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コンコン、と扉がノックされて歯磨きをしながら引き開けると三虎がいた。ひたひたと巨躯に似合わぬ音の無い足音で部屋に入り、ビジネスデスクに座る。適当な紙に要件を書き込んでいるので、しゃこしゃこと歯ブラシを動かしながら見た。この様子だと三虎の部屋にも盗聴器が仕掛けてあるらしい。
三虎が部屋を訪ねてきた用件はまとめられた資料に目を通したい、といった事だったので金庫の鍵を開けてアタッシュケースを預け、なまえは湯沸かしポットに電気を入れた。それから脱衣所に戻りうがいをしてから、コーヒーを入れて手元に差し出す。


「チェツェルの文化大臣との会談は"明々後日"フュルーのホテルで予定しております。部屋は私が押さえておきましたので、ご安心を。紛争の件は如何致しますか」
「あまりチェツェルの国力を疲弊させたくはない。さっさと始末を付けさせたいところだが…いい案はあるか」
「お任せ頂けるのでしたらアムマハルの友人に声をかけてみます。あちらは以前よりチェツェルに友好を求めておりますので、橋渡しは可能かと。アムマハルも文化国家ですが、あちらは軍事力も規模が大きいですからきっと力を貸してくれましょう」
「良いだろう、都合をつけておけ」
「御意に」


どこかで誰か(まあ、グルだらけの誰かであろうが)が聞いてるのを承知で話す。チェツェルの文化大臣にはA級ライセンス持ちのリモンをつけてあるし、これでグルだらけの狙いは大臣かなまえに絞られる筈だ。今夜の会談以降、もしくはもうこの瞬間から焦点を絞って来るだろう。


「………この壁掛け、件の織物ですね。きれい」
「ああ」
「お好きですか?社長は、こういうの」
「価値があるとは思う。火薬なんぞよりな」
「左様ですか。私も、火薬よりは好きです。自然に近い生活って、素朴で憧れます」
「世界有数の都会派企業のトップの横にいてそれを言うか」
「ええ、まあ。仕事は仕事で好きですよ。ビジネスとライフは別でしょう?」


そろそろ時間です、御仕度なさって下さい、と言って三虎を部屋に返し、なまえは掛けておいたピンストライプのブラックスーツに袖を通す。シャツは淡いピンクで、ネクタイは細身の黒。会談は食事会も兼ねて行われる為、ドレスコードのあるホテルレストランを貸し切ってある。キュッと締めたネクタイを真っ赤な宝石のピンで留めて、胸ポケットにハンカチーフを折って入れ、手首に時計とブレスレット、社員証を兼ねる社章ピンズを襟に着け、その裏に超小型のICレコーダーを仕込んだ。何かの為に、やりとりは全て録音しておかなければ。
前髪を全部後ろに流してハーフアップで結び、コテを当てて緩いウェーブをストレートに直す。黒いフチの伊達眼鏡をかけ、震える携帯の受話ボタンを押した。


「はい。何かあった?」
"………ッこのチンピラがっ!"
「あらーレイちゃん大丈夫?」
"…ふぅ、すみませんでした。相手が動き出してます。気を付けていらっしゃい。それを伝えておこうと"
「チンピラって(笑) 多分そこそこの腕のある暗殺者じゃないの?それ。カワイソ(笑)」
"グルだらけの資産…というか裏金では私達を確実に殺せるような殺し屋を雇う事は出来ないでしょうけれど、移動中は特にお気を付けなさい"
「わかってるよ。俺が運転してちゃーんとボスをそっちまで送り届けるから、心配しないで」
"任せましたよ。あときちんと"先輩"とお呼びなさい"
「ごめんなさい。レイ先輩」


アタッシュケースの中身をひと通りきちんと揃っているか確認し、部屋の鍵を締めて出る。エレベーターで三虎より先に降り、ロータリーでホテルマンから車のキーを受け取った。少し離れた所に停めてある慣れた車の助手席に窓からアタッシュケースを入れ、エンジンや車下、タイヤ裏、座席下やトランクまでチェックしてから運転席に乗り込んだ。それから表へ出てきた三虎を後部座席に乗せて、目的のホテルへと車を走らせる。
高速に乗って80kmほど先にある都市、紛争地帯とは真逆に向かう方向である。高速に乗る前にドライビンググローブを着け、なまえはチラリと後ろを見た。


「つけて来ているな」
「高速で仕掛けて来ると思います。スピード出しますよ」
「逃げ切れるのか」
「カーチェイスで擦り合うようなことになったら三虎さん、相手撃ってくれます?」
「私は銃は好かん」
「ですよね。ま、一応は逃げ切る予定です。シートベルトしといて下さいね」


ホテルを出てから5分程した頃から後方につけている黒い車。いかにもな雰囲気で、微かに聞こえるエンジン音からかなりの改造が施されているか、対車用の装備品でも積んでいるかが予想される。高速を走る車は多いが、アクセルを思いっきり踏んだ。


「あ、来た」
「…………何とかしろ」
「何か007みたいでわくわくする!三虎さん中央の座席下にグリーンのレバーあるでしょ、それ引いてみて」
「……これか」
「そのライフルに弾詰めといて貰えますか? まあ多分相手さんは防弾タイヤに防弾ガラスだろうけど…俺も銃は嫌いだけど、撃つから」


スピードを上げたなまえの車に追いすがり、他の車が疎らな三車線の真ん中を空けて隣に並んだ黒い車から、銃口が見えた瞬間ブレーキを踏み、一馬身下げ、すぐにアクセルに踏み直す。こんなこともあろうかと、この愛車の足回りを不規則な動きに耐えられるようかなり弄った上にエンジンも載せ換えた。チェツェルに空輸し、関税のチェックを受けてから知人に一度預け、武器を乗せて貰ったのだ。紛争に疲弊しているチェツェルは、武器の輸入には厳しく目を光らせている。本来なら車も難しい所だが、そこは美食屋ライセンスの最高峰、世界中でも数十人しか持っていないSSランクの三虎のライセンスを使ってごり押しした。
ガチャンと安全レバーを下げる音がして、銃床が視界の端にニュッと伸びて来たのを掴んで自分のいる運転席の反対、右手側にある助手席の窓を開けた。中央の車線を空けている間にだきゅん、だきゅん、だきゅん、と続けざまに三度撃つ。やはり相手のタイヤは防弾なようで、なまえは小さく息を吐いてから狙いを変えた。
利き腕の左でハンドルを操作しながら、右腕だけでライフルを構えて撃っている。普通なら発弾の衝撃で真っ直ぐ構えていることなど出来ないが、なまえは中高生の時から戦闘ノッキング部で重ノッキングガンを操っていたエースだ。それも全国屈指の。ライフルよりも遥かに重たい重量の銃を日常的に扱っていたのだから、今更ライフルなど。
車を前後させながら車を避け、撃たれる弾も避ける。エンジン周りには一応鉄板を入れてあるが、ダメージは少ない方が良いに決まっている。車を振り回すような荒っぽい運転にも関わらず、後部座席の三虎は平然と流れる景色を見ていた。


「銃口狙う。三虎さん一瞬ハンドル持って!」
「スピードは」
「アクセルで操作するから!」


カシュッとシートベルトの外れる音がして、にゅっと伸びて来た腕がハンドルを掴んだのと同時に、なまえは両腕使ってライフルを構え、一点集中する。狙うは相手のライフルの銃口。足でアクセルとブレーキをコントロールしながらタイミングを待ち、ふっと息を吐く瞬間にだきゅんだきゅんと二発、相手の銃口とその向こう側の運転手の腕、一拍置いて更に三発を最初に狙って撃ったタイヤに当てた。ガチッと安全装置を掛けてからポイっとライフルを後部座席に投げ、同時に身を引く三虎が離したハンドルを掴み、アクセルを最後まで踏み込んで時速200キロから一気に280キロまで上げた。運転手が撃たれて一瞬相手が揺らいだ隙にスピードで突き放し、一番近い所から下道に降りる。何発か車の尻の方に当たったか、と舌打ちをしてからバックミラーで三虎の安全を確認、事前に衛星写真で確認しておいた下道を思い出しながらホテルに向かった。スピードをかなり上げたせいで、時間より大分早く着いてしまうが構わないだろう。
乗り捨てるのも嫌なので、ホテルからはかなり離れたパーキングに車を停めてホテルまでは徒歩で向かった。ロビーのソファではこちらもエージェントのようなブラックスーツでかっちりとキメたレイが立ち上がって迎えてくれる。


「早かったです…ね、なまえ、髪が」
「あ?ああ…ちょっと直してくる。かなり急いだから崩れちゃったんだな」


これお願い、とアタッシュケースをレイに預け、三虎がソファに腰掛けたのを見やってからお手洗いに向かう。そこで後ろからナイフやらで掛かって来たアマチュアレベルの殺し屋を三人程伸して個室に突っ込んでおいた。


「お待たせ。少し早いけどレストラン入りしてしまいましょう」
「そうですね。お二人が無事で何よりです。なまえ、貴方が話しますか」
「全面的にレイ先輩に任せるよ。俺は今日もう疲れちゃった。ボディガードに専念する」
「わかりました。任せなさい」
「手加減するなよ。徹底的にやれ」
「「御意に」」


リンッ。最上階のフロアにあるレストランではこちらが声を掛けるより前からウェイターが案内をしてくれ、個室とは言い難いかなり広い部屋の大きなドーナツテーブルの片側に三虎を中心にして座った。



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