続・秘密の眼鏡

 青春学園硬式テニス部、山の合宿の最終日の夜。
「やっぱ、怪談だよな」
 誰が言い始めたことだかわからないが、大部屋に集まった部員達は部屋の真ん中に置いた蝋燭を囲んで円形に座り、ひとりひとりが体験した、もしくは誰かから聞いた怖い話をしていった。
 俺、海堂薫から左回りに、桃城、越前、菊丸先輩、大石先輩、河村先輩、不二先輩、手塚部長、そして乾先輩。話す順もその通りだった。
「これは、俺の曾祖母から聞いた話だが…」
 最後の語り手の乾先輩が、低く静かな声で、話し始める。
「祖母の友達に、普通の人には見えないものが見える女の人がいました…つまり、彼女は生まれた時から、死んだモノが見える目を持っていた…」
 明かりを反射する先輩の眼鏡に、蝋燭が赤く揺れている。とても雰囲気があって、みんな息を飲んで乾先輩の話に引き込まれているが、俺は何か引っ掛かることがあって、それを思い出そうとしていた。
 何だったろう。
 何か、俺は知っている気がする。
 俺は腕を組んで考え始めた。今まで散々話を聞いて、いい加減疲れてちょっと頭も痛くなってきてたから、最後の話くらいまともに聞かなくてもいいだろう。
 それよりも、俺は考えた。俺は何かを忘れているようだ。
「…彼女は、みんながそれを見ているものだと思っていたから、それが特別な事だとは知らなかった。
しかし保育所の砂場にいるとき、割れた眼鏡をかけたオールバックのインテリジェンスな紳士と話をしていたら、保母さんに気味悪がられたんだ。
『さっちゃん、どこを見ているの?どうして空に向かって一人でお話ししているの?あっちでみんなと鬼ごっこをして遊びましょう』。
保母さんは彼女の手を引いて砂場から立たせると、子供達のいる広場へと連れて行った。
彼女は保母さんに引きずられながら、振り返ってその男を見た。男は彼女をじっと見ていた。先に彼女に『一緒に遊ぼう』と誘ったのは、その男だったからだ。
彼女は心の中でその男に『ごめんなさい、さようなら』と言った。するとその男は砂場からいなくなった。どこかへ立ち去ったのではなく、すうっと姿が消えたという表現が正しい。だがそれはよくあることなので、彼女は特に気にしなかった。
それから彼女は友達と一緒に鬼ごっこを始めた。鬼がひとりいて、その鬼が触れたものはその場で動けなくなり、鬼以外のものに触られ助けられるとまた動けるようになる、という遊び方だ。
じゃんけんで、足の速い男の子が鬼になったので、彼女はあっさりと鬼に触られ、動けなくなった。彼女は黙って立ったまま、鬼や逃げ回る子供たちをぼんやりと見ていた。
その時、ぽんっと、彼女の肩に誰かが触った。気付かなかったが後ろから誰かが来て、自分を助けてくれたのだろうと思い、彼女は走り出した。しかしすぐに、鬼がまた彼女を捕まえた。そして鬼は言った。
『ダメだよさっちゃん、誰にも触られていないのに動いちゃ!』
彼女は、それは違う、誰かが私を助けてくれた、と言おうと後ろを振り返った。
すると、先ほどまで彼女がいた場所には、さっき砂場から消えた男が立っていた…」
 最後の話が終わって、乾先輩は蝋燭の明かりを吹き消した。
「ギャーーーー!!!」
「うわああーー!!!」
「こわっ!マジこわっ!!」
 乾先輩の話が終わった直後、菊丸先輩の悲鳴と、それにつられた大石先輩の悲鳴。他のみんなも口々に、乾先輩の怖い話を褒めていた。
 が、俺はまだ何かが引っ掛かっていたので、話もろくに聞かず腕を組んでずっと考え込んでいた。すると桃城が、俺の裾を引っ張った。
「ちょっ、怖くなかったのかよ今の話?」
「ん?ああ…悪いな、聞いてなかった」
「えー!聞いてにゃかったのかよ海堂ー!つまんないヤツだにゃあ〜こうしてくれる!エイッ!」
「ブッ!!ちょっ、英二先輩!枕投げるならちゃんと海堂に当てて下さいよ!俺に当たったじゃないッスか!」
「おっと。モモこそ、ちゃんと英二に投げ返さないとダメじゃないか、よっ!」
「…大石、わざとか?」
「ああ!ごめん手塚!!」
「大石副部長も、まだまだッスね」
「はい。タカさん、枕」
「え?不二……おっしゃあ!!今夜は寝かせないぜベイビーたち!バーニーング!!」
「うわあ!タカさん枕でも燃えちゃうんスか!?」
「…ちょっと、海堂」
「何スか乾先輩?」
「眼鏡に枕が当たると危ないから、俺は部屋を抜けるけど、お前も一緒に来ないか?」
「いいッスよ」
 枕が飛び交う大部屋から、俺と乾先輩はそっと抜け出そうとした。
 しかしそれに気付いた部員達が、乾先輩に一斉に枕を投げはじめる。
「いち抜けはずるいぞ乾ー!」
「合宿醍醐味を体験しなくて、何が合宿だ!!」
「うおお!先に行け海堂!!」
「ッス!!」
 予想通り、枕に当たった眼鏡を床に落としたまま、乾先輩は俺のあとについて部屋を出た。
「帰ってきたら覚えてろよ2人ともー!」
「もう部屋に入れてやらないからなー!」
 部屋の中から聞える声に笑いを噛みしめながら、眼鏡を失った先輩は俺を見下ろした。
「大丈夫ッスか?」
「まあ、アレは多少踏まれても頑丈なものだからね」
「じゃなくて、眼鏡なくて、動けるんスか?」
「アレ?本当は目が悪くないって、前に言わなかったっけ?」
 乾先輩が笑った。
 急にそれを思い出した俺は、背筋が凍った。
 そうだ。乾先輩の裸眼は2.0で、あの眼鏡は、見えすぎてしまうものを見えなくするためにかけていると、俺は前に聞いた。
 聞いたけど、嘘っぽかったし、信じられなかったから、忘れていた。
「もしかして、俺が忘れろ、って言ったから本当に忘れてたのか?」
「…だって、嘘なんだろ?」
「うん。嘘だよ。また忘れていいさ」 
 先輩の手が、俺の頭の上にポンと乗る。
 まとわりついていた不安が和らぎ、少し落ち着いた気分になった。
「本当に、海堂は呼びやすいよなあ…」
「何がッスか?」
「何でもないよ。さて、ほとぼりが冷めるまで散歩でもしないか?」
 俺の頭の上にあった先輩の手が、頬に、首に、肩に、腕に流れて、手を掴む。
 その手付きがやらしくて、俺は思いっきり先輩を睨み上げた。
「散歩、だけなら」
「うん。散歩、だけね」
 乾先輩が歩き始めて、俺はその手を引かれる。
 ふと、さっきの話を思い出した。
 手を引く保母さんと、引かれる女の子。
 俺は後ろを振り返った。
 でも俺のいたところには何もない。
「大丈夫だよ海堂。そこにはもう、誰もいないから」
 少し前を歩く乾先輩が、優しい声でそう言った。
 だから俺はもう後ろを振り返れなくて、離れないように先輩の手を強く握り締めた。



【end】

【再録】物書きさんへ100のお題より、78題目【鬼ごっこ】をイメージした話。また、秘密の眼鏡の続編です。
ホラーすぎると書いている本人が怖いので、ほのぼの甘めホラーで!



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