震えながら立っていると、土方さんがつかつかと歩み寄ってきた。
「総司、久しぶりだな」
「ぁ………」
「……元気にしてたか?」
「…ぇ」
土方さんはごく普通のトーンで言った。
まるで、僕らの間には何一つなかったかのように。
もっと、怒るとか詰問するとか、何かしら激しい反応を覚悟していた僕は、その何でもないような様子に拍子抜けすると共に、悲しさに身を震わせた。
「元、気……」
元気なのかな。
そりゃあ元気なんだろう。
毎晩ほっつき歩けるほどには。
「元気、だと思います……あの、……土方さん、は?」
「俺は見ての通り、ピンピンしてるぜ」
「あぁ、そぅ……それなら………よかった、です…」
相変わらず、土方さんは淡々とした態度。
僕には訳が分からない。
もう、僕には無関心、ってこと?
「それより、お前どうしたんだよ」
「…は……?」
何のことだか分からずに土方さんを見やると、少し不機嫌そうな顔で見つめ返された。
「その頭」
「へ?あ、頭?」
「何で髪が黄色いのかって聞いてんだよ」
「あ、ぁ……」
元々の僕の髪は、染めてもいないのに茶色く脱色したような色をしていて、おまけにかなり強い癖のある猫っ毛だった。
それを僕は酷く嫌っていた。
でも、土方さんは好きだと言ってくれた。
優しく撫でて、梳いてくれたりもした。
でもそんなのは過去の話だし、僕は自分の髪が嫌いだし、髪を見る度に思い出すのも嫌だから、仕方なく染めに行った。
すっごく明るい色に。
金髪に近いんじゃないかなって思う。
いつもより更に長く伸ばした黄色い髪はワックスで立てて、夜の繁華街に溶け込めるようにしていた。
「これは……、あの、彼女が、きんぱがいいって…言うから」
真っ赤な嘘で塗り固めた。
そうすれば、自分を守れる。
「そうか…おかげで誰だか分からなかったじゃねぇか」
僕は、一目で土方さんが分かったのに。
「お前、幾つになった」
「…今度の7月で22です」
1日に二度も年齢を言う羽目になるとはね。
「そうか…最後に会った時はまだ未成年だったのにな……こんなにでっかくなりやがって。大学は楽しいか?」
まるで深刻な話を避けるかのように、他愛のないことばかり聞いて、核心には触れようとしない。
「上手くやってます、よ…それなりに……土方さんは?会社…どうですか?」
懐かしい。
この声も、この表情も、何もかも。
前と何も変わらない。
「あぁ……今度役員に昇進することになった。それから、海外の子会社も一個任せてもらえるかもしれねぇ」
あぁ……そうか……
何もかもが順調なんだ…
だって、まだ三十過ぎでしょ?
それで役員、おまけに社長なんて……本当に優秀なんだな、と土方さんを見上げた。
本当に、僕の手なんか…とてもじゃないけど届かないくらいに。
よかった、と心から思う。
僕という犠牲の代償は、できるだけ大きくなくちゃいけない。
「そ、それは…おめでとう……ございます」
「ありがとな…今夜は祝宴だったんだ」
え?と思って顔を上げる。
祝宴なのに、二人?
僕はギクリとした。
「あ、…ぁの、あの方は……」
僕は、遠くから僕たちを不安そうに眺めていた女の人を見やった。
すると、土方さんがくるりと振り返ってその人を見た。
聞きたくない………
聞きたくないけど、聞かずにはいられない。
「……あいつはな、俺の……」
ぴきり。
胸が音を立てる。
あぁ、割れる。
砕け散る。
壊れそうだ―――……。
気付いたら、僕は続きを言おうとする土方さんを遮っているところだった。
「あ、あぁ、そっか…言わなくていいです、よ。見れば分かります」
「はぁ?お前、何勝手に納得してんだ」
いや、言われなくても分かる。
俺の、と来たらもう続きは彼女か婚約者か妻か、しかないだろう。
女の人は、相変わらず不安そうにこちらを眺めていた。
僕はそれを凍り付いた目で見つめる。
「そ、っか……」
可愛い人だった。
僕よりは絶対年上だけど、可憐で、華奢で、茶髪で、……
僕が失くしてしまったものを、全部持っていた。
悔しいくらい、土方さんに、よく似合うと思った。
泣くもんか。
震える声が恨めしい。
「……ったく…」
すると、何やら深々と溜め息を吐いた土方さんが、その女の人を手招きした。
「紹介する。こいつは沖田総司だ」
「あぁ、あなたが沖田くんなのね」
「……え?」
「よく、歳三さんから話を聞くわ」
「はなし?」
「歳三さん、あなたの家庭教師をしていたんでしょ?」
「あ…は、はい、そうです、けど…」
「馬鹿。んなことここで話すなよ」
"歳三さん"という、とうとう僕は呼べなかった名前を聞いて、ぎゅっと胸が痛んだ。
それに気を取られているうちに、家庭教師という古い話を持ち出され、僕はすごく混乱した。
僕は………もう消えるべきだ。
これ以上、この二人の邪魔をするわけにはいかない。
大体、土方さんの前には、もう二度と現れちゃいけなかったはずなのに。
早く……早く立ち去ろう。
でも、その前に一つだけ、どうしても聞きたいことがあった。
「土、方さん………」
震えそうになる声を必死で抑えて、僕は聞いた。
ずっと、ずっと聞きたかったこと。
「今、しあわせ……です、か…?」
全て土方さんの幸せのためだったんだから、答えはイエスじゃなきゃ困る。
「ん……まぁ、な…」
なのに、どうして?
どうして土方さんの言葉に喜べないの?
こんなに胸が苦しいの?
自分という犠牲が功を奏したんじゃないか。
よかったって笑ってあげるべきなのに。
ダメだ……笑うどころか、泣いてしまいそうだ………。
「あ、あの、お二人とも、すごく……その…お似合い、だと思います」
僕は渾身の力を振り絞って、精一杯笑って見せた。
すると、土方さんも女の人も驚いたような顔になった。
僕が褒め言葉を口にするなんて、意外だったのかな。
「…お似合い?」
「はい」
大丈夫。
虚偽の微笑みなら作りなれているはずなんだ。
「おい総……」
「これ以上お邪魔したら悪いから、僕もう行きますね」
「行くって、総司お前、こんなとこで何してたんだ?」
「…ほら、土方さんは祝宴の続きをしなくちゃ」
「総司!」
「二人とも、どうぞお幸せに」
僕は丁寧に別れを告げると、素早くその場を離れた。
土方さんは何度か僕のことを呼んでいたが、やがて諦めたようで何も聞こえなくなった。
暫く歩いてから、バーの前に戻る。
そこに、もう二人の姿はなかった。
「‥‥‥っ」
なんて日だ。
大体、どうして土方さんがこんなところにいるんだ。
会わないように、わざわざ引っ越したのに…。
総司と名前を呼ばれる度に、心臓が跳ね上がった。
でも、それももう二度とないだろう。
いや、あってはならないことなんだ。
もう嫌だ。
何もかも忘れてしまいたい。
僕は重たい扉を開けて、バーに入った。
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