「あれ、総司?」
カウンターの隅に腰掛けると、マスターが驚いたように言った。
「久しぶりだな」
時間帯からして、客はもうまばらだった。
この時間にここにいるってことは、全員徒歩かタクシーで帰るか、朝まで飲み明かそうという魂胆なんだろう。
「うん…ごめんなさい。ご無沙汰しちゃって」
「いやぁ、いいさ。大学生にあんまり入り浸られても困るしな」
それでも嬉しそうにしてくれるマスターは、とっても親しみやすい。
原田左之助さんって言って、よく相談に乗ってくれる、とてもいい人だ。
「で、今日は何を飲むんだ?」
「ん………甘いやつ」
「はは…総司はいっつもそれだな」
「ううん、いつもより甘いのがいい。ハッカとか入れないで、梅も入れないで、パイナップルとかイチゴとか、甘いのだけ入れてほしい」
だけどベースはウォッカにしてほしいと言うと、左之さんは目を丸くした。
「おいおい…めちゃくちゃだな。大人しくサワーでも飲んでればいいのに」
「やですよ…サワーなんかじゃ酔えないし」
ぶつぶつ言いながらも甘いカクテルを作り始めた左之さんに、心の中で感謝する。
「それで?今日はどうしたよ」
え、と思って顔を上げると、左之さんは見え見えだ、とでも言うようににやりと笑った。
「総司が一人で来て、しかもやけ酒なんて、よっぽど嫌なことがあった日くらいじゃねぇか」
「……そう言われてみればそうかも」
僕は自嘲気味に笑った。
「最後に来たのって、何時でしたっけ?」
「さぁ?……3ヶ月くらい前に、可愛い子連れて来てたよ」
「そうじゃなくて、一人で来たの」
「あぁ、それなら………一年か…それくらい経つかな…」
「そっか…あの時は何で来たんだっけ」
「何か、大学で嫌なこと言われたとかなんとか言ってたぜ」
ああ、そうだった。
僕と土方さんの関係を知っていた子に、土方さんが女の人と歩いているのを見た、って言われたんだった。
「左之さん、よく覚えてますね」
「そりゃあ、あんなに繰り返し言われたらな、誰だって忘れないさ」
「あー、僕の悪酔い、ね」
「総司って、酔うとやけに絡んでくるからな」
左之さんは大して気にしていなさそうに笑った。
「でも、もっと酒癖の悪い連中をいっぱい相手にしてるし、総司なんてマシな方だぜ」
「む、何かその言い方ムカつく」
僕の言葉は無視されて、代わりに出来上がったカクテルを差し出された。
「はいよ」
「ありがとうございます」
浮いているチェリーを口に入れる。
「ん、甘ーい」
「そりゃあチェリーは甘いだろ」
「カクテルも甘いよ」
僕はグラスに口を付けながら言った。
「でも、かなり強いね、これ。ふらぁってなりそう」
「そりゃあ、ウォッカだからな」
僕はコン、とグラスを置いた。
「で、今日はどうしたんだ?一晩付き合ってあげっから、話してみろよ」
「うーん……」
「何だったか…ひ…ひじかた、さん、だっけか?」
左之さんが名前を覚えていたことに驚いたが、よくよく考えれば、僕はいつだってこの人に愚痴を浴びせかけているんだった。
嫌でも覚えてしまう、というやつかもしれない。
「そ。土方さん」
「はは。総司、ここに来る時は毎度それだな」
「そりゃあね、僕の青春のほとんどが土方さんだもん」
「その土方さんって人、一度でいいから会ってみたいもんだぜ」
左之さんの言葉に、僕はちらりと視線を上げた。
「…左之さん、多分会ってますよ」
「へ?」
今度は、僕の言葉に左之さんが目を丸くした。
「いつ!?」
「……ついさっき」
「…………まさか……」
思い当たる人物がいたのか、左之さんは僕を凝視した。
「多分、そう。左之さんが思い浮かべてる人が、土方さんですよ」
今まで散々土方さんのことを話してきたのだ。
その中には、土方さんがいかに容姿端麗かということも含まれている。
「これまた美人の女の人と一緒にいたでしょ?」
「あぁ……そうか…それで………」
左之さんは納得したように言った。
「こんな美男美女もいるんだなぁって思ったんだよな……そこだけ華やかというか…っあ、悪い悪い」
美男美女、という言葉につい傷ついた顔をしてしまったらしい。
左之さんが申し訳なさそうに僕を見た。
「……いいんです。どうせ事実だし」
「でも、総司だって十分綺麗な顔をしてると思うぜ?」
「そりゃまぁね。あの土方さんが好きになってくれた顔だからね」
憮然として言うと、左之さんは苦笑した。
「はは。総司らしいな」
僕はグラスを傾けてカクテルを一口飲んだ。
「でもね、結局あの人は、茶髪で悪くない顔なら、誰でもよかったんだなって……今日思った」
「茶髪?…あぁ、まぁ俺も総司の茶髪が好きだったけどな」
「僕はキライ」
土方さんとの思い出が濃すぎるから、嫌い。
「そういやさっきの女の人も茶髪だったっけか………っていうか総司、あれが誰だか知ってるのか?」
「…………うん。多分、彼女」
「多分ってどういうことだよ」
「はっきりとは言わなかったですけどね……見てれば分かったもん…」
左之さんはさっきの僕より吃驚したような顔をしている。
「まぁ、婚約はもうちょっと先なんだと思うんですけど…きっとそういう前提で付き合ってるんだと思いますよ?…昇進も決まって、順風満帆ってところですかね……」
「そうだったのか……総司、よく泣かねーな」
「泣く?……そんなの、女の人がすることですよ」
まぁ、自分でもよく泣かなかったと思う。
こうして左之さんに話している今だって、こんなにも胸が痛むのに。
「もし僕が泣き上戸だったら、今頃このお店は洪水になってると思いますけどね」
「総司………」
左之さんは僕よりしょんぼりした顔になった。
「あはは。何で左之さんがそんな顔をしてるんですか。悲しいのは僕ですよ?」
「いや、総司が悲しい時は俺も悲しいんだよ」
左之さんが言うと、きれい事もきれい事じゃなく聞こえるから不思議だ。
「そうですか?ありがとうございます」
「ていうか総司、土方さんに会っちゃったってことだよな?」
左之さんが慌てて聞いてきた。
「……うん。すぐそこで」
「そうだよな、入れ違いだったもんな」
「…僕、話しかけたりしちゃいけなくてすぐに姿を消すべきだったのに、できなかったんです」
「そりゃあ普通耐えられないぜ?何でそんな平気な顔してられんのかな」
「左之さんのお酒が美味しいからかな」
「は…口だけは達者だよな」
「まぁ…これからはここに入り浸るか、遊び癖が酷くなるかすると思いますけどね」
「あのなぁ……ここに来てくれるのは嬉しいけどな、あんまり遊び歩くのもどうかと思うぜ?」
左之さんは、僕がかなり遊んでいることも、その理由も知っている。
僕だって何度も違う女の子をここに連れてきたし、その度にちくちくと嫌みを言われたりした。
だけど左之さんも、毎日放浪して、とっかえひっかえ女の子と寝ていることまでは流石に知らない。
きっと、知ったらひっくり返っちゃうんじゃないかな。
「大丈夫ですよ…悪いようにはしませんし」
ていうか、これ以上悪いことにはなり得ないだろう。
「僕は、あの人が忘れられないだけですからね」
「……好きだな」
「好きですよ。僕は。今でも」
「そんなに好きなら、なんで別れたんだよ」
「だって……」
僕はカクテルグラスをじっと見つめた。
「だってあの時は、あぁするしかなかったんだもん………」
土方さん。
忘れられない、僕の大好きだった人。
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