小説2 | ナノ


  砂時計


 やわらかいクッションがきいた椅子に身を沈めて、渡された文書を読みふけっていた。不意に視線を上げれば、その先で白龍が今晩の料理をこしらえようとしている。
 あまり俺がもうあまり動けないからと、そう言って料理役を買って出てくれている。まぁ、普段の料理も白龍が作る場合が多いんだけれど。その白龍が屋敷の厨房ではなく、部屋の備え付けの小さな台所で料理を作っていてくれてる。俺の目の届く範囲にいてくれることがなんか嬉しくって思わず笑うと、その笑い声に気付いたのか白龍が振り返った。
「どうしたんですか?」
「本当にこんなに幸せでいいのかなって」
 俺の言葉に白龍は眉をひそめた。ちょうど下ごしらえがひと段落したのか、鍋のふたを閉じて俺の方に歩いてくる。何故か不安そうに眉をひそめながら。
「……どうして?」
「思うんだ。実は夢か幻じゃないかって。バカだろ。こんな話」
「……今更になって信じてもらえないなんて、俺はそんなに不貞に見えますか?」
 隣りに来たと思ったら急に肩を落とした白龍に慌てた。とんでもなく漂ってくる負の感情に思わず顔が引きつる。
「なっ!? そ、そんなこと言ってないだろっ!?」
 だいたいこいつは堕ち込むと後が面倒なんだ。落ち込んだと思ったら、いきなりキレ出すこともあるし……。冷汗を背に書きながら身振り手振りでそんなこと思ってないって、急に黙り込んだ白龍に俺は伝えようとした。
 それでも、白龍の俯き加減は半端なくそのまま白龍は数分間黙り込んでしまった。
――あーもうっ! 後でねちっこく愚痴られるのかなぁ……。
 泣きそうだ。なんでちょっと幸せすぎて怖いって言っただけなのに、こんな気持ちに……。
 盛大にため息をつこうとした時だった。
「……ぷっ」
「ぷ?」
「……あはははははっ! 冗談ですよ。アリババ殿」
「は、はくりゅ〜〜〜っ! このばか! ほんっとーに焦ったんだぞ!」
――人の心配をなんだと思っているんだこいつは!
 笑いだした白龍の目元には涙まで浮かんでやがる。くっそ!! 冗談が苦手だとか言ってたのはどこのどいつだよっ!?
「んなことしてっと、お前の不貞を疑うぞ! ほんっとーーにっ!!」
「アリババ殿はそんなことをしないってわかっていますよ」
 笑って悪かったですって。そう続ける白龍は未だにおかしくて仕方がないといった風に時々吹き出してはムカつくにやけ顔を向けてくる。
「本当に心配して損した! 白龍のバカ!!」
 頬を膨らませてそっぽを向いた。たまにはちゃんと怒らないとダメだって、気持ちになる。
 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、ぽん、と頭の上に白龍の大きな手がのっかった。なだめられるように撫でられて、そんなに子供っぽく見えるのかと余計に恥ずかしくなる。
「ちょっと、白龍っ!」
 抗議をしようとしたら優しそうに細められた視線と目があった。さっきのからかうような瞳じゃない。その奥に慈愛の色を感じて抗議しようとした言葉がしりすぼみに消えていく。
「……俺も、一緒ですよ。こんな幸せ、本当に信じられない。――もうすぐ、生まれるそうですね」
「……うん。お医者様が言うにはもうすぐ臨月だって」
 大きく膨らんだお腹の中は時々子供が動いているような感触がある。腹を蹴るというんだろうか。身重の女性は安静にしていないといけない。というのは本当だなと、こんな状況になって思う。
 母さんが俺を産んだ時ってこんな感じだったんだろうか。
「俺とあなたの子供――本当に、本当に、夢みたいだ」
 白龍が膝をついて俺のお腹に顔を寄せた。膨らんだお腹に耳を当てて音を逃さないようにゆっくりと目を閉じる。
「なんだよ、大げさだなぁ。まぁ、出会った時はこうなるなんて思いもよらなかったけれどな」
 出会ったころを思い返して思わず頬が緩む。あの頃は互いに必死でこんな風に相手を思いやる余裕もなかった。
 さっきの仕返しとばかりに白龍の頭を撫でてやる。柔らかい髪が指先をすり抜けて気持ち良かった。


「ああ……。ちゃんと動いている。本当に……奇跡だ」






「本当に子供が生まれると思っているのか?」


 柱の影が動いた様な錯覚だった。
 俺の通路を遮るように現れた影に、思わず目を細めた。
「ええ、思っていますよ。もうすぐ10月と10日を迎える。身体の都合上、どのみち分娩は無理ですから腹を裂くしかありませんが。そうなるとアリババ殿の命が危ぶまれますね。術者を用意しておく必要が」
「そうじゃねーよ」
 まったく。大事な話をしているというのにこの神官はどうも人の話を遮るのが好きだ。
 ジュダルはその長い髪を揺らして首を横に振った。その瞳に映っているのは呆れか苛立ちか。どちらにしろ陽がすっかりと落ち、僅かな灯りで照らされているここではその瞳にどんな感情が浮かんでいるかなんて見えもしないが。
「ちげぇよ白龍。お前は――。『人間』が生まれると、思っているのか?」
――ああ、また下らない質問を。
 幾度か繰り返した質問だ。
 自分も手を貸したと言うのに、今更何を不安に思うことがあるというのか。
「思っていますよ? 神官殿の眼には彼に新しく宿っているルフが見えるのでしょう?」
「……ああ」
「実際に動いてもいる。レームでは人と寸分違わぬホムンクルスがいるのでしょう? 俺達の場合は元の情報は確かに肉体から頂いているのだから、人と変わらないものが生まれてくるはずです」
「似ても似つかない化け物が生まれてくるかもしれない」
「だとしたら――もう一度作り直せばいいだけの話ですよ」
 間髪いれず答えれば、ジュダルは押し黙った。らしくもない。ジュダルは今になって何を恐れているのか。
 今は自分を女だと錯覚しているアリババ殿との間に作られた命。生命のジンの力を利用して孕ませたその成果はもうすぐ結実を結ぼうとしているんだ。今更ジュダルに怖気づかれては困る。
「どの道、出産の時にアリババ殿の命を繋ぎとめるために術者は必要です。大量の失血は免れませんから……。その準備、お願いできますね?」
「ああ」
「それと、アリババ殿の精神操作が切れかかってないか看てはくれませんか? 最近、よく口にするんですよ。まるで今の状況が夢か幻みたいだと。今自分が男だと思いだされて、また半狂乱になられてはお腹の子も危ないですから、念入りにお願いしますよ」
「……わーったよ」
 面倒くさそうに頭をかいてジュダルが横を通り抜けて行く。
 これで当分は大丈夫だろう。時期はもうすぐなのだ。その時を過ぎるまで精神操作が続けばそれでいい。

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