きみのね | ナノ
咄嗟の嘘

「よ」
「あ、おはよう」

午前6時。
毎日運動もせずに寝まくってるもんだから、早くに目が覚めてしまった。
することもないので、あの場所へ向かう。

名前と出会ってからもう2週間が経とうとしていた。
オレは順調に回復し、もう退院出来ると医者に言われた。
腕の方も大分くっついたらしい。
全身に広がる打撲や青あざはうっすらと影を残してはいるものの、そちらの心配もあまりしなくてよさそうだ。

あれから、何となくこの中庭で名前と話すのが惰性化してきた。
話していて感じるのは、名前は至って普通の女の子だ、ということだ。
彼女からしたら失礼な話かもしれないが、最初に感じたあの神々しさも、今は全くと言っていいほどに感じない。

名前は決まっていつもオレより先にここへ来ている。
今日もそれは変わらず、庭に出ると木の下に彼女は座っていた。

「早いな。」
「目が覚めちゃって。」

もう春なんだね。
そう言って名前は庭の中心にある、円い花壇を見つめた。
朝露が葉を濡らしている赤いチューリップが目に入る。

花なんて、久しぶりに見た気がする。

「ええ?勿体無いなあ。」
「忙しかったからな。」
「そっか。羨ましいな。」

……羨ましいな
名前が小さくもう一度呟いた。
チューリップに注いでいた視線を彼女へと移す。
名前は遠い目をして微笑んでいた。

「"忙しい"なんて、懐かしい響き。」
「そう言える方が羨ましいよ。」
「どうして?」

"どうして"?そんなの当たり前じゃないか。
目まぐるしい毎日を送って、体は疲れ果てて。
あれも出来なかったこれも出来なかったと嫌悪巻に包まれて眠る。
それの繰り返しだぞ。

「でも、そんな日ばかりじゃないでしょ?」
「え」
「充実感に満たされて、ベッドに入れば直に眠気が襲って来て、抗おうと思っても瞼は言う事を聞かない。深い深い眠りに落ちて、次の日はまたぱっちり目覚める。いいなあ。」

くすくすと名前は笑う。そんな彼女に木の影が掛かって来た。
その姿に、何故がオレは恐怖心を抱く。

そんなこと言うなよ。
そんな、他人事みたいに。

「お前だって退院すれば、あっという間に忙しくなるだろ。」

そう言うと、名前は目をまんまるくした。
何か可笑しなこと言ったか、とむうと口を尖らせて問いただせば、
名前は途端に吹きだした。

「なっ!!」
「あははは!いや、何でもない。そうね、確かに、そうだったね。」

整っている白い顔を上気させながら彼女は笑う。
その笑顔にオレは安堵のため息を漏らした。

どうやら日は高くに登って来たようで、くっきりとした陰が地面から姿を現した。





「はあ、もう。」

兄さんの病室に行ったのに、案の定中はもぬけの殻だった。
あの破天荒な兄の事だ。何処かで面倒事を起こしてなければ良いものだが。
この鎧姿は少々(だと思いたい)目立つ様で、道行く人からの視線が痛い。
早々に兄さんを見つけ出さねばと、片っ端から看護婦さんに聞いて回った。

「ああ。その子なら多分中庭よ。いつも女の子と一緒にいるの。」

女の子?
この病院の患者さんだろうか。それにしても、兄さんが女の子と一緒に、ねえ・・・

中庭はそんなに広くないから、直に探し人を見つける事が出来た。
それはあちらも同じの様で、兄さんはボクの名前を叫んだ。

「アル!」
「やあ兄さん。部屋にいないから探しちゃったよ。」
「・・・エドが、お兄さん?」
「ああ名前、紹介するな。オレの弟のアルフォンスだ。」

兄さんの隣に、女の子が座っていた。この子が例の。
兄さんがずっと一緒にいるっていうからとんだお転婆娘だと勝手に思い込んでしまっていたことを謝罪したい。
彼女はボクが想像していたよりもずっと華奢で、ずっと弱弱しかった。
兄さんが名前と呼んだその女の子はアルフォンスさん、と数回呟いた。
・・・ボクの名前を覚えようとしてくれているのかな。

「こんにちは。アルフォンス・エルリックです。アルでいいよ。」
「アル。名前・フューストです。」
「よろしくね。」

名前はボクの眼をじっと見つめていた。大きな黒い瞳がボクのそれを捕えて離さない。
ボクは急に恥ずかしい気持ちが込み上げて来て、兄さんに視線を移した。
しかし兄さんの視線はボクと交わることはなかった。
兄さんは名前を見ていたから。

ふうん、成程。

「アル、鎧、重くないの?」

いきなり名前を呼ばれたもんだから、少々驚いてしまった。
視線を彼女へと移すと、凛とした瞳に再び捕えられる。

「ああ。・・・そうだね。でももう、慣れちゃったかな。」
「・・・そうなんだ、」

咄嗟に嘘をついた。
名前は軍の人間じゃないんだし、別に言っちゃ駄目って訳じゃないんだけどね。
でもこういうことってあんまり人に言いふらすもんじゃないとボクは思っているし、実際問題、聞いていい気分になる様な話じゃないし。

そんな言い訳を並べてみて吟味してみる。
違うんだ。いや違わないけど、もっと他に理由がある。

彼女の眼があんまりにも綺麗だったから。
ほら、小説とかでさ、よくあるじゃない。
"自分の考えていることが見透かされている様な瞳"ってやつ。
ボク、あれは比喩表現として固まりきっちゃってる物で、実際そんな人にはあったことないし、物語の中だけの表現なんだろうなあってずっと思ってた。

でも、今目の前にあるのがまさしくそれなんだって思う。分かる。
でも実際、人は人の心を覗くことは出来ない。
理論では分かってるのに、ボクはもしかしてこの子は、とか考えてしまうんだ。
人間離れした様な白い肌と、くっきりとした黒い髪と目。
そのコントラストがボクの眼を麻痺させているのだろうか。

儚くて、今にも消えてしまいそうな恐怖心から逃れる為に、ボクは咄嗟に嘘をついた。しかし、その恐怖心は直に消える事になる。

「・・・アル、エドを探してて疲れたでしょ?私はもう戻るから、よければ座って。」

名前がボクの腕を引いて、自分が座っていた木陰に腰を落とさせた。
彼女はとててと小走りをする。

「またね!」

振り返って、彼女は笑う。
単純な動作なのに、どうしてこんなにも惹かれるのだろう。
何とも言えない神々しささえ伺える。
名前はその後一瞬だけ花壇に咲くチューリップを見つめてから、建物の中に消えてしまった。

彼女の表情が脳裏に蘇る。

最初に見たときのあの純粋に"誰?"という表情をした名前。
次に見せたのは、鎧姿に違和感を覚えたのか、訝しげな顔。
最後に見せた、満面の笑顔。

ボクは頭がぼうっとしていて、兄さんに名前を呼ばれるまで夢見心地でいた。

「・・・なんだか、不思議な子だね。」
「そうか?」
「兄さんはあの子が好きなの?」
「はあ!?な、すきっつーか、え、は、は、なあ!」
「意味分かんないよ。」

ふっと笑ってみせると、兄さんは頬を膨らませてこっちを睨みつける。

「なんだか分かる気がするなあ。」

兄さんの気持ち。






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