「ほら、やっぱり原因は君じゃないか、海堂」
「すみません…」
 頭を下げる俺に、不二先輩は長い溜息をついた。
「僕に謝ることじゃないよ。それで、その羽は今どこにあるのかな?」
「それが…」
 1つ目の願いの時。
 天使の羽を地面に投げ捨たまま俺は部活へ行ってしまった。だから帰りにその場所に戻って羽を拾おうとしたが、無くなっていた。風で飛ばされ、草むらや木の上に落ちたかもしれないと、その周辺をよく探したが、羽は見つからなかった。
「誰かが拾って、ゴミ箱に捨てたのかもしれません」
「いや。たぶん、それは無いよ」
 不二先輩は腕組みして唸った。
「呪(まじな)いが掛けられた物は、滅多なことでは紛失も消滅もしない。特に簡単に人格を変えてしまうほど大きな力を持ったモノなら、尚更ね。おそらく持ち主の下に戻るか、封印されていた場所に戻るか。でも今の持ち主の海堂の所に無いなら、羽は入っていた紙袋の中に戻っている可能性が高いと思う」
「なんか、詳しいッスね不二先輩」
「姉が占術師だからね。ところで、羽の入っていた紙袋は?」
「乾先輩に投げつけたんで、先輩が持っているかもしれません」
「うん。わかった、どうにかしよう」
 何をどうするのか話す前に、不二先輩は走り出した。そして大石副部長と楽しそうに談笑していた乾先輩の脇腹に、勢いがついた強烈な一撃をぶち込んだ。
「うごっ!!」
 乾先輩の体がくの字に折れた。
「ええええ!?」
 痛そうにうずくまった乾先輩の耳を掴んで引きずりながら、不二先輩が俺のところへ戻ってきた。
「なんか乾、急にお腹痛くなったみたいだから、海堂が乾のお家の、部屋の中までしっかり送ってあげてね」
 有無を言わせない笑顔で命令されて、俺は頭を上下に振った。ちょっと顔が青くなっている乾先輩を支えつつ、俺たちはコートを出て部室へ荷物を取りに行った。
「…俺、なんか不二を怒らせるような事、してただろうか?」
「すみません」
 反射的に謝ったが、乾先輩は「なんで?海堂は何も悪くないだろう」と笑った。
 部室で着替えて荷物をまとめて、一週間ぶりに一緒に下校した。会話は先輩が一方的に話して、俺が相槌を打つ。前と変わらない、かもしれない。でも違う。なぜなら乾先輩の話は同級生の女子や流行物の話ばかりで、内容が頭の中に全く入ってこないからだ。
「わざわざ送ってくれてありがとう。ちょっと上がってく?」
「はい、おじゃまします」
 普通に人付き合いのいい先輩は、普通に家に招き入れてくれた。
 先輩の部屋は、いつも壁や机に貼り付けているメモ類が無く、雑誌やDVDも整理整頓されていて、普通に綺麗になっていた。なので俺はすぐに机の上にある、羽が入っていた英字新聞柄の紙袋を見つけることができた。
「乾先輩。その紙袋ですけど、中を見てもいいですか?」
「ああ、それ?いいよ。大きくて白い羽しか入ってないけど。魔法のかかった天使の羽が、願い事を3つ叶えてくれるなんて、普通ありえないよね」
「そう、ッスね」
 紙袋を手に取って、俺は中から羽を取り出した。そしてそれを乾先輩に突き付け、思いっきり振り下ろした。
「1つ目の願いを取り消す!」

【 2
  つ
  目
  の
  願
  い
  確
  か
  に
  叶
  え
  た 】

 1つ目の時に聞いた声が、再び頭に響く。
 そして乾先輩はきょとんとした顔で、俺を見つめていた。
「海堂、その羽…」
「乾先輩、普通じゃない先輩に、戻りましたか?」
「普通じゃないって、失礼だな海堂。あー、えっと。ちょっと待ってて」
 乾先輩は手で顔を押さえ、素早く部屋から出て行った。だがすぐに、いつもの眼鏡をかけて戻ってきた。
「やっぱりこの眼鏡の方が落ち着くよ。コンタクトは直接目を見られるから恥ずかしいんだ」
「先輩、目を合わせるのが恥ずかしいからいつも眼鏡だったんスか?」
「ドライアイってこともある。半々かな」
 椅子に座った乾先輩は、机にノートを開いて何かを書き込み始めた。背後から覗いてみると、1週間分の部員のデータを次々と書き出している。乾先輩は元に戻ったみたいだが、どうやら普通の先輩は全くの別人だったわけではなく、人格の一部だったようだ。
「作業しながらで悪いけど、色々と話をしようか。どうぞ、ベッドに座って」
「あの、乾先輩…」
「ん?」
「すみませんでした」
「ああ、いいよ。むしろいいデータが取れて、感謝しているくらいだ。ありがとう海堂」
 眼鏡の端から微笑む先輩の目が見えて、俺はほっとしてベッドに座った。
「さて、俺の作った天使の羽は成功したんだな?」
「はい」
「海堂の1つ目の願いは、俺が普通になること。うん、なかなか貴重な体験をさせてもらったよ。普通に考えて普通に行動するのは、こういう事なのかと」
「すみません…」
「だから、もう謝るなよ。2つ目の願いは、1つ目の願いの取り消し。俺はまた、データに対する意欲が人並み以上に戻った」
「そうッスね」
「取り消した、という事は、普通の俺は嫌いだったのかな?」
 乾先輩はノートを書く手を一時中断して、椅子ごと俺に振り返った。
「嫌、じゃねえけど…」
「じゃないけど?」
「俺は、今までの先輩を、ずっと…」
 ずっと、見ていた。
 尊敬していた。
 だから突き放されたくなかった。
 ただの先輩と後輩ではなく、いつまでも一緒にいたかった。
 それくらい乾先輩を…
「…っ!!」
 自分の言おうとしている言葉が、喉に詰まる。
 それは自分の正直な思いだけど、それをそのまま先輩に告げるのは、どうしようもなく恥ずかしい。
「うああっ!帰る!!」
「待て、待って!」
 立ち上がった俺の手を、乾先輩は強く握った。引き寄せられ、先輩の顔が近くなり、ますます恥ずかしくなった俺は先輩の胸で両腕を突っぱねた。
「痛い、海堂!」
「離せよ!」
「わかった、離す。離すから、帰るな。まだ話は終わってない。あ、そうだ!お茶を入れて来るから、それを飲んで落ち着こう、な?」
 強引に俺をベッドに座せた乾先輩は、急いで部屋から出ていった。
 一人になって、俺はさっき気持ちを整理する。
『今までの乾先輩をずっと…』
「俺は、好き、だったんだ」
 先輩の人格が変わってしまった時、俺は傍にいられなくなったのが悲しかった。そして今、元の先輩に戻って嬉しいし、もう変わってほしくないと思う。自分に向けられる眼差しが、他の誰かに向くはもう、堪えられないだろう。
 これは、独占欲だ。
「お待たせ海堂!ごめん麦茶しか無かった…って、頭抱えてどうしたんだ?痛いのか?」
「なんでもないス大丈夫ス!麦茶いただきます、ありがとうございます!」
 奪い取るようにグラスを掴んで、冷たい麦茶を一気に飲み干した。
 頭が冷えて少し冷静を取り戻した俺は、とりあえずその気持ちを自分の中のパンドラの箱に入れて、鍵をかけ、気づかなかった事にした。
「それじゃあ、天使の羽の事なんだけど」
 乾先輩が椅子に座って、話を再開させる。
 3つの願いを叶えることができる、天使の羽。
 叶えられる願い事は、あと1つ残っているが、俺は紙袋を見るだけで身震いがした。
「最後の1つの願い事は決まったかな?」
「いいえ…俺はもう、それに触りたくもねえから、先輩に返します。だから最後の願いは、先輩が叶えて下さい」
「そういうわけにもいかないんだよ。所有者の決まった羽は、所有者以外の願いを叶えてくれないんだ」
 紙袋から羽を取り出した乾先輩は、おもむろに俺に向かって羽を振り下げた。
「海堂、女になれ」
「えっ?!」
「ほら、胸は膨らまないだろう?」
 先輩が手を伸ばして、俺の両胸を撫で回してきた。反射的に俺は先輩を叩き、胸を両手で隠した。
「何しやがる、この変態野郎!!」
「痛い!暴力は駄目だぞ海堂!」
「先輩の願い事は叶えられないのはわかりました。でもなんで、こんなもん作ったんスか?!」
「通販の教材に、作り方の書いてあったから、つい」
「つい、って…アンタは作り方が書いてあったら、何でも作ってしまうのか?」
「うーん。そうかもな」
 目の前にボタンがあったら押してしまう子供みたいな先輩に、俺は深い溜息をついた。
「それで、話は戻るんだが、3つ目の願いは海堂しか叶えられないんだ」
「じゃあずっと願わないッス」
「まあ使用期限は1ヶ月だから、あと3週間もしたら使えなくなるけど。もったいないと思わないか?」
「思いません」
「そうか。海堂は無欲だな」
「そうじゃねえ」
 俺は無欲ではない。叶えたい夢も欲しい物もたくさんありすぎて、むしろ貪欲だ。でも自分の力を使わないで叶えた願い事なんて、なんの達成感もないから。
「本当に叶えたい事は自分で努力しないと、意味がねえよ」
「うん、そうだな。今すごく海堂に惚れたよ」
「はあ?ほ、惚れんな!」
「さておき。海堂が羽を使わなければ、これは期限切れまで俺が保管した方がいいかな?」
「できれば、お願いします」
「ああ。了解した」
 そうして天使の羽は、3つ目の願いを叶えないまま乾先輩に預けられた。
 以前のように、部員からちょっと煙たがられつつも慕われるデータマンに戻った乾先輩と、そんな先輩に募る想いに気付いてしまった俺だったが、何事も無く平穏な日々を過ごしていった。






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