冷めた紅茶がお似合いね。
 以前からたくさんの本があったこの部屋だが、今はさらに本が増えている。それと言うのも、私の胸にある石――ホロロギウムの毒性を無くすために少しでも手がかりになりそうな本を片っ端から集めてるからだ。そろそろ本棚にも仕舞いきれない本たちが床や机に積み上げられている。

「うーん……この式を応用すれば……、いや、でもそうなるとこの反応が矛盾してくる……」

 本に囲まれて、と言うよりは積み上げられた本の塔と塔の隙間に入りこんで、本に目を落としているフランは何やら真剣にぶつぶつと呟いていて、休憩の紅茶を持ってきた私には気づいていないようだ。
 ついこの間まで王立協会での仕事がかなり立て込んでいたけれど、その代わりにいつもより長いお休みが貰えたとのこと。そのお陰で仕事中も地道にだが進めていてくれたホロロギウムの研究に、ことさら集中できているらしい。せっかくの休みなのだから無理をしなくてもいい、と言ったことがあるが、

「大丈夫、ホロロギウムのことを調べるのも、僕にとってもすごく大事なことだから無理してるわけじゃないよ。もちろん、休むことは休むよ、これで体を壊したら元も子もないからね」

 実際、いつもより朝はゆっくり起きれるしのんびり過ごしているから、問題はなさそうだ。ただ、一度集中すると――こうなってはしまうが。
 休憩してほしいから声をかけたい、が、邪魔もしたくない。どうしたものかとなんとか空いてるスペースに紅茶を載せたトレイを置いた。
 改めて部屋を見渡した。本は何も錬金術や化学に関する本だけでは無い。元々この屋敷の主だった人は色んな種類の本を集めていた。お陰で様々な世界に触れられ、全く飽きがこない。
 フランがひと段落着くまで、自分もなにか本を読んでいようかと棚を見上げた。すると、最近読んで気に入った本と同じ作家の名前が書かれた背表紙を見つけた。まだあれは読んだことがないし、厚みも程々で時間を潰すのにはちょうど良さそう。
 棚に近づき腕を伸ばしたが、あと少しで取れない。何か踏み台はないかと見渡すが見つからず、それにあと少し、指先は届いているのだから背伸びすればなんとかなりそうだ。ぐっと背伸びをして腕も伸ばせれるだけ伸ばす。

「もう、すこし……」

 辛うじて届いた指先でその本の背表紙をつまみ引っ張り出した。ほっとし、あとは引き抜くだけど気を抜いた瞬間、妙にその本を引き抜く力が軽くなった。

「危ない……!」
「えっ? ……あ!」

 何が起きたのか、一瞬わからなかった。けれど、ドサドサッという何かが落ちる音、そして、

「……ったた……。大丈夫? カルディア」

 辺りに散らばる本、それから庇うように覆って助けてくれたフランが目の前にいて、ようやく何が起こったか頭が追いついた。

「ごめんなさい……! フランこそ大丈夫!?」
「大丈夫だよ、カルディアに怪我が無くてよか、いっ……!」
「っ、見せて!」

 立ち上がろうと身を起こしたフランが背を庇うようにして、顔をしかめた。私は急いで彼の後ろに回ってセーターを捲り上げる。ちょうど肩甲骨のあたりに、私の拳よりも一回り小さくも青痣が出来ていた。

「わっ? だ、大丈夫、大丈夫だから!」
「痣ができてる……」
「ほら、血は出てないし」
「フランは、私に痣ができたらどうする?」

 大丈夫だと言う彼を背中越しにじっと見つめると、う、と言葉を詰めて、諦めたように苦笑した。

「……急いで手当する、かな」
「私も同じ気持ち。待ってて、手当ての道具持ってくる」
「うん、……ありがとう」
「それは私の言うこと。ありがとう、守ってくれて」

 今度は照れくさそうに笑う彼の顔を見ていたかったが、それよりやることがあると自分に言い聞かせて急いで部屋を後にした。






「……よし、これでいいかな」
「ばっちりだよ。カルディア、ほんと上手くなったね」

 薬を塗った湿布を患部に当てて、それが動かないように包帯を巻いた。あとは、包帯の余った部分を切って後処理をするだけだ。

「そうかな……自分じゃあまりわからないけど、フランが教えてくれたから上手くなったと思う」
「あははっ、そう言われたら先生冥利につきるね」

 うん、と言いかけて、ふと包帯を持つ手が止まった。さっきは患部を見る為に捲っただけだったが今は包帯を巻くのもあって上に着ていた服は全て脱いでもらった。だから今は包帯だけであとは全て素肌だ。こうやって改まって彼の背中を見たことは……、あった。
 確か、中庭で花壇の世話をしていた時だったか、彼の服の中に毛虫が入ったらしくそれを取り除こうとしてさっきみたいに脱がせたことがある。あの時はただ毛虫を取ろうとしただけで、特に何も思わなかった。
 だけど、今は――

「カルディア? どうかした?」
「……あ、うん。その、大きいなと、思って」
「えっ、そんなに痣ひどかった?」
「そうじゃなくて……えっと」

 どうしてか、顔が熱い。手当をちゃんと終えなきゃと思うも、どうにも顔が上げられなくて俯いてしまう。
 当然不思議に思ったフランが振り向くから余計に顔が上げられなかった。
 言葉に詰まる私の頬に、そっと彼の手が添えられる。

「あっ……!」

 今の彼の手に手袋はない、だから素手で私の頬に触れている。咄嗟に身を引きかけたが、彼が優しくそれをひき止めた。

「だーいじょうぶ、ほら、ちゃんと薬の効果効いてる、だろ?」
「う、ん」
「それより、君、顔が熱い気が……」
「やっぱり、熱い?」

 こくりと頷く彼と視線が合った。真剣な眼差しは私を心配しているのがよくわかる。だからおずおずと口を開いた。

「あの、ね……」
「うん」
「前は、平気だったけど、今は……その、恥ずかしい、って言うのかな……?」
「え? ……あっ」

 ちら、と彼の視線から外れて少し下、今度は胸や腹が目に入ってまたすぐ目線を上げた。それで察してくれたようだった。慌てて離れていくその手の温もりに、少し寂しさを感じながらもようやく息がつけるような感覚も覚えた。

「ご、ごめん!」
「う、うん……あ、えっと、包帯だけ、やるね」
「お願いします……」

 お互いに目線が合わせられなくて、俯きがちになりながら後処理を終えた。そのまま手元の包帯とハサミを見つめながらじっと固まって彼が服を着るのを待った。

「これでいいかい?」

 顔をあげると手当する前と同じ格好に戻っていたから、こくりと頷く。しかし、彼の顔を見てちょっと首をかしげた。

「フラン、どうしたの?」
「え? 何が?」
「なんて言うか……楽しそうな顔してる」

 いつものフランの顔より、どこかそんなふうに見えた。そう伝えるとフランはぱちっと瞬きをして、あー……と頬を指でかく。

「楽しい、と言うか、嬉しいなって」
「嬉しい?」
「君が僕のこと、意識してるんだなと思うと、さ。ほら、前は容赦なく脱がせてきたし……」
「あ、あの時は……!」

 治まってきた思った頬の熱が、またぶり返してきて顔を両手で覆っていると、可笑しそうに笑う彼の声がさらに熱くさせた。

「ごめんごめん。そうだ、紅茶持って来てくれたんだったね」

 飲もっか、と微笑まれたら頷くしかない。すっかり冷めてしまっているだろうけど、今の私にはそれ位がちょうどいいように思えた。


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