翌朝。
土方さんの声で目が覚める。
「沖田、早く起きろ」
肩を軽く揺さぶられる。
もうちょっと寝かせてよ……
そう思ってみて、ハッと気がついた。
僕は泊めてもらっている身だった!
慌てて飛び起きて、それなりにベッドをきれいにして(僕の寝相の悪さは神がかってるんだ)、それから土方さんについてリビングに行った。
土方さんは、昨日と同じようにビシッとスーツを着こなしている。
「何か食うか?」
「え、あ、えっと……」
「パンならあるぞ」
「あ…はい」
土方さんは僕にパンを差し出しながら、ダイニングの椅子に腰掛けた。
「じゃ、話してもらおうか」
早速本題に入られてうんざりする。
返事をしないで目をそらすと、土方さんに有無を言わさない感じで睨まれた。
「っ…何で僕が行きずりの貴方にそんなことを話さなきゃならないんですかっ?!」
あんまり気持ちの良いことでもないから、僕は話すことを渋る。
「その行きずりのお前に、飯を食わせて風呂を提供し、服まで与えて、一晩泊めてやったのは誰だよ」
う………そこを突かれると、もう何も反論できない。
ましてや、宿賃代わりだと思え、なんて言われてしまったら、僕は話すしかないじゃないか。
そもそもが土方さんの気まぐれで始まっていることなのに。
全く腑に落ちないものの、土方さんに言われると何だか反論できないから不思議だ。
土方さん、仕事は?って聞きたかったけど、大丈夫だから話を聞こうとしているんだろう。
この人はきっとそういう人だ。
仕方なく、僕はぽつぽつと話し出した。
「僕は、」
そしたら、たった一言、それも"僕は"って言っただけで、すぐ土方さんに遮られた。
「あ、ちょっと待て。お前、コーヒー飲むか?」
僕はがくりとうなだれる。
そんなことでいちいち遮られてたら日が暮れちゃうんですけど。
「…カフェオレなら、」
「分かった。ちょっと待ってろ」
数分後、土方さんがブラックコーヒーとカフェオレのマグカップを運んできて、それでようやく僕は話し始めた。
「えっと、…だから、僕は、孤児なんです」
そこから始めて、親に捨てられたこととか、脱走に至るまでの経緯を、掻い摘みながら話した。
自分の身の上を人に話すなんて初めてだったから、時々話が錯綜したり、時系列がはちゃめちゃになったりしたけれど、土方さんは難しい顔でコーヒーを啜りつつ、時々質問を挟んだりして、きちんと話を聞いてくれた。
僕が話し終えた時、土方さんは自分の考えに没頭している様子で、暫く顔を上げなかった。
僕は居たたまれなくなって、目の前に置かれたカフェオレに口を付ける。
「…それじゃお前は、高校に行きたいから、施設を抜け出したってのか?」
突然土方さんが質問してきた。
「そう、です…」
「お前なぁ……ろくに金も持たねぇで、未成年が暮らしていけると思ったのかよ?」
「や、だから、数日だけでも、って…」
「甘すぎんだよ」
実に的を射たことばかり言われて、流石に僕もへこたれる。
確かにあの時の僕、一刻でも早く施設から抜け出したいっていう、ただそれだけの衝動で動いてたからな。
あんまり後先のこと、考えてなかったんだ。
「でも……高校、行きたかった」
「まぁ、それはいいことだとは思うが。就学する意志があるのは」
「………うん」
「…で?いきさつは大体分かったが、お前これからどうするつもりだ」
…どうしよう。
施設の人が折れてくれるまでは、ストを続けなきゃいけないしな。
せめて……バイト、できたらな。
「働き口、探します…風俗店でもいいから働いて、とりあえずその日暮らしができれば…」
「あのなぁ、お前全っ然分かってねえんだな」
土方さんは、呆れたように息を吐いた。
「未成年が風俗店なんかで働けるわけがねえだろ?それくらい誤魔化せるとか思ってんのか知らねえけど、最近じゃ店の方でも用心してっから、法律に引っかかりそうなことはしねえんだよ」
昨日から法律だの義務だのって。
土方さん、弁護士か何かなの?
「ね、土方さんて、法律関係の職業なんですか?」
単刀直入に聞くと、憮然として違うと言われた。
「……教師、だ」
教師……なるほど、ね。
だから未成年者に関する法律にやけに詳しかったり、僕にやかましく言ったり、未成年を守る義務がどうとか豪語していたわけか。
教師だから、明らかに未成年の僕を放っておけなかった。
何か家庭の事情があったんじゃないかとすぐ察しがついた。
そして、そういう少年の行動に対して、多少の理解もあった。
だから、僕を拾ってやろうと思った。
何て責任感のある先生なんだ。
僕、感動して涙が出ちゃう。
「つまり、お節介で過保護なのは、職業病だったってことですか」
「何だって?」
土方さんの眉間に皺が寄る。
あーあ。折角の綺麗なお顔が台無しだ。
「じゃあ尚更、これ以上迷惑をかけるわけにはいきませんね。もし施設にバレたら、土方さんまで責任追求されるかもしれないし……僕なら大丈夫です。これ食べ終わったら出て行くんで、安心してください」
土方さんの眉間の皺が、更に深くなった。
「お前どうするつもりだよ」
「えー?…うーん、施設の人が折れてくれるまで、ストライキを続けますよ?」
「で?住居は?」
「そうですね……あ、それこそネカフェ難民でいいじゃないですか」
「勉強はどうする」
「……………んと、図書館、とか、」
「じゃあ聞くが、お前はまだ義務教育が残ってるはずだが?」
「えっと……その…………」
今通っている学校に行ったら、施設の人に見つかっちゃうからそれは無理だ。
答えに紛糾していると、土方さんがやれやれと溜め息を吐いた。
「ったく。強がるんじゃねえよ。一体どこがどう"大丈夫"なのか、教えてもらいてえもんだな」
あー。教師に拾われたのが運の尽きかな。
そんなこと言われたってどうしようもないじゃないか。
「じゃあ僕にどうしろって言うんですか?こんな中途半端なままで、施設に戻れとでも言うんですか?」
思わず声を荒げたら、土方さんに睨まれた。
「そうだ。施設に戻れ。きっとみんな心配してる」
何かががらがらと音を立てて崩れ落ちた。
ほんのちょっとだけ、行くところがないならここにいろ、なんて言ってくれることを期待してしまった。
僕はやっぱりバカだ。
「っ嫌です!!貴方に僕の未来を決める権利なんてない!!たまたま出会っただけなのに、僕がどうするかなんて貴方には関係ないじゃないですかっ!!」
思わず激高した。
「だが、話を聞いちまった以上、お前を施設に連れ戻すのは俺の義務だ」
「知らないよそんなの!僕は施設には戻らない!貴方が何と言おうと、絶対に戻らない!」
「駄目だ。俺が力づくでも連れて行く」
「なら、僕は今すぐ出て行きます」
土方さんを睨む。
何で今施設に戻らなきゃならないんだ。
土方さん、頭が堅すぎるんだけど。
僕がどんな思いで施設を脱走したか、この人には分からないの?
「…色々ありがとうございました、ほんと感謝してます。いつかお礼できたらいいです」
そう言って、僕は逃げ出そうとした。
「だから待てって言ってんだろ!」
そしてまた、土方さんに腕を捕まれた。
「…離してください」
「駄目だ」
「離してよ!」
必死で抵抗したけれど、中学生が大の大人に適うはずもなく。
僕は土方さんに引きずられるようにして家を出て、マンションのエレベーターを降り、駐車場に連れて行かれて、そして車に押し込まれた。
土方さんの運転で、すぐに車が滑り出す。
その間もずっと抵抗し続けていた所為で、僕は疲れて何もかも諦めた。
「どこの施設だ?」
車を走らせながら、土方さんが聞いてきた。
「…………」
「何なら警察に保護してもらったっていいんだぞ」
「っ…言いますから、」
僕は小さな声で施設の名前を教えた。
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