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 彼はひとしきり笑ったあと(案外長かった。時より言葉を発するが不明瞭で、彼女の反応を思い出しては細部を嬲り、揚げ足を取り、腹を抱え、咳き込んだ)

「で、見た所、全く進んでないな。」

穏やかな顔でそういうと、暖炉に割れた紙袋投げ入れ、円卓に散らばる紙を手に取った。
 紙には、簡単な数式が書いてあった。
それこそ、10歳児でも簡単に解けるぐらいの簡単な。
しかし解を求める、空白部分は半分も埋まっておらず、彼女がいかに怠慢に怠惰に進めていたかが判る。
 彼はわざとらしく、大きくため息を吐くと、持っていた問題集(しかも自作だ。万年筆で一枚一枚手書きだ)をひらひらさせると

「そもそも、なまえ。君が愚民化政策で、基礎教育を一切受けてこなかったから、教えて欲しいと頼んできたんだぞ。なのに、この体たらく。」

 そう言うわれなまえはばつが悪そうに肩をすくめた。その様子をみて、彼は追い込むように

「しかも、君は家賃滞納で住居を追い出されたというから、しかし長い事滞納していたのには驚いたよ。大家もよく我慢したな。わざわざ、それも完全なる私の好意で、私の部屋に住まわしているし、寝床どころか、風呂も、食事も、おまけに教育まで提供している。ちなみに、滞納分の家賃も全部私が払ってやった。それに対して、君の態度はどうだい?私が出ている間に、この問題を終わらせる様にと言ったな?賢明に手を動かして時間内に終わらせれなかったなら、仕方のない事だが、見るからに君は自分から放棄していたぞ。家事もできない、働きもしないのなら、せめて与えられて事に積極的に取り組む姿勢を見せるべきだと思うが、どうだろう?」

 早口に捲し立てられてなまえは俯いた。
一見ふて腐れている様にも見えるが、スカートを握りしめる拳をみると、随分と反省且つ後悔しているようだ。
 あまり表情が変わる事のない彼女だが、身体は意識と繋がっている。ふとした仕草で彼女の感情を読み取ることは可能だ。
 彼女が反省したようなので、彼は和解策に出た。
 紙袋を破裂させる為に、円卓に置いた中身の方を持ち上げると、俯いた彼女の鼻先に近づけた。
 淡く、柔らかく漂う、甘い香りにほんの少し頬を紅潮させた彼女が顔を上げると、包装紙にくるまれた、バターケーキが顔を出していた。
 四角い形をしたスポンジの上に、乾燥果実が散りばめられた、バターケーキだ。
 主人に許可を得る、犬の様になまえは勢い良く顔を上げると、視線の合った彼は、穏やかに微笑み、

「帰り道に、時より立ち寄っているパン屋があってね。店先で何やら荷物をまとめていたので、店主に聞いたら、今日で店を閉めて故郷に帰ると言ってね。今日で、もうそのパン屋のパンやケーキなんかは食べれない訳だから、最後に買ってやった訳だよ。美味しそうだね。」
 
 と言った。そんな言葉など聞いちゃいない彼女は、バターケーキに釘付けだ。そんな彼女を引き離すように続けて彼は言った。

「その問題全て解けたら、食べても良いよ。正解率はこの際問わない。」

 その言葉を聞いたなまえは、急いで鉛筆を持つと、手近の問題から解き始めた。
 その様子がまた可笑しいのか、彼は、喉で笑うと、「時間がかかりそうだな。また、私は出掛けるから、それまでに解いておくように。」そう言ったが、案の定、彼女は聞いちゃいなかった。
 ただ、目的の為に(バターと砂糖と卵と甘い果実の固まりを目指して)一心不乱に手を動かす。
 食べ物に釣られるなんて、本当に犬みたいだ。
 何にせよ、彼女がその気になったのは良い事だ。彼は、またコートを羽織ると静かに彼女のいる部屋のドアを閉めた。




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