惚気てみました。

 今週から大学の卒業研究が始まった乾先輩が、帰る時間も寝る時間も惜しいから土曜日まで大学で寝泊りをする、と月曜日の夜の電話で俺に伝えた。
 でも本当は大学の卒研グループに彼女が出来て、そいつの家に入り浸っているんじゃないか?と俺は睨んでいた。
 だいたい秋まで重役出勤(午後から大学へ行くこと)をしていた先輩が、どうして冬になって突然朝から夜まで大学に通い始めるのだろう?。
 電気を点けてもどことなく薄暗いリビングで、俺はいつもは端っこにしか座れないソファをどうどう独り占めし、滅多に食さないインスタントのカップラーメンを啜りながら、乾先輩に対する疑心暗鬼を徐々に強めていった。
 もし俺の考えていることが事実なら、

「彼女の部屋でも彼氏の部屋でもドコへでも引っ越して、もうこの部屋には二度と帰ってくるんじゃねえ!」

と、テレビのバラエティ番組に出ている乾先輩と似た眼鏡をかけた芸人に向かって罵声を浴びせる俺はかなり虚しく、ストレスは溜まる一方だった。


***


「ただいま〜」
 夜11時。
 玄関の方からか細い先輩の声が響いてきた。
「あー久しぶりの海堂だ〜」
 久しぶりにみる先輩は、髪は通常の倍にボサボサ、顔は不精髭が生えて、生気の無い色をしていた。
 ドアの前にコートを脱ぎ捨て、よれっとしたシャツをきた先輩は、ソファでテレビを見ていた俺を後ろから抱きしめてくる。
 その瞬間、風呂に入っていない人特有の饐えた臭いが俺の鼻腔に侵入し、俺は反射的に先輩をはり倒した。
「臭ぇ!アンタいつから風呂入ってないんだよっ?!」
「酷いよ海堂…久しぶりに会ったのに…でもこの痛みが、我が家に帰ってきた実感を…」
「いいから先ず風呂っ!沸いてますから、すぐ入って来て下さい!!」
「冷たいぞ海堂〜でもそれが〜お〜まえ〜の〜良い所〜♪」
 フラフラっと立ち上がった先輩は、パフィの『アジアの純情』を替え歌しながら、服を脱ぎ散らかしつつ風呂場に向かう。
「ていうか、服は脱衣所で脱げよ!」
 俺は怒鳴りながら、廊下に転々と落とされたシャツやら靴下やらを拾って歩いていった。
「これ、全部洗濯しますよ?」
「ついでに、玄関に置いてあるバッグの中の服も洗濯してくれると嬉しいな…」
「はいはい」
 脱衣所でパンツを脱いでいる先輩の横で、俺は手に持った服を次々自動洗濯機の中に放り込んだ。そして洗濯のボタンを押し、粉洗剤を入れた。
「海堂〜」
 全裸になった先輩は、すぐに風呂には入らず、甘えた声を出しながら俺の背中に被さってきた。
「き〜みが好き〜♪」
 そしてミスチルの『きみが好き』のサビをを歌い始める。
「いいから、早く風呂入れ」
「疲れた。眠い」
「風呂入ってから寝ろ」
 俺は自分の肩から先輩の腕を外すと、先輩の身体の向きを人形のようにくるりと変え、風呂場へ押し込んだ。
「ゆっくり浸かって、頭と身体をよーく洗えよ」
「はーいオカーサーン」
「こんなデカイ息子持った覚えねえよ、バカ」
 俺は風呂のドアを閉めて、玄関にあるというバッグを取りに行った。


***


 日付が日曜日に変わった頃。
 髪を濡らし、髭を綺麗に剃って、新しいパンツを履いた先輩が風呂から帰ってきた。
「いいお湯だった。ありがとう海堂」
 水蒸気で少し曇った眼鏡の奥で、優しい瞳が微笑む。正気に戻ったようだ。
「別に。冷蔵庫に麦茶作ってありますよ」
「ありがとう」
 先輩は礼を言ったが、冷蔵庫へは向かわず、俺が座っているソファに来て座った。
「少し、寝てもいい?」
「いいですけど…」
 と俺が言う前に、先輩はソファの上で横になり、俺の太腿に頭を乗せた。
「あの…その格好じゃ、風邪ひきますよ?」
「大丈夫、3分だけ…」
 先輩は長く息を吐くと、スッと眠りに入った。
 俺は先輩の頭を落とさないように、テーブルの上に置いてあったエアコンのリモコンに手を伸ばし、設定温度を20度から28度に上げた。そしてその隣のリモコンを持って、テレビの電源を消した。
 俺の太腿の上で、乾先輩は定期的な呼吸をしている。まるで死んだように、と言いたいくらい静かな眠りは、俺をちょっと不安にさせ、僅かに揺れる髪の毛に、そっと指を絡めてみた。
 おそらく3分後。
 乾先輩はきっちりに目を覚まし、俺の太腿から頭を上げた。
「ありがとう。いい枕だった」
 軽い伸びをしながら、先輩は俺に微笑んだ。
「別に。これくらい、大した事じゃねえよ」
 久しぶりに見る乾先輩の笑顔に、俺は少し照れながら答えた。
「明日…いや、もう今日か。俺がご飯作るけど、何が食べたい?」
 テレビのリモコンを持って、先輩は俺に尋ねてきた。
「えっと…」
 電源が入れられたテレビで、都内の有名なラーメン店のCMが流れている。湯切りされる太目の縮れ麺と、匂い立ちそうな濃厚な鶏がらスープ。俺は夕飯がインスタントラーメンだった事も忘れて、ものすごくラーメンが食べたくなった。
「ラーメン」
「いいよ。じゃあ、朝になったら、一緒に材料を買い物へ行こう」
「別に作らなくてもいいッスよ。この店に食べに行きましょう?」
「いや、駄目だ。俺が作る。そうじゃないと、俺の帰ってきた意味がなくなる」
 はあ?っと思って、俺は乾先輩の顔を見る。
「俺は君の『おさんどん』だからね」
 にやりとした顔に、透過度の低い眼鏡が光った。
「スポーツマンがインスタントに頼ったら駄目だよ、海堂」
 ダイニングテーブルに置きっ放しだったカップを、先輩は見たのだろう。普段はご飯を食べ終わったらすぐに片付けるのだが、最近…乾先輩がいない間はコンビニかインスタント物ばかりで洗い物も少なく、寝る前にまとめて片付けていた。
「すいません」
「ちゃんと栄養も考えた、それでいて美味しい究極のラーメンを作ってあげるから」
 嬉々として話す先輩に、俺はフーっと息を吐いて、言った。
「先輩、大学の生物物理学なんて行かないで、調理師の専門学校行った方が良かったんじゃねえッスか?」
「まあね、俺もよくそう思う」
 冗談か本気かわからないトーンで、先輩は返事した。
 俺はまたフーっと息を吐いて、こんな変な奴と一緒に住むの俺しか出来ねえよ、なんて、心の中で惚気(のろけ)てみました。ごめんなさい。

【end】

【再録】前作から半年後のお話。



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