小説 | ナノ


▼ 心とからだ

「ゆう、ちゃ......んっ。すきっ...!すき......っ!」

 俺のモノを中できゅうきゅうと締め付けながら、目の前の金髪が俺に向かって両手を伸ばす。
 その手を握ってやることもできた。いや、本心は握ってやりたかった。彼の甘い喘ぎ声と、悲痛な告白が脳内に響き渡る。その手を握り返してしまったら、俺はもうきっと、戻れない。幼い時から見てきた彼の笑顔と泣き顔が頭の中で巡る。

「うるさいよ」

 俺はそう言うと、伸ばされた手を無視し、彼の唇を貪った。行き場のなくなった腕が、恐る恐る俺の背中に回される。わずかに震える彼の冷たい手。自身の肌を滑るその存在を感じながら、俺は必死に彼の舌を追いかけた。



 家が隣同士の幼なじみ。小中高と学校は同じだったけれど、俺とアイツは誰が見てもわかるほど、明らかに人種が違った。俺はクラスの中でも目立たない、平々凡々の見た目と頭脳をしていて、彼女がいたこともない。好きな女の子にはアプローチも出来ず、ただ見ているだけで終わる。良く言えば普通。悪く言えば特徴のない無個性のツマラナイ、そんな人間だった。
 対する幼なじみのアイツは、クラスの中では中心的存在、今まで噂になった女は数知れず。高校生になれば、短い髪の毛を金髪に染め、耳にピアスを開け、制服を着崩し、チャラい連中と連むようになった。成績はいつも良く、見た目に反して意外と教師からの評判も良い。くしゃりと笑うその笑顔は、老若男女問わず色んな人間を虜にした。
 その一人が、俺だ。
 俺はいつの頃からか、彼の笑顔に心臓が締め付けられるようになった。眩しいその顔が自身に向けられると、胸の奥がとくんと跳ねる。身体の中心から熱がじわじわと全身に広がっていき、何かが口から飛び出そうな気持ちになった。
 『好き』『好き』『アイツが、好き』胸の中で気持ちを言葉に乗せると、また体温が上がっていく感覚がする。アイツは、明らかに変わった俺の態度を見ても何も変わらなかった。自分のつまらない話にも「おもしれー!」と言って八重歯を覗かせ笑う彼。大事にしたかった。アイツへのこの感情を。この恋心が実ればいいなんて、そんなこと思ってもいない。ただ、アイツが笑っているだけでよかった。金髪が太陽に照らされて眩しく輝く、その姿が見れるだけでよかった。あの瞬間を目撃するまでは、本当に、そう思っていたんだ。

 その日は、誰も家にいない筈だと思っていた。世界が橙色に染まる時間。家に辿り着いた俺は、玄関の扉を開けて驚く。そこには何度も見たアイツのスニーカーと、自身の兄のものであろう靴が綺麗に並べられていた。窓から差し込む夕陽が、玄関から続く階段を染めている。何故か、嫌な予感がした。手にじわりと汗が滲んでいくのがわかる。俺は急いでスニーカーを脱ぎ捨て、階段を駆け上がった。緊張で口がカラカラに渇いている。自身から漏れる浅い呼吸音がうるさい。
 階段を駆け上がると、どこからか高い悲鳴のような声が聞こえてきた。進みたくない。脳が警鐘を鳴らす。でも、何故か前に進む足を止められなかった。音を立てないよう、恐る恐る進む足。握った拳には力が入る。はぁはぁと荒い呼吸が鼓膜に響いた。嫌だ。嫌だ。知りたくない。聞きたくない。けれど兄の部屋の扉の前に辿り着いた時、現実は無情にも自身の目の前に立ち塞がった。

「アイツだと思ってよ。俺も代わりだし」
「ん...っ!ゅ、うちゃ......っ!!」
「またイクの?どんだけアイツのこと好き、なわ、け......っ!」
「ぁっ!イッてる!イッてるか、らぁ...!すき、すき、すきっ......!」
「はっ!また締め付けやがった」

 心の中の何かが、パキッと割れた音がした。

「は......?」

 扉一枚隔たれた先の室内からは、よく見知った顔から発せられたであろう女のような喘ぎ声と、兄のぶっきらぼうな声が聞こえてくる。部屋からは湿った熱い空気がわずかに漏れ、自身の身体に纏わり付いた。
 何が起きている? 力が抜け、握られていた拳が開いていく。部屋の中にいるのは、アイツと、兄貴? 代わりって? 何だ。何なんだ。何もかもわからない。何で、俺の名前を? わからない。わからない。淡い恋心が踏みつけられ、バラバラに壊れていくのがわかった。
 俺は、自分の好きな人が他の人に抱かれて、冷静でいられる男ではない。喉の奥がツンとする。視界がぼやけていくのがわかった。この感情は、何だ? わからない。失恋? それとも違う。だって、アイツは、俺の名前を、呼んで。じゃあ、この気持ちは、一体何? 目の縁から熱い液体が零れ落ちた。掠れた呼吸が口から漏れる。痛い。胸が、痛い。
 俺はその場に立ち竦むことしかできなかった。扉の向こうから聞こえる熱い吐息と甘い声。それはいつまでも俺の脳内にこびりつき、離れることはなかった。



 あれから二週間。俺は放課後、久しぶりにアイツを自室に上げた。

「ゆうちゃんの部屋、久しぶりなんだけど。どったの?珍しい」

 あの時と同じ夕暮れの時間。窓から差し込む茜色が彼を照らす。夕陽に染まってなのかわからないが、彼の頬が何故か赤らんで見えた。開けた窓から入り込む風が、金髪を揺らしている。俺は何も答えない。気まずい空気が二人を包んでいた。時計の音だけが部屋に響く。

「ねぇ。この前兄貴に抱かれてたよね?」

 最初に静寂を破ったのは俺。その言葉は二人の関係に確実に亀裂を入れた。

「隠しても無駄。知らないとでも思ったの?」

 渇いた笑みで俺は笑う。その表情を見て、目の前の彼はひどく傷付いたような顔をした。被害者は、むしろこっちなのに。思わず俺は口の中を噛む。痛い。だが、今は胸の方が痛かった。先ほどから心臓はじくじくと痛み、傷口はどんどん広がっていく。きっとこの傷が塞がることは、もう二度とない。恨みを込めた目で目の前の彼を見ると、切れ長の瞳の中の黒目が泳ぐのが見えた。

「あはっ。バレちった?」

 悲しそうに微笑む彼の口からは、いつものように八重歯が覗く。彼は金髪をぽりぽりと指で掻くと、いつものようなあっけらかんとした口調で言葉を続けた。

「ゆうちゃんのことが好きかも〜なんて、悟兄さんに相談したらさ〜。押し倒されて、そのまま!ウケるよな?」

 笑えるわけがない。眉間に皺が寄るのがわかる。彼はそんな俺の表情を見て、徐々に笑みを小さくしていった。胸が痛い。彼の無理した笑顔も、さりげない告白も、自身の感情も、全部許して受け入れてあげればそれが幸福への近道なのに、俺はどうしてもそれができなかった。
 また、部屋の中に沈黙が流れる。

「どれぐらい抱かれたわけ?」

 そう尋ねると、目の前の彼の肩が震えた。

「なぁ」

 そう言って俺は彼の肩を掴む。そのまま力を入れれば、彼の体は大人しく床に倒れていった。目の前のそいつは、抵抗しようとも、逃げようともしない。ただ、黒い瞳が真っ直ぐに俺だけを見つめていた。

「何で抵抗しないの?」

 彼の返答も待たず、俺はそう言うと自身の唇を彼に重ね合わせる。目を開けたままのキス。胸が、心臓が、チクリと痛んだ。
 触れるだけで離れた唇。二人の間を熱い吐息だけが繋いでいた。部屋の中に寂しいような、切ないような、恋しいような、そんな空気が流れる。

「好き、だから。ゆうちゃんが」

 彼はそう言うと、眉間に皺を寄せ、今にも泣きそうな顔で微笑んだ。

「......うるさい」

 『好き』『好き』『目の前の彼が好き』胸の中で言葉になった感情。きっとそれは嘘ではない。けど俺はこれからもずっと、彼の手を取らないだろう。淡い恋心。あの日に砕け散った自身の想い。俺にはお前しかいないんだ。唇を触れ合わせたいと思うのも。抱きたいと思うのも。だけど、お前は。

「誰でもいいんでしょ?」

 胸の傷がじくじくと痛む。虚しかった。やるせなかった。すきな男が、好きでもない男に抱かれる瞬間を、俺はもう二度と見たくない。
 目の前の彼の瞳が、俺の顔を見て、揺れる。俺は彼の目を手で覆い隠すと、再び唇を重ね合わせた。お互いの矢印は相手に向いているのに、その矢印が交わることは二度とないだろう。悲しいかな。何故か、そんな気がした。


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