12 悪魔編

 再び黄泉の国の中庭へ、ケルベロスの橇(そり)が停まる。
「乾、おかえり」
「ただいま、不二。海堂はどこだ?ここにいるんだろう!?」
 俺は橇から飛び降りると、帰りを待っていてくれた不二の両肩を掴んだ。早く、海堂に会いたい!
 しかし不二は、困ったような顔で口を閉ざしている。何か、悪い予感がした。
「もしかして、海堂はいないのか?神の子セイがまたどこかへ連れ去ってしまったのか?!」
 不二の肩を揺さぶる俺に、建物から出てきたゲンが白い大きな布袋のようなものを両手に抱えてやってきた。
「待て待て。海堂は、此処に居る。ちょうど今、処置を終えた所だ」
「処置?どこか怪我をしたのか?大丈夫か、海堂?!」
 おそらく、白い布に包まれているのが海堂なのだろう。俺は不二を離してゲンの元へ行こうとしたが、今度は不二が俺の腕を掴んで、強く引き止めてきた。
「なんだよ不二、離してくれ!」

「僕の話を聞いて、乾。今そこにいるのは、魂は海堂だけど、外形は海堂ではないんだ」

「海堂だけど、海堂ではない?どういうことだ?」
 混乱する俺に、橇から降りてきた蓮二が神妙な顔付きで話し始める。
「センリーンが話していたが、海堂薫は地獄に生えた木に成った果実を食べてしまった。古事記に因るところの、伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の話だ。黄泉の国の食べ物を食べてしまったイザナミは醜い姿になり、イザナギが迎えに来たが、生き返ることが叶わなかった…」
「じゃあ、海堂は…もう生き返れないのか?」

 ようやく会えたと思ったのに。
 海堂が、海堂ではなくなっているなんて。
 じゃあ、ゲンが抱えているあの白い布は?
 もしかして、海堂の亡骸が…

 絶望で打ちのめされそうになった俺に、救いの神のような声がかけられた。

「大丈夫。海堂クンは生き返る」

 ゲンの後ろから、生成色のローブを引きずった少年が現れた。柔和な顔立ちをした、ゲンよりも小柄で線が細い。
 しかしその少年に対し、ゲンも蓮二も片膝をついて、恭しく頭を下げた。
「わざわざ地獄まで、みんな手間を取らせたね。ご苦労だった。さて、君が乾クンだね。初めまして、ぼくが神の子のセイだ」
 ようやく神の子セイと謁見して、俺は慌ててお辞儀をした。
「いいよ。みんな面を上げてくれ。時間が無いから」
 俺が顔を上げると、神の子セイは俺のすぐ目の前に立っていた。
「海堂クンと乾クン。君たちには今すぐ、黄泉の国から出て行ってもらわなければない。本来君たちは、ここにいるべき存在ではないからね」
 かなり強く口調で言わた俺は、ここにいるのが場違いだという強い罪悪感が芽生えた。
「罪には罰を与えることは原則だが、また許すこともぼくの信念だ。この度の君たちの罪と罰は、僕が受ける。だからぼくは、君たちを許そう」
 優しく微笑んだ神の子セイに、今度は救われたような気持ちになる。
 こうして信仰心というのは鍛えられていくのだな、と頭の中の冷静な部分の俺が呟いた。

「さあ、乾クンは海堂クンをその背負い、不二の導きに従って戻りなさい。ただし、ひとつだけ制約する。現世に戻るまで、決して布の中の海堂クンを見てはいけない。わかったね」
 神の子セイが話し終えると、ゲンが白い布袋に覆われた海堂を、俺の背に乗せ、おんぶさせて紐で縛った。 
 形はなんとなくわかるが、重さは無く、温かみも無い。生身ではなく魂だから、かもしれないが。
 不安が顔に出ていたのか、ゲンが安心させるように俺の腕をポンポンと叩いた。
「海堂には、クラノスが調合した人間に戻る薬を飲ませてある。今は薬が効き始めている時だが、現世に戻る頃には完全に効果が出ているだろう。心配するな」
「じゃあな、貞治。今度会うときは、お前が皺々の爺になった時だ」
 ゲンと蓮二が、神の子セイを真ん中に立った。
 真っ白い大きな羽を持つ天使が3人並ぶ光景は、神々しい、という表現以外に相応しい言葉が無かった。
「ありがとう蓮二、他の人たちも、ありがとうございました!」
 先頭を歩く不二の後について、俺たちは砦のような門から外に出る。

「どうか、お気をつけて」
「元の体に戻るまでが幽体離脱だ、ピヨ」
 門番のふたりの天使に見送られ、橋の下で待っていてくれたブンの水上バイクに乗る。
「一人増えたんだ、安全運転で頼む!」
「俺に任せろぃ!」
 来たときよりは揺れなかったが、それでも水上バイクは水面を跳ねるように、もの凄い速度で川を一直線に横切った。
「安全じゃなく、ゆっくりって、頼めば良かった…」
 海堂を背負ったまま岸に上がろうとする俺に、大型動物を橋に誘導していた、褐色肌の人のよさそうな天使が手を貸してくれた。
「まあ、運転は荒いように感じるだろうけど。川を真っ直ぐ走るのは、意外と繊細な操縦技術が必要なんだぜ?ここにいる天使でそれが出来るのは、あいつくらいだよ」
「そう、なのか…?」
「それにこの川は、落ちたら地獄へ直行する。川の途中で止まると船が流されたり、悪魔が悪戯をして転覆することもあるんだ」
「そう、だったのか…!」
 今度は心からブンにお礼を述べて、俺たちは真っ白くて何も無い雲海の上を歩き出す。

 もうすぐ、もうすぐだ、と逸る気持ちとは裏腹に、雲海は泥沼のようにねっとりと足にへばり付き、思うように歩みが進まない。
 背中に乗った海堂の重さは感じなくとも、魂になっても感覚が残っているのか、自分の体の重さは無くならない。

 歩いているのが、苦しくなってくる。
 先を歩く不二との間が、どんどん開いていく。

(もしかして本当に重たいのは、海堂じゃないのか?)

 そんな小さな疑問が、全身に圧し掛かってくる。
 腕が、引きちぎられそうなくらいに、重い。
 肩から前に垂れ下がる布に巻かれた2本の棒が、海堂の腕ではなくて、太い鉄の鎖なのではないだろうか。
 俺が持ち上げている足だと思っていた物には、丸太が巻かれているのではないだろうか。

(布の中身は、本当に海堂なのか?)

 俺は足を止めた。
 ぶわっと全身から汗が吹き出てくる。
 はぁはぁっと呼吸が荒くなり、理性よりも本能の声が大きくなる。

(確かめろよ。そしたら苦しくなくなるぜ?)

「乾!?」

 俺は海堂と自分を繋いでいた、紐を緩めた。
 体がふっと軽くなる感じがして、俺の後ろにあった布袋が音も無く雲の上に落ちる。

「やめろ、乾ー!!」

 振り返った不二が驚いた顔で、俺に向かって走ってくる。
 そんなに離れていた気はしていなかったが、その姿は俺の親指よりも小さかった。

「アンタ、消えろ」

 さっきまで、俺の中で呟いていたのと同じ声が、俺の後ろから響く。
 その声は稲妻となり、走っていた不二に直撃した。

「うわあああああ!!」
「ひゃーっはっはっはっ!今度は絶対に消してやるって言ったじゃん!!」

 両手で顔を覆って、不二は雲海に倒れた。
 俺は叫び声を上げて、助けに行きたいと思っているのに、さっきから声は出せず、体が全く動かなかった。

 あの時と同じ感覚だ。

「さあ〜って」

 悪戯心に溢れた声の持ち主が、俺の後ろからゆっくりと目の前に姿を見せる。

「アンタは、どうしようッスかね?元ご主人様?」

 蛇のようにうねる真っ黒な前髪の下から、真っ赤に充血した目が俺を見据える。
 上半身は裸だが、腹部から下は牛のような獣の体。
 長くて黒い尻尾が、左右にゆったり揺れていた。

 悪魔のアカヤ、その本体が現れた。




2013/5/20 up



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