続々・秘密の眼鏡

【このメールを見た者は30分以内に3人に転送しろ】

風呂上がりの海堂がソファの上に置いといたスマホのメールを確認すると、ありきたりなチェーンメールが1件届いていた。そのメールには動画が添付されている。おそらく幽霊物か、もしくはAV物だろうと、今までの経験から海堂はそう推測した。
誰かに転送するつもりは無いが、海堂は単なる好奇心でその動画を再生した。


***


 夏休みも終わりに近い、青春学園硬式テニス部のコートでは、宿題を計画通りに終わらせた生徒のみが部活をしていた。
 全国大会が終わって引退した3年生も、身体が鈍らないように部活に参加している。
「よし、次は1・2年全員総当たり戦の試合をするぞ!」
 元副部長の大石が、部長代理で部員に指示をする。今日の練習に、元部長の手塚は痛めた肩の療養で、現部長の海堂は無断欠席していた。
「珍しいよね、海堂がサボるなんて」
 コートから出た不二が、近くにいた乾に話しかける。
「電話には出ないし、メールは返事してくれない」
「もしかして喧嘩した?」
「いや。昨日の夜9時頃に電話した時は繋がった。風呂に入るから、と電話を切ったのが10時頃だったかな」
「1時間も何話してるの?」
「内緒。でも電話を切った時は、海堂の機嫌は悪く無かった」
「ふーん」
「風邪ひいて寝込んでいるのかもしれない。帰りに海堂の所に寄って、様子見るよ」
 不二との話はそこまでにして、乾はデータをまとめているノートを開き、書き込みを始めた。
 しかし今日は集中できず、乾のペンはほぼ止まったままだった。



 午前中の練習が終わると、乾は午後の練習に参加せず、海堂家へ向かった。
 途中で何度か電話とメールをしたが、電波が無いか電源が入っていないようで、反応は無いまま。
 無意識に急ぎ足になっていた為、海堂家には到着予想時刻より5分早く着いた。
 少し上がった息を整えてから玄関の呼び鈴を押すと、海堂の母親が迎えてくれた。
「あら、乾くん」
「こんにちは。薫くん、今日の部活を休んでますが、どこか具合が悪いんでしょうか?」
「あらあら、部活あったのね。薫くん、朝から起きて来なくて…何度か声をかけたんだけど、寒くて頭が痛いって。でも病院には行きたくないみたいで、部屋から出て来ないのよ」
 心配そうに顔を曇らせる母親に、乾は薬局で買える頭痛によく効く薬の名前を教えてあげた。
「よかったら俺が買ってきましょうか?」
「あら、そんなの悪いわよ」
「じゃあおばさんが買いに行きますか?俺が買い物の間、薫くんの様子見ててあげますよ」
「あら、そうね。他にもちょっとお買い物したいから、少しお願いしてもいいかしら?」
「勿論です」
 乾は海堂家に上がり、母親が買い物へ行くのを見送り、海堂の部屋がある2階へ繋がる階段を見上げた。
「さて」
 乾は眼鏡を外し、畳んで胸ポケットにしまった。すると階段の奥へ向かって、視界が黒く歪んでいた。
「…参ったな」
 ボサボサの頭を掻いて、乾は踵を返して台所へ向かった。
 買い物へ出かける前に、母親が乾の為に用意してくれた麦茶を捨てて、コップに水を汲み直す。そして調味料棚から塩を探し、コップの中にそれを入れて塩水を作った。
 コップを左手に持った乾は、再び階段の前に立ち、声をあげた。
「海堂ー!乾だ!今からそっちへ行くからなー!」
 乾が階段を上り始めると、2階で黒く歪んでいた視界が治った。しかし海堂の部屋のドアだけは、どれだけ近づいても暗く、歪んでいるように見える。
 乾はコップの中に右手の人差し指と中指を入れて、それからその2本の指で空中に円のような図形を描く。
「開けるぞ!」
 再び大声を出すと、ドアは急に輪郭が鮮明になり、乾はすぐにドアを開けて部屋に入った。
 カーテンと窓を閉め切った海堂の部屋は、乾が遊びに来たときと同様に綺麗に片付けられているが、エアコンを切っているらしく酷く蒸し暑い。
「海堂!大丈夫か!?」
 その締め切った部屋の真ん中にある、ソファの上で海堂は体育座りをしていた。横には海堂のスマホがある。
「海堂!海堂!」
 乾はソファに駆け寄り、海堂の正面から肩を揺さぶると、海堂は顔を上げ、虚ろな瞳で乾を見た。
「乾…先輩?あれ?眼鏡かけてない…」
「真夏にエアコン無しで窓も締め切るなんて、熱中症になるぞ馬鹿!早くこれを飲め!」
 乾はコップを海堂の口に充てて、口の端から水が零れさせながらも飲ませた。
「なんか、しょっぺぇ…」
「塩水だからな。砂糖も入れると、立派なイオン水になる」
 乾は海堂の部屋のカーテンを開け、窓を全開にした。外の空気も暑いが、部屋の中よりは若干涼しい。
 部屋のドアも開いたままなので空気や部屋の中を通り抜けて、篭っていた嫌な熱気がだんだん薄れていく。
 エアコンはとりあえず除湿にして運転開始すると、室内温度は38度になっていた。
「暑くなかったのか、海堂?」
「昨日、風呂から上がった後からすげぇ寒くて頭痛くて…」
 確かに、これだけ暑い部屋にいたにも関わらず、海堂は青白い顔をしていて腕には鳥肌が立っていた。
「水風呂にでも入ってたのか?」
「いや、普通の風呂ッス…」
 と、その時。
 ソファの上にあるスマホに着信があり、海堂は明らかに身体を震わせて、それを手に取った。
「何?メールか?」
「…はい」
「そういえば、俺もメール送ったけど、ちゃんと届いてるか?」
「いえ…昨日からメールは、チェーンメールしか届いてないッス」
「チェーンメール?どんな?」
「み、見るんじゃねえ!!」
 画面を覗き込もうとした乾を、海堂は思わず突き飛ばした。しかしすぐに後悔の色が顔に現れると、まるで堰が切れたように泣きはじめた。
「大丈夫か海堂!?俺は大丈夫だよ、ビックリしたけど痛くないし!それよりお前が大丈夫か!?」
「すみません…すみません…」
 泣きじゃくった海堂は、会話が出来ないくらいに動揺していた。
「もしかして、そのチェーンメールに何か原因があるのか?ちょっと見せてもらっていいか?」
 出来るだけ優しく話しかけ、乾は真っ黒い海堂のスマホを手に取り、今来たばかりのチェーンメールを見た。

【あと9時間でお前は死ぬ】

 本文はそれだけ。その下の画像が表示されている。
 深夜のように暗い部屋に置かれたソファとその上に座っている海堂。それからその後ろに日本刀のような物を振りかぶった、薄気味悪い男が立っている。その刃は海堂の頭から30cmくらいのところで止まっていて、このまま振り下ろされると確実に首が切らるように見えた。
「あれ、このソファって…」
「俺のソファと一緒です」
 最近新調したと話していた、いま海堂が座っているこのソファ。アンティークショップで一目惚れしたのを、貯めていたお年玉で買ったはずだ。
「最初のメールは動画でした。ソファに座っている女を、刀を持った男が後ろから首を切るっていう…すげえリアルで気持ち悪くて、すぐにそのメール消したけど、その30分後にまたメール来て、【あと24時間でお前は死ぬ】って書かれてて、写真が俺になってて…」
「なるほどな」
 ボサボサの頭を掻いた乾は、海堂が持っていたコップを取り上げると、残っていた塩水を全てソファの上の置いたスマホにかけた。
「ちょ、乾先輩!何してんスか!」
「すまん海堂。手が滑った。ソファも濡らしてしまったな。何か拭くものをくれ」
「あ、はい。ちょっと待ってください、いまタオル出します」
 乾に催促されて海堂がソファから下りると、乾はソファの手前の2本の足を掴み上げ、後ろへ倒した。
「ちょ、何してんすか!?」
「おや?見ろ海堂。ソファの底が少し破れているぞ」
「ああ、ほんとッスね」
「これは後から張った布なんじゃないかな。おっと、手が滑って布が剥がれてしまった」
 破れていた部分に指を入れ布を裂くと、ソファの基礎となる木の枠組みに、真っ赤に錆びた日本刀のような物が刺さっていた。
「うわっ!!」
 それを見た海堂が尻餅をついて後退りした。しかし乾は動じた様子が全く無く、胸ポケットにしまってあった眼鏡を取り出し、それをかけてから海堂に振り返った。
「これは酷い不良品だな。このソファは、販売元のアンティークショップに引き取ってもらおうか。手続きは俺がしてあげるよ。店の電話番号わかるか?」
「あ、はい。納品書に確か…え?何スかこれ!?つうかこれ、もしかしてあの写真の刀じゃ…」
「昔々、このソファは快楽殺人鬼の持ち物でした。殺人鬼はこのソファの
上で何人もの女性を殺しました。殺人鬼は凶器をこのソファに隠して、自らもこのソファの上で死にました…なんて、怖い想像してる?」
「あの、そう、なんスか?」
 ガタガタと震え涙目で見上げる海堂を、乾は興味深そうに見ていた。
「なるほど。実はかなり怖がりなんだな、海堂。これは良いデータが取れた」
「え?」
「しかし駄目だぞ海堂。怖い話に振り回されて部活をサボるなんて。手塚がまだ部長だったら、グランド10周じゃすまない確率100%だ」
「だって、1時間毎に俺の写真がメールで…」
「あの写真は、本当に、海堂だったのか?」
 乾は海堂の前で膝を付き、海堂の頭を右手で撫でた。
「お前と髪型が似た、全く違う人物だったように俺は見えたぞ」
「はあ…」
「最初のメールを開いた時に、スマホがウイルスに感染したのかもな。指定されたメール以外を受信拒否してしまうような…まあ俺が水をかけて壊してしまったから、確認は出来ないが」
「あ、そうだ!俺のスマホ!!」
「すまん。弁償する」
「いや、保証入ってるから先輩が弁償する必要は無いッスけど…なんなんスか?何が起こってるんですか?すげぇ頭が混乱していて、全然わからないんですけど」
「大丈夫。何でもない。ただソファとスマホが壊れただけだ。あと海堂がすごく怖がりなだけだよ」
 ポンポンポン、と払うように海堂の両肩を乾が叩くと、青白かった海堂の顔がみるみる赤くなり、頭を抱えて床に突っ伏した。
「ほんとに!怖かったんスよ!!」
「馬鹿だな海堂。幽霊や呪いなんて都市伝説だぞ?」
「うるせえ!!」
 穴があったら入りたそうな海堂に、乾は笑いを噛み殺す事が出来なかった。


***


 乾の手配で、アンティークショップは直ぐにソファを回収しに来て、購入した時の代金も全額、海堂に返してくれた。
 買い物から帰ってきた海堂の母親は、何か騒がしいとは感じつつも、ソファの運び出しが終わった頃合いを見て乾たちに声をかけ、麦茶と買ってきた宇治抹茶あんみつを二人に食べさせた。
「あらーすっかり顔色が良くなったわね、薫くん。安心したわ」
「ああ」
 ニコニコと笑う母親に対し、いつも以上にぶっきらぼうな海堂を見て、乾は微笑ましいと思いながらあんみつを口に入れた。
「そうだ。コレ、壊れた」
 海堂はスボンのポケットから、スマホを取り出して母親に見せた。
「あらそうなの。薫くん気に入っていたのに、壊れちゃって残念ね」
「この青、あんまりないから。出来れば交換じゃなくて修理にする」
「うん。わかったわ」
 鮮やかなコバルトブルーの海堂のスマホは、最後にメールが届いてから2時間以上経過しているが、あれから1度も鳴ることは無かった。


【end】

秘密の眼鏡の続編です。
以前ツイッターで「メール」「深夜のソファ」「なぐさめる」で乾海を書け、というお題をもらったので、それで書きました。
海堂が怖がりだったらホラーだな〜と思い、この話を書くために怖い話を読んだりしていたら、書くのも怖くなってきたのでやっぱりゆる怖です。



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