秘密の眼鏡

 それはなんとなく思いついた質問で、まさかそれがあんな事になるとは思ってもみなかった。

***

 今日の午後。
 映画館でクソつまらない映画を見ていた俺は、スクリーンの光に逆光している先輩の眼鏡を見て、思わず「見づらくないですか?」と小声で聞いた。
「なんで?」
「だって、すごい光が反射しているから…」
「それは海堂から見たからであって、俺の目にはちゃんと映画は見えているよ」
「そういえば先輩って、いつから眼鏡かけているんですか?」
「小学校に入る前からかな?」
「じゃあ、ずっと目が悪かったんすね」
「…海堂、実は俺、本当は目が悪くないんだ」
「は?」
「裸眼の視力、2.0なんだ」
「嘘だろ?じゃあなんで眼鏡かけてんだよ?」
「理由、聞きたい?」
「もったいぶってねえで、早く言えよ」
 乾先輩は重そうな黒縁の分厚い眼鏡を外して、俺の手に乗せた。
「普通の眼鏡と違うだろそれ?」
「そうッスね。重いし厚いしダサい」
「俺もさ、好きでそんな眼鏡をかけているわけじゃないんだ。仕方なく、かけているんだよ」
「なんでッスか?」
「俺の目が、特殊だから」
「特殊?」
 眉間に皺を寄せて、俺は目を凝らして暗がりの乾先輩の瞳を見た。
 時々スクリーンの光に反射するぐらいは、特に変わったところのない、乾先輩の目だ。
「どこがッスか?」
「見た目は普通なんだけど、俺の目には普通の人には見えないものが見えるんだ」
「オカルト…ッスか?」
「まあ、そんな感じかな?」
「ああ、いいッス、もう言わなくて」
「怖い話は嫌い?」
「嫌いじゃねえよ、バカ」
「小心者だな、海堂は」
「違うって言ってんだろ」
「じゃあ続きを話してもいい?」
「…ッス」
「俺の目は生まれた時から、死んだモノが見えるんだ」
「へえ」
「最初はみんなそれが見えているものだと思っていたから、俺はそれが特別な事だとは知らなかったんだけど、保育所の時に砂場で割れた眼鏡をかけたオールバックのインテリジェンスな紳士と話をしていたら、保母さんに気味悪がられてね」
「それは…気味悪いッスね」
「あの紳士は保母さんに見えてないんだと気付いてすぐに、俺は両親にその事を話した。子供だったからね、自分の両親は自分と同じ目を持っていると思った」
「じゃあ、先輩の親も…?」
「いや、両親は普通の目だったよ。でも母方の曾祖母が、何ていうかソッチ系の人でね。だから両親は俺の目が特別である事を知っても、たいした驚かなかったなあ」
「俺の母さんだったら、失神するだろうな…怖い話嫌いだし」
「そうかもね、菜摘さんだったらあり得る」
「人の親を名前で呼ぶなよ。恥ずかしいだろ?」
「ごめんごめん。で、それからなんだけど、俺はその母方の曾祖母に会いに、母に連れて行かれたんだ」
「へえ」
「そこでこの眼鏡を貰った」
「なんでッスか?」
「それは死んだモノが見えないっていう、特殊な眼鏡なんだ」
「マジっすか?」
「マジだよ。その弦は霊力の篭もった金属で出来ていて、レンズも水晶球から出来ている」
「うわ…」
「だから曾祖母に貰った時から、俺はその眼鏡をかけているんだよ」
 全てを話し終わったという感じで、先輩はにっこりと笑った。
「信じた?」
「はあ?」
「まさか、胡散臭いこんな話信じないよな、って思って」
「どういう事ッスか?」
「海堂、キャッチセールスとか霊感商法に将来ひっかからないように気を付けた方がいいよ?」
「全部嘘かよっ!」
 俺はここが映画館だという事を忘れて怒鳴ってしまった。
 周囲に座る幾人かのつまらない映画の観客が、俺たちに非難の目を向けてきた。
「聞いた時間が無駄だった…」
「だってこの映画本当につまらないからさ。俺の話の方が面白かっただろ?」
「もういい。帰る」
「あ、ちょっと海堂!眼鏡!」
「もうアンタと映画なんて一生見ねえ!!」
 俺は立ち上がると先輩に向かって眼鏡を投げつけてから、さっさと会場から出た。
「ちょっと待ってよ海堂!」
 先輩は眼鏡を握り締めると慌てて席を立ち上がり、俺の後を追いかけてきた。

***

 寂れた映画館のホールには、売店の定員以外誰もいない。
 蝶番が錆びたガラス戸を押して、俺は外に繋がる階段を足早に下りた。
「待ってってー!」
 ビルの外まで出たところで、先輩は俺の手を捕まえた。
「ホラ吹き野郎」
「ごめんって。何か奢るから、許して?」
「お腹空いた」
「モスでいい?」
「いいッスよ」
「OK。それじゃあ行こうか」
 モスのある方向へ歩き出す前に、乾先輩は映画館の入ったビルを1回見上げて、そして眼鏡をかけた。
「どうしたんすか?」
「いや、なんでもない」
「なんか、つまらない映画でしたね?」
「そうだね。忘れよう。それより俺もお腹空いたな。早くモスへ行こう」
 乾先輩は笑顔で振り返ると、俺の肩を抱いて歩き始めた。
「人前でいちゃつくんじゃねえ!」
 と言って、俺は乾先輩の鳩尾に拳を入れた。

***

 家に帰ってから、俺は家族の団欒で寂れた映画館でつまらない映画を見た事を話した。
「つまらないって、何て映画だったの?」
「覚えてない。知らない名前だった」
「兄さん、知らない映画を見に行ったんですか?」
「ああ。何となく」
「それにしても、そんな所に映画館なんてあるのね。知らなかったわ」
「母さん。確かあの辺に、何年か前に火災を起こしたビルがなかったか?」
「そういえば、そんな事ありましたね」
「あの火災は放火で、ビルの中にいた十数人が亡くなった筈だ…薫。あの辺は物騒だから、あまり行かない方がいいぞ」
「そうね、そうした方がいいわ」
「おや?なんか顔色が悪いですよ兄さん?」
 背中に冷たいものを感じながら、俺は「なんでもねえ…」と喉の奥から震えた声を捻り出した。



【end】

【再録】ぷちホラーな乾海。たまにはこんなのもいいかな?と。

ネタを思いついたのは、風呂で眼鏡を外している時でした。私かなり目が悪いので、眼鏡が無いとぼやけて何もわからないのね。そのわからない視界の中に、本当にわからないものがあったらなんかヤダなー怖いなーと思ったんですよ。



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