」
答えを求めて近藤は土方を見やったが、諦めたように肩を竦められただけだった。
「俺、もういっぺん部屋を回ってくる。あんたらは稽古があるんだろう?」
「あ、あぁ……だが、しかし…つづらが見つからないことには出立できぬのだろう?」
「いや、なに、急ぎの用があるわけじゃねぇし、それは別に構わねえんだ」
「え、女の人のところに行く予定とかないんですか?」
「総司っ!!」
ここぞとばかりに口を挟み、土方の悪評を取り沙汰しようとした総司だったが、残念ながら、土方の声をほんの少し荒げさせた以外の効果は得られなかった。
「まぁ、トシがいいのなら、もう一晩泊まって、ゆっくり探し物をしていけばいいじゃないか」
近藤が眉を八の字にしながら 場を取りなす。
「あー……いや、もう一晩泊めてもらうことになると、あんたに迷惑がかかっちまうと思ってよ。できれば避けたかったんだが」
気まずそうにポリポリと頭を掻く土方を、近藤は豪快に笑い飛ばした。
「何を今さら!色恋沙汰だの何だのありすぎて、これしきのことじゃ迷惑だとも思えんよ!」
「お、おぅ……」
土方の肩をバシバシと叩いて愉快そうに笑う近藤を、総司は面白くない目で眺める。
「近藤先生、もうお稽古の時間ですよ。土方さんのことは済んだんですから、早くお稽古しましょ」
「あぁ、そうだな!総司は勤勉で感心だなぁ!」
コイツ猫を被りやがって…と苛立つ土方だったが、近藤の意識が自分に戻ったことに満足し、うっすらではあるが本心から笑ってみせた総司に、思わず微笑が漏れた。
が、総司はその視線に気が付いた途端、訳の分からない照れくささに襲われて、すぐに目を逸らしてしまう。
頬が赤くなっている気がして、自分に対する嫌悪感が溢れかえってきた。
土方の、あの、心の底まで見透かされているような笑みが嫌だった。
お前の考えていることなんざ、何だって分かっているんだと言われているような気がするから。
「じ、じゃあね土方さん、また後でね」
「お、おう」
「つづらが出てこないように祈っておきますね」
「何だと!?」
裏を返せばずっとここに泊まって欲しいという意味になることにお互い気が付かぬまま、総司と土方は睨み合って別れた。
***
その日の夕刻。
稽古が済んで夕食の支度を手伝っていた総司は、広間に相変わらず所在無さげにしている土方の姿を見つけて駆け寄った。
「土方さん、まだないの?」
「ん?総司か。あぁ、まだねぇよ」
ぼんやりと緩慢な動きで顔を上げた土方は、総司の顔を見て内心少し驚いた。
あまりにも嬉しそうな表情をしていたからだ。
そんなに俺が困っているのを見るのが好きか?
それとも……
「このまま見つからなかったらどうするんですか?」
「そりゃあ…いつまでもここに居たって仕方ねぇし、腹くくって帰るケド」
「ふぅーん……でも今日は泊まらざるを得ないでしょ? 」
「まぁ、今日はな」
やはりどこか嬉しそうにふぅーんと言って勝手場へ去っていった総司を、土方は訝しげに見つめる。
その後すぐに始まった夕食も、ろくに集中できず、近藤の話や総司のからかいを右から左に受け流しながら、味気なく終えることとなった。
土方の頭の中で、とある疑惑が色濃く浮かび上がっていたのだ。
「総司、お前もう暇か?」
皆でお茶を啜りながら食休みし、銘々の部屋へ引き上げてから暫く経った頃。
土方は総司の部屋を訪れていた。
「何か?」
「いや、ちょっといいか」
「何で?」
「駄目なのか?」
「…………」
意地でも動かないぞ、という意思を見せつけるように襖の前にじっと佇んでいると、やがて細く襖が開けられる。
「一体何の用で……って、ちょっと!」
どうしても中に入られたくないらしい総司を押し退けて、土方は問答無用で部屋に踏み込んだ。
「ちょっと!土方さん!勝手に入ってこないでくださいよ!」
慌てたように着物の裾を引っ張ってくる総司をあしらいつつ、当たりをつけて押し入れを開く。
「……やっぱりな」
そこには、なくなったはずのつづらが押し込められていた。
「……っ」
気まずそうにそっぽを向く総司の方へ振り返り、土方はキッと声を上げる。
「てめぇ、一体どういうつもりだ。そんなに俺を困らせてぇか」
最初は、ほんの些細な疑惑だったのだ。
土方が今日も出立できずに泊まる羽目になった途端、本人は隠しているつもりだったかもしれないが、総司の目が喜びに輝きだした。
夕食前も、夕食の時も、総司は始終すこぶる機嫌が良かった。
そして、つづらの行方を気にしていそうな様子もない。
もしも盗人が侵入したのなら、近藤道場で不穏な事が起こるなど許せないと、真っ先にいきり立ちそうな総司が、だ。
まるで、犯人を知っているから安心していられるような態度だった。
そこで土方は思ったのだ。
もしや、つづらを盗んだ犯人は総司なのではないかと。
消えたつづらは、唯一探していなかった総司の部屋にあるのではないかと。
「だって……!」
開き直ったように 睨んでくるのを負けじと見つめ返せば、総司は途端に勢いを失って俯いてしまう。
土方は、その魂胆をとうに見抜いていた。
「だって、何だよ?」
「…… 」
「言ってみろよ」
「だって、……」
今にも泣き出しそうな声を出す総司を見て、土方はやれやれと頭を掻く。
「はぁ、全くよ、そんなにここに居て欲しいんなら直接俺に言やぁ良かったじゃねぇか」
こんな回りくどいことしなくても。
土方が言ってやると、総司はムキになって否定した。
「だ、誰がそんなこと!僕、土方さんに居て欲しいなんて、これっぽっちも……!」
「そうか?」
「そうですよ!勝手に勘違しないでください!」
「…勘違い、なぁ」
「土方さんの甚だしい勘違いです!」
「ふん、まぁ仕方ねぇ。そういうことにしといてやってもいい」
「な、な!何ですかそれ!ムカつく!土方さんのくせに!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ総司に、土方は半分呆れて溜め息を吐いた。
確かに、素直になれと総司に言ったところで、百年かかってもそうならないだろうということは明らかなのだが。
それにしても、今回の騒動は、素直なのか素直じゃないのか、やることがあまりにも端的で可笑しかった。
土方は畳に腰を下ろしてつづらの中身を改めると、つづらに押し込んでおいた巾着からあるものを取り出した。
「ったく、折角いいもんやろうと思ってたのに、すっかり遅くなっちまったじゃねぇか」
「いいもの?」
「総司、手ぇ出してみな」
「…なに?」
「いいから」
気まずいのか、むすっと膨れている総司の手を取り、土方は巾着から取り出したものをそこに握らせた。
「何ですかこれ」
細い、金属の輪。
一部に翡翠石が埋め込まれているが、総司には何だか分からないようだ。
目を丸くして、物珍しそうにそれを眺めている。
「そりゃあ、得意先の商人からもらったもんだ」
渡来物の装飾品なのだが、全く普及していない所為で価値や使いどころをあまり理解してもらえず、さっぱり売れなかったらしい。
「お前にやるよ」
本当は、綺麗だから女にやればモテるぞと言われて押し付けられたのだ が、土方は端から総司にやろうと決めていた。
「綺麗だけど、これ、何するものですか?」
「指に嵌めるらしい」
土方は総司の指を弄りながら、優しく教えてやった。
西洋では結納の際に送ったりする物らしいとまでは、流石に教えなかったが。
「お前、指細ぇな」
試しに全ての指に嵌めてみたものの、総司が小さい所為で、指輪が止まらずに落ちてしまう。
「仕方ねぇ。木刀握る時にも邪魔だしな、首にでもかけとけ」
土方はそう言うと、予備の結い紐を取り出して指輪を通し、総司の首に提げてやった。
「何で……」
「あぁ?」
「何で、僕にくれるんですか……」
総司は首もとにぶら下がった贈り物を物珍しそうに弄くり回しながら尋ねる。
「別にどうだっていいだろ」
「ふぅん。誤魔化すんだ」
「お前なぁ、つづら隠していやがったくせにそんな態度取るのかよ」
「なっ……!それとこれとは話が別ですよ!!」
ばつの悪さを全力で誤魔化す総司に、誤魔化しているのはどっちだよ、と土方は苦笑した。
「いいから、つべこべ言わずに有り難くもらっとけ 」
「……まぁ、貰っておいてあげてもいいですけどね。仕方ないから、ずっとつけててあげますよ」
「おう、御守り代わりにでもしときな」
土方の大きな手が、総司の頭を撫でる。
こそばゆそうに甘んじながら、総司は己の顔にうっすらと笑みを浮かべた。
数年後
「お前、まだそんなもん持ってんのか。もう紐が切れそうじゃねぇか」
「だって、これ土方さんからの求婚の証だったんでしょ?まったく、土方さんも気障なことしますよね」
「……知ってたのか」
「左之さんに教えてもらいました」
「……で、答えは?」
「え、えっと、…………これ肌身離さず持ってることがもうそのまま答えです」
指輪は今や総司の指にぴったりはまるようになっていた。
(婚約指輪とか指輪自体が流行り出したのは明治初期頃だったらしいので、ちょいと先駆的な土方さんです。ネタはゆきさくらでフォロワーさんからいただきました。というかあまりにも萌えたので勝手に話にしました(笑))
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