10 地獄編

 家一軒が入りそうな大きな洞窟の前に、ケルベロスはゆっくりと滑り込み、橇(そり)を停止させた。
「ほな、ついてきてや」
 薙刀を持ったザイゼンが、真っ暗な空洞へ歩き出す。俺と蓮二はその後に続いた。
 外からではよくわからなかったが、洞窟は入口から100メートルほど、緩やかな登り坂になっていた。ここは自然に出来た空洞では無い。壁面や天井は崩れないように石や岩で補強され、地面は石が除かれ歩きやすくなっている。そして約10メートルの間隔に生えた、ろうそくに似た形の発光するキノコにより、足元が仄かに照らされている。
 やがて坂が無くなると、大きく開けた明るい空間に俺達はたどり着いた。
「なんだ、これは!」
 そこは球場の観覧席のように、すり鉢状に上に向かって無数の階段が作られていた。しかし座席ではなく棚が設けられ、様々な大きさの瓶が星の数ほど並べられている。
「ここは種の保存庫だな。俺も初めて来た」
「種の保存、という事は。この瓶に入っている物は全て、種子なのか?」
「そうだな。選ばれた種子だ」
「なんやー誰かおるんかー?」
 上の方から若い男の声が響き、馬の蹄(ひづめ)の鳴る音が聞こえた。
 ザイゼンは首を巡らし、その声に応えた。
「クラノスさーん、お客さんっすわ!」
「んーその声はザイゼンか?わかった、いま降りるわ!ハッ!」
 気合いの入った声と共に、頭上に立派な白馬が現れた。
 いや、白馬ではない。
 土煙を立てながら俺達3人の前に飛び降りて来たのは、下半身は白馬、上半身は裸の人間。銀髪がなびく頭頂部から、1本角を生やした半人半獣(ケンタウロス)だった。
「んんーっエクスタシー!完璧な着地やな!」
「普通に下りて来たらええやないっすか。お客さんら引いてますよ?」
「なんや、ザイゼンはおもろなかったか?やり直そか?」
「もうええっすわ」
 ザイゼンより頭1つ分高い所で笑っているクラノスは、包帯を巻いた左手を蓮二に差し出した。
「珍客ちゅーのは、アンタらやな?天使サマが地獄に何の用や?」
 驚愕して言葉が出ない俺と違い、蓮二は顔色ひとつ変えずにクラノスを見上げ、握手を返した。
「初めまして、賢人クラノス。俺は黄泉の国、高等審判のレンだ。こちらは乾貞治。要件を言おう。人間の海堂薫という者の魂が悪魔のアカヤにより、台帳を通さず不正に地獄へ通された疑いがある。至急、救出したい」
「アカヤ?アカヤ、おったんか?ほんまか?!」
「…どういう事だ?」
 急に色めいたクラノスに、蓮二が怪訝な表情をする。すると薙刀にもたれ掛かったザイゼンが、口を開いた。
「そういえば最近、アカヤを見てなかったっすわ」
「せやろ?あの子、急に姿消してもうてなあ。お勤め終わって転生しよったんか、とも思ったけど、まだ角ふたつで獣足やったし…」
「もしかして、俺が…」
 クラノスとザイゼンに注目される中、俺は天使の羽と海堂とアカヤの事を話した。俺の話を聞いて、クラノスは難しい顔をして腕組みした。
「あの子が現世で天使サマの羽に閉じ込められていたとは、どうゆうこっちゃ?」
「その点については今後、我々が原因の解明に努める。だが今は、巻き込まれた海堂の魂の救出を優先にして欲しい」
「つまりアカヤは、どうでもええっちゅうんか?」
「彼については、神の子セイの宣託を待ってくれ…ところで、セイはこちらに来ていないようだな」
「ああ、おらんで」
「セイは我々よりも先に、地獄へ来ている。誰か居場所を知っている者はいないか?」
「俺は知らんな。ずっとここにおったし。でも今はギンさんが外におるから、もしかしたらソッチに行ったのかもしれへんな。ザイゼン、ちょっと呼んで来てや」
 クラノスに使いを頼まれたザイゼンは、気怠そうに洞窟の入口へ戻って行った。
 ザイゼンがいなくなってからしばらくすると、クラノスとは違う馬の蹄が鳴り響いた。
「到着やでー!!」
 物凄い速さで横滑りしながら現れたのは、クラノスと同じ半人半獣だった。獣身部分は栗毛で、薄茶色の明るいクセ毛から角が2本生えている。
 その背に、袈裟に近い布を纏った体格が良い男が乗っている。形の良い坊主頭の両脇から、男鹿のように枝分かれした立派な角が生やしていた。
「ギンさん、ケンヤーンと一緒におったんか?」
「ケンヤーンはんとおると、仕事が捗りますさかい」
 ケンヤーンの背から下りたギンが、クラノスの隣に立つ。ほとんど頭の位置が変わらないギンに、クラノスは笑みを浮かべた。
「なあ、地獄におるやつら全員の位置がわかるギンさんでも見つけられへんかった、アカヤの居場所がわかったで?」
「ほんまですか、クラノスはん?」
「あの子、天使サマの羽に閉じ込められて現世に行ってわ。しかも、ひと暴れしてきたみたいやで?」
「それはまた、えろう事しはったなアカヤはん」
「賢人ギン、ご足労をかけてすまないが…」
 菩薩のような笑みを浮かべるギンに、蓮二が要件を話す。するとギンは深く頷くと、胸の前で合掌をした。
「…セイはんも海堂はんも、いまセンリーンの森におりますな」
「い、いるのか海堂が、本当に?!センリーンの森は、どこなんだ!ここから近いのか?!」
 初めて掴んだ海堂の手がかりに、俺は興奮してギンにつかみ掛かろうと踏み出したが、ケンヤーンがそれを防ぐようにその間へ入り込んできた。
「ようわからへんけど、訳アリっちゅー話なんやな?」
「ああ。海堂は、俺の大切な人で、早く元の世界に戻らないと、海堂も俺も、もうすぐ死んで…」
 ようやく海堂を助ける糸口が見つかったせいか、緊張の糸が少し緩んだ俺は両目から一気に涙が溢れ出た。
「おい、大丈夫やって!男が泣いたらアカン!」
 俺は両肩を叩かれ励まされ、俺は袖で涙を拭きながら何度も頷いた。
 大丈夫、もう大丈夫だよ海堂。もうすぐ、俺がお前を連れて帰るから…!
「わーった!俺がセンリーンの森へ連れてったるわ。この地獄のスピードスター、ケンヤーン様に乗ればアッという間や!」
「ああ、頼む!!」
 差し出された手を掴み、俺は乗馬する要領で獣身の背に飛び乗った。
「おい、貞治!」
「蓮二はここで待ってて!」
「ほな、行くで!」
 心配そうに見上げた蓮二の顔が見えたのは、ほんの一瞬。
 光の如く、ケンヤーンは洞窟を抜け出て、原始林を駆け抜けた。
 ケルベロスの橇とは違い暴風で吹き飛ばされそうだったが、俺はがっちりとしがみついて堪えた。
 数十秒後。日光が僅かにしか射さない深い森の奥で、ケンヤーンの駿足が止まる。
 どうやらセンリーンの森に着いたみたい…だが。
「ちょ、どうしたん?大丈夫か、センリーン!」
 急に慌てふためきだしたケンヤーンに驚き、俺は背に乗ったまま下を見た。
 するとそこには、センリーンと呼ばれる頭の右角が折れた半人半獣が倒れていた。







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