惚れた弱み、とはよく言ったものだ

 最近彼女の様子がどうもおかしい。用事も済ませ、後は彼女――カルディアの待つ屋敷に帰るだけ、なのだが最近の彼女の様子を思い出すとどうも足が軽やかに動いてくれない。
 あの頃だって屋敷の大きさに比べれば僅かな人数ではあったが、それはそれは毎日が賑やかだった。しかしそれぞれの道を選び、今ではあの大きな屋敷に住むのはルパンとカルディアの二人きり――ではなくもう一匹、シシィを含めた二人と一匹暮らしだ。そのせいで初めの頃、カルディアがぎこちない態度を見せたがそれもただ恥ずかしさから来たものだと知ってからは大して気にならなくなったし、彼女もそれなりにすぐ慣れてきた。
 そう、順風満帆、のはずだった。ほんの数日前までは。

「はぁ……」

 いつも自信に満ち溢れた姿とは一変し、今の彼の姿はどこにでもいる悩める一人の男で、そんな哀愁漂う背中に彼の名を呼ぶ声がかかった。

「ルパン!」
「ん? おぉ、フランか」

 振り向くと、かつての同居人でもあったフランだった。ルパンは足を止め、久しぶりだなと駆け寄ってきた彼の肩を叩いた。

「ああ、ほんとだね。と言っても昨日屋敷には行ったんだけど」
「そうなのか?」
「あれ? カルディアは言ってなかった?」
「……はあああ……」
「え? る、ルパン……?」

 ルパンはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに大きなため息をつく。
 どんな相手にも臆すること無く立ち振舞う彼が、こんなにも自信なさげに落ち込む姿はそうそうない。しかし今の話の流れを鑑みて、この要因が彼女であればと考えると話は別だ。フランは戸惑いながらも、項垂れる彼の肩にそっと手を置いた。

「えーと……彼女と何かあった?」
「カルディアが……最近、口を聞いてくれねぇ……」
「ええっ、彼女が?」

 気の優しい彼女が親しい相手、しかもルパン相手にそんなことをするとは思えずフランは首を傾げた。しかし彼の様子を見るからに事実は事実なのだろう。

「喧嘩したとか……?」
「いや、していない」
「じゃあ、何 か気に障るようなことをしたとか……」
「それもない、と言いきりたいが何とも言えねぇな……。少なくとも俺は身に覚えはないんだ。それに全く口を聞かないわけでもなく、ほんの少しなら話すんだ。だけどその時の表情もどこかぎこちないっつうか……」

 はあああ、と二度目のため息がルパンの口から漏れる。何が原因か、さっぱりわからない。さり気なく原因を彼女に聞こうとしてもそもそも会話自体が少ない。愚痴をこぼしたところでどうにかなる訳ないのに、と俯けていた顔が、ポンッ、と手を叩く音に上昇させられた。

「ん? どうした?」
「あー、その原因、わかったかも」
「なっ!?」

 期待していなかっただけに目を見開いて驚くルパンに、フランは苦笑しながら肩にかけていた鞄からあるものを取り出した。

「いや、実はね――」











「カルディア!」
「わっ……! おかえりなさい」

 そろそろ夕飯の準備をしようかと思っていたところに、バンと大きな音を立てて開かれた談話室の扉。音に釣られて振り向けばルパンが珍しく慌てたようすで帰ってきた。

「今日は、早かったね」
「まあな、それよりカルディア」
「うん?」
「ちょっとじっとしてろ」

 カルディアはなんだろうとクエスチョンマークを浮かべながらも言われたとおり、ソファーから立ち上がったその場でぴたりと止まった。大股で近づくルパンに多少なりともたじろきそうになったが、その前に腕を掴まれそれも出来なくなる。そうなると彼の顔を見上げることしか出来ない。見下ろしてくる彼の顔は、どこか険しいようの見える、と思ったときだった。
 腕を掴ま れているのとは反対の手がカルディアの頬に宛がわれ、親指が下唇に触れ、浅く下へと引いた。そこで見えた唇の裏側のそこには、赤く滲んだ痕があった。

「あーあー……」
「ひゅ、ひゅはん……!」
「いつやっちまったんだ?」
「おひょひょい……」

 話しにくいにもかかわらず真面目に答える彼女に気づき、そっと指を離した。

「あ、悪い」
「ううん」
「……最近口数が少なかったのは」
「しゃべると歯に当たって痛かったから……その、そんなつもりはなかったんだけど、あんまりしゃべってなかったんだね、私」
「あ、ああ、いや、俺も気づかなくて悪かった」
「ううん、私こそ。黙っててごめんなさい」

 カルディアは律儀に腰を折って謝った。そこまで謝られるようなことじゃないと慌てて彼女の肩を支えて体を起させる。

「その、今までご飯食べると、すぐどろどろになったからあまり噛ま なくて良かったんだけど、今は……」
「あー、じゃあ慣れてなくて……?」
「うん、口の裏、噛んじゃった」

 その時のことを思い出したのかカルディアは眉をひそめて苦そうな顔をした。

「確かにあれは痛いよな」
「うん……、でも」
「ん?」
「ルパン、なんだかちょっと嬉しそうな顔してる」
「え? あ、ああいや、これはだな、お前が怪我して嬉しいとかじゃないぞ!? 断じて!」

 カルディアからの指摘に大げさとも取れるほどに慌てふためくルパンの姿に、カルディアは顔をほころばせた。うん、知ってる、と言った顔には苦々しい表情は過ぎ去っている。
 ルパンはほっと胸を撫で下ろし、少し言いにくそうに頬を指でかいた。

「その、なんだ……最近あんまし話しねーから、何か気に障るようなことしちまったのかと思ってよ……。そうじゃないと分かってほっとしたつーか……あ、そうだフランから傷薬預かってんだ、即効性はないが少しは痛みが緩和されるって――」
「……ふふっ」
「ん?」

 懐から手のひらに収まるほどの小さな丸い缶を取り出したルパンは、目の前で花を揺らすように笑う彼女を前にして首を傾げた。
 その問に答えるように、あのね、とカルディアは顔を上げる。

「慌ててるルパンを見て、私、愛されてるって、すごく思った」
「――そりゃあ、な」

 惚れた弱み、とはよく言ったものだ。











「しっかし、なんでフランには言えて俺には言えなかったんだ?」
「心配かけると思ったし、それに……」
「それに?」
「ルパンには……見せるの、恥ずかしかったから」
「あー……」

 意識されて嬉しいような、治療のためとはいえ他の人に躊躇いもなく見せるのにどこか釈然としない複雑な気持ちがルパンの胸のうちでせめぎあっていた。


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