ほっぺにチューされました。

 大学生にもなると、誕生日は家族に祝ってもらうなんてことは無くなった。
 だからと言って、友達は土日しか暇じゃないので、俺の誕生日は8日から9日にかけてオールナイトのカラオケ屋で飲み明かされた。
(というか俺の誕生日は、彼らにとって酒に溺れる都合のいい口実にすぎなかった)
 おかげ様で二日酔いが抜けないまま、今日は午前中のどうしても休めない講義を寝て過ごし、それが終わると家に帰ってきた。

 金属製の重たいドアを開けると、シンとした空気が僅かに揺れた。
 同居している乾先輩は、今日はちゃん講義に行ったらしく、居なくなっていた。
 天気の良い、静かな昼。
 俺は風通しを良くしようと、リビングと自分の部屋のドアと窓を開けて、家の中に空気の通り道を作った。
 それから冷蔵庫のミネラルウォーターを飲んで、一息吐く。
 どこかに…つうか乾先輩が二日酔いの薬を持っている筈だが、勝手に部屋に入るわけにもいかないので諦める。
 俺は自分の部屋に戻って、床に寝転がった。
 もやもやとした頭と胃を癒すように、澄んだ風が通り過ぎていく。
 目を閉じると、窓から春の匂いが香ってくる気がした。


***


 玄関のドアが閉まる音で、俺はうたた寝から目を覚ました。
 ぼんやりした目で廊下の方へ頭を向けると、柄物のトートバッグとナイロンの黒い買い物袋を手に下げた先輩と目が合った。
「おかえりなさい先輩…」
「ただいま…今日は早かったね?」
「二日酔いが抜けなくて、午後で帰ってきた」
「そうだったんだ。薬飲むかい?」
「ッス」
 会話が済むと、先輩はリビングへ行ってから、それから自分の部屋に入った。すぐにまたリビングへ行った音の後、蛇口から水の流れる音。
「起き上がれる?」
 戻ってきた先輩の手には、薬瓶とコップが用意されていた。
 俺は「ありがとうございます」と言って起き上がり、それらを受け取った。
「これ、何個飲めばいいんですか?」
「3個」
 俺はコップを床に置いてから、薬瓶の蓋を開けて錠剤を3個、手の平に出した。
「今日の夜ご飯、食べられそう?オムライスにしようと思ってたんだけど…」
「ちょっと、キツいかも…すいません」
「いや、いいよ。卵雑炊なら食べられそうかな?」
「それなら、たぶん大丈夫ッス」
「了解」
 飲み終わった薬瓶とコップを受け取って、乾先輩は部屋を出て行った。
 俺はまた床に寝そべって、窓から見える空に赤みがさしていることを確認してから、目を閉じた。


***


 夜7時に乾先輩に起こされてから、俺たちは一緒に卵雑炊を食べた。
 薬を飲んだのと昼寝したおかげで、具合はすっかり良くなっていた俺は、土鍋に作られた雑炊の3分の2を平らげてしまった。考えてみると、酒を飲んだ後ずっと気持ち悪くて、丸1日半何も食べていなかったのだ。
 雑炊だけで足りないと気付いた先輩は、たこ焼き器でぷちオムライスも作ってくれた。
 夕食の後片付けをしている間、先輩はソファでテレビを見ていた。
「海堂ー年金払ってるー?」
 年金問題のニュースを見ているのか、先輩は皿を洗う俺の背中に質問してくる。
「払ってません。つうか俺、明日からハタチですから」
「俺払ってないんだよねーテレビに出るかなー?」
「はあ?」
「いきなり学校にさ、報道陣が押し寄せてきたらどうする?だれかれ構わず学生捕まえる報道陣にさ、うっかり俺が捕まっちゃって、こう聞かれるの。
『あなたは年金を払っていますか?』
俺は正直に『いいえ、払っていません』て答えると、『どうして払わないのですか?』って問い詰められながら一斉にフラッシュがたかれて…」
 一般の学生が年金払わないだけでテレビに出るわけねえだろ、と内心ツッコミを入れながら、俺は乾先輩の作り話を黙って聞いてやった。


***


 後片付けが終わったあと、俺はロードワークに家を出た。
 土曜日の夜からずっと飲み会でサボっていたので、準備運動をしっかり行ってから夜の道を走り出す。
 外は天気が良かったけど、まだ夏の暖かさには程遠い。
 最初は肌寒い空気に鳥肌を立てていたが、徐々に体が温まっくる。
 自分のペースに乗った頃には汗がしっとり掻くくらいのちょうど良い温度になっていた。
 10kmのランニングを済ませた後、いつも利用する公園の隅っこで、乾先輩の作ったトレーニングメニューを黙々と行う。
 それが終わるとまた10km走って、2時間くらいでトレーニングを終了させた。
「おかえり。お風呂沸いてるから、入ったらいいよ」
 テーブルにノートパソコンを置いて、何か作業していた乾先輩が、振り返らずに声をかけて来た。
「ありがとございます」
 丸まった背中に礼をしてから、俺は自分の部屋から溜まった洗濯物とタオルを持って、脱衣所に行った。飲み会で着ていた服と汗を吸った服を洗濯機に放り込み、洗剤を入れてスタートボタンを押した。
 タオルを手に持って風呂場に入ると、湿度の高い空気が肌にまとわりついてきた。風呂の蓋を開けると、水蒸気が張り付くように顔をあたる。でも桶でお湯と汲んで肩に掛けると、水蒸気の不快は汗を洗い流す爽快に負けた。
 軽く体を洗ってから、とっぷりと湯船に浸かる。運動して強張った足や腕の筋肉を丁寧にマッサージして、体に疲れを残さないように。


***


 風呂から上がると、俺は先輩特製の野菜汁を、鼻を摘まんでコップ一杯分だけ飲んだ。味はマズイけど、滋養強壮や疲労回復に本当にいいからだ。でもマズイ。もう一杯はムリ。
「出来たー!」
 ノートパソコンでずっと何かしていた乾先輩は、歓声を上げると両手を挙げて床に倒れた。
「何が出来たんスか?」
 口直しのアロエヨーグルトを手に持って、俺は先輩の横からノーパソを覗き込んだ。
「今年の海堂への誕生日プレゼント。やってみる?」
 勢いをつけて起き上がった乾先輩は、右側に移動して、ノーパソの前の俺を座らせた。
 画面に出ていた『END』マークを乾先輩がマウスでクリックすると、CD-Rの起動する音と一緒にゲームのオープニング画面が現れた。
 タイトルは『カオル・ブラザーズ』
「何スかこれ…」
「昔ファミコンで、『マリオ・ブラザーズ』ってあっただろ?アレのパクリ」
 先輩が『START』という文字をクリックすると、『1−1』という画面が出てから、懐かしい音楽と共にドット2次元の世界が現れる。
 しかしどこか見慣れたゲームなのに…プレイヤーがヒゲのはやした小太りの親父ではなく、緑色のバンダナをつけた、黒いタンクトップに白い短パンの男だった。
「何スかこれ…」
「『カオル・ブラザーズ』。Aで右に移動、Sで左に移動。Kでジャンプ、Lでダッシュね」
 俺は言われたとおりに、プレイヤーを動かして、画面を右にスクロールさせた。
 すると敵が現れた。茶色のキノコに、足が生えたような物だった。
「それはジャンプして、踏んずけると倒せるよ」
 指示を受けながら、俺はそれを踏みつけた。
 踏みつけられたキノコはぺしゃんこになって、チリンとコインを1枚落とした。
「じゃあ、そこのハテナボックスをジャンプして叩いてみて」
 俺はブロックに上って、『?』と記されたボックスを叩いた。
 するとニョキニョキっと、緑色のジョッキが現れた。
「はい、それ取って!」
「え?!」
 俺は動くジョッキを追いかけて拾うと、小さかったプレイヤーがいきなり倍の大きさになった!
「ウオ!」
「キノコの代わりに、乾汁にしてみたんだ」
 乾先輩は眼鏡を光らせ、得意そうにそう言った。
 それから先も、『カオル・ブラザーズ』は至る所で先輩の小技が利いていて…フラワーの代わりに出た赤いジョッキを飲むと、青学のレギュラージャージになって、テニスボールを敵に投げられるようになったり、スターの代わりに猫を拾うと、無敵になれたりとか…
「よく、こんなの作れましたね」
「電脳部の友達に協力してもらってね」
 電脳部なんて先輩の大学にあるんだ…と思いながら、俺は真剣にゲームを続けた。
 ゲームの難易度を落としているのか、ゲーム下手の俺でも『1−1』と『1−2』はあっさりクリアできた。
 でもゲームは『1−3』面で、いきなりファイナルステージになった。
「早ッ!!」
「いや、これ以上作るの疲れたからさ」
 アハハと空笑する先輩を、俺は気の毒そうな目で見てやった。
 大きな亀に毛が生えたようなボスに、俺は連続してテニスボールを投げつけた。ボスが吐く火の玉をジャンプで避けて、10回くらいテニスボールがあたると、亀はあっさり倒れてしまった。
 すると、ボスに捕まっていたピンクのドレスを着た姫…じゃなくて黒縁眼鏡の男が、プレイヤーに抱きついて、その頬にキスをした。
「おめでとーやったね海堂!」
 ゲームクリアを喜んで乾先輩が拍手をしたが、俺はプレイヤーの口にもキスをするキモイ男を指差して先輩を睨んだ。
「何で、アンタも出てるんスか?しかも姫役で?」
「だって、その方が面白そうだったから。このゲーム、誕生日プレゼントにあげるね?」
「いらない」
「なんで!?製作に1ヶ月以上もかかったのに!!」
 楽しい音楽と共にスクロールするエンディングテロップを見ながら、俺は嘆息する。
 ほとんどの製作が『SADAHARU Inui』で、時々知らない名前が出てきていた。
「いや、ありがとうございます。こんなの、普通(の神経)じゃ作れませんよね…」
「そうだよ。海堂の為だからこそ、頑張ったんだから」
 最後に『END』と画面に大きく出たところで、先輩はCD-Rを取り出して、ケースに入れた。
「はい。誕生日おめでとう、海堂」
「ありがとうございます」
 俺の為に時間をかけて作ってくれたという気持ちだけ受け取って、俺はこのCD-Rは押入れにしまおうと決意した。
「よし。俺が一番だな」
「何がですか?」
 乾先輩は微笑んで、テレビの上の壁時計を指差した。時計の長針と短針が、ピタリと12の所で重なっていた。
「海堂の20歳の誕生日に、最初におめでとうって言ったのが」
 嬉しそうに誇らしそうに、乾先輩はそう言った。
「何か特別な感じがしない?」
「別に…」
 含みのある言い方に、俺は照れて顔を逸らした。
 特別な、感じ。
 乾先輩にそう言われると、本当にそんな感じがしてくる俺の思考。
 いや、流されるな俺。
「それと、これはゲームクリアの景品」
 さりげなく言われた言葉の後、先輩は俺の頬に唇を付けて、チュッと音を鳴らした。
「なっ、なあっ?!」
 突然の出来事に驚いた俺は、右頬を押さえて部屋の隅まで後ずさりした。
「何してんだテメエ!!」
「ゲームの景品だって。顔真っ赤だよ海堂」
 朗らかに笑う先輩に、俺は持っていたCD-Rのケースを思いっきり投げつけた。
「やっぱりいらねえ、そんなゲーム!」
「残念。返品不可でした」
 笑いながら、先輩はケースを俺に投げ返した。俺がまた投げつけても、また返された。
 そんなやり取りがしばらく続いてから、俺はため息をついてケースを手に持った。
「後生大事に保存して、孫にやらせてあげるんだよ海堂?孫もクリアしたら、景品あげるから」
「絶対に、やらせねえよ」
 肩を怒らせてリビングを出る俺に、先輩は笑ったまま「おやすみ」と声をかけた。


***


 部屋に戻ると、俺は押入れの奥にケースをしまった。
 それから布団を出して、床に敷いた。
 シーツの皺をちゃんと伸ばし、枕の形を整えてからその中に入る。
 今日からハタチ。
 特に何か変わった感じはしないけど、気持ちちょっと大人になった気がする。
 …いや、やっぱりそんな事ないかも。
 頬にチューされたくらいで、動揺しすぎだ俺。
 でも、ちょっと嬉しかった。
 誕生日おめでとう、自分。
 ありがとう、乾先輩。

【end】

【再録】2004年の薫誕。少しずつ二人の仲が進展してるような気がしないでもない。



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